極北の白銀世界を切り裂くように、深層の氷層を突き破って顕現した第5の預言者『ゲブラ』。
その巨大な鋼鉄の躯体は、内臓された高出力熱源炉の暴走によって真っ赤に白熱し、周囲の永久凍土を瞬時に蒸気へと変えながら凄絶な殺気を撒き散らしていた。リミッターを限界まで解除したゲブラの全身から解き放たれるのは、接触するものすべてを原子レベルで瓦解させる絶望的な高熱波と、空気を赤紫色のプラズマに変調させる極大レーザーの雨である。
「……空間温度、上昇率異常。熱波の到達まであと3秒。接触すればソラノミの外郭装甲すら融解します」
ソラノミの艦橋でケイが告げる中、出撃デッキに立つセイカは、背後に用意されていたメテオストライカーに一瞥をくれることもなかった。
「セイカ、メテオストライカーのドッキングを推奨します」と通信越しに告げるトキに対し、セイカは静かに首を横に振った。
「いいえ、トキ。あれは万が一のための最後の防波堤として、ソラノミに残しておきます。……この距離、この程度の熱量であれば、この装備だけで十分です」
セイカが手にしているのは、二挺の『メテオバスターライフル』。そして、その背後で蒼い光粒を撒き散らしながら幾重にも輪を描いて浮遊する十二基の自律端末『フィンファンネル』のみ。
「……出撃します」
電磁カタパルトの放電が弾け、セイカの肉体は蒼い光条となって極寒の空へ躍り出た。
直後、視界のすべてが熱と光の地獄に染まる。
ゲブラの全砲火が一斉に火を吹き、交錯する高熱レーザーが網の目のように空を埋め尽くした。普通の肉体どころか、並の戦術兵装であれば接近すら許されず蒸発する絶対の死の領域。
だが、セイカの精神の深層で、静かに「パチン」と種が弾けた。
脳内のあらゆる雑音が瞬時に霧散し、全データが幾何学的な光線となって脳裏に整理されていく。それと同時に、ヒマリによって『ニュータイプ』と名付けられた広域空間把握能力が全開で展開された。
レーザーの熱量、大気の密度の偏り、ゲブラが射撃を繰り出すコンマゼロ数秒前の機体内部のエネルギー供給の「脈動」と「殺意の予兆」。それらのすべてが、セイカの皮膚感覚を通じてダイレクトに脳内へと流れ込んでくる。
「(……見えます。左上方20ミリの歪み、続いて右側からの熱波……通り道は、そこです)」
セイカは空中を滑るように優雅に、そして最小限の体さばきで、交錯する熱線の死角を滑らかに縫っていく。まるで熱波の網がセイカの意志に従って回避の隙間を開けているかのような、恐るべき神技的な舞い。
『な、何ですかあの回避運動は……!? 光学センサーの追従を完全に置き去りにしています!』
通信越しに叫ぶヒマリの声も、セイカの研ぎ澄まされた思考の表面を心地よく通り過ぎるだけだった。
突如、セイカの急接近を察知したゲブラの胸部ハッチが開き、至近距離から極大の収束高熱砲が放たれた。空間そのものが焦げ付くような絶望の一撃。
「……させません」
セイカが指先を滑らせると、宙を舞う十二基のフィンファンネルが一斉に四方八方へと展開。全方位からIフィールドの光膜を多面体状に張り巡らせ、空間そのものを切り取るような完全立体防御陣形を瞬時に構築した。
ドドズズズズズズン──ッ!!
極大レーザーが十二重の多面バリアに激突し、爆発的なエネルギーの干渉光が極北の空を白く染め上げる。直撃の威力を完璧に殺し切り、その巨大な物理的反動と衝撃波すらも、セイカは自身の推進エネルギーへと一瞬で変換してみせた。
バリアを突き破るようにして、爆風の渦から一瞬で脱出したセイカは、ゲブラの巨大な胸郭の前へと肉薄していた。
その瞬間、セイカのニュータイプとしての鋭敏すぎる感応波が、ゲブラの白熱する分厚い装甲のさらに奥深くを明確に捉えた。
「(……見つけました。「神の掟」を紡ぐ、その歪んだ記述プログラムの核心を)」
十二基のファンネルが幾何学的な射撃体制へと移行し、ゲブラの関節部やセンサー網へ向けて死角なき牽制射撃を集中叩き込み、完全にその動きを止める。
セイカはメテオバスターライフルの銃口を、寸分の狂いもなくゲブラの胸部装甲の縫い目へと突きつけた。ライフルのエネルギーセルが上限を超えて咆哮を上げ、蒼白いプラズマ光芒が砲身を覆い尽くす。
「……散りなさい」
ドゴォォォォン──―ッ!!!
閃光。
メテオバスターライフルから放たれた極大の一撃は、ゲブラの絶対防御障壁を紙のように容易く貫通し、その内部の中枢構造体を直撃。数瞬の静寂の後、ゲブラの体内から溢れ出した高圧エネルギーが内部爆発を起こし、山のような躯体が内側から木っ端微塵に爆散した。
炎と氷煙が荒れ狂う極北の空。
煙を吐くライフルを携え、十二基のファンネルを従えて何ひとつ傷を負うことなく静かに浮遊するセイカの姿があった。
ソラノミの艦橋。
メインモニターに映し出された父の凄絶なまでの勝利の姿を見つめながら、シロコは胸に手を当て、どこか誇らしげに、しかし小さく息を漏らした。
「……ん。……やっぱり、お父さんにはライフルだけで十分だった」
__________
ゲブラの爆散によって生じた高熱の残火と白銀の粉雪が、冷たい風に舞い散っていく。
セイカは静かに旋回し、ただ視線を遥か彼方──氷海最深部の高次元領域へと向けた。
そこには、姿なき観察者としてこの戦闘のすべてを観測していたであろう三つの存在──アイン、ソフ、オウルの気配が漂っていた。
セイカは静かに、しかし空間そのものを震わせるような凛とした声で、高次元の虚空へ向けて言葉を紡ぐ。
「……聞こえていますね、アイン、ソフ、オウル」
応答はない。だが、高次元の波動が微かに揺らぐ。
「貴方たちが解読し、この世界に押し付けようとしている『冷徹な神の掟』など……私が愛する家族を守ろうとする『私自身のエゴ』に比べれば、あまりにも脆く、あまりにも軽い。どれほど高次元の計算を重ねようと、私がこの手で我が家の日常を壊させないという事実は、決して揺らぎません」
その宣告は、単なる勝利の誇示ではなかった。自分の存在の根底にある「お父さんとしての強靭なエゴ」を証明してみせた、絶対的な意思表示であった。
その頃、ソラノミの艦橋と通信回線を常時接続していたミレニアム外部の協力者たち──トリニティの聖園セイア、そして山海経の竜華キサキもまた、この一連の戦闘データをリアルタイムで目撃していた。
『……ふふ、見事なものだね、セイカ』
通信ウィンドウの向こうで、セイアが自身の羽を静かに撫で下ろしながら、感嘆とどこか不気味な予感の混じった吐息を漏らす。
『メテオストライカーという過剰な兵器に頼ることなく、己の技量と「守るための意志」だけで第5の預言者を沈めてみせるとは。君が何のためにその圧倒的な力を振るうのか……その高潔なエゴの重みは、私にも痛いほど伝わってきたよ』
だが、セイアの瞳の奥には、予知者としての冷ややかな陰りが宿っていた。
『……だがね、セイカ。運命の潮流というものは、時に一人の英雄の圧倒的な勝利すらも、大きな歪みの一部として飲み込んでしまうものだ。ゲブラの撃破によって、果たして未来の断絶が回避されたのか……私にはまだ、不吉な胸騒ぎが消えてくれない』
セイアの言葉を受け、隣の通信ウィンドウに映るキサキが、小さな扇子をパチリと閉じ、冷徹な政治的・戦術的観察眼で言葉を継いだ。
『……セイアの言う通りじゃな、セイカ。見事な手並みであったが……敵である「アイン・ソフ・オウル」の行動には、いささか不可解な点が残る』
キサキは鋭い眼光で、モニターに流れるゲブラの撃破ログを見つめる。
『あ奴らが、ゲブラ単機でソラノミとセイカを打ち破れると本気で踏んでいたと思うか? ……否。あれほどの知性を有する高次元知能が、無謀な単騎突入を選ぶはずがない。……ゲブラの真の役割は、ソナタの覚醒した「新しい能力」や戦闘パターン、そしてソラノミの限界データを収集するための……「観測気球」だったのではないか?』
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ゲブラの残骸が氷海の底へと沈み、過酷な爆風が収まると、ソラノミの周囲には束の間の静寂が訪れた。
セイカが着艦ハッチからソラノミの艦内へと戻る中、メイン管制室ではヒマリ、ケイ、エイミの三人が、回収された生戦闘ログの解析に没頭していた。
「……信じられませんね。メテオストライカーの推進補正を使わずに、素の機動性と12基のファンネルによる多面立体バリアだけでゲブラの収束高熱砲を完封するとは」
ヒマリが車椅子のキーボードを叩きながら、信じられないというように首を振る。
「セイカの脳内演算速度、および高次元空間認識の整合率は、私の構築した最新鋭の予測AIの限界値を230パーセント上回っています。……まさに『ニュータイプ』と呼ぶにふさわしい、理論を超越した戦闘効率です」
その横で、ジャケットの襟元を弄りながら画面を覗き込んでいたエイミが、素っ気なく、しかし本質を突いた言葉を口にした。
「……ううん、ヒマリ先輩。セイカの動きは、単に脳の処理速度が速いだけじゃないよ。……あれは、ゲブラがどこに攻撃を撃つのか、どこが一番安全な死角なのかを、攻撃が放たれる前に『あらかじめ知っていた』動きだった。反射神経じゃなくて、空間の未来そのものを視ていたんだと思う」
「肯定します、エイミ」
ケイが冷徹にディスプレイの波形を切り替える。
「お父さんの空見の波と、ニュータイプの同時展開による効果です。……しかし、問題は戦闘結果の『後処理』にあります」
ケイが指し示したホログラム画面には、ゲブラの完全消滅を示すゼロ値のデータと──その背後に残された、不自然なエネルギーの「影」が映し出されていた。
「報告。ゲブラの熱源および物理的個体反応は完全に消滅しました。しかし……氷層下深度四千メートルにおいて、デカグラマトン固有の高次元波形が残留し、局所的な位相の固定化が進行しています」
その頃、格納庫のコックピット内で待機命令を守り続けていたトキは、コンソールに表示されたセイカの戦闘データを静かに確認していた。
「……セイカ。素晴らしい戦いでした」
トキは通信越しに、静かに敬意を込めて呟く。
「……アビ・エシュフが出撃するまでもありませんでしたね。ですが……私の機体とこの盾は、いつでも皆さんをお護りできるよう、完全なスタンバイ状態を維持します」
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ソラノミの作戦会議室。セイカが冷えた身体を休めるため一時帰還する中、セイア、キサキ、ヒマリ、ケイ、エイミ、レナが集まり、今後の情勢についての考察が交わされていた。
「……ゲブラが倒されたことで、当面の物理的脅威は去った。だが……『最後の王国』へ続く道が閉ざされたわけではない」
セイアの声が重々しく響く。
「アイン・ソフ・オウルという三位一体の知性は、ゲブラの敗北すらも計算に入れた上で、あの巨躯を地上へ解き放った可能性がある。……彼らが求めているのは単なる『勝利』ではなく、セイカという理外の存在を観測し、神の掟を完成させるための『触媒』なのだから」
キサキが扇子でトントンと机を叩きながら、その考察を深める。
「戦略的見地から言えば、敵の目的は『祭壇』の完成にある。ゲブラの放った爆発的な高熱エネルギーは、単なる攻撃ではなく……氷層下に眠る『祭壇』の封印を解くための熱源として利用されたのではないか? セイカがゲブラを破壊したことで解き放たれた膨大な高次元残渣すらも、奴らは集積しているのかもしれん」
その言葉に、胸の前で両手を固く握りしめていたレナが、震える声で小さく挙げ手をした。
「……あ、あの……私、出撃する前から、ずっと嫌な感じがしてたのよ。……ゲブラが出現した時だって、ただ暴れ回ってるだけじゃなくて……まるで、誰かに決められた『儀式』の役割を演じてるみたいだったし……。私たちが必死に戦えば戦うほど、氷の下にいる『何か』が喜んで、エネルギーを吸い上げてるみたいな……そんな嫌な気配が、まだ消えてないの。……っ、べ、別に怖がってるわけじゃないわよ! ただ……これ、絶対に普通じゃないから……!」
直感に根ざしたレナの言葉。だが、それを誰も笑う者は居らず、エイミが深く頷いた。
「うん。レナの直感は正しいと思う。ゲブラとの戦闘中、ソラノミの通信回線に対して、微小な高次元パルスによるハッキング痕跡があった。敵はセイカのニュータイプや空見の波の波形を、じっくりとスキャンして記録していたんだ」
「なんですって……!?」
ヒマリが目を剥く。ケイが即座にログを検索し、冷徹なトーンで追認した。
「確認。戦闘中の0.003秒間にわたり、氷層下からの逆引きスキャン信号を検知。……敵はゲブラを犠牲にして、お父さんの能力構造の『解読』を試みた模様です」
会議室に重苦しい沈黙が落ちる。
目の前の強敵を打ち破ったという圧倒的な勝利。しかし、それすらも敵の巨大な計画の手のひらの上であったかもしれないという不気味な懸念。
「……ふむ」
作戦会議室の扉が開き、着替えを終えたセイカが静かな足取りで入ってきた。その表情には、一切の揺らぎや動揺は存在しなかった。
「敵が何を観測し、何を企んでいよう関係ありません。……『敵を撃破すること』と『敵の計画を阻止すること』が別問題であるならば、私はその両方をただ順番に叩き潰すだけです」
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セイカはメテオバスターライフルを自室の武器ラックへ静かに戻した。
しかし、過酷な戦闘を終えた後も、彼女の肉体と精神には異変が残っていた。
『種割れ』による超集中状態の過剰な神経疲労、そして覚醒した『ニュータイプ能力』が拾い続ける、周囲の膨大な空間情報。ソラノミの壁の向こうを流れる吹雪の音、遠く離れたデッキで待機するトキの吐息、そして艦内の仲間たちの微細な心拍音までが、鋭敏すぎる感覚となって脳裏に響き続けている。
こめかみを押さえ、わずかに身体を揺らしたセイカの背後から、静かに温かな温もりが寄り添ってきた。
「……セイカさん。無茶はいけませんよ」
妻であるアカネであった。
アカネは手にした温かいタオルでセイカの額の汗を優しく拭い、湯気の立つハーブティーのカップをそっと手渡した。その瞳には、世界の平穏や戦局の推移よりも何よりも、ただ「夫であり、家族の柱であるセイカ」を心配する深い慈愛が満ちていた。
「……申し訳ありません、アカネ。少し、感覚が過敏になっているようです」
「分かっています。貴方がどれほど凄まじい力で私たちを守ってくれたのかも……そして、その力がどれほど貴方自身の心身を削っているのかも。……どうか、少しだけ力を抜いてください。私たちがここにいるのですから」
アカネが優しくセイカの手を包み込む。
その温もりに触れた瞬間、セイカの過敏になりすぎていた感覚が、ふっと穏やかな日常の波長へと戻っていくのを感じた。
セイカはアカネの手を強く握り返し、優しく微笑んだ。
「……ええ。ありがとうございます、アカネ。私が私でいられるのは……貴女や子供たちがいてくれるおかげです」
どれほど神の領域に等しい力を手に入れようとも、自分の帰る場所は、この温かな日常と家族の傍らにしかない。その絶対的な軸を再確認したセイカの瞳に、再び揺るぎない理性が戻る。
第5の預言者ゲブラは倒された。
しかし、アイン・ソフ・オウルが目指す「最後の王国」と「祭壇」の真の恐怖は、今まさに暗く冷たい氷海の底から、その全貌を現そうとしていた。
セイカの放った孤高の閃光は、暗闇を切り裂く一筋の希望か、それともさらなる破滅を呼び寄せる引き金なのか──。
家族と日常を守るための果てしなき戦いは、さらなる激動の渦の中へと突き進んでいくのだった。