極北の過酷な凍土を揺るがす吹雪の中、宇宙戦艦『ソラノミ』の広大な中央第2格納庫には、眩い溶接の火花と冷却蒸気の白煙が立ち込めていた。
天頂から吊り下げられた大型クレーンと多関節アーム群の中心に鎮座するのは、トキの専用戦術兵装──『アビ・エシュフ』である。
メインコンソールの前に立つセイカの指先が、技術データと、過去の膨大な戦闘ログを高速で整理していく。
「……メテオストライカーの極限環境向け流体姿勢制御アルゴリズムの移植、ならびに主スラスターのバイパス構造の再設計……全工程の89パーセントが完了しましたね」
セイカの隣で、ケイが白の髪を微かに揺らし、ホログラムモニターの数値を無機質かつ精緻に読み上げていく。
「お父さん。重装甲の慣性重力を相殺するための反動噴射シークエンス、完了。これにより、氷海の乱気流や不安定な流氷の上であっても、機体質量に頼らない絶対的な機動追従性が確保されます」
通信ウィンドウから投影されたホログラムの中で、ヒマリは車椅子の上で自信満々に胸を張り、サッと美髪を撫で上げた。
「ふふん、見なさい! これぞ全知の美少女ハッカーたる私が監修した、究極の鋼鉄の再定義ですよ! 重装甲という不変の『頑固さ』に、メテオストライカーのしなやかな『機動力』を融合させる……まさに天才の所業と言えましょう!」
格納庫のデッキに佇んでいたトキは、組み上げられていく愛機の重厚なシルエットを、感情を覆い隠した真っ直ぐな瞳で見つめていた。そして、静かに傍らの先生へと視線を向ける。
「……ヒマリ先輩の言葉通りです。外観の堅牢さを何ひとつ損なうことなく、内部の神経系だけが生まれ変わっていく感覚があります。……先生。新しいアビ・エシュフを完璧に使いこなし、皆さんを守る盾として、そして打ち払う槍として……勝利をお約束します」
__________
「……ふーん。見た目は相変わらずゴツいのに、中身のデータの流れ方だけが別物になってる。不思議な感じ」
エイミが吐く息を白い佇まいに変えながら、壁に寄りかかってアビ・エシュフを見上げていた。彼女の鋭い戦術的観察眼は、単なるスペック上の数値ではなく、「戦場でどう機能するか」という実戦のリアリティを捉えていた。
「セイカ、それにヒマリ先輩。外見を変えずにここまで出力系と制御系を引き上げたのは素直にすごいと思う。……でも、だからこそ実地で試さないと危険だよ」
エイミは首を傾げ言葉を続ける。
「カタログスペックで機動性が上がっても、急旋回した時に重装甲のフレームへかかる過剰な剪断ストレスや、凍結した氷上へ着地した瞬間の自重反動は、計算通りにいかないことが多い。数値上の成功と、現場での『使える』は別物だから」
「……流石はエイミですね。実戦の過酷さを知る者としての、実に合理的で貴重な指摘です」
セイカが頷くと、トキはすでにパイロットスーツのシステムチェックを終え、アビ・エシュフへとなめらかに滑り込んでいた。
「……了解。エイミの懸念事項を検証するため、テストシークエンスを開始します。アビ・エシュフ、カタパルトデッキへ移動」
重厚なハッチが閉じ、アビ・エシュフはデッキ上で即座にメインスラスターを点火させた。
ズドン──ッ!
衝撃波とともに、機体が超高速で格納庫内の直線レーンを滑走する。直後、従来の重装甲機体では不可能な角速度での「急停止」、そこから一切のタメを作らない急旋回を連続して展開した。
デッキの端で腕を組み、その挙動を凝視していたエイミが小さく呟く。
「……うん。旋回性能と推進力の追従は完璧。でも、ほら……着地と急旋回の繋ぎ目で、脚部アクチュエーターの流体圧がコンマ02秒だけ急上昇を起こしてる。このまま極寒の氷上で連続機動を続けたら、フレームの金属疲労か油圧系の凍結クラックに繋がる可能性があるよ」
「……見事な洞察です、エイミ。ケイ、ただちに該当シリンダーの圧力逃がし弁の解放シークエンスを書き換え、最大負荷時のバイパス経路を再設定しなさい」
「了解しました、お父さん。過剰サージのカットオフ・プロトコルをインストール。シリンダーにかかる剪断応力を18パーセント削減しました」
エイミの実戦的な評価と、セイカ・ケイの即座の微調整により、アビ・エシュフの完成度は机上の論理を超えて、真の「実戦兵装」へと研ぎ澄まされていく。
__________
調整とテストが着々と進む中、格納庫の観覧デッキの片隅で、レナはずっと外の吹雪が打ち付ける装甲窓を見つめていた。彼女の華奢な肩が、かすかに震えている。
「……ねえ、みんな。ちょっと、変じゃない……?」
レナのぽつりとした呟きに、傍らで温かい紅茶のポットを用意していた室笠アカネが優しく首を傾げた。
「レナちゃん? どうかしましたか? 寒さが響いてしまいましたか?」
「ううん、寒さじゃなくて……なんというか、もっと『嫌な感じ』がするの。怪異や忌まわしい儀式が始まる直前の、空気がねっとりと肌に巻き付いてくるみたいな……あの感覚」
レナは抱きしめるように自分の腕をさすりながら、窓の外の果てしない氷海を指差した。
「ただの敵がいるとか、荒天だってことじゃない。氷の下の『何か』が……私たちの動きを、じっと息を潜めて『待っている』気がするの。私たちが準備を整えるのを、あざ笑うみたいに……」
ヒマリのホログラム投影が、眉をひそめて画面を調整する。
「おや……レナの感性を単なるオカルトだと一蹴するのは簡単ですが……全知の美少女ハッカーとしては、あらゆる可能性を検証せねばなりませんね。ケイ、氷層下の深層スキャン、感度を最大まで引き上げなさい!」
「肯定。深層地下レーダーおよび地磁気解析センサー、最大感度でスキャン実行中……──ッ、検出しました」
ケイの無機質な声に、わずかな緊張が混じる。メインホログラムに、ソラノミの艦底から前方に広がる氷層下の立体マップが展開された。
「指定深度四千メートル、永久凍土の最底線において、不自然な高次元エネルギーの『周期脈動』を確認。……レナさんの指摘通り、単なる物理的・熱源的反応ではありません。規則正しいパルスが、こちらの通信波形やセンサー波に共鳴するように変容しています」
レナが青ざめた顔で頷く。
「やっぱり……! あの氷の下にいるものは、ただ暴れているんじゃない。何かを……恐ろしい儀式か、完成のための何かを『準備』しているんだわ……!」
__________
「レナさんの直感は、極めて正確な洞察でしたね。……ではトキ、その氷層下の異常波形を『模擬ターゲット』として仮定し、アビ・エシュフの最終戦闘テストに移行します」
セイカの冷静な声が通信回線を渡る。
「……了解、お父様。ターゲットロック、氷層下パルス座標。最終機動シークエンス……移行します」
ソラノミの電磁カタパルトから放たれたアビ・エシュフは、一筋の蒼い流星となって吹雪の舞う極北の上空へ飛び出した。
前方3キロ、極寒の氷原上空。
アビ・エシュフは空中での爆発的な急加速から、メテオストライカーの姿勢制御を全開にし、空間を踊るような「空中急スライド」、そこからの「急降下反転射撃」を寸分の狂いもなく展開していく。
その神業のような機動を、エイミは戦術端末越しに見つめ、満足そうに頷いた。
「うん……完璧。さっきの負荷サージも消えてる。これならゲブラがどんな死角から高次元の奇襲を仕掛けてこようと、トキなら一瞬で回避して反撃に移れる。実戦投入可能と判断するよ」
だが、その華麗な演武の最中、レナの瞳は恐怖に揺れていた。
「……待って! 機体の動きはすごいけど……氷の下の反応が、変わった……!」
「何ですって……!?」
「私たちがテストをすればするほど、機体が加速すればするほど……下の『何か』の脈動が、まるでトキの動きを『観察して学習している』みたいに、波形を変化させてるの……!」
レナの叫びを聞いたセイカは、即座に目を閉じた。
覚醒したばかりのニュータイプとしての空間把握能力を全開にし、さらに空見の波を展開。氷海の底深く潜む高次元エネルギーの潮流へと自身の意識を浸透させていく。
「(……くっ、深い……! 空間の位相が歪み、未来の分岐線がノイズで塗りつぶされていく……!)」
セイカのニュータイプとしての鋭敏すぎる感覚が、氷の下に眠るゲブラの「静かな、しかし絶対的な悪意」の気配を捉える。だが、相手の遮蔽があまりにも高次元すぎ、その具体的な形態や最初の攻撃の手口までは透かして見ることができない。
「……正体の完全な特定には至りません。ですが……レナの言う通り、敵はこちらの戦闘能力を冷静に推し量り、覚醒の時を伺っていることだけは確かです!」
__________
旋回テストをすべて終えたアビ・エシュフが、ソラノミのカタパルトデッキへと静かに着艦した。
トキは乱れた髪を指先で整え、待機していた先生とセイカの前へと歩み出た。
「……出力安定。機動テスト、完了しました。……エイミの指摘による負荷サージの解消、レナの察知した異常波形の座標確認……すべてデータとして反映完了です」
トキは感情を表に出さないいつもの静かな声で、しかしどこか誇らしげに二人を見つめた。
「……先生、セイカ。いつでも出撃できます。……ぴーす」
無表情のまま、両手でちょこんと作られたダブルピース。
その小さな仕草に込められたのは、仲間たちの支えと技術の結晶を背負った、絶対的な特務としての自信であった。
「よくやってくれました、トキ」
アカネが差し出す温かい紅茶を一口含み、先生が全員に向けて力強く頷く。準備は整った。これ以上ない最高の状態で、決戦の火蓋が切られようとしている。
──ドックン。
その瞬間。
ソラノミの全甲板を揺らすほどの、重々しい低周波の振動が氷海全体を駆け抜けた。
艦橋のホログラムマップ上で、氷層下に潜んでいた赤く禍々しいデカグラマトン反応が、これまでにないほど強大かつ不気味に爆発的な脈動を始めたのだ。
「……来たね」
エイミが銃の安全装置を外す。
「気をつけて、みんな……! 氷の下の『何か』が……今、目を覚まそうとしてる……!」
レナが固い決意を秘めた瞳で外を見つめる。
アビ・エシュフの改修は完璧に成功した。
しかし、第5の預言者『ゲブラ』との決戦を前に、過酷なる極北の氷海そのものが、破滅と決戦の始まりを告げるように鳴り響いていたのだった──。