未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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空見観測研究部活動報告書――お父さんの心拍数が上昇中です――

 

 

 

 空中母艦ソラノミの心臓部、メインブリッジ。

 地上から数万メートルの高度を維持するこの場所は、ミレニアムサイエンススクールの非公認部活動『空見観測研究部』の部室でもあります。

 

 窓の外に広がるのは、吸い込まれるような深い藍色の夜空と、足元で宝石をぶちまけたように瞬くキヴォトスの夜景。部長であるセイカは、たった一人でこの「特等席」を守り続けてきました。

 

 

「……今日の空も、今のところは問題ありませんね。……ふふっ、平和なのはとっても良いことですね」

 

 

 セイカは一人、誰もいないブリッジで少しだけ誇らしげに、そして自分を励ますように微笑みました。手元のマグカップからは、かつて恋人のアカネが淹れてくれた紅茶の香りが微かに漂っています。

 

 彼女の仕事は、広大な空に紛れ込む「不条理」を観測し、誰にも知られぬうちにそれを「添削」すること。けれど、独りきりの静寂は、時として彼女の肩に重くのしかかることもありました。

 

 そんなある夜、ソラノミの自動ドアが静かにスライドしました。

 

 

__________

 

 

 

 

「……お父さん。空見観測研究部への、入部を申請します」

 

 

 背後から響いた、抑揚を削ぎ落とした真っ直ぐな声。

 私は驚いて、椅子ごと振り返りました。そこに立っていたのは、無機質な瞳の中に確かな熱量を宿した私たちの娘――ケイ。

 

 

「……ケイ? 入部って……ここは、私の個人的な場所だと思っていたんだけど」

 

「活動実績の向上、並びに演算処理の効率化を目的としています。部長一人の体制では、観測精度に〇.〇一三パーセントの遅延が発生しています。……私は、貴女の隣でその瞳を支えたい」

 

 

 ケイは表情を変えず、淡々と数字を突きつけてくる。……でも、その指先がわずかに震えているのを、私は見逃さなかった。

 

 

「……ふふっ。ケイにそんな風に言われちゃうと、断れない ね。……分かった。今日から、貴女が二人目の部員。……よろしくね、ケイ。……ちょっと照れくさいけど、嬉しいよ」

 

 

 私が受理のサインを書くと、ソラノミの全システムが呼応するように瞬瞬いた。まるで、この船も新しい家族を歓迎しているかのようだ。

 

 

「了解しました、部長。……いえ、お父さん。これより観測任務を共有します」

 

 

 ケイが私の隣にあるコンソールに座って、流れるような手つきでキーを叩き始めた。

 さっきまで一人きりだったブリッジに、今は二人分の呼吸音が重なっている。なんだか、胸の奥が温かくなるのを、感じていた。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、素敵な部活動ですね。では、私も入部させていただきます」

 

 

 絶妙なタイミングでブリッジに現れたのは、私の大切な恋人、アカネだった。彼女は当然のような顔をして、二人の前にティーカップを置くと、その横に入部届をそっと忍ばせてきた。

 

 

「えっ、アカネまで!? でも、アカネはC&Cの任務があるでしょ?」

 

「ふふっ。恋人が、可愛い『後輩』の指導に一生懸命だと聞きまして。……差し入れだけでは足りないと思い、役職を申請しに来たのです。役職名は……そうですね、『部長の専属メンテナンス係』、あるいは『恋人』として」

 

「……ちょっと、アカネ! 恋人は部活の役職じゃないよ……!」

 

 

 私は途端に顔が熱くなるのを感じて、泳ぎそうになる視線を必死に抑えた。

 

 

「もう、そんなにニコニコ見つめないで。……分かったわよ。……アカネがいないと、私の心も不足しちゃうしね。……ふふっ、今日から三人だね」

 

「はい。お父さんの心拍数が上昇。……お母さんの介入によるポジティブなエラーを確認しました」

 

 

 ケイの冷静な報告に、私はさらに顔が真っ赤になるのを感じて、「ケイまで、もう……!」と抗議の声を上げずにはいられませんでした。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからの『空見観測研究部』は、もはや静かなだけの場所ではありませんでした。

 

 

「……ケイ、北緯三十二度の成層圏。わずかに熱源反応があるみたい。……ちょっと、確認してもらえる?」

 

「了解。……確認しました。密輸業者の無人偵察機です。添削プログラム、起動します」

 

「……見えた。そこ!」

 

 

 セイカが凛とした声で指示を出し、ケイがそれを実行する。その横で、アカネが温かい紅茶を淹れ、疲れたセイカの肩を優しく揉む。

 

 

「……アカネ、……ありがとう。……今日も美味しいね。……私、一人で頑張りすぎちゃう癖があるから……アカネに叱られちゃうかな」

 

「いいえ。そんな一生懸命なセイカさんだからこそ、私はこうして側にいたいのですから。……ほら、少しだけ、膝枕をしてあげましょうか?」

 

「……えっ、……ちょっと、……ケイが見てるよ。……でも、……うん。少しだけ、甘えさせてもらってもいいかな? ……アカネの隣、やっぱり一番落ち着く」

 

 

 セイカは恐る恐るアカネの膝に頭を預けました。アカネの指が、セイカの髪を優しく梳きます。

 

 

「……観測。お父さんの脳波が非常に安定しています。……お母さんの膝は、ソラノミのどのシートよりもリラックス効果が高いと推測されます。……私も、データ収集のために反対側の膝を要求します」

 

「ふふっ、ケイまで甘えん坊さんですね。……おいでおいで」

 

 

 アカネに招かれ、ケイもまた、セイカの隣でアカネの温もりに触れます。

 救世主としての重責も、観測士としての孤独も、この甘い空気の中では溶けて消えていくようでした。

 

 

 

 やがて、ソラノミの窓から見える空が、深い群青から淡い紫へと変わり始めました。

 

 

「……ねえ、ケイ。アカネ」

 

 

 セイカが、膝枕をされたまま空を見上げて小さく呟きました。

 

 

「……私、これまで独りで空を見ているとき、時々怖くなることがあったの。……この広い空で、私だけが取り残されちゃうような気がして。……でも、今は違う。……君たちが隣にいてくれるから、私はもっと、この空を好きになれる気がするんだ」

 

 

 セイカは少し照れくさそうに、けれど真っ直ぐに、二人を見つめました。

 

 

「……私、みんなの未来を守りたい。……お父さんとして、部長として……そして、君たちの『私』として。……これからも、ずっと一緒に空を見てくれるかな?」

 

「……計算するまでもありません。私の演算リソースは、永遠に貴女と共にあります」

 

「ふふっ。約束ですよ、セイカさん。……貴女の瞳が曇らぬよう、私がずっと、磨き続けてあげますから」

 

 

 セイカは幸せそうに目を細め、アカネの手をギュッと握りしめました。

 

 

「……ありがとう。……大好きだよ、二人とも」

 

 

 空中母艦ソラノミは、朝焼けに染まる雲海をゆっくりと進んでいきます。

 

 そこには、冷徹な観測士ではなく、愛する家族に囲まれた、一人の等身大の女の子――天野江セイカの、柔らかな笑顔がありました。

 

 

 

 

 

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