未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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(◦ˉ ˘ ˉ◦)


予言の大天使(百合園セイア)ビッグシスター(調月リオ)

 

 

 ソラノミの静止軌道。窓の外にはキヴォトスの青い曲線が広がり、太陽の光が艦内のラウンジに鋭いコントラストを描き出していた。アカネが用意してくれたハーブティーの香りが漂う中で、その二人は向き合っていた。

 

 百合園セイアは、まだどこか落ち着かない様子で、目の前の端末に膨大なデータを打ち込み続ける調月リオを、少し離れた位置から見つめていた。

 

 

「……不思議な気分だよ。君とこうして、一つの目的のために机を並べる日が来るとはね」

 

 

 セイアの静かな声に、リオの指先が一瞬だけ止まった。リオは眼鏡のブリッジを押し上げ、視線をモニターに向けたまま、感情を削ぎ落とした声で答える。

 

 

「意外性という点では同意するわ、百合園セイア。あなたの存在はミレニアムの論理の外にあるものだと思っていたけれど。……今の私は、天野江セイカに提示された『役目』を果たしている。それだけよ」

 

「役目、か。……だが、君が導き出したその演算結果の断片は、私の脳裏に焼き付いたあの忌まわしい光景と、驚くほど正確に一致している。……神の悪戯か、あるいは君が信じる『合理』の必然か。どちらにせよ、私たちは同じ地獄を、異なる窓から見ているわけだ」

 

 

 セイアは自嘲気味に微笑み、窓の外に広がる、まだ何も知らない穏やかな雲海を指差した。

 

 

「私が視たのは、古聖堂が崩れ、友が泣き叫ぶ『結末』という名の絵画だ。君には、それがどう見えている?」

 

 

 リオは椅子をゆっくりと回し、ようやくセイアと視線を合わせた。その瞳には、かつての「ビッグシスター」としての傲慢な光ではなく、事実を淡々と受け止める観測者としての、そして自責を抱えた者としての静かな色が宿っている。

 

 

「私に見えているのは、現象の連鎖よ。ミサイルの弾道放物線、通信手段の脆弱性、そして人々の心理的な死角。……あなたの予知が完成された『結末』なら、私の計算はそれを構成する『数式』。絵画は人を絶望させるけれど、数式は途中の項を書き換えれば、解を変えることができる」

 

 

 リオは一度言葉を切り、少しだけ視線を落とした。

 

 

「セイカは私に言ったわ。……『あなたの合理性が、このまま指をくわえて破滅を見過ごすことを拒絶しているはずだ』と。……私の言葉を、あの子は私に突きつけたのよ。後悔に沈む暇があるなら、その合理性を正しく使いなさい、とね」

 

「ふふ。あの子らしい、傲慢で慈悲深い誘い方だ」

 

「……ええ。だから今の私は、この後悔を動力にして、計算を続けるだけよ。私の合理性が、私自身の過ちを上書きできると証明するために」

 

 

 リオは再び端末に向き合い、エデン条約当日の風向、湿度、そしてアリウスの通信パターンの補正を再開した。

 

 

「百合園セイア。あなたの『目』は、今もまだあの絶望を視ているの?」

 

「……ああ。何度も、何度もね。私が目を閉じるたびに、古聖堂は崩れ去る。その残像は、この艦の静寂さえも容易に侵食してくる」

 

「なら、その『目』を閉じないで。あなたが視ている絶望の解像度が高ければ高いほど、私の計算の解は正確になる。……あなたが最悪を視て、私の合理性がそれを否定する。……これほど贅沢なリスクヘッジはないわ」

 

 

 セイアは驚いたように目を見開き、やがて今日一番の、憑き物が落ちたような穏やかな笑みを浮かべた。

 

 

「……なるほど。予言者を観測の『センサー』として扱うとは。ミレニアムの会長というのは、随分と刺激的な使い方をするものだね。……セイカが君を連れてきた理由が、ようやく分かった気がするよ」

 

「今はただの『客人』よ。……それから、お茶が少し冷めているわ。……淹れ直してもらいましょうか」

 

「ああ。アカネの淹れるお茶は、冷めてもなお、絶望の淵にいる者には勿体ないほどに美味しいからね」

 

 

 二人の間に流れる空気は、かつての対立でも、安易な友情でもない。同じ女性——天野江セイカに、それぞれの在り方を肯定され、救済の道を示された者同士の、静かな共鳴だった。

 

 窓の外では、キヴォトスの夜明けが始まろうとしている。

 死を視る予言者と、生を計算する合理主義者。

 

 重なり合う二つの知性は、静かに、けれど確実に、運命という名の「バグ」への修正を書き込み始めていた。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブリッジの片隅、電子音だけが規則正しく響く中で、二人の天才は手元の端末よりも、ソファで繰り広げられる「過剰な光景」に意識を奪われていた。

 そこでは、アカネが眠るセイカの頬を指の背でそっとなぞり、それに応えるようにセイカがアカネの服の裾をぎゅっと掴んで、幸せそうに寝返りを打っている。

 

 

「……調月リオ。君に聞きたいのだが、この艦のシステムには、空気中の糖度を測定する機能は備わっているのかい?」

 

 

 セイアが手で顔の半分を隠しながら、半ば呆れたような、半ば感心したような声を漏らした。

 

 

「……残念ながら、そのような機能は搭載されていないわ。もし備わっていたら、今ごろ警報で艦内は騒然としているでしょうね。……見てなさい、あの密着具合を。物理的な隙間が、一ミクロンも存在しないわ」

 

 

 リオは分析するように二人を凝視する。

 

 

「アカネが『セイカさん……ふふ、可愛い寝顔。ずっと見ていられます』と囁きながら、もう三十分以上も髪を梳き続けている。……セイカもセイカだわ。普段は『お父さんを頼りなさい』なんて格好をつけているくせに、今は完全に牙を抜かれた猫のように喉を鳴らして……。正直、見ていてこちらの方が気恥ずかしくなるほど甘すぎるわ」

 

「ははは! まさに『不条理な甘さ』だね。予言者としての私の脳裏に映る凄惨な未来が、あの二人の周囲だけピンク色の霧で上書きされていく。……リオ、君の合理性で、あの『よしよし』という行為の必要性を説明できるかい?」

 

「……不可能よ。あのような行為は、カロリーの無駄遣いであり、警戒心の放棄だわ。……でも」

 

 

 リオは少しだけ視線を逸らし、手元のキーボードを叩く指を止めた。

 

 

「『セイカさん、私はどこへも行きませんよ。……愛していますから』……なんて、あんなに迷いのない声で言われてしまったら、私の合理性なんてゴミ箱に捨てるしかない。……いまのアカネ、セイカを甘やかすためだけに、全神経を研ぎ澄ませている。ある意味、私よりもずっと一途で恐ろしいわ」

 

「全くだ。……おや、また始まったよ。セイカが寝ぼけてアカネの首筋に顔を埋めた。それを見たアカネの、あの幸せの絶頂にいるような顔……。……リオ、お茶が甘く感じないかい? 砂糖も入れていないのに」

 

「……ええ。紅茶のフレーバーを、あの子たちの糖気が完全に侵食している。……もう、勝手にしてほしいわ。私たちの演算能力を、あの二人のイチャイチャを邪魔させないために使うなんて、ミレニアムの予算委員会が聞いたら卒倒するでしょうね」

 

「だが、それがいい。……あの甘ったるい空間こそが、この冷たい空の上で、私が守りたいと願う『本物の景色』だ」

 

 

 二人の知性は、ため息と共に再び演算の海へと潜りこんだ。

 

 背後では、「……あ、カネ……すき……」「はい、セイカさん……。私も大好きですよ……」という、演算も予知も追いつかないほど甘い、二人の世界が続いていた。

 

 

 

 





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