宇宙戦艦ソラノミのリビング。外に広がる深淵とは対極に、この部屋は今、家族の温かな熱気で満たされている。もっとも、その熱気の中心に据えられている私にとっては、少々「過剰」なエネルギー出力だと言わざるを得ない。
私はいつものように、ソファに腰掛けていた。服装は至極シンプルな白いシャツに黒のストレートパンツ。観測士として、あるいはこの艦の「父」として、動きやすさと清潔感だけを追求した、私にとっての「最適解」だ。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「…………」
「…………」
左右から、逃げ場のないほどの指向性を持った視線が突き刺さる。
右には、慈愛に満ちた笑みを浮かべつつも、瞳の奥に確固たる意志を宿したアカネ。左には、無表情のままでじっと私を走査するケイだ。
私はわずかに背筋を震わせ、首を傾げた。
「……どうか、しましたか? 私の顔に、何かついていますか?」
問いかけに応じたのはアカネだった。彼女は給仕の時よりもさらに優しく、けれど断固とした手つきで私の肩に手を置く。
「セイカさん。少しだけ、……いえ、たっぷりとお時間をいただけますか?」
「……お父さん。現在の服装、および外見。機能的効率は極めて高いですが……装飾による魅力指数が四十七パーセント不足しています。改善案を、ここに提案します」
「オシャレ、ですか? 観測業務に支障はありませんし、機能性に問題はないと思いますが……」
「大問題なんです、セイカさん。貴方は自覚がなさすぎます。これほど素敵で、透明感のある美しさをお持ちなのに、ご自分で着飾ろうとしないなんて……。メイドとして、そして『妻』として見過ごせません」
アカネが私の手を優しく取り、抗う隙を与えず立ち上がらせる。
「今日は、私とケイで……貴方を、心ゆくまで『可愛く』してあげますから。覚悟してくださいね?」
「……お母さんの意見に全面的に同意。お父さんは、もっと可愛く、愛らしくあってもいい。いえ、あるべきです。これは家族としての幸福度上昇に直結する重要任務です」
こうして、逃げ場を失った私の「着せ替え計画」が、半ば強引に幕を開けた。
__________
まずアカネがクローゼットから恭しく取り出してきたのは、淡いラベンダー色のシフォンブラウスだった。
「さあ、腕を上げてください……。はい、そのまま。……ふふ、やはり。お肌の白さと、セイカさんの紫の瞳に、この色がとてもよく映えます」
アカネが手際よくボタンを留めていきます。柔らかい生地が私の体を包み込み、いつもの「観測士」の気配が、柔らかな女性のそれへと強制的に上書きされていく感覚。
ケイが横から、空中にホログラムの数値を浮かべながら淡々と分析を添える。
「……色温度の適合を確認。皮膚とのコントラスト相性、良好。現在、周囲への好感度上昇率、約二十八パーセント。継続的なアプローチを推奨します」
次にアカネが差し出したのは、あろうことか膝丈のプリーツスカートだった。私はそれを見て、観測士にあるまじき狼狽を見せてしまう。
「……スカートは、流石に……。足元が落ち着きませんし、何より動きにくいです」
「大丈夫ですよ。今日はおうちの中だけですから。それに、セイカさんの綺麗な脚を隠しておくのは、ミレニアムの資源を無駄にするのと同じくらいの損失です」
アカネの、論理的(?)かつ逃げ道のない説得。
結局、私は照れと困惑に染まった顔でスカートを履かされることになった。ケイが無表情のまま首を傾げ、至近距離から私の脚を凝視する。
「……お父さん、脚が非常に綺麗です。関節のライン、肌の質感。もっと積極的に外部へ公開すべきリソースです」
「……ケイ。それは、あの、褒めているのですか? それとも技術的な評価なんですか?」
「両方です。私の『大好き』が、さらに八パーセント増幅されました」
仕上げに、アカネが私をドレッサーの前に座らせた。丁寧に髪を梳かし、横に一つに緩くまとめると、そこへブラウスの色に合わせた細いリボンを結ぶ。
ふと、鏡の中に映る自分の耳元に目がとまった。
そこには、白く輝く三日月を模したイヤリングが揺れている。これはアカネが私に贈ってくれた大切な宝物だ。観測士として戦場に立つ時も、こうして家族と過ごす平穏な時も、私はこれだけは決して外したことはない。
アカネがそのイヤリングにそっと触れ、愛おしそうに微笑んだ。
「……ふふ、このイヤリング、本当によくお似合いです。いつも大切に着けてくださって、嬉しいです」
その言葉に、胸の奥が温かな熱で満たされる。鏡の中に映っていたのは、普段の凛々しい「観測士」ではなく、どこか守ってあげたくなるような、可憐で柔らかい一人の女性……私自身だった。
鏡越しの自分と目が合った瞬間、私は耳まで真っ赤に染め上げ、手で顔を覆った。
「……これは……少し、というか、相当に恥ずかしいです。やりすぎではありませんか?」
アカネが背後からそっと私の肩に顎を乗せ、鏡の中の私を抱きしめる。耳元で囁かれる声は、とろけるように甘いものだった。
「ふふっ……いいえ、まだ足りないくらいです。本当に、本当にとっても可愛いです、セイカさん。私の……世界で一番格好良くて可愛い旦那様」
ケイも真正面からじっと私を見上げ、その黄金の瞳に確かな熱を宿して宣言する。
「……完璧です。お父さん、現在好感度九十二パーセント。……これ以上の数値上昇は、私の感情回路に過負荷をかける恐れがあります。……ですが、もっと甘やかしたい。お父さんを、甘いお菓子のように愛でたいです」
私はもはや、自身の熱気で溶けてしまいそうだった。
右からはアカネの柔らかな抱擁と甘い香りが、正面からはケイの真っ直ぐで重い愛が押し寄せる。観測士としての冷静な判断力など、この「家族の愛情」という名の飽和攻撃の前では、何の役にも立ちそうになかった。
「……二人とも、ちょっと意地悪です……。私を、どうしたいんですか……」
「どうしたいか、ですって? そんなの、決まっています」
アカネが楽しげに笑い、ケイが珍しく、けれどはっきりと、満足げに口元を緩めた。
「こうして、一日中貴方を甘やかして、世界で一番幸せな『女の子』にすることですよ」
「……肯定。お父さんの可愛さは、全知の演算をもってしても観測しきれません。再試行が必要です」
結局その日、私は一日中、アカネの美味しいお菓子と、ケイの熱い抱擁に挟まれながら過ごすことになった。
「可愛い、可愛い」と囁かれ続け、恥ずかしさに身をよじりながらも、胸の奥には消し去れないほどの幸福な熱が宿っている。
ソラノミのリビング。そこには、深淵を睨む観測士ではなく、愛する家族に囲まれて小さくなっている、一人の……恥ずかしいほどに「可愛い」らしい私がいた。
「……もう、降参です……」
私の小さな呟きは、アカネとケイの幸せな笑い声にかき消され、室笠家の休日はいつまでも温かな熱を帯びて続いていった。
私の小さな呟きは、アカネとケイの幸せな笑い声にかき消され、室笠家の休日はいつまでも温かな熱を帯びて続いていった。