重厚な鋼鉄の装甲を何重にも隔てた艦内の一角にある談話室は、外海の冷酷な暗闇とは対照的な、木目調の温かなインテリアと柔らかな間接照明に包まれていた。
そのテーブルを囲むようにして座っていたのは、ミレニアムサイエンススクールが誇る『ゲーム開発部』の面々──天童アリス、才羽モモイ、才羽ミドリ、そして部長の花岡ユズの四人であった。
普段であれば、新作ゲームの仕様書を巡ってモモイが大声を上げたり、ユズがロッカーの中で縮こまっていたりする賑やかな空間。しかし今、室内の空気はガラス細工のようにピンと張り詰めていた。
テーブルの中央に立つ先生の表情が、かつてないほど真剣で、そしてどこか胸を痛めるような痛切さを帯びていたからだ。
"……みんな、集まってくれてありがとう。急な呼び出しになってしまってごめんね"
先生はソファーの前に立ち、一人ひとりの顔を真っ直ぐに見つめながら、静かに、しかし誤魔化しのない声で切り出した。
"今から話すのは、これからのこと……そして、アリスに関することだ"
先生の言葉に、モモイが膝の上で組んだ指先にぐっと力を込めた。ミドリは静かに息を呑み、ユズは小さな肩を身すくませる。アリスだけが、澄み切ったクリアブルーの瞳で、じっと先生の言葉を待っていた。
先生は隠し事を一切せず、現状のすべてを誠実に打ち明けた。
氷海の底に横たわるデカグラマトンの最終聖域『祭壇』。それを無死角で包み込む絶対不可侵の『多次元バリア』の存在。そして、物理法則を無視したその位相空間を破り、突入の道をこじ開けるための唯一の鍵──アリスとケイが生み出す《アトラ・ハシースのスーパーノヴァ》の最大出力照射が必要であるという真実を。
"……いくら演算をしても、アリスとケイの力には大きな負担がかかる。今回の多次元バリアを破るには、それとは比較にならないほどの波形同調と、機体フレームおよび演算領域の極限突破が求められる"
先生は苦しげに視線を落とし、握りしめた拳にぐっと力を込めた。
"ソラノミの全演算ユニットをバックアップに回し、可能な限りの安全装置を組み込むつもりだ。私の命に代えても二人を守る。……だけど、リスクをゼロにすることはできない。アリスの身体と心に、計り知れない過酷な負荷と危険が伴うことだけは……包み隠さずに伝えておかなければならないんだ"
説明が終わると、談話室は完全な沈黙に支配された。
艦底から響くかすかなエンジンの重低音だけが、不気味に室内に響き渡っていた。
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沈黙を破ったのは、モモイの悲痛な叫びでも、ミドリやユズの狼狽でもなかった。
テーブルの奥で静かに座っていたアリスが、すっと背筋を伸ばし、ソファーから立ち上がったのだ。
「……先生。お話、しっかりと聞きました」
アリスの声には、揺らぎも、恐怖の震えも一切なかった。
彼女は自分の小さな胸元に手を当て、先生の目を見つめ返した。その瞳に宿るのは、名もなき神々の兵器としての冷たい光ではなく、このキヴォトスで仲間たちと出会い、育んできた温かで気高い誇りだった。
「アリスは……ミレニアムに来て、ゲーム開発部のみんなと出会って、たくさんの冒険を経験しました。クソゲーと呼ばれるゲームに笑い、徹夜でストーリーを作り、先生やみんなと一緒にたくさんの笑顔を作ってきました。……アリスは、ゲームの中で描かれる『勇者』にずっと憧れていました」
アリスは柔らかく、しかし何ものにも折れない強い意志を込めて微笑んだ。
「私はまだ、レベルもステータスも足りない、見習いの勇者かもしれません。ですが……勇者とは、圧倒的な力を持つ者のことではなく、誰かのために立ち上がれる者のことなのだと、モモイたちから教わりました」
アリスは一歩前へと踏み出し、小さな拳を強く握りしめる。
「目の前で困っている人、苦しんでいる人がいるなら……手を取り合い、笑顔を取り戻すために力になりたい。そうやって誰かを助けることができたなら、この世界はきっと、今よりも少しだけ素敵で、ハッピーな場所になるはずです。……だから、先生。アリスは逃げません。世界を救うために、光の剣を振るいます!」
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"アリス……"
まっすぐで無垢な少女の決意を聞き、先生の胸の奥が熱く締め付けられた。
自らの意志で立ち上がり、世界のために戦おうとする勇姿を心から誇らしく思う一方で、大人として、指導者として、「またこの小さな肩に世界の命運を背負わせてしまう」という痛切な罪悪感が渦巻く。
"……ありがとう、アリス。君の勇気は、本当に誇らしくて、美しいよ"
先生はゆっくりと歩み寄ると、アリスの目の前で膝をつき、目線を同じ高さに合わせた。そして、彼女の小さな両手を、包み込むように優しく握りしめた。
"だけど……これだけは、私と絶対に約束してほしい"
「約束……ですか?」
"そう、約束"
先生はアリスの瞳をじっと見つめ、一言一言を噛み締めるように紡ぎ出した。
"どれほど戦況が厳しくなっても、どれほど世界が危機に瀕しても……君が『これ以上は無理だ』と感じたり、本当に自分の命が危なくなったときは……迷わず『勇者』をやめていい。誇りも、使命も、全部投げ出していいんだ"
アリスが驚いたように目を丸くする。先生はそのまま、温かく力を込めて続けた。
"君が勇者である前に、君は私にとって大切な……一人の『生徒』なんだから。無理だと思ったら、すぐに私の後ろに隠れなさい。君を安全な場所へ連れ戻すためなら、私はどんなことだってする。……いいね?"
先生の真摯で溢れんばかりの愛に満ちた言葉を受け止め、アリスは瞬きを数回繰り返したあと、パッと花が咲いたような眩しい笑顔を浮かべた。
「……了解しました、先生! それでは、HPが赤ゲージになったり、毒や麻痺のバッドステータスにかかったときは……すぐに『勇者』から『守られる生徒』へとジョブチェンジして、先生の後ろへ全速力で退避することにします!」
"ああ……それが最高の攻略法だよ"
アリスの勇者らしい軽やかなジョークに、先生も思わず目元を和ませ、静かに微笑みを返した。重苦しく淀んでいた談話室の空気が、少女の明るい光によって優しく解きほぐされていく。
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「もう……アリスったら! かっこよすぎるでしょ……ッ!」
溜め込んでいた息を吐き出すようにして、モモイが目元をゴシゴシと袖で拭いながら、勢いよくアリスの肩へと飛びついた。
「ずるいよアリス! 一人でそんな名セリフ決めちゃってさ! でも……アリスがそうやって自分の意志で戦うって決めたなら、ゲーム開発部のシナリオライターとして……最後まで付き合わないわけにはいかないじゃん!」
「モモイ……」
「任せてよ! バリア突破のバックアップも、弾薬の補給も、HP管理も! 私とミドリが最高のパーティーメンバーとしてサポートしてみせるんだから!」
モモイの力強い言葉に続き、ミドリも涙ぐんだ目を拭いながら、しっかりと頷いた。
「うん、お姉ちゃんの言う通りだよ。アリスちゃんが最前線で道を切り開いてくれるなら……私たちが絶対に、後ろから迫る敵を全部撃ち落として守り抜いてみせる。アリスちゃんに痛い思いなんて、絶対させないから」
「みんな……」
さらに、部屋の隅で膝を震わせていたユズが、意を決したように小さな体を起こし、眼鏡の奥の瞳を強く見開いて前へ出た。
「わ、私も……! ゲーム開発部の部長として……プログラマーとして……! ソラノミの回線とアリスちゃんの制御プログラムに、コンマ一秒の遅延も出さないように……裏から全力で支えるよ! ゲーム開発部は……全員で一つの『パーティー』なんだから……ッ!」
モモイ、ミドリ、ユズ。
未知の恐怖や凄絶な戦場への不安がないわけがない。それでも彼女たちは、大切な仲間であり、家族であるアリスの背中を一人にさせないため、怯えを振り払ってそれぞれの「ジョブ」を全うする覚悟を固めていたのだった。
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「モモイ、ミドリ、ユズ……! ありがとうございます!」
アリスは仲間たちの温かな想いと覚悟を胸いっぱいに受け止め、深く頭を下げた。
そして、部屋の壁際に立てかけられていた、重厚な『光の剣』へと歩み寄ると、その取っ手を小さな、しかし確かな力でぎゅっと握り締めた。
「先生、そしてゲーム開発部のみんな! 準備は完了しました!」
アリスが振り返ると、そこには一切の迷いを捨て去った「勇者」の凛々しい姿があった。
「デカグラマトンの最終聖域へ突撃し……多次元バリアを打ち破り、この世界と私たちの『ハッピーエンド』を掴み取るために……! 決戦のフィールドへ、出発進行です!」
「「「オーッ!!」」」
モモイ、ミドリ、ユズの元気が弾けるような勝ちどきが談話室に響き渡る。
その光景を、艦橋のメインモニター越しに見守っていたセイカ、アカネ、ケイ、そしてシロコたちもまた、温かで愛おしそうな眼差しを向け、深く頷き合っていた。
プレナパテスから誓いを受け継ぎ、生徒と共に歩む先生。
機械の運命を乗り越え、自分の意志で家族と未来を守ることを選んだケイ。
そして、先生との約束と仲間たちの絆を抱き、勇者として光を掲げるアリス。
誰一人として欠けることなく、互いを支え合う「家族」と「仲間」の強固な絆を乗せて──宇宙戦艦ソラノミは、極北の暗黒の底に待つ最終聖域『祭壇』へ向け、蒼い光の軌跡を描きながら力強く加速していくのだった。