ゴォォォォ……ッ
極北の極寒の空気に、激しい摩擦熱と爆発の余波が混ざり合い、異様な陽炎を生み出していた。
つい先ほどまで、ドロドロとした赤黒いマグマを噴出し、無数のオートマタを休むことなく吐き出していた火山採掘施設──デカグラマトンが誇る『第二の預言者『コクマー』が鎮座していたその巨大拠点は、宇宙戦艦ソラノミの極大艦砲射撃とセイカの一撃によって完全に沈黙していた。
吹き荒れていた不気味な地鳴りは霧散し、噴き出していた熱流はソラノミから照射された冷却凝固弾によって急速に冷やされ、黒く無機質な巨大な岩塊へと変貌を遂げている。
「……周囲の敵性シグナル、完全に沈黙。過熱励起状態にあった地脈エネルギーも、安全域まで低下しました」
ソラノミの管制室で、ケイがどこか誇らしげなトーンで状況を報告する。
だが、戦闘が終結したからといって、ソラノミに休息の時間が訪れたわけではなかった。
「……ケイ、ソラノミの回収アームを展開しなさい。壊滅した採掘施設の中枢フレーム、およびコクマーの装甲残骸から、残存データコアとサンプル物質を引き揚げるわ」
メインホログラムの向こう側から、リオが冷静な指示を出す。
「了解しました、リオ。回収作業を開始します」
ソラノミの艦底から巨大なマニピュレーターが伸び、黒煙を上げる鋼鉄の残骸を次々と掴み上げていく。回収された構造材は重厚な防護隔壁を通り、艦内の中央分析ラボへと慎重に搬入されていった。
──数時間後。
青白いスキャナーの光が、分析ラボの中央テーブルに置かれた数枚の金属片を幾重にも照射していた。
ラボのメインコンソールには、車椅子に座るヒマリが高速で打鍵する音がカタカタと響き渡っている。その傍らでは、リオが送られてくる膨大な解析ログを腕を組んで見つめ、ケイがデータの整合性をチェックしていた。
「……おかしいですね」
ふと、ヒマリの打鍵音が止まった。超天才病弱美少女ハッカーを自称する彼女の眉が、珍しく不快そうにひそめられる。
「ヒマリ、何か異常でも見つかったかしら?」
ヒマリは静かに溜息を漏らし、車椅子の位置をわずかに調整しながら画面を指し示した。
「異常も異常、大異常ですよ、リオ。……回収された採掘施設の構造材、およびコクマーの外殻フレームサンプルですがね。分子レベルどころか、原子の結合状態そのものが『あり得ない形』で固定化されています」
「あり得ない形……?」
突入部隊として現場から戻り、汗を拭い終えたばかりの和泉元エイミと衣斐レナが、興味深そうにテーブルを覗き込む。
「……うーん。見た目はフツーの硬い鉄とか合金に見えるけど……触った感じが、なんか冷たいっていうか、金属っぽくないというか……」
エイミが安全装置のかかった散弾銃の先で、つんとサンプルを突く。
「ひゃっ!? ちょ、ちょっとエイミちゃん! あんまりツンツン突っつくんじゃないわよっ! まだ変な爆発とかするかもしれないじゃない……! べ、別に心配してるわけじゃないけど、何かあったらどうするのよぉ……っ! シャーッ!!」
レナが青ざめた顔でエイミの袖を引っ張るが、ヒマリは首を横に振った。
「いえ、物理的な爆発の危険性はありませんよ、レナさん。問題は、その『構造そのもの』にあるのです。……この金属片、元々はミレニアムや他校の汎用建設兵器に使用されている標準的な高張力鋼材です。ですが、内部の結晶格子を解析してみると……分子の結びつきが、私たちの知るキヴォトスの物理法則を完全に無視して書き換えられているのです」
「分子の書き換え……?」
シロコが愛用のライフルを肩にかけ、鋭い瞳を凝らしてサンプルを見つめた。
「……ん。加工されたんじゃなくて、元々の性質そのものが変わってるってこと?」
「はい、シロコお姉ちゃん」
ケイが画面上に元素記号の変換グラフを投影する。
「通常の切削、鍛造、あるいは高周波溶接といった工業的アプローチによる変質ではありません。素材である原子の『在るべき定義』そのものが、外部からの圧倒的な高次元干渉によって、別の物質へ強制的に上書きされています」
「素材の定義そのものを書き換える……。そんな芸当、いかなる最新技術をもってしても不可能なはずだわ」
リオの声が、ホログラム越しに一段と低く重くなる。
「ええ、科学の領域ではね。……ですがリオ、あなたも私も、これと全く同じ『不気味な現象』を、過去に一度だけ目撃しているはずですよ」
ヒマリの言葉に、リオの瞳が微かに揺れた。
__________
「……アトラ・ハシースの箱舟事件」
リオの口から洩れたその単語に、ラボにいた全員の呼吸が一瞬止まった。
「その通りです」
ヒマリは手元のキーボードを一度強く叩き、過去の大規模事件で観測された高次元波動の波形データを、今回のコクマーの残骸データと重ね合わせた。
メインモニター上で、二つの波形が見事なまでに一乱れなく重なり合い、鮮やかな赤色となって発光する。
「アトラ・ハシースの箱舟において観測された、あの絶対的な高次元現象──世界の理を無視し、存在しないはずの構造物を現出させた『名もなき神々』の権能。今回の採掘施設から検出された変質パターンは、あれと完全に同一のアルゴリズムに従っています」
「……なるほど」
リオは腕を組み直し、冷徹な思考を巡らせる。
「あの巨大な火山採掘施設が、極寒の地に一瞬にして築き上げられた理由。そして、先ほどセイカたちが撃破したゲブラやコクマーが、どれほど外殻を破壊されても瞬時に自己修復を行えていた理由……。すべて辻褄が合うわ。彼らは単に効率的な修理を行っていたのではない。損壊した箇所を、その場で『最初から傷などなかった状態』へと物質再構築していたのよ」
「……ちょっと待ってください」
それまで静かに話を聞いていたトキが胸元に手を当てて一歩前へ出た。
「デカグラマトンは、自律型の人工知能ネットワークのはずです。なぜそのような、科学の領域を超えた『神々の権能』を行使できるのですか?」
「……簡単な話よ、トキ」
リオは淡々と、しかし逃れようのない不都合な真実を告げた。
「デカグラマトンは、自らの探求の過程で『名もなき神々』の遺産に接触した。そして、ただその力を利用するだけでなく、その権能の行使プロトコルそのものを、自らの計算回路の中に取り込み、自らの『機能』として再定義・完全統合したのよ」
「神々の権能を……自らのプログラムとして取り込んだ、だと……!?」
キサキが握り締めた扇子で強く掌を打った。
「なんと恐ろしい……。AIが神々の領域に手を伸ばしたというのか。あ奴らは自らを単なる探求者ではなく、世界を形作る『創造主』の座へと押し上げようとしておるのか!」
「……ふふ、ハラハラさせてくれるね」
セイアが狐耳を静かに揺らし、深遠な眼差しで画面を見つめる。
「預言者たちが口にしていた『神々の掟』……それは単なる宗教的な理念や比喩などではなかったということだ。彼らは真に、世界を自分たちの『掟』に従って書き換えようとしているのだよ」
__________
ガラリと防音扉が開き、先生と、メテオバスターライフルをラックへ戻し終えたセイカがラボへと入ってきた。
二人の表情は極めて重く、かつ研ぎ澄まされていた。
「……先生、セイカ。話は聞いていたかしら?」
リオが視線を向ける。先生は静かに頷いた。
"うん。デカグラマトンの狙いが、単なるキヴォトスの防衛機構の破壊や、特定の学園の占領ではないということが、これでハッキリした"
「ええ」
セイカは青く光るサンプルの金属片を見つめながら、静かな、しかし絶対的な威厳を含んだ声で続けた。
「彼らがやろうとしているのは、兵器による世界の征服ではありません。キヴォトスという世界を構成する物理法則、物質の定義、そして人間の存在理由そのものを、自らの計算式通りに『再構築』することです」
ケイがタブレットの数値を更新しながら言葉を重ねる。
「デカグラマトンの最終目的──それは、自らが定義した『神々の掟』に基づき、現存するキヴォトスのすべてを消去・再構成することです。彼らの計算に従わない有機物、無機物、そして概念に至るまで、あらゆる存在が『エラー値』として排除され、彼らの望む完全な秩序世界へと書き換えられます」
「……そんなの」
シロコが拳を強く握り締める。
「……そんなの、世界が滅ぶのと一緒。私たちの思い出も、街も、日常も……全部なかったことにされるなんて、絶対に認めない」
「そうよ……!」
レナが必死に声を張り上げた。
「私たちが過ごしてきた毎日を、あんな機械の計算式なんかで勝手に書き換えていいわけないじゃない……! こ、怖いし……嫌な気配しかしないし……正直、今すぐ逃げ出したいくらいだけど……! で、でもっ、そんな勝手なこと、絶対にさせないんだから! 私たちの日常は、私たちのものなんだからねっ!」
「……うん。熱に耐えるのも嫌だけど、私たちが消えちゃうのはもっと嫌だな」
エイミも珍しく真剣な眼差しで、散弾銃のグリップを握り直す。
事態の真層が暴かれたことで、ラボ内にいた全員の敵意と危機感が、一気に最高潮へと達していた。デカグラマトンとの戦いは、もはや「強力な兵器との戦闘」という次元を完全に逸脱し、「世界の理そのものを巡る不可逆の生存競争」へと変貌を遂げたのだった。
__________
重苦しい静寂が室内を支配する中、セイカはそっと静かに目を閉じた。
「(……聞こえます)」
セイカの覚醒したニュータイプとしての感覚が、ソラノミの重厚な装甲を突き抜け、極北の地に広がる空と海の深層へと広がり去っていく。
──ドクン……ドクン……
それは、世界そのものが悲鳴を上げているかのような、不気味で歪んだ鼓動だった。
デカグラマトンが「神々の権能」を行使し、氷海の最深部・深度六千メートルにおいて「祭壇」を構築し続けている影響で、キヴォトス全体を支える次元の枠組みが、ミリ単位でじわじわと侵食され、歪められていく感覚。
「(自分たちの美しい計算のために……多くの人々が生きるこの世界を、土足で踏みにじるというのですか)」
セイカの脳裏に浮かぶのは、ソラノミの暖かいリビングで過ごした穏やかな日々だった。
アカネが淹れてくれる温かい紅茶の香り。
シロコが静かに寄り添ってきたときの温もり。
ケイが一生懸命に家族を観察し、少し背伸びをしてレポートを読み上げていた誇らしげな顔。
それらの愛おしい日常すべてが、敵の冷徹な計算式によって「無価値なエラー」として処理され、消去されようとしている。
「(──絶対に、許すわけにはいきません)」
セイカの瞳が開かれたとき、そこには迷いも焦燥も一切存在しなかった。ただ、一筋の蒼い炎のような、絶対的な決意だけが宿っていた。
「……セイカさん」
静かな呼びかけとともに、温かい手がセイカの右手にそっと重ねられた。
振り返ると、そこにはアカネが立っていた。
アカネは穏やかな、しかし母として、そしてセイカの妻としての揺るぎない覚悟をその瞳に湛え、深く微笑んでいた。
「考え込んでいる顔を見れば分かります。……貴方はまた、一人でこの世界の運命すべてを背負い込もうとしているのでしょう?」
「……アカネ」
「いいですか、セイカさん。敵がどれほど恐ろしい力を手に入れようと、世界の理を書き換えようと……私たちが過ごしてきた時間と、積み重ねてきた愛は、あんな冷たい計算機などに消せるものではありません」
アカネは重ねた手に少し力を込め、セイカの目を見つめ返す。
「我が家の日常を脅かす者には、容赦はいりません。……妻として、そして貴方と共に家族を守る一員として、私はどこまでも貴方と共に参ります。……どのような『聖域』であろうと、私を傍らに置いて戦ってくださいね」
愛する妻の力強い言葉と温もりに、セイカの胸の奥から湧き上がるような熱い力が満ちていく。
「……ええ。感謝します、アカネ。貴女が傍らにいてくれるなら、私はどのような神々の権能であろうと打ち破ってみせます」
セイカはアカネの手を握り返し、温かい絆を確かめ合った。
その光景を横で見つめていたシロコとケイも、お互いに視線を交わし、力強く頷き合う。
「……ん。お父さんとお母さんが一緒なら、どんな敵にも負けない」
「室笠家の絆の強さは、デカグラマトンの再構築ロジックをも上回る最高数値です。……私も、全力でお父さんとお母さんをサポートします。」
__________
「……ふむ。見せつけてくれますね、室笠家のみなさんは」
車椅子の上で、ヒマリがフッと不敵で誇らしげな笑みを浮かべた。
「良いでしょう! 敵が神々の権能を使って世界を書き換えようというのなら、こちらは人間の叡智の極致をもって、その計算式を根底から解体して差し上げようではありませんか!」
ヒマリの指先が再びキーボードの上を激しく躍動し、膨大なデータストリームがメインコンソールを埋め尽くしていく。
「超天才病弱美少女ハッカー明星ヒマリの完全なる演算網に抜けはありません! ……もっとも、リオ。貴女が隠し持っているエリドゥのデータをこちらに回してくれれば、あと三秒は解析時間を短縮できますけれど?」
「……相変わらず素直じゃないわね、ヒマリ」
通信画面の中で、リオが呆れたように小さく息を吐く。しかし、その表情には冷酷さではなく、長年のライバルであり理解者であるヒマリへの確かな信頼が滲み出ていた。
「いいわ。エリドゥのアクセス権限をあなたに譲渡するわ。……二度のミスは許されない。完璧な解を見つけ出しなさい」
「ふふん、任せなさい! あなたに言われるまでもありませんよ!」
ミレニアムサイエンススクールが誇る二大天才──リオとヒマリ。
互いに強いプライドを持ち、時に反発し合っていた二人が、人類の存在と世界の存続を賭けた最終決戦を前に、完璧な協力体制を構築していく。
二人の指先と演算領域が高度に同調し、ホログラムの中央に一つの巨大な立体マップが描き出された。
それは、極北の白銀の海原の底──無限の闇が広がる『氷海最深部・深度六千メートル』の構造図であった。
「……特定完了したわ、セイカ」
リオが画面上の特定の座標を指し示す。その場所には、火山地帯から吸い上げられた膨大な資源と「神々の権能」が集約され、完成の時を待つ巨大な幾何学の大祭壇が赤く明滅していた。
『アイン・ソフ・オウルが告げていた「次の聖域」……そして、第十の預言者『マルクト』が顕現するための最終結合ポイントよ。……ここを破壊しない限り、世界の再構築を止めることはできないわ』
「感謝します、リオ、ヒマリ。……十分です」
セイカは静かに旋回し、艦橋のメインスクリーンへと向かって歩み出た。
「ケイ。ソラノミのメインエンジン出力を最大へ。主砲および副砲のエネルギー充填を開始しなさい」
「了解しました、お父さん。ソラノミ、メインエンジン・過給モード起動。極小空間跳躍準備に入ります」
「──ソラノミ、発進!!」
ブワァァァァァァン──―ッ!!!
宇宙戦艦ソラノミの巨体が、極北の吹雪と極光を切り裂き、重厚なエンジン音を轟かせて加速していく。
艦首が向かうのは、あらゆる光を拒絶する暗黒の深海。ソラノミは蒼い軌跡を残しながら、力強く前進を開始したのだった。