第5の預言者『ゲブラ』が崩落し、その巨躯が白銀の氷海へと沈んでから数分。過酷な爆風と高熱の残り香が極北の空に漂う中、ソラノミの管制室には、束の間の静寂が訪れていた。
艦橋のコンソール前では、ケイが端末のデータを整理し、エイミが銃の安全装置を確かめながら一息ついている。傍らの通信画面には、セイアとキサキが、深遠な眼差しで今後の推移を見守っていた。
だが、その静寂は突如として甲高いアラート音によって打ち破られた。
「……警告。回線より、外部割り込み通信を検知。暗号化プロトコル……ミレニアム最高幹部用を照合」
ケイの無機質な声に、車椅子に座るヒマリが眉をひそめる。
「回線……? こんな極北の孤島へダイレクトに暗号通信を繋いでくるだなんて、一体誰ですか?」
『私よ、ヒマリ。……セイカ、無事を確認したわ』
メインホログラムが青く揺らぎ、鮮明な映像が映し出された。
黒髪を滑らかに流し、洗練されたスーツに身を包んだ少女──調月リオの姿だった。
かつてのエデン条約事件においてセイカたちと共に戦い、このソラノミの艦上で作戦を遂行した信頼すべき「友人」であった。今回の通信も、感動的な再会や突然の帰還などではなく、互いの立場と実力を理解しきった者同士の、極めて自然で合理的な情報共有に過ぎない。
「……リオ」
セイカはメテオバスターライフルを静かにラックへ収めながら、ホログラムのリオへと視線を向けた。
「そちらからの連絡ということは、何かデカグラマトンに関して看過できない動きを捉えたのですね」
『ええ。セイカ、メテオストライカーを装着せず、ライフルと12基のフィンファンネルのみでゲブラを撃破した戦闘ログは、こちらの観測網でも確認しているわ。……見事な戦果ね。機体の性能に依存せず、限られた装備で最大限の戦果を挙げた。その判断力と戦術眼を高く評価するわ』
リオは淡々と語りながら、手元の端末を操作する。その横で、ヒマリがサッと自慢の髪を撫で上げながら呆れたように溜息を漏らした。
「相変わらず挨拶もそこそこに本題ですか、リオ。全知の美少女ハッカーたる私の演算を待たずして、単独でどこまで調査を進めていたのです? 前もって一言相談してくれれば、私の完璧なアプローチを提示して差し上げたというのに」
『ヒマリ、あなたの演算能力を疑ったことは一度もないわ。ただし、事態は君が理論を完成させるまで待ってはくれない。……私はミレニアムのデータベースに加え、キヴォトス全域の観測衛星から得られるログを継続的に監視していた。ゲブラの顕現は、彼らの真の目的を実行するための前段階に過ぎない。……本当の脅威は、まだ別に存在しているわ』
通信ウィンドウ越しに、同じく艦内に搭乗しているセイアが静かに羽を揺らしながら言葉を挟む。
「……ふむ。リオの言わんとすることは、先ほど私やキサキが危惧していた『歪み』と重なるね。ゲブラを倒してなお、未来の破滅の輪郭が消え去っていない理由……君には見えているのかな?」
『ええ、セイア。すでに特定済みよ。……セイカ、ソラノミの皆、これから送信するデータをただちに確認してちょうだい』
__________
リオが操作したデータパケットが、ソラノミのメインコンソールへと高速で転送されていく。ケイの指先がホログラム画面を滑り、展開された多層マップが管制室の中央に浮かび上がった。
「転送データを受信。解析を開始します……──ッ」
ケイの感情を排した声に、微かな緊張が混じる。画面に表示されたのは、キヴォトス全域における特定の希少鉱物、高出力エネルギー素子、そして精密電子部品の「異常な物流の歪み」を示す全球グラフだった。
『アトラ・ハシースの箱舟事件以降、私はデカグラマトンが遺した物理的・デジタル的痕跡を徹底して追跡していた』
リオは冷徹な眼差しで、ホログラム上に赤く明滅する特定の座標を指し示した。
『彼らはオートマタのネットワークを利用し、キヴォトス各地から大量の工業資源とエネルギー物質を秘密裏に強奪・採掘していた。その総流量は、ミレニアムの大型自律都市を一つ建造できる規模に達しているわ。……これは単なる資源調達ではない。大規模な計画のための準備と考えるべきね』
「自律都市を構築できるほどの資源……!?」
作戦会議室のデッキにいたエイミが目を丸くする。
「……ふーん。そんな大量の金属やエネルギー、どこに運んでるの? 普通ならミレニアムの物流監視網に引っかかるはずだけど」
『巧妙に偽装されていたからよ。けれど、ゲブラがセイカに迎撃された際、周辺の磁場と空間位相に一時的な揺らぎが発生した。その瞬間、隠蔽されていた大規模物流網の最終到達地点が明らかになったの。……敵の侵攻が、結果的にこちらの観測精度を高めることになったわ』
リオの言葉に重ねるように、ヒマリがキーボードを高速で打鍵する。
「……なるほど。ゲブラという巨大な熱源と高次元エネルギーの交錯が、敵の隠蔽プロトコルに一瞬のノイズを生み出したわけですね。ふふん、流石はリオ、そのコンマ数秒のチャンスを逃さず補着するあたりは癪ですが、私に次ぐ観察眼と言えましょう」
『評価は必要ないわ、ヒマリ。問題は、彼らが膨大な資源を蓄積するだけでなく、絶えず加工し、別の場所へ輸送し続けているという事実よ。……このまま放置すれば、キヴォトス全域の生態系と防衛体制が根本から崩壊しかねない。これは、もはや局地的な脅威として処理できる段階ではないわ』
セイカは腕を組み、画面に浮かび上がる座標を静かに見つめた。
「……リオ。その最終到達地点は、私たちが今立っているこの氷海の先ですね?」
『その通りよ、セイカ。ソラノミの現在位置から南東へ約120キロ。……そこに、デカグラマトンの中枢拠点と見られる大規模な採掘・加工施設が存在する。私だけでは物理的な潜入に限界があったけれど、ソラノミの戦力とあなたの能力があれば、施設の機能を完全に無力化できるはずよ。……ただし、目的の全容が判明していない以上、施設の破壊だけを優先するのは危険ね。まずは中枢を制圧し、敵の計画そのものを解明するわ』
「理解しました。感謝します。……全員、リオから共有された新座標へ向けてソラノミを発進させなさい」
「了解しました、お父さん。ソラノミ、進路変更。目標座標へ向けて最大巡航速度で微進開始」
__________
ソラノミの巨大な躯体が極北の吹雪を押し戻し、重厚なエンジン音を響かせて加速していく。
白銀の氷海の上空を突き進むこと数十分。艦橋の全天周モニターに映し出される光景が、徐々に異様な変貌を遂げ始めた。
マイナス五十度に達する極寒の空気が急激に揺らぎ、装甲の外側に巨大な熱炎の揺らめきが映り込む。
「……降下領域の気温、急速に上昇。外気温度、摂氏四十二度を突破。さらにの上昇を予測」
ケイのアナウンスとともに、吹雪の帳が晴れた。
そこに広がっていたのは、白銀の凍土とは到底信じがたい、ドロドロと赤黒く沸き立つマグマと黒煙が充満する「灼熱の火山地帯」であった。
「……うわぁ。なにこれ、さっきまであちょうどよかったのに、一気に汗が出てくる……」
エイミがたまらずパタパタと胸元を仰ぐ。
だが、真の異常はその地形そのものではなく、火口の群れを覆い尽くすようにして建造された、禍々しい鋼鉄の構造物群だった。
地脈から噴き出すマグマと地熱エネルギーを直接汲み上げる巨大な熱交換タワー。そして、火口の周囲に幾重にも張り巡らされた自動ラインでは、無数のオートマタ群が機械的な駆動音を響かせ、かき集められた希少金属や高次元素子を休むことなく採掘・精製していた。
艦橋のデッキからその光景を見下ろしていた室笠シロコが、瞳に鋭い光を宿らせながら呟く。
「……ん。……凄い数のオートマタ。でも、工場で作られているのは、普通の戦車やドローンじゃない……」
シロコの指摘に、ケイが即座に拡大映像をコンソールへ投影した。
「肯定します、シロコお姉ちゃん。オートマタたちが加工している構造物の精度および幾何学パターンを解析。……これはミレニアムや他校の既存兵器の設計思想とは完全に乖離しています。単なる面制圧用兵器の量産ラインではありません」
「ふむ……」
様子を見守っていたキサキが、小さな扇子で顎を叩きながら目を細めた。
「極寒の地に隠された灼熱の炉……そして兵器にあらざる精密構造物の加工。……セイカ、あ奴らはここで、一体何を組み上げようとしておるのじゃ?」
「……その答えは、あの火口の最底線にあります」
セイカは静かに目を閉じ、『ニュータイプ』としての空間知覚の網を、火口を覆う黒煙とプラズマの底深くへと滑り込ませた。
__________
──ッ。
セイカの脳裏に、強烈な不快感を伴う高次元の「歪み」が直接流れ込んでくる。
それは、先ほど破砕したゲブラの内部に流れていた法則コードと同質でありながら、より密度が高く、より冷徹な神聖さを帯びた幾何学的な波動であった。
「……見えます。火口の最底部、沸き立つ熱流のさらに奥深くに、巨大な『空間の結節点』が存在します」
セイカは目を開け、通信画面のリオへと語りかけた。
「リオ。貴女がミレニアムで追尾していた物流データと、今ここでソラノミが観測している火口底の波形データをリアルタイムで同期・統合しなさい。……敵の狙いが、より明確に見えてくるはずです」
『了解したわ。……ヒマリ、ケイ、こちらのメインフレームとの照合プロトコルを開放してちょうだい』
「任せなさい! ……あなたと組むのは複雑だけど、私の演算能力をもってすれば、データの統合などコンマ数秒の仕事です」
ヒマリとケイの高速打鍵音が響き渡り、リオの持つミレニアムの膨大な過去データと、ソラノミの最新センサー網が完璧に融合する。
メインホログラム上に描かれたのは、火山地帯の採掘施設で作られている不気味なコンポーネント群が、どこへ向かって配置されているかを示す立体構造図であった。
それらの部品は、地上の兵器として運用するためのものではなかった。
火口の底──そして、そこから次元の歪みを経て『氷海最深部・深度六千メートル』へと向かって伸びる、巨大な高次元構造体の「構成パーツ」だったのである。
「……これは……!」
セイアが息をのむ。
「……そうか。そういうことか、セイカ……! ゲブラが出現したことも、この火山地帯で膨大な資源が加工されていることも、すべては一つの目的に収束しておる……!」
キサキが扇子を強く握り締め、冷徹にその言葉を告げた。
「……「祭壇」じゃな。あ奴らは、氷海の底に眠る「祭壇」を完全体として起動させるために、この火山地帯のエネルギーと資源を使って、巨大な構築体を組み立てておるのじゃ!」
『ええ、その通りよ、キサキ』
リオの声が通信越しに一段と低くなる。
『ゲブラの撃破は、敵にとって大きな損失ではなかった。ソラノミとセイカの戦闘データを収集し、こちらの注意を氷海へ誘導するための陽動に過ぎなかったのね。……本命は、この火山地帯にある採掘施設と、そこで建造されている『祭壇』の骨組み。これが完成すれば、アイン・ソフ・オウルはマルクトを直接顕現させる権限を得る。……つまり、私たちが阻止すべきなのは施設そのものではなく、その完成よ』
レナが青ざめた顔で自分の腕を抱きしめる。
「やっぱり……! 私が感じていた『ねっとりした嫌な空気』は、これだったんだ……! 敵は負けたフリをしながら、着々と怪異の儀式を完成させていたんだわ……!」
ゲブラを討ち取った勝利の余韻は、完全に霧散した。
しかし、セイカの表情には絶望も焦燥も存在しなかった。ただ、冷徹なまでの決意と、お父さんとしての揺るぎない覚悟がその瞳に宿っていた。
「……なるほど。敵の計画の全貌が見えましたね」
__________
セイカは静かに自室のラックから再びメテオバスターライフルを引き抜き、その重量を確かめるように強く握り直した。背後では、十二基のフィンファンネルが蒼い光粒を撒き散らしながら、主人に応えるように整然と隊列を組む。
「敵がどれほど狡猾に罠を張り巡らせ、どのような儀式を準備していようとも、やるべきことは変わりません。……この施設を叩き潰し、祭壇の構成パーツを一つ残らず破壊します」
『妥当な判断ね、セイカ』
リオがホログラムの中で静かに頷く。
『時間を与えるほど、オートマタの生産速度は上昇し、祭壇の完成度も高まっていく。……猶予はないわ。今すぐ、投入可能な全リソースを集中させ、施設の中枢を制圧するべきよ』
「ふふん、あなたに言われずとも分かっていますよ!」
ヒマリが自慢げに胸を張る。
「私の卓越した演算能力で、敵の採掘施設を統括するメインフレームへのハッキングルートはすでに開拓済みです。自動防衛システムの反応速度を四十パーセント低下させ、過熱制御を狂わせて差し上げましょう!」
「肯定」
ケイが冷徹に続く。
「ソラノミの主砲および副砲の照準パラメータ、火山地帯の地脈エネルギー網へと固定完了。お父さんの突入と同時に、施設の外郭防衛線を一斉砲撃により排除可能です」
「……ん。私も行く」
シロコが愛用のライフルを準備し、セイカの隣へ並び立つ。
「お父さん一人に無理はさせない。……私も、家族の一員として一緒に戦う」
「……私も、お父さんのバックアップと艦内の防衛を完全に遂行します」
ケイが静かに戦闘用端末を構える。その傍らで、アカネが穏やかな、しかし決意に満ちた瞳を湛えてセイカの腕にそっと寄り添った。
「……当然です。家族の日常を脅かす者たちが相手というのなら、私も妻として、母として、貴方と共に戦場に立ちますよ、セイカさん」
愛する妻の温もりと力強い言葉に、セイカは深く頷き返す。
「……ええ、頼りにします、アカネ」
「……私もです、セイカ」
パイロットスーツに身を包んだ飛鳥馬トキが、改修されたアビ・エシュフのコックピットから通信を入れる。
「メテオストライカーの機動力を備えた新しいアビ・エシュフ……その初陣として、この火山地帯の防衛線を突破するための『過酷な盾』となりましょう」
「……うん。実戦での機動サージも調整済み。私も、ちゃんとサポートするから」
エイミも安全装置を外し、準備運動をする。
作戦会議室では、セイアとキサキ、そして妻であるアカネが、セイカの背中を温かく、しかし力強い眼差しで見送っていた。
『……ふふ、セイカ。君の描く「家族を守るエゴ」が、敵の冷徹な「神の掟」を上回ることを、私もここで見届けるとしよう』
セイアが微笑む。
『うむ、セイカ。敵の計画の根幹を、その手で打ち砕いてくるが良い。我らもソラノミの艦上から、大局の移り変わりを注視しておるぞ』
キサキが扇子を掲げる。
リオの冷徹かつ完璧な調査能力。
ヒマリの至高の演算ハッキング。
ケイと宇宙戦艦ソラノミの誇る絶対的な観測網と艦砲射撃。
セイアとキサキの持つ未来視と大局的戦略眼。
そして、セイカの圧倒的なニュータイプ能力と、それに呼応するアカネ、シロコ、トキ、エイミらの確かな武力。
ミレニアムの知性とソラノミの武力が一つに結実した、まさに「最強の布陣」がここに完成した。
「……リオ。貴女が提示してくれたこの道筋、無駄にはしません」
『期待に応えるわ、セイカ。……キヴォトスの未来も、私たちが守ろうとしている日常も、決して失わせはしない。そのために、私たちが持つすべてのリソースを投入する』
セイカは通信を切ると、全艦に向けて静かに、しかし絶対的な威厳を持って命じた。
「──ソラノミ、全砲門開け。ターゲット、灼熱の採掘施設中枢。……作戦開始です!」
ズドドドドドォォォォン──―ッ!!!
ソラノミの艦底から放たれた極大の艦砲射撃が、極北の地にそびえ立つ灼熱の火山地帯を激しく揺らした。
デカグラマトンの真の目的である「祭壇」の完成を阻止するため、そしてアイン・ソフ・オウルの野望を打ち砕くため──最強の陣容を揃えた一行の、新たなる破滅阻止の戦いが、今まさに火蓋を切ったのだった。