極北の過酷な氷海に佇む宇宙戦艦ソラノミ。その重厚な作戦指揮区画においては、室笠セイカや調月リオ、ゲーム開発部をはじめとする面々によって、来るべき最終決戦に向けた綿密な作戦データのすり合わせが続けられていた。
だが、その張り詰めた静寂を破るように、突如として艦内の全モニターが激しい走査線ノイズで覆い尽くされた。
「……何ですって? 全周波数帯の広域通信回線に強制割り込み? それだけではないわ。キヴォトス全域のインフラネットワークが、外部から直接掌握されつつあるということね。……発信源を特定して。通信経路と侵入範囲を即座に解析するわ!」
コンソールを操作するリオの鋭い声が艦橋に響き渡ると同時に、メインモニターのノイズの隙間から、幾何学的な光の線を描く巨大な影が浮かんできた。
キヴォトス全域の街頭ビジョン、学校の通信端末、そしてソラノミのメインモニターへ向けて投射されたのは、デカグラマトン第7のセフィラ──第七の預言者『ネツァク』の識別信号だった。
『──世界システムの再構築、フェーズ7へと移行。これより、環境の再定義および最適化を開始します』
感情を一切削ぎ落とした冷徹なシステム音声が、空間そのものを震わせるように響く。
モニターに映し出されたのは、極北の漆黒の海からキヴォトスの大陸方向へと向かって、恐ろしい速度で浸食を進める鈍色の奇妙な現象だった。
波間を漂う巨大な氷塊、削り立った岩盤、そして大気中に漂う微粒子までもが、触れた瞬間に不可解なデータ構造へと強制変換されていく。それらは表面に複雑な回路上パターンを刻み込みながら、自己増殖的に連なり合い、幾何学的な「鋼鉄の大陸」を形成していた。
『アイン・ソフ・オウルよりの宣告。既存の不完全な物理物質は、すべて王国の基盤を構築するための効率的なリソースとして統合されます。物質変換完了までの猶予時間──七十二時間。三日後、キヴォトス全土は真なる王国の土台へと完全に書き換えられます』
画面の向こうで拡大し続ける鋼鉄の侵食。それは何の前触れもなく突きつけられた、キヴォトス全土に対する絶対的な侵略と滅亡へのタイムリミットだった。
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「……状況の分析を要求します。ケイ、ネツァクの侵食プロセスの解明をお願いできますか」
セイカのどこまでも落ち着いた理知的な問いかけに対し、ケイは即座に観測されたデータをホログラム上へ立体展開した。
「……解析完了しました。ネツァクの展開する権能は、対象の物質情報を強制的にデータへと変換・統合する概念上書きです。生物そのものを直接的に分解・消滅させる性質のものではありません」
「直ちに命を奪う攻撃ではない、ということですね」
「肯定します、お父さん。ですが……足場、建造物、生活インフラ、そして生態系を維持する自然環境のすべてが無機質な鋼鉄のデータ構造へと書き換えられます。生徒たちが生きるための環境そのものが消失するため、キヴォトスという世界にとって存在そのものを揺るがす極めて致命的な脅威であることに変わりはありません」
七十二時間という刻一刻と迫るタイムリミットと、大陸を呑み込み続ける鋼鉄の進行。重苦しい沈黙が広がりかけたその時、モニターの一角でキーボードを高速で叩いていたゲーム開発部部長の花岡ユズが、ハッと息をのんだ。
「あ……あの! これを見てください……!」
ユズが震える手で提示したのは、極北の凍原地帯でかつて使われていた自動採掘資材の古い輸送ログデータだった。
「ネツァクの侵食領域の波形を逆算していたら、凍原地帯からの資源の動きに不自然な偏りが見つかったんです。……回収された特定の物理資源が、すべてネツァクのコアが存在する現在座標へと一直線に運ばれています。ネツァクがこれほどの規模で自己増殖するためには、特定のルートを通じた物理リソースの連続的な集積が不可欠だったみたいで……!」
「……状況は把握したわ」
リオがシャープな眼差しでユズのデータを覗き込む。
「ネツァク自身の『物質変換』の影響を受けずに、必要な物理リソースをコアまで安全に運ぶために設定された専用の物理構造体──いわばデカグラマトン側の『バックドア』というわけね」
「はい! ネツァク自身の侵食を受けないこの線路データに沿って進めば、バリア内部にあるネツァクの心臓部へ直接到達できます!」
ユズが見つけ出した起死回生の突破口に、艦橋を包んでいた暗雲が一気に晴れ、反撃への確かな道筋が見え始めた。
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ネツァクの心臓部へ向かう作戦ルートが確定し、ソラノミが前進を開始しようとした、まさにその瞬間だった。
──ズズズンッ!
艦体全体を直接突き動かすような異質な空間振動が襲いかかった。
ソラノミの上空、分厚い雲を力づくで引き裂いて出現したのは、アイン・ソフ・オウル配下の巨大ドローン群であった。それらの幾何学的な砲口から、禍々しい漆黒と不気味な光芒を帯びた「名もなき神」の権能の放射が開始されたのだ。
「全艦に変調プロトコル検知……! 特殊な概念干渉力場がソラノミ全体を包み込んでいます!」
ヒマリの警告と同時に、メインモニターの半分が激しいノイズとともにブラックアウトした。
「レーダー感度、急降下! 外部通信回路、完全に遮断されました! ミレニアム本校およびシャーレとの同期データ通信も途絶……! 本艦は現在、完全に孤立した状態に陥っています!」
アイン・ソフ・オウルが放ったのは、ソラノミの最大の強みである「過剰なまでの観測能力と超高度な通信連携」をピンポイントで無力化する絶対的なジャミング領域だった。
広大な漆黒の海の中央で、目と耳を同時に奪われた巨大な宇宙戦艦。
アイン・ソフ・オウルのシステムは、ソラノミの脅威度を「大幅に低下」と再計算し、この孤立無援の戦艦を完全に無力化したと判定を下した。
観測機器が沈黙し、通信のノイズだけが虚しく響く暗転した艦橋。敵はソラノミの手足を奪い、完全な優位と勝利を微塵も疑っていなかった。
──しかし。
アイン・ソフ・オウルの冷徹な演算回路は、致命的な計算違いを犯していた。
ソラノミの機械的な観測機器が死に絶えようと、外部との通信が途絶しようと関係のない「絶対のファクター」が、この艦内には存在していたのだから。
アイン・ソフ・オウルが崇め奉る「名もなき神」。
その神と同質の権能を宿し、かつてはその兵器として生み出されながらも、人の温もりと家族の絆を知った二人の少女──勇者アリスと、影の騎士ケイ。
敵のデータバンクのどこにも含まれていない「名もなき神の遺児たち」が、今まさにソラノミの甲板の上で、静かにその光の剣を握り締めていた。
「……システムによる観測が届かなくても、問題ありません」
薄暗いブリッジの中で、アリスが背中の光の剣に手をかけ、力強く前を見据えた。
「アリスとケイには、聞こえています。みんなの心と、倒すべき敵の場所が!」
「肯定します。名もなき神の権能による遮断プロトコル……私たち二人には、通用しません」
ケイがアリスの隣に並び立ち、その瞳に静かな、しかし絶対の青い光を宿す。
敵の想定を遥かに超えた二人の存在。
敵が与えた絶望の閉塞感を打ち破る「名もなき力」を胸に、ソラノミは閉ざされた鋼鉄の巡礼路へと、反撃の一歩を踏み出すのだった。