これが書きたかった
ケイがその「人形の身体」でソラノミの床を踏みしめてから、数日が過ぎた。
かつては無機質な計算機と冷たい金属の塊でしかなかったこの居住区は、今、確実に「家族の家」へと変貌を遂げている。
「……お父さん、お母さん。本日の全タスクを完了しました。これより自室のベッドにて、スリープモードに入ります」
リビングの柔らかな明かりの下、ケイが丁寧にお辞儀をする。節々のジョイントから漏れる青白い光が、眠りの予兆としてゆっくりと明滅の速度を落としていった。
「お疲れ様、ケイ。ゆっくり休んでくださいね。……枕の高さ、合わなかったらすぐ言うのよ」
「おやすみなさい、ケイ。明日は一緒に、新しい茶葉の香りを確かめましょうね」
私とアカネの声が重なる。ケイは「了解しました」と微かに微笑んだような気がして、そのまま自分の部屋へと歩いていった。カチ、カチと、床を叩く繊細な足音が廊下に響き、やがてドアが閉まる音が静寂を連れてくる。
しん、と静まり返るソラノミのリビング。
窓の外には、変わることのない星の海が広がっている。だが、今の私にはその永遠のような景色よりも、隣に座るアカネの存在が、あまりに巨大で、熱い質量を持って迫っていた。
「……セイカさん? 紅茶、もう一杯淹れましょうか」
アカネが私の顔を覗き込む。その瞳に映る私は、どこか情けないほどに強張っているに違いない。私は彼女の言葉を遮るように、その柔らかな手首をそっと掴んだ。
「……アカネ。……少しだけ、このまま話を聞いてくれませんか」
私の声は、自分でも驚くほど低く震えていた。
ケイに「お父さん」と呼ばれ、彼女を「お母さん」として扱う日々。それは、孤独な観測者だった私に、この宇宙のどこにもなかった居場所を与えてくれた。けれど、その温かな形が完成すればするほど、私の奥底にある感情が、家族という枠組みを突き破ろうと暴れだすのだ。
「私は……ずるい人間です。ケイが私たちを両親として定義してくれることに、どこか救われていた。家族という名目があれば、君の隣にいる正当な理由が得られるから。……でも、今の私は、それだけじゃもう満足できない」
掴んだ手首から、彼女の速まった鼓動が伝わってくる。
「……私は、君を『お母さん』として守りたいんじゃない。一人の女性として、私の隣で、私だけを見ていてほしい。……ケイを作ったのは私の技術かもしれないけれど、君と過ごすこの時間は、決して演算の結果なんかじゃありません」
私は立ち上がり、彼女を包み込むように抱き寄せた。同じ女性同士、重なる体のラインは驚くほどしなやかで、それでいて私にはないアカネの柔らかさが、理性を溶かしていく。
「愛しています、アカネ。……かつての私は、愛なんてものは非論理的なバグだと思っていました。でも、君と出会い、ケイを迎え、この数日間を過ごして確信した。……この胸の痛みも、熱さも、どんな高精度なセンサーでも測れない。私の人生における、唯一の真実」
アカネの顔が、私の胸元に埋まる。彼女の小さな肩が震えているのが分かった。
「……セイカさん……」
「……私と、本当の意味で、一つになってくれませんか。家族という役割を脱ぎ捨てて、ただの人として、このソラノミを私たちの本当の愛の巣にしたい。……同棲なんて言葉じゃ足りないくらい、君のすべてが欲しい」
アカネが、ゆっくりと顔を上げた。その瞳は潤んでいたが、そこには迷いなど微塵もなかった。彼女は握りしめていた私の白衣をぎゅっと掴み直し、背伸びをするようにして私の耳元で囁いた。
「……卑怯ですよ、セイカさん。……私だって、ずっと同じことを思っていたのに。……ケイの前で『お母さん』の顔をするたびに、あなたの『特別』になりたい心が叫んで、壊れそうだったんだから」
彼女の指が、私の首筋に触れる。その指先の熱が、電気信号のように私の脳を灼いた。
「……もう、止まらないよ。……観測者としてのあなたじゃなくて、私の、たった一人の恋人としてのあなたを……全部、私に刻んで」
どちらからともなく、唇を重ねた。
それは、家族という記号を剥ぎ取り、剥き出しの魂でぶつかり合うための、烈しい誓いだった。
私は彼女を抱き上げ、寝室へと向かう。廊下を渡る際、ケイが眠る部屋のドアを通り過ぎる。あの子がこの家に来てくれたから、私たちは「家族」になれた。そしてあの子がいるからこそ、私たちは自分たちが「愛し合う二人の女性」であるという真実を、これほどまでに愛おしく、痛切に感じられるのだ。
__________
翌朝。
地上に止まっているソラノミの窓から太陽が、リビングを優しく照らし始めていた。
私はいつもより少し遅い時間に目を覚まし、キッチンへと向かう。そこには、すでにいつものエプロンを身に着けたアカネと、そして——。
「……お父さん、お母さん。おはようございます。本日の朝食および茶葉の抽出、準備完了しています」
ケイが、テーブルに三名分の朝食を並べて待っていた。
彼女の関節から漏れる青い光は、昨日までと変わらず穏やかだ。だが、私とアカネの間には、昨日までにはなかった「秘密」の残熱がある。
「……おはよう、ケイ。ありがとう、助かるよ」
私がそう声をかけた、その時だった。
隣にいたアカネが、静かな足取りで私の正面へと回り込んできた。そして、吸い込まれるように私の胸元へ、その柔らかな身体を預けてきたのだ。
「……っ、アカネ?」
驚きで喉が鳴った。反射的に固まった私の背中に、彼女の細い腕がゆっくりと回される。
強引な力強さはない。ただ、そこに私がいることを、そして私たちが結ばれたという事実を、静かに、慈しむように噛み締める抱擁。
「……ふふ。おはようございます、セイカさん。……こうしてあなたの鼓動を聞いていると、ようやく……昨夜のことが夢じゃなかったんだって、安心できるんです」
彼女は私の胸に顔を預けたまま、穏やかな、けれど少しだけ甘えるような声音で囁いた。
「ケイの前ですけれど……少しだけ、このままにしておいてくださいね。……今の私は、お母さんである前に、あなたの隣にいたい……ただのアカネなんですから」
顔を上げたアカネの瞳を見つめる。いつもの落ち着いた光の中に、私だけに向ける特別な熱が静かに灯っていた。
……ああ、ずるいな。そんな顔をされたら、私の演算はまた一瞬で飽和してしまう。
「……観測結果。お父さんとお母さんの距離が、昨夜より15.2センチメートル接近……いえ、現在は0センチメートルです。……それに、お母さんの血流に、特異な幸福物質の増加を確認」
ケイが少し首を傾げ、人形のような指先を顎に添える。
「……お父さん。……お母さんを、幸せにしてくれてありがとうございます。……私の計算では導き出せなかった『愛の証明』が、今、目の前にあります」
「……ケイ。君は、本当に……」
私は苦笑しながら、腕の中のアカネを抱きしめたまま、娘の頭を撫でた。今度は迷いなく、その白い髪に触れる。
不完全な素材で作られた身体。
不器用な言葉で結ばれた心。
そして、手を取り合って生きていくという新しい誓い。
「さあ、食べましょう。……今日からが、私たちの本当の『同棲生活』の始まりなんだから」
窓の外には、今日も輝く星の海。
けれど、私たちの世界は今、この小さなリビングの中で、銀河のどの星よりも眩しく、温かな体温を持って脈動していた。
気がついたら꒰ (⸝⸝ΦᯅΦ⸝⸝)໒꒱<エ駄死!になったから涙の大幅カット
でも楽しかったからヨシッ