未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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宇宙戦艦ソラノミの艦長室。あるいは、ミレニアムの片隅にある「空見観測研究会」の部室。
ルミナス・コアの調整と、窓の外に広がる銀河の静寂だけが二人を包む、ある日の午後のお話。


鋼鉄の揺りかご ——天野江セイカ、膝枕の境界線——

 

 

 

「……よし、ルミナス・コアのバイパス処理、完了」

 

 

 端末に表示された複雑な数式を閉じ、深く椅子に背を預ける。

 

 窓の外を見れば、キヴォトスの空は茜色から深い群青へと溶け落ちていた。思考を加速させすぎて、時間の感覚が少し麻痺している。

 

 

「お疲れ様です、セイカさん。……ですが、根を詰めるのは感心しませんね。あなたの集中力は素晴らしいですが、それゆえに限界を見誤る」

 

 

 静かな足音。振り返らなくてもわかる。アカネだ。

 彼女がテーブルに並べる紅茶と焼き菓子の香りが、演算で熱を持った脳に心地よく染み渡る。

 

 

「……アカネ。ありがとう。……でも、これの調整をしないと。……私がやらなきゃ、誰もできないからね」

 

 

 虚勢ではなく事実だ。ルミナス・コアの理を理解し、制御できるのは私しかいない。けれど、アカネは一歩も引かずに私を見つめてくる。

 

 

「それは重々承知しております。……ですが、疲弊した思考では正しい観測は不可能です」

 

 

 その視線の強さに、わずかにたじろぐ。理詰めで来られると、私には反論の余地がない。

 

 

「……分かった。……少しだけ、休もう」

 

 

 私が立ち上がろうとすると、アカネはそれを制してソファへ腰を下ろした。

 

 

「歩く必要はありません。……こちらへ」

 

 

 彼女が自分の膝を軽く叩く。その流れるような誘いに、一瞬、心臓が跳ねた。

 

 

「……アカネ。……それは、その。……私は、ここの部長だよ?」

「ええ、存じております。……そして私は、あなたの唯一の理解者です。そんな相手の健康管理も、私の重要な職務だとは思いませんか?」

 

 

 完璧な微笑み。

 

 ……勝てない。彼女の優しさは、いつだって私の論理的な逃げ道を完璧に塞いでしまう。

 少しだけ顔が熱くなるのを感じながら、私は吸い寄せられるように彼女の膝に頭を預けた。

 

 

「……あ」

 

 

 後頭部に伝わる、柔らかな温もり。

 普段、艦長として、部長として、鋼鉄の巨艦と未来の因果を背負っている私にとって、この場所は信じられないほどに「柔らかい世界」だった。

 

 

「……ふふ、こうして見ると、あなたのまつ毛は本当に長いですね」

 

 

 彼女の指先が、私の髪を優しく梳く。

 真上にあるアカネの瞳が、遮るものなくあまりにも鮮明に映る。慈愛の色を湛えて私を見つめるその眼差しに、気恥ずかしくなる。

 

 

「……アカネ、君の膝は、不思議だね」

 

「あら、何がです?」

 

「……ソラノミの艦橋にいる時よりも、ずっと……自分が『ここ』にいるんだって、安心できる」

 

 

 私はゆっくりと目を閉じた。

 自分を機械だとは思っていないけれど、責任の重さに心が硬くなっていく自覚はある。その凝り固まった部分を、彼女の指先が魔法のように解いていく。

 

 

「それは、あなたが頑張りすぎている証拠です。……未来を観測し、巨大な力を制御する。……そんな大業を成し遂げるあなたの心には、こういう『隙間』が必要なのです」

 

「……そう、かもしれません」

 

 

 耳元をくすぐる指の動き。アールグレイの香りと、トクトクと刻まれる彼女の穏やかな鼓動。

 

 私の意識は、ソラノミの微振動からも、冷たい数式の羅列からも解放され、深い安らぎの中へと滑り落ちていく。

 

 

「……アカネ。……まだ、勧誘はしなくていいよね」

 

 

 夢の入り口で、本音が漏れた。

 

 

「ええ。……今はまだ、私とあなた。二人だけのこの空間を、誰にも邪魔させはしません」

 

 

 その言葉を最後に、私の思考は心地よい闇に溶けた。

 規則正しい寝息が、静かな部室に響き始める。

 

 キヴォトスの夜に溶け込んでいく二人の影。明日、また剥き出しの瞳で過酷な未来を視ることになっても、今の私にはこの「隙間」があるから、きっと大丈夫だ。

 

 

 




朝起きたらお腹痛くなるのって何なんでしょうか
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