宇宙戦艦ソラノミ。高度数千メートルの成層圏を優雅に巡航するこの場所は、私――天野江セイカにとって、唯一無二の安息の地だ。地上から切り離された静寂こそが私の望みだったはずなのに、最近の我が家はどうも賑やかすぎる気がする。
「お父さん、お母さん。ただいま戻りました」
居住区の自動ドアがスライドし、私たちの愛娘――ケイが凛とした声で帰宅を告げる。だが、今日ばかりはその背後に、見慣れない、けれど妙に圧倒的な存在感を放つ影が続いていた。
「……お邪魔します。セイカ、アカネ先輩。ケイに誘われて、空飛ぶお家まで来ました。……ピース」
控えめに、けれど迷いのない動作でVサインを掲げたのは、C&Cの「04」こと飛鳥馬トキ。
「おかえり、ケイ。……って、ええっ!? ト、トキ!? あなた、どうしてこんなところに……いえ、ケイ、あなたトキをどうやって連れてきたんですか?」
私はメインコンソールでの観測作業を放り出し、思わず椅子から立ち上がってしまった。
「トキは私の大切な友人です。本日、ショッピングモールで合流した後、ソラノミにつれてきました。友達を自分の家に招待し、親睦を深めることは、高校生としての社会性を育む上で最優先されるべきタスクであると判断しました」
ケイは淡々と、しかしどこか誇らしげに胸を張る。その表情は、まるでお気に入りの宝物を自慢する子供のよう。
「ふふ、いいじゃないですかセイカさん。ケイにお友達が遊びに来てくれるなんて、お母さん、とっても嬉しいです」
キッチンから顔を出したのは、私のアカネ。エプロン姿で淹れたての紅茶を運んできた彼女は、聖母のような微笑みをトキに向けた。
「トキちゃん、いらっしゃい。ソラノミへようこそ。ちょうど今、ケイと一緒に食べようと思って、お菓子を焼いていたところなの。ゆっくりしていってね」
「……アカネ先輩、ありがとうございます。いい匂いです。……ケイの言った通り、ここはとても良い『家』ですね。機能美と生活感が、高度な次元で調和しています」
「……全く。ケイもトキも、ここが地上数千メートルの戦艦の中だという自覚はありますか?」
私は溜息をつきながらも、どこか嬉しそうなケイの様子を見て、それ以上追求するのを諦めた。私は再び椅子に腰を下ろし、「……まあ、良いでしょう。ゆっくりしていきなさい、トキ」と、ぶっきらぼうながらも歓迎の意を示した。
「了解しました。……それではケイ、予定通り『友情の深化プロセス』を開始しましょう。……ピース」
「了解しました、トキ。……お父さん、お母さん。私たちはあちらでゲーム対決を行います。集中力を要するため、不必要な干渉は控えてください」
二人の少女は並んでラウンジのソファへと移動した。
ケイとトキ。どちらも高度な能力とどこか無機質な情緒を併せ持つ二人。彼女たちが並んで座る姿は、まるで鏡合わせの姉妹のようであり、同時に、一つの完成された芸術作品のような静謐さを漂わせていた。
「……セイカさん、見てください。あの子たちのあの真剣な横顔。とっても微笑ましいと思いませんか?」
アカネがいつの間にか私の背後に回り込み、その肩にそっと顎を乗せてきた。
「……ええ。ケイが友だちと仲良くしているのはいいことです。……でもアカネ、近いです。……っ、耳元で喋らないでください、擽ったいです……!」
「ふふ、いいじゃないですか。子供たちが遊んでいる間、私たちはこうして夫婦水入らずで、あの子たちの成長を見守りましょう?」
アカネは私の赤らんだ頬に自分の頬を寄せ、幸せそうに目を細める。私は「困りましたね……」と呟きながらも、自分を包み込むアカネの体温を拒むことはできず、その腕の中で小さく身を縮めるしかなかった。
一方、ソファの上では「熱戦」が繰り広げられていた。
二人の手にあるのは、ミレニアムで流行中の最新対戦格闘ゲーム。画面内ではキャラクターたちが目にも止らぬ速さで火花を散らしているが、操作している二人の表情は鉄面皮そのものだ。
「……トキ、甘いです。そのジャンプ軌道は0.2秒前に予測済みです」
「……いいえ、ケイ。……予測されていることを逆手に取った、ディレイ入力です。……ピース」
「……チッ、やりますね、トキ。……お父さんの反射神経を一部トレースした私の反応速度を上回るとは。……ですが、ここからが本番です」
「……望むところです、ケイ。……全力であなたを粉砕します」
口調は崩さず、礼節を保ったまま、けれど二人の間には確かな「熱」が宿っていた。
時折、コンボが決まるたびに二人の肩が軽くぶつかり合う。そのたびに、ケイは少しだけ嬉しそうに口端を緩め、トキは無機質な瞳の奥で満足げな光を灯した。
「……ねえ、トキ。……私の家は、どうですか?」
ゲームのインターバル中、ケイがふと問いかけた。
「……とても、不思議な場所です。……ここは戦艦でありながら、鉄の匂いがしません。……アカネ先輩の淹れる紅茶の香りと、セイカがいつも纏っている、少しだけ冷たくて優しい空気の匂いがします」
トキはそう言いながら、コンソールに向かう私と、その背中に張り付いているアカネをじっと見つめた。
「……私の知っている戦場とは、正反対の場所。……ケイ。あなたは、とても贅沢な環境に身を置いています。……羨ましい、と……私の論理回路が信号を発しています」
「……はい。私も、そう思います。……お父さんとお母さんは、時々騒がしくて、過保護で、非効率的ですが。……この場所は、私のアイデンティティの根幹です」
ケイはゲーム機のコントローラーをぎゅっと握りしめた。
「……トキ。もしよければ、またここに来てください。……私たちが友達である限り、ソラノミの座標は常にあなたに開放されています」
「……。……了解しました、ケイ。……これからは、定期的な『友情のメンテナンス』が必要ですね。……ピース」
トキは空いている方の手で、ケイの手の甲にそっと触れた。
無機質な少女たちの、不器用で、けれど何よりも純粋な約束。
私はそれを見守りながら、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じていた。
「……全く、あの子たち。戦艦の中でゲームなんて。……でも、そうですね。あんな風に笑える場所を、私はずっと守っていきたい」
「ええ、その通りですよ、セイカさん。……そのためにも、まずはしっかり栄養を摂らないと。はい、私が焼いた特製のクッキーです。あーん、してください?」
「……アカネ、今は仕事中だと……。……んっ、……美味しい、です」
「ふふ、良かった」
夕闇が迫り、窓の外が茜色から深い藍色へと染まっていく。
眼下に広がるキヴォトスの夜景は、宝石を散りばめたように美しい。
けれど、この戦艦の中に流れる、家族と親友の温かな空気は、どんな星の輝きよりも尊く、確かな「答え」としてそこに存在していた。
「……お父さん。トキが、今日の夕食はカレーが良いと提案しています。……私も賛成です。お母さん、お願いします」
「はいはい、お任せなさい。……トキちゃん、今日は泊まっていってもいいのよ?」
「……! アカネ先輩、それは……極めて魅力的な提案です。……セイカ、よろしいですか?」
「……。……はぁ、好きにしなさい。……ただし、夜更かしは禁止ですよ」
私の許可が下りた瞬間、ラウンジには2人の「やったー」という喜びの気が満ちた。
空飛ぶ家、ソラノミ。
いつか私が大きな役割を果たす日が来るのかもしれないけれど、今はただ、この大切な人たちの笑い声を乗せて、穏やかな星海を渡っていきたい。
賑やかで、少しだけ私が苦労する、この幸福な日常の空を。