ミレニアムサイエンススクール。ゲーム開発部の部室。
扉の外まで漏れ聞こえるその騒音は、今日も今日とて、ミレニアムの静寂を愛する生徒たちが聞けば気絶しかねないほどの熱量に満ちていた。
「お姉ちゃん! また無駄にクエストフラグ追加しすぎ! システム同士が干渉して、地形データの読み込みに致命的なバグが出てるよ! 画面が真っ暗でアリスちゃんが虚無に落ちちゃってるよ!」
「えーっ! だってミドリ、ここで隠しボスが出てきたほうが絶対神展開じゃん! 絶望の底で出会う最強の敵……プレイヤーの情緒をフルボッコにするにはこれしかないの! 許して、ね、ミドリ、許して!」
才羽モモイはコントローラーを剣のように振り回しながら必死の抗弁を試み、双子の妹である才羽ミドリは、手元のタブレットで修正コードを叩きながら、深いため息を吐く。いつもの、見慣れた、そして愛すべき日常の風景。その喧騒の渦中で、部長の花岡ユズは愛用のロッカーの隙間から「うぅ、開発スケジュールが概念になりそう……」とガタガタ震えていた。
そこへ、重厚な、そして完璧に制御された金属音を伴って、ドアが静かに開かれた。
「……何をしているのですか、貴女たちは」
冷徹な、しかしどこか幼さの残る淡々とした声。そこに立っていたのは、制服を隙なく着こなし、姿勢を一ミリも崩さない少女、ケイだった。
彼女の無表情な瞳が、混沌とした部室を見渡す。散乱したスナック菓子の空袋、蛇のように絡まった映像ケーブル、そして叫び合う双子。ミレニアムの他の場所とは対極にある光景だ。
天童アリスが、重厚なレールガンを置き、弾けるような笑顔で両手を上げた。
「パンパカパーン! ケイが来ました! アリス、大歓迎です! 勇者のパーティーに、ついに伝説の賢者が加わりました! さあ、一緒に新しいクエストへ出撃しましょう!」
「私は賢者ではありません。あくまで観測と支援を主任務とする……」
「わー! わー! ケイ、プログラミングできるんだよね? リオ会長から聞いてるよ、セイカの助手としてすごい演算能力を持ってるって!」
モモイがケイの言葉をぼかしつつも、まるで獲物を見つけた野良犬のような勢いで詰め寄る。ケイはその圧力に眉一つ動かさず、小さく頷いた。
「……可能です。ミレニアムの現行OS、およびゲーム専用エンジンの構造は、ここへ来るまでの三秒間で閲覧済みです。効率的なコードであれば、今すぐにでも記述できます」
その言葉を聞いた瞬間、ロッカーの中からユズが、まるで絶望の底で救いの光を見つめるような目をして這い出してきた。
「あの……ケイちゃん……。もし、もしよかったら……新作のバグチェック、手伝ってくれないかな……? 今、原因不明の強制終了が頻発してて、ミドリも頭を抱えてるんだ……」
「わかりました。ユズ、現在のエラーログとバグリストを共有してください。並列処理にて、優先度順に最適化案を提示します」
ケイは淀みのない動作でユズの端末を受け取ると、その場に端然と座り込んだ。彼女の指先がキーボードに触れた瞬間、部室の空気が一変した。ディスプレイに流れるコードの速度が、常人の視認限界を超えて加速する。それはもはや文字の羅列ではなく、光の滝だった。
「……スタックオーバーフローを確認。メモリ解放のタイミングが〇・〇二秒遅延しています。……修正完了。続いて、グラフィック描画時のテクスチャ欠けを論理演算で補完。描画負荷を三〇パーセント低減させます」
モモイが画面を覗き込んで叫ぶ。
「すごーい! もう十箇所も直ってる! しかもコードがめちゃくちゃ綺麗になってるんだけど!? ケイ、頼りになりすぎ! もはやデバッグの神様だよ!」
「……お姉ちゃん、声が大きすぎる。ケイちゃんの処理にノイズが混じるでしょ」
ミドリが注意するが、当のケイは全く動じていなかった。彼女にとって、この程度の騒音は観測対象の背景放射に過ぎない。
しかし、黙々と作業を続ける彼女の脳内では、ソラノミでの孤独な観測任務とは全く異なる、奇妙なデータが蓄積され始めていた。アリスがケイの隣に座り込み、楽しそうに画面を見守る。
「これでアリスたちの冒険がもっと強くなります! 世界が広がる音がします! ケイ、本当にありがとうございます!」
「……礼には及びません。私はただ、与えられたタスクを遂行しているだけです。不具合を放置するのは、観測士の娘として容認できません」
ケイは淡々と作業を続けながらも、キーボードを叩く手を一瞬だけ止めた。彼女の視界の端には、ゲームの展開に一喜一憂し、時には殴り合いそうな勢いで議論する双子や、バグが消えていくのを見て涙目になりながら祈るユズ、そして何より、心から楽しそうに自分を見つめるアリスが映っている。
家族との日々。そして今、ここにある騒がしい日常。ケイの論理回路が、現在の状況を「解析」し始める。
「……ここは、非常に騒がしい。リソースの配分も感情に左右され、論理的な効率性という観点からは、極めて低レベルな運営状況です」
部室が少しだけ静まり返る。ケイは少しだけ視線を上げ、誰に言うでもなく、しかし確かな意志を込めて呟いた。
「……ですが、決して『非効率』ではありません。この予測不能な『楽しさ』というノイズが、個々の限界を超えた創造性を引き出している。……合理性の彼方にあるこの環境を、私は……『悪くない』と、判断します」
一瞬の沈黙の後、ゲーム開発部の部室が爆発したような歓喜に包まれた。
「やったー! ケイ、合格! 今日からうちの部員だよ!」
「……ふふ、ケイちゃんがそう言ってくれるなら、徹夜でバグと戦った甲斐があったかな」
「パンパカパーン! 新しい仲間をゲットです! 伝説のパーティーの完成ですよ!」
ケイは無表情を貫こうとしていた。しかし、彼女を囲んで騒ぐ少女たちの熱にあてられたのか、その薄い唇の端が、ほんの数ミリメートルだけ、柔らかく弧を描いた。
それは彼女自身も気づかない、システムログには残らない「微笑み」だった。彼女は端末を閉じ、立ち上がる。
「……本日のデバッグ目標は達成しました。私はこれから、お父さんとお母さんに、本日の活動内容と観測結果を報告しなければなりません。特に、この『部室』における未知の幸福エネルギーについて」
「お父さんってセイカのことだよね! 相変わらず仲良しで羨ましいなー!」
「…………っ」
ケイの肩が、目に見えて微かに跳ねた。
「仲良し」という、数値化できない、あまりに曖昧で主観的な、けれど温かな響き。それが彼女の処理回路を一時的にオーバーロードさせた。
「……仲、良し」
一度だけ、その言葉を反芻するように呟く。
すると、彼女の真っ白な頬が、まるで出力の上がった演算コアのように、じわりと淡い桜色に染まっていく。感情を押し殺そうとする無表情な顔のまま、耳の先まで真っ赤にして、彼女は視線を泳がせた。
「……肯定、します。お父さん、お母さん。私を取り巻く環境は、客観的に見ても……その、『仲良し』という評価に……該当、すると……判断……」
言葉が途中で消え入りそうになるほど、彼女の動揺は激しかった。胸の奥がくすぐったいような、それでいて熱いような、未知のログが次々と生成されていく。
彼女は居ても立ってもいられなくなったのか、逃げるように踵を返した。
「……今の発言は忘れてください! 私は、家族としての責務を果たしに帰還します!」
「わー! ケイ、照れてる! めっちゃ可愛い!」
「お姉ちゃん、追いかけたらダメだってば!」
背後から聞こえる賑やかな声を振り切るように、ケイは足早に部室を後にした。廊下を歩く彼女の口元は、先程よりもずっとはっきりと、幸せそうに緩んでいた。
彼女の歩幅は、いつの間にか少しだけ弾んでいる。
愛する家族が待つ家へ。
二人の娘は、今、世界で一番誇らしい「報告」を胸に、家路を急いでいた。