胸部中央の装甲の裂け目から散る紅蓮の火花は、なおもチチチと耳障りな電子音を上げてケイの内部回路を焼き焦がし続けていた。
崩壊率が50パーセントを突破し、試作型ルミナス・コアの冷却限界が刻一刻と迫る中、ケイは不退転の決意を宿した青い瞳を前方に据え、己の内部システムへと強引に全出力解放プロトコルを流し込もうとする。
「……シミュレーション継続。ルミナス・コア、全出力解放プロトコル承認。バイパス回路を力づくで焼き切り、出力を120パーセントへと固定……」
「……そこまでです、ケイ」
その静かで、しかし決して揺らぐことのない凛とした声音が、緊迫したブリッジの空気を切り裂いた。
足音を感じさせない流麗な身のこなしでコンソールの横へと歩み出たのは、室笠家を温かく支えるCアカネであった。彼女は普段の柔和で上品な微笑みを完全に消し去り、いつになく鋭く、そして深い怒りと痛切な母性を湛えた眼差しで、我が子の痛々しい姿を見据えていた。
「お母さん……? ですが、ここでネツァクの多次元防壁を穿つには、私の出力を──」
「演算の継続を今すぐ停止しなさい。……いいえ、強制終了させます」
アカネはケイの言葉を一切の妥協なく遮ると、手元のメンテナンスコンソールを鮮やかな手際で叩き、ケイの暴走するシステムに対し、家族権限による緊急ロックダウンコードを叩き込んだ。
ガチン、と重い駆動音が響き、ケイの全身に張り巡らされていた赤紫色の発光ラインが強制的に減衰させられる。
「動かないでください、ケイ。これ以上の無理は……私の目の前では、絶対に許しません」
__________
システムを強制停止させられたケイは、息を呑むようにわずかに体躯を震わせ、アカネを見上げた。その瞳には、自らの自己犠牲的な判断がなぜ阻まれるのかという戸惑いと、機械的な合理性に基づく計算結果への固執がかすかに残っていた。
「……どうして止めるのですか、お母さん。私には、時間がありません。アリスが再びスーパーノヴァを放つ時、その余剰エネルギーと位相の逆流を完全に受け止め、出力の方向をコントロールできるのは、この身体のシステム構造だけです。……私は、アリスの道を切り開くために造られた身体。この役目を果たすことこそが、私の存在理由です」
ケイの口から零れ落ちた「アリスの道を切り開くために造られた身体」という言葉。
それを聞いた瞬間、アカネの胸を鋭い痛みが突き刺した。彼女はゆっくりと息を吐き出すと、一歩前へ踏み出し、ケイの小さな肩を両手でしっかりと、そして痛いくらいに強く掴んだ。
「……違います、ケイ」
アカネの声は静かだった。だが、その一言一言には、我が子を否定された母親としての激しい怒りと、深い、底知れぬ愛情が重く込められていた。
「あなたがそんな風に言うなんて……お母さんは、とても悲しいです。あなたがその身体を授かったのは、誰かのためにすり潰されて消えゆくためではありません。セイカさんがあなたをこの世に生み出したのは、自分の身を投げ出して誰かを守るための『消耗品』にするためなどでは決してありませんよ」
「ですが……私は、戦うための力を持って生まれました。私には、私の役目が──」
「それが間違いだと言っているのです」
アカネはケイの視線を真っ直ぐに受け止め、決して逃がさなかった。
「私たちがあなたに望んでいたのは、そんな冷たい自己犠牲の役割などではありません。朝になればみんなと一緒に起きて、食卓を囲んで温かいご飯を食べること。モモイちゃんやミドリちゃん、ユズちゃんにアリスちゃんと他愛のないゲームの話で笑い合い、シロコと並んで廊下を歩き、穏やかな日常の時間を共に過ごすこと……それだけです。家族みんなで笑い合いながら、明日を生きること。それが、あなたに一番望んでいたことなのです」
アカネの言葉は、ケイの胸の奥底で固まっていた論理の氷塊を、激しく、そして温かく溶かしていく。
「自分を犠牲にして目的を果たすことなど、ただの機械のやり方です。そんな冷酷な計算式は、温かな笑顔のあふれる室笠家には必要ありません。自分の命を投げ出すような真似をする子は……我が子ではありません。そんなものは、お母さんが絶対に認めませんからね」
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アカネの厳しくも圧倒的な母の愛に満ちた叱咤を受け、ケイは言葉を失い、青く明滅する瞳を激しく揺らした。
かつて自分が「兵器」として、あるいは「システムの一部」として世界に向き合っていた頃の癖が、無意識のうちに「自己犠牲」という合理的な最適解を選ばせようとしていたのだと思い知らされたからだ。
「……私を、守るためだけに……」
「そうです」
アカネは優しく、しかし確固たる強さを持ってケイの手を包み込んだ。その手のひらから伝わる体温は、ケイの冷えかけた試作型コアの温度を優しく包み込むようだった。
「死ぬ気で敵の陣地に飛び込み、すべてを投げ出して守るなどということは、残された家族にとって一番の悲しみでしかありません。あなたは一人で抱え込みすぎなのです。……もっと家族を頼りなさい」
アカネは周囲に立つ仲間たちへと視線を向けた。
「あなたには、最先端の技術と知性を持ったお父さん──セイカさんがいます。キヴォトスの理を揺るがすほどの知恵と技術を貸してくれるリオさんやヒマリさんがいます。そして、あなたの隣には、誰よりも強い意志で未来を切り拓く勇者アリスがいるではありませんか。みんながあなたを大切に思っているのに、あなた一人だけが勝手に壊れていくなんて……それは、家族に対する一番の裏切りです」
アカネのその厳しくも愛の詰まった指摘に、ケイの内部プロトコルが激しい警告音ではなく、温かなデータの奔流となって書き換わっていく。
自分が「守られるだけの存在」ではなく、「愛され、頼ることを許された家族の一員」であるという真実が、彼女の心を深く満たしていく。
「……私が……裏切りを……」
「はい。ですから、死ぬための計算をするのはもうおしまいなさい。生きて、みんなと一緒にこのソラノミへ確実に帰るための計算をしなさい。……それが、今のお母さんからの絶対の命令です」
__________
アカネの叱咤の余韻が静まり返ったブリッジに満ちる中、一歩前へ踏み出したのは、これまで我が子の崩壊を前に苦悩に沈んでいた室笠セイカだった。
彼女は長い髪を揺らしながらケイの目の前に歩み寄ると、その理知的な眼差しに父親としての揺るぎない覚悟と慈しみを宿し、静かに膝をついてケイと目線を合わせた。
「……アカネの言う通りです、ケイ」
セイカの声は、どこまでも優しく、そしていつにも増して力強かった。
「私があなたを造ったのは、あなたというかけがえのない娘と出会うためです。試作型ルミナス・コアの限界がどこにあろうと、あなたのフレームにどれほどの負荷がかかろうと……私の誇りにかけて、何度でも修復し、何度でもあなたの身体を組み替えて見せましょう」
セイカは優しくケイの頭に手を置き、その小さな額にそっと自身の額を寄せた。
「だから……『もう二度と壊れない』などという無謀な約束はしません。ですが、あなたがどれほどボロボロになろうとも、私が必ずあなたを拾い上げ、直してみせます。だからこそ、今回は無茶をして散るのではなく、先ほど言ったように生き残るための手段を選びなさい」
父親の放つ圧倒的な技術的自信と、絶対に娘を手放さないという重く真っ直ぐな愛の言葉。
それは、試作型コアの限界に縛られ、絶望的な自己犠牲へと傾いていたケイの論理回路を完全に打ち砕くのに十分すぎるほどの光だった。
「お父さん……私のコアを……また直してくれるのですか……?」
「当たり前です。私はあなたの父親で、技術者ですからね。あなたが生きるための最適解を導き出すことこそ、私の仕事です」
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母アカネの厳しくも温かい叱咤と、父セイカの絶対に諦めないという力強い約束。
その二つの巨大な愛情を受け止め、ケイの中で、世界の見え方が劇的に塗り替わっていった。
──私は、一人ではない。
──私には、帰るべき温かな家があり、私の無事を本気で祈り、共に戦ってくれる家族がいる。
ケイの瞳から、それまでの冷徹な演算光がスッと消え去り、代わりに人間の少女のような熱を帯びた、力強い決意の輝きが宿った。彼女の胸部でチリチリと危険な音を立てていた紅蓮の火花が、アカネとセイカの介入によって完全に鎮静化へと向かう。
「……理解しました」
ケイはゆっくりと顔を上げ、はっきりと澄んだ声で告げた。
「自己犠牲による突破プロトコルを完全破棄。……生きて帰るための、新しい戦闘シミュレーションを開始します」
その言葉を聞いたアリスは、堪えきれずに潤んだ瞳を輝かせ、ケイの手をぎゅっと握り締めた。
「ケイ……! よかった……本当によかった……!」
「ええ、アリス。もう無理な計算はしません。私たちは必ず、みんなと一緒に生きて帰ります」
リオやヒマリ、空見観測研究部、そしてゲーム開発部の面々も、ほっと胸を撫で下ろし、それぞれの端末へと素早く向き直る。ソラノミの艦内は、悲壮な絶望感から、確かな希望を胸にした反撃の熱気へと一気に包み込まれた。
「お母さん、お父さん……心配をかけて、ごめんなさい」
ケイは両親を見上げて小さく、けれど綺麗に微笑んだ。
「……残されたリソースを再構成します。私のコアに過度な負担を集中させないよう、ソラノミの艦載演算ユニットとアリスのフレームへと負荷を完全に分散・同期させる新しいバイパス回路を構築します。これなら、私の身体を維持したまま、ネツァクの防壁を穿つことが可能です」
「ふふ、素晴らしい判断ですね、ケイ」
アカネは満足そうに微笑むと、愛おしそうにケイの頭を優しく撫でた。
「その調子です。さあ、家族みんなで力を合わせて、あの冷たい鋼鉄の大陸を打ち砕きに行きましょう」
母の愛に叱咤され、父の約束に背中を押された鋼の騎士は、もはや恐怖や絶望に怯えることはなかった。
生きて未来へ帰るため、ケイは新たな勇気を胸に秘め、ふたたび最前線へと力強く踏み出すのだった。