極北の海原を切り裂き、氷海最深部・深度六千メートルの漆黒へと没した宇宙戦艦ソラノミ。その重厚な装甲内にあるメインブリーフィングルームは、間近に迫る最終決戦の緊張感によって、まるで密閉された氷室のように張り詰めていた。
部屋の中央に据えられた超高精細ホログラムテーブルを囲むのは、セイカ、アカネ、リオ、トキ、先生、そしてケイ。
青白く発光するホログラムの中央には、海底の断層に鎮座するデカグラマトンの最終拠点『祭壇』と、それを球状に包み込む幾何学模様の幾重もの層──不気味な脈動を続ける『多次元バリア』の幾何学モデルが投影されていた。
"……改めて状況を整理しよう"
先生がホログラムの数値を操作し、視線を全員へ巡らせながら、静かだが力強い重みを含んだ声で切り出した。
"デカグラマトンの最終聖域を守るこの多次元バリアを破り、内部へ突入するには、アリスとケイが生み出す《スーパーノヴァ》の最大出力照射……これ以外の選択肢はない。これが、現状で私たちが取り得る唯一の突破口だ"
その言葉を受け、コンソールの前で腕を組んでいたリオが、冷徹な、しかしどこか痛ましげな影を宿した視線をホログラムに向けた。
「ええ。位相空間を何重にも折り畳み、次元の歪みそのものを盾とするあの障壁は、外部からのあらゆる物理破壊兵器や通常エネルギー照射を無効化するわ。これを貫通できるのは、同質の高次元波形を同調させ、内側から位相構造を直接解体する《光の剣》の出力だけよ。……けれど、問題はその過酷すぎる負荷と代償にある」
リオの細い指先が端末を叩くと、赤く明滅するシミュレーション波形が浮かび上がる。
「多次元バリアを完全に穿つためには、アリスの機体出力と、ケイの演算領域を極限までオーバードライブさせる必要があるわ。ソラノミの艦載演算ユニットを追加接続し、安全装置を二重、三重に組み込んだとしても……二人の精神体およびフレームにかかる殺人的な負荷とリスクを、ゼロにすることは不可能なのよ」
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「……リスクをゼロにすることはできない、ですか」
それまで静かにホログラムを見つめていたアカネが、胸元で固く両手を握り締めた。
メイド服の袖口がかすかに震え、その瞳には、一人の親として、大切な娘を二度と危険な目や痛ましい運命に遭わせたくないという、痛切な母性が宿っていた。
「先生。いくら世界を救うため、デカグラマトンの野望を止めるためとはいえ……ケイやアリスちゃんに、それほどの命の危険と過酷な負荷を背負わせなければならないのですか? 母親として……子供たちを、そんな危険な戦場へ送り出すことなんて……」
"……分かっているよ、アカネ"
先生は隠すことなく、胸を突き刺すような苦痛に満ちた表情で深く頷いた。
"最低限の安全策は、私の命に代えても講じる。ソラノミのバックアップも全開にし、アリスとケイの安全を最優先にするつもりだ。……だけど、絶対に安全だという耳ざわりのいい嘘だけはつけない。リスクは確実に存在するし、二人の体に大きな負担を強いることになってしまう……"
リオもまた、言葉を詰まらせて苦しげに視線を落とし、唇を強く噛み締めた。
かつて自分が「世界の脅威」と断定し、冷徹な論理で排除しようとした少女たち。その彼女たちに、巡り巡って再び世界の命運と多大なリスクを委ねなければならないという現実が、セミナー会長としての不甲斐なさと罪悪感となって、リオの胸を鋭く刺し穿っていた。
「……私に、二人を制止する権利も、命じる権利もないわね。かつて排除を企てた私が、今さら命懸けの役目を乞うなど……」
沈痛な空気がブリーフィングルーム全体に広がり、重苦しい沈黙が全員の足元を凍りつかせていった。
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静まり返るブリーフィングルームの中、不意に、軽やかな足音が重厚な床を鳴らした。
全員の視線が集まる中、ケイが静かに、しかし迷いのない足取りで一歩前へと踏み出したのだった。
「お母さん。……そして、先生、リオ」
かつては機械的で無機質だったケイの瞳に、いまや温かく柔らかな、しかし何ものにも折れない力強い意志の光が宿っていた。
「先生の提案された作戦は、現時点で算出される唯一の最適解であり、世界の再構築を止める絶対の正解です。……ですが、私がこの作戦を受け入れ、アトラ・ハシースの力を振るうのは、それが効率的な計算結果だからでも、誰かの命令だからでもありません」
ケイはゆっくりと自らの胸元に手を当て、室笠家で過ごした日々の中で育まれた、内部に溢れる温かな感情を噛み締めるように語り始めた。
「私は……室笠家での生活を通じて、たくさんのことを学びました。掃除や料理の効率的な手順、家事の動線や計算だけではありません。お父さんとお母さん、シロコお姉ちゃんと一緒にリビングで笑い合い、温かい紅茶を飲む時間の中で……誰かを愛おしく思い、この愛おしい日常を何としても守りたいと願う『感情』を学んだのです」
ケイはまっすぐに、静かに自分を見守るセイカへと視線を向けた。
「お父さんはかつて、機械としてのプログラムに縛られかけていた私に言いました。『自分の意志で選べ』と。……だから私は、私自身の意志で選びます。デカグラマトンの論理でも、過去のプロトコルでもなく……私自身の意志で、アリスと共にあの多次元バリアを貫きます」
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「……ケイ」
セイカは静かに目を見開き、そして愛おしそうに目を細めた。
かつて名もなき神々の兵器として生み出され、冷たい機械の論理の中に閉じ込められていた少女が、いまや一人の人間として、そして室笠家の大切な娘として、自らの意志で未来を選び取ったのだ。
「……よく言いましたね、ケイ」
セイカは深く力強い歩みでケイの傍らへ歩み寄ると、その華奢な肩に大きな手を力強く置いた。父親としての絶対的な覚悟と誓いを、その眼差しに宿して口を開く。
「自分の意志で選んだその覚悟、私たちが全力で支えます。……親として、貴女たち二人を絶対に一人にはさせません。どのような負荷があろうと、どのようなリスクが立ちはだかろうと、私がこの手で必ず二人を守り抜いてみせます」
「……お父さん」
ケイの口から自然と漏れ出た「お父さん」という言葉に、セイカは力強く頷き返した。
その光景を見つめていたアカネもまた、溢れそうになる涙をそっと指先で拭い、母親としての穏やかで温かな笑みを浮かべたのだった。
「……そうですね。自らの意志で『家族と日常を守りたい』と決めた娘の覚悟を、親が邪魔するわけにはいきませんね。……ケイ、絶対に無事で帰ってきなさい。戦いが終わったら、貴女の好きな温かいスープを、家族みんなで一緒に飲みましょうね」
「はい、お母さん。約束します!」
「……ん。私も忘れないで」
ブリーフィングルームの入口の壁に静かに背を預けていたシロコが、愛用のライフルを肩にかけ直し、足音を響かせて歩み寄ってきた。
「ケイだけじゃない。お父さんもお母さんも……室笠家の家族は、全員で助け合うもの。先生が一人で重荷を背負う必要もないよ」
シロコは澄んだ青と金のオッドアイを凛と輝かせ、ケイのすぐ隣に並び立った。
「ケイ。シロコお姉ちゃんも、一番近くでケイとアリスを守るから。……どんな敵が来ても全部撃ち倒す。だから、安心して思い切りやって」
「……はい、シロコお姉ちゃん!」
ケイの顔に、これまでで最も人間らしく、誇らしげな笑顔が咲き誇った。
先生が一人で犠牲や罪悪感を背負うのではない。セイカ、アカネ、ケイ、シロコ……室笠家の家族と仲間たちが、それぞれの意志で今ある日常と未来を守るために肩を並べている。その確かな絆が、部屋の中にあった焦燥と恐怖を完全に吹き飛ばしていた。
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「先生。まだソラノミに合流していないアリスへは、私から直接事情を伝えます」
ケイは胸を張り、ホログラムの通信回線を見つめながら誇らしげに告げた。
「『勇者』には、最後にふさわしい最高の舞台が必要です。あの子なら……アリスなら、きっと笑顔で『一緒に世界を救いましょう!』と言ってくれるはずです」
"……ああ。頼んだよ、ケイ"
先生もまた、先ほどまでの迷いが嘘のように晴れた、澄み切った力強い瞳で頷いた。
"私も、アリスやゲーム開発部のみんなに、誠心誠意向き合ってくる。……二人の未来も、みんなの日常も、何一つ諦めずに掴み取ってみせるよ"
かつて冷たい計算と過去の傷に縛られていた人々が、いまや「家族の絆」と「自らの意志」によって固く結ばれようとしていた。
多次元バリアの向こう側に待つデカグラマトンの最終聖域へ──鉄の意志と温かな絆を胸に、彼らは決戦の舞台へと歩みを進めるのだった。