極北の海原を切り裂き、氷海最深部の漆黒を航行する宇宙戦艦ソラノミ。そのメインエントランスの重厚なハッチが静かに開き、冷たい外気とともに数名の影が艦内へと足を踏み入れた。
先頭を歩いていたのはシャーレの先生。そして、その少し後ろに続く形で、ミレニアムサイエンススクール生徒会『セミナー』の会長──調月リオの姿があった。
彼女の傍らには、才羽モモイ、才羽ミドリ、花岡ユズ、そして天童アリスのゲーム開発部の面々がしっかりと並んで歩いている。
「──あっ!」
エントランスの広間に到着するやいなや、アリスがパッと顔を輝かせた。彼女はクリアブルーの瞳を大きく見開き、トコトコと早足でリオの目の前まで歩み寄る。
「リオ、おかえりなさいです! 先生と一緒に私たちのところへ来てくれて、本当にありがとうございました!」
「……アリス」
突然の歓迎の言葉に、リオはわずかに息を呑み、気まずそうに視線をさまよわせた。
かつて自分が排除しようとした少女──その彼女が、今自分に対して敵意どころか、純粋な歓喜と温かな笑顔を向けてくれている。その事実が、リオの胸の奥底を激しく揺さぶった。
しかし、アリスはそんな大人の複雑な内情など気にする様子もなく、嬉しそうに両手を軽く叩いて言った。
「これで、私たちの勇者のパーティーに、強力な『賢者様』が正式に戻ってきましたね! 賢者様がいれば、どんな難しいダンジョンの謎解きも完璧です!」
「……賢者、ね……私のような者が、そんな大層な役職にふさわしいかどうか……」
自嘲気味に唇を噛むリオだったが、アリスの無邪気で曇りのない笑顔を見つめているうちに、凍りついていた心の壁がゆっくりと溶かされていくのを感じていた。
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和やかな空気が広がる広間の中で、モモイだけは腕を組み、鋭い光を宿した赤い瞳でリオを真っ直ぐに見据えていた。
彼女の背後では、ミドリが心配そうに「お姉ちゃん……」と姉の袖を軽く引っ張っている。
「……ねえ、リオ会長」
モモイの低い、しかしはっきりとした声がエントランスの空気を引き締めた。
「アリスは優しいから、過去のことはもう気にしないで一緒に戦おうって言ってくれるけどさ……私やミドリは、そう簡単に割り切れるわけじゃないんだよね。……聞かせてよ。もし、この先の戦いで再び『誰かを犠牲にすれば世界が救える』っていう極限の状況になったとき、会長はまた、あの時みたいに冷徹な切り捨てを選ぶの?」
その直球すぎる問いかけに、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
それは、ゲーム開発部が心の底から恐れ、そして最も確認しておきたかった「彼女の本質」そのものだった。
リオは逃げることなく、モモイの挑戦的な視線を正面から受け止めた。彼女は深く息を吸い込むと、自身の過去の過ちを悔い改めるように、はっきりと力強い声で答えた。
「……いいえ、選ばないわ」
その声には、一切の迷いや言い訳の響きはなかった。
「私はかつて、数学的な確率と冷徹な論理だけを信じ、誰かと手を取り合うことから逃げた。その結果、私はすべてを失いかけ、大切な生徒たちを傷つけた。……だから、誓うわ。もし再び絶望的な選択を迫られる状況になったとしても、私は誰か一人の犠牲に頼ったりしない」
リオは拳を固く握り締め、熱を帯びた瞳で仲間たちを見渡した。
「誰かを犠牲にするその前に……私の持てるすべての知識と技術を総動員し、計算の限界を超えて、全員が生存するための『別の解決策』を必ず探し出してみせる。……もう二度と、誰も見捨てないわ」
その言葉に嘘偽りがないことを、リオの瞳の奥に宿る強い覚悟が物語っていた。
モモイはしばらくの間じっとリオの顔を見つめていたが、やふっと小さな息を吐き出すと、どこかすっきりしたような笑みを浮かべた。
「……うん、まあ、その答えが聞けたなら十分かな。過去の失敗をちゃんと反省して、変わろうとしてる人の邪魔をするほど、私たちも野暮じゃないしね。……よろしくね、賢者様!」
「ええ、モモイ。……ありがとう」
リオの硬かった表情に、心からの安堵と感謝を湛えた美しい笑みが浮かんだ。
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モモイとリオのやり取りを微笑ましそうに聞いていたアリスが、ぴょんと一歩前に飛び出してきた。
「リオ。モモイへのご挨拶、とても素敵でした! でもね、アリスには一つだけ、賢者様に付け加えておかなければならないルールがあります」
「ルール?」
首をかしげるリオに対し、アリスは真剣そのものの表情で人差し指を立ててみせた。
「はい。賢者様が『誰かを犠牲にしない』と誓ってくれたのは素晴らしいことです。ですが、その『誰か』の中には……当然、リオ自身も含まれていなければなりません!」
「……私、自身?」
「そうです! 世界を救うために、モモイやミドリやユズ、そして先生やアリスが生き残っても……代わりにリオがボロボロになって傷ついたり、いなくなってしまったりしたら、そんなの全然ハッピーエンドじゃありません!」
アリスは両手を腰に当て、堂々と言い放った。
「真の勇者パーティーというものは、どんなに強大な魔王が相手でも、どんなに絶望的なダンジョンであっても……仲間の一人たりとも欠けることなく、全員で手をつないでゴールにたどり着くものなのです! それが、ゲーム開発部が導き出す『本当のハッピーエンド』の定義です!」
アリスのその無邪気で、しかしあまりにも本質を突いた言葉は、その場にいた全員の胸を強く打ち抜いた。
自分自身を犠牲にすることで難局を乗り切ろうという無意識の逃げ道──いつの間にか冷徹な合理主義の裏側に隠し持っていたその最後の自己犠牲のプロトコルを、アリスの無垢な言葉が見事に打ち砕いてくれたのだ。
リオはしばらく言葉を失い、目を見開いたままアリスの顔を見つめていたが、やがてこらえきれなくなったように、ふっと柔らかく吹き出した。
「……ふふっ。……そうね、全くその通りだわ」
リオは目頭に浮かんだ微かな熱を拭うように、そっと指先で目元を押さえた。
「私はどこまでいっても、計算違いの多い未熟な賢者ね。……自分の命すらパーティーの必要経費の一つとして計算し直そうとしていたなんて、勇者様から見たら大目玉ものだわ」
「はい! 今の発言はパーティールール違反ですので、後でお説教のイベントが発生します!」
アリスがいたずらっぽく笑うと、談笑するような温かな空気が広間に満ちていった。
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かつての冷徹なセミナー会長と、かつて「排除対象」とされたゲーム開発部。
その間に存在していた深い溝は、アリスの無邪気な言葉と、リオの真っ直ぐな反省によって完全に埋め立てられていた。
リオは端末を操作し、ソラノミのメイン管制ネットワークへと自らの権限を同期させる。
彼女の脳裏にある膨大なミレニアムの科学知識と、ヒマリの天才的なハッキング能力、そしてケイの超高精度演算が完全にリンクし、ソラノミのシステムは最終決戦に向けた最高峰のパフォーマンスへと到達した。
「……さて。感傷に浸っている暇はなさそうね」
リオはシャープな笑みを浮かべ、全天周モニターに映し出された氷海最深部の映像へと視線を向けた。
「祭壇を覆う多次元バリアは、マルクトの覚醒に伴って刻一刻とその密度と出力を増しているわ。これ以上の遅延は、デカグラマトンの完全なる現実改変を許すことにつながる」
「はい! 賢者様、準備はいつでも万端です!」
アリスは光の剣のケースをしっかりと背負い直し、力強くうなずいた。
モモイ、ミドリ、ユズもそれぞれの武装を点検し、ファイティングポーズをとる。
賢者としての知性と誇りを取り戻したリオと、本当のハッピーエンドを信じる勇者アリス。
そして、すべての仲間たちと家族の絆を背負ったゲーム開発部は、多次元バリアを完全粉砕し、最後の決戦場へと踏み出すための最終準備を整えるのだった。