天童アリスが解き放った極大の光《アトラ・ハシースのスーパーノヴァ》は、全宇宙を貫くかのように成層圏へと到達し、キヴォトス全域の夜空を息を呑むほどに美しい七色の極光(オーロラ)で満たした。
アイン・ソフ・オウルが張り巡らせた「名もなき神」の広域概念力場は完全に霧散し、暗転していた宇宙戦艦ソラノミの作戦指揮区画には次々と灯りが戻っていく。メインモニターには完全復旧を果たした各種計器と、安定したデータリンクを示す青い数値が躍っていた。
「全観測機器、ならびに通信回路の完全復旧を確認しました! アイン・ソフ・オウルのジャミング力場は完全に消滅……本艦はふたたび全能力を発揮可能です!」
調月リオが安堵を含んだ声を張り上げ、モモイとミドリが「やったー! アリス、すごすぎるよ!」と歓声をあげて跳びはねる。
勝利と奪還の歓喜が作戦指揮区画を包み込もうとした、まさにその瞬間だった。
──ガツンッ、と重い金属音が甲板から響いた。
「……っ、う……あ……っ」
メインモニターの外部カメラ映像、そして展望デッキとの境界で、ケイがその場に激しく膝をついていた。
甲高い警告アラートがソラノミのブリッジ内に耳障りに鳴り響く。コンソールの数値が一変して異常な赤色に染まり、ヒマリが車椅子の上で息を呑んだ。
「なっ……!? ケイの生体波形とエネルギーラインに、異常な変動を確認! 熱暴走に加え、胸部中央から高出力の逆流波が発生しています……! ふむ……これは想定外ですね。いえ、分析している場合ではありません!」
「ケイ……!?」
セイカの理知的な表情が一瞬にして強張り、彼女は長い脚を一歩前へ踏み出すと、静かな佇まいを脱ぎ捨てて速やかにデッキへと駆け寄った。
膝をついたケイの胸部中央──服の隙間から覗く装甲の裂け目から、不気味で禍々しい紅蓮の火花がチチ、と激しく散っていた。彼女の白い肌には、まるでガラスが割れるかのような細かな亀裂状の発光ラインが走り始め、その体温は隔壁越しにも伝わるほど異常な高温に達している。
「ケイ! しっかりしなさい!」
セイカがその小さな肩を抱きかかえる。だが、セイカの手のひらに伝わってきたのは、耐熱装甲すら溶かしかねない破滅的な内部崩壊の振動だった。
「……熱負荷が上昇し続けています。冷却プロトコル……応答しません。内部回路の三二パーセントが……すでに融着を開始……っ」
ケイは荒い呼気を漏らし、途切れ途切れに報告を口にしようとする。その声には、普段の冷徹な面影はなく、苦痛に耐えかねた痛々しい震えが含まれていた。
「セイカ、原因の特定を急いでちょうだい!」
追いついてきたリオが手元のコンソールを開き、ケイの体内構造図をリアルタイムでスキャンする。ホログラムに投影されたケイの胸部構造──そこに刻まれていたのは、あまりにも痛切な過去の制約だった。
「……試作型……『ルミナス・コア』……」
セイカの声音が、わずかに揺れた。
現在、メテオストライカーなどの主力兵装に組み込まれているのは、完全な安定性と絶大な出力を両立させた「完成型ルミナス・コア」である。しかし、かつてセイカがケイの身体を造り上げた当時──彼女に実体と「室笠家の一員」としての居場所を与えるために全身のフレームを設計したその時には、まだ試作段階のルミナス・コアしか存在しなかったのだ。
「完成型とは同調率の容量が違いすぎるわ……!」
リオが青ざめた顔でデータを指し示す。
「スーパーノヴァの照射時、アリスの引き出した『名もなき神』の膨大なエネルギーは、アリスの背負うフレームだけでなく、精神的・概念的に強くリンクしているケイのコアへも逆流したのよ。完成型ルミナス・コアならその余剰エネルギーを空間へ放熱・バイパスできた……けれど、ケイの胸にある試作型コアでは、その奔流を処理しきれない!」
「崩壊率……四七パーセントを突破しました」
ヒマリの震える手がキーボードを叩く。
「このままでは、次のチャージはおろか……数分と持たずにケイのコアが限界を迎え、彼女の身体そのものが内側から自壊してしまいます!」
__________
「ケイ……! アリスのせいです……アリスが、力を使いすぎたから……!」
背中の光の剣《スーパーノヴァ》を収めたアリスが、泣きそうな顔でケイのもとへ駆け寄った。アリスは震える手でケイの手を握り締め、必死に首を振る。
「もうダメです! 光の剣は使わなくていいです! アリスが、アリスのせいでケイが壊れちゃうなんて……そんなの嫌です!」
胸を焦がす激痛に耐えながら、ケイはゆっくりと瞼を開いた。
青く明滅する彼女の瞳が、涙を浮かべるアリスの顔をまっすぐに見つめる。ケイは自らの傷ついた手を少しだけ動かし、アリスの手を弱々しく、けれど決して解けない強さで握り返した。
「……泣かないでください、アリス」
ケイの声は静かだった。
かつて彼女が機械的なプロトコルに従っていた頃の冷たさはない。そこには、一人の自我を持った少女としての、温かく重い決意が宿っていた。
「あなたは……もう『王女』ではありません。そして私も……あなたに仕えるだけの『侍女』ではありません。私は……室笠ケイ。あなたの進む道を切り開くために、この身体と……この命を授かった、あなたの『騎士』です」
「ケイ……」
「私がこの身体を得たのは、お父さんが私を家族として迎えるために、心を込めて造ってくれたからです。……だからこそ、この身体は……大好きなあなたを守るために使いたい」
ケイは苦しげに息を吐きながら、抱きかかえてくれているセイカへと視線を向けた。
「……お父さん。私に……『私』という存在と、帰るべき温かな家を与えてくれて……本当に、ありがとうございました。……ですが、身勝手なお願いを許してください。……もう少しだけ、無茶をさせてください」
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「ケイ……」
セイカの理知的な思考回路が、激しい葛藤に打ち震えていた。
研究者としての合理的な判断を下すならば、即座にケイのコアを休眠モードへと移行させ、ソラノミの全医療系・メンテナンスユニットを集中させて過熱を抑え込むべきだった。だが、それは今まさに再起動したネツァクの侵食、そして多次元バリアの突破作戦を中断することを意味する。
そして何より──父親として、自らの手で造り上げた愛しい娘の身体が、試作型という自らの過去の限界のせいでボロボロと崩壊していく様を、ただ見ていることしかできない無力さが、セイカの胸を強く締め付けていた。
「……私の……せいです」
セイカは低く、しかし感情を殺しきれない声で漏らした。
「あの時……私がもっと完全なコアを完成させていれば……あなたにこんな無理を強いることはなかった……。親でありながら、あなたに限界を与えるような身体しか作れなかったなんて……」
「いいえ、お父さん」
ケイは紅い火花を散らす胸を押し当てながら、穏やかに微笑んだ。
「この身体があったから……私はアリスの手を握ることができました。お母さんの作ってくれた温かいご飯を食べることができました。シロコお姉ちゃんと並んで歩くことができました。……この身体は、私の誇りです」
セイカは強く唇を噛み締めた。
理性的で丁寧な語尾を保ちながらも、その目元には隠しきれない苦悩と、娘を失いたくないという真っ直ぐな痛みが溢れ出ていた。
「……ですが、ケイ。私にとって、あなたを失うことは……室笠家にとって、あなたがいなくなることは、絶対に容認できる選択ではありません。……理解していますか?」
「はい。ですが……みんなで無事に家に帰るために……今、私が折れるわけにはいかないのです」
「……約束です。絶対に帰ってきなさい」
「……はい」
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ケイはセイカの腕から静かに体を離し、グラつきそうになる膝に力を込めて、己の足でしっかりと立ち上がった。
チチチ……と不気味な火花が散り、彼女の全身に張り巡らされた割れ目のような発光ラインが、いっそう眩しく、そして危険な赤紫色の輝きを放ち始める。コアの崩壊率はすでに五〇パーセントを超え、一刻の猶予もない。
「ネツァクの心臓部へ至る『バックドア』の線路……その最深部を覆う多次元防壁を穿つには、もう一度……スーパーノヴァの威力を収束させる必要があります」
ケイは透き通るような青い瞳を前方に向け、己の内部システムへと全アクセスを開始した。
「……シミュレーション開始。試作型ルミナス・コア、全出力解放プロトコル承認。バイパス回路を力づくで焼き切り、出力を一二〇パーセントへと固定……」
「ケイちゃん! だめだよ、そんなことをしたら本当に……!」
モモイが叫び、ユズが祈るように両手を胸の前で握り締める。
だが、ケイの足取りに迷いはなかった。
「……次のチャージシーケンスへ移行します。アリス、光の剣の準備を」
七色のオーロラが揺れる極北の空の下、限界を迎えつつある鋼の騎士は、紅い火花を纏いながら、なおも愛する者たちの進むべき未来の道を切り開くために立ち続けていた。
父親としてのセイカの痛切な眼差しと、アリスの悲痛な祈りを背に受けながら──ソラノミは、崩壊と背中合わせの決戦へと進んでいく。