ソラノミの観測室。窓の外に広がる星の海はどこまでも冷たく、けれど、それを見つめる百合園セイアの背中は、それ以上に孤独に凍りついているように見えました。
「……セイア。そんな風に一人で震えていても、未来の計算式は一ミリも変わりませんよ」
背後から声をかけたのは、ケイでした。彼女は赤い瞳でまっすぐに見つめ、温かいマグカップをセイアの隣に置きました。
「……ケイか。済まないね、少し考え事をしていたんだ。……だが、目を閉じれば、またあの惨劇が始まる。ナギサが、ミカが、皆が絶望に飲み込まれるあの光景が。……真実を知っているのが私一人だけだという事実は、時に、その真実そのものよりも重く私にのしかかるんだ」
セイアは自嘲気味に微笑み、細い肩を震わせました。
「私は、彼女たちに何も言えずにいる。この最悪の未来を伝えれば、彼女たちはパニックに陥るか、あるいは私を疑い、傷つく。……だから、私は一人でこの重荷を背負うしかない。それが、予言者としての私の責任なんだよ」
その言葉を聞いたケイは、静かに、けれど逃れようのない力強さで首を振りました。
「……それは責任なんかじゃありません、セイア。それは、あなたが彼女たちを信じきれていない証拠です」
「……何だって?」
セイアが驚いたように顔を上げました。ケイは一歩踏み込み、セイアの瞳を正面から射抜きました。
「私は元々、心なんて持たない、ただの命令に従うだけの機械でした。効率と論理だけで世界を見て、感情なんて不合理なものだと思っていた。……でも、お父さんとお母さんは、そんな私に、何度も、何度も、痛いくらいの感情をぶつけてくれた。私を機械としてじゃなく、一人の『娘』として愛してくれたんです」
ケイは自らの胸に手を当て、慈しむように言葉を続けます。
「お父さんは、私に何も隠しません。絶望的な状況も、未完成の武装の危うさも、全部私に見せてくれた。そしてお母さんは、私が不安で計算を乱しそうな時、黙って抱きしめて、お茶を淹れてくれました。……隠し事は、優しさじゃありません。相手を自分と同じ地平に立たせないための、残酷な線引きです」
「彼女たちを……突き放している、というのかい?」
「はい。真実を話して、一緒に傷ついて、一緒に立ち上がる。その痛みを分かち合うことこそが、人間が人間として繋がるための、たった一つの方法なんです。お母さんは言っていました。『隠し味のない料理は、どこか寂しい味がするものですよ』って。……あなたの抱える苦しみという『隠し味』も、彼女たちとなら、共に戦うための糧に変えられるはずです」
ケイの瞳には、かつて無機質だった機械の残影はなく、大切な人を想う一人の人間としての、熱い意志が宿っていました。
「……伝えてあげてください。あなたが怖くて、寂しくて、押し潰されそうだという真実を。……かつて機械だった私に、お父さんとお母さんが家族を教えてくれたように、あなたの大切な人たちだって、あなたの絶望を受け止めて、希望に変える力を持っているはずです。彼女たちに、あなたと一緒に戦う権利を返してあげてください」
セイアは、呆然とケイの言葉に聞き入っていました。
機械から人間へと、家族の愛によって魂を勝ち取った少女だからこそ言える、魂の叫び。
「……ふふ。……参ったな。セイカの娘は、あの子以上に『人間』を、そして『家族』を理解しているようだ。……信じて、曝け出す。私は、彼女たちの強さを、私自身の恐怖で侮っていたんだね」
セイアの瞳から、強張りが消えました。彼女は立ち上がり、通信端末を手に取りました。
「……ありがとう、ケイ。君は、本当にお父さんに似てお節介で、お母さんに似て最高に温かいね。……少し、勇気をもらったよ」
「……はい。それが家族というものだと、お父さんとお母さんに教わりましたから」
ケイは誇らしげに、そして優しく微笑みました。
一人の「娘」であるケイが繋いだ絆が、予知者の孤独を溶かし、エデンの空を書き換えるための真の力が、今、静かに目覚めようとしていました。
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「……よし、今すぐにだ。ケイ、セイカとリオ、そしてアカネをここに呼んでくれたまえ。一刻の猶予もない!」
観測室に響いたのは、凛とした、けれどどこか切羽詰まったセイアの声でした。孤独に震えていた先ほどまでの姿はなく、その瞳には強い意志が宿っています。
「えっ? あ、はい、ただいま! ……お父さん、お母さん、リオ! 至急、観測室へ来てください!」
ケイが慌てて工廠のスピーカーで呼びかけると、数分後、オイルで汚れた作業着姿のセイカと、端末を片手に不機嫌そうなリオ、そして優雅に微笑むアカネが駆け込んできました。
「どうしたの、セイア。メテオストライカーの最終同期まで、まだ数時間は猶予があるけれど……」
セイカがゴーグルを跳ね上げて問いかけると、セイアは迷いのない瞳で言い放ちました。
「作戦の前提を書き換える。私は今から、ナギサとミカに真実を伝えることにした。……隠し事は終わりだ。彼女たちを、この『添削』の共犯者にする!」
「……はあ!?」
リオが、手にした端末を落としそうになるほどの声を上げました。
「ちょっと待ちなさい、セイア! 今このタイミングでそんな不確定要素を放り込むなんて、私の弾道計算が台無しよ。混乱が起きたらどう責任を取るつもり?」
「リオ、君は言っただろう。『不確定要素を一つずつ潰す』と。ナギサたちの『無知』こそが、戦場における最大の不安定要素だ。彼女たちが真実を知り、自らの意志で動くこと。それこそが、私の視た絶望を否定する最後の鍵になると……ケイに教わってね」
セイアが不敵に微笑むと、リオは眉間に皺を寄せてケイを睨みました。
「ケイ……! あなた、このわがままな予言者に何を吹き込んだのよ」
「……私はただ、お父さんとお母さんから教わったことを伝えただけです。……でも、まさかこれほど過激に動くなんて……」
ケイがたじろぐ横で、アカネはクスクスと楽しそうに笑いながら、すでに手元の端末を操作し始めていました。
「お掃除の予定が、随分と前倒しになりそうですね。ですが、ケイの助言がきっかけなら、これもセイカさんの計画の内……ということにしておきましょうか、セイカさん?」
「……いや、流石にこれは計算外よ、アカネ」
セイカは苦笑しながらも、セイアの気圧されるような勢いに負け、ソラノミのメインパネルを叩いていました。
「いいよ、セイア。指向性通信でトリニティのティーパーティー専用回線に割り込むよ。……リオ、不満があるならその天才的な脳細胞をフル回転させて、0.3秒で作戦を修正して」
「……言ってくれるじゃない。いいわよ、やってやろうじゃないの! 試作型のルミナスコアが暴走する前に、この予言者の『わがまま』を私の数式にねじ込んでやるわ!」
「ナギサ、ミカ、聞こえるかい!? 私だ、百合園セイアだ!」
セイアはアカネから手渡された通信マイクを握りしめ、トリニティへの咆哮を開始していました。
予定外の通信が静止軌道を震わせ、因果の糸が激しく、力強く書き換えられていく。
「……ふぅ。本当に、この家は退屈とは無縁ですね」
セイカは隣にいるアカネと顔を見合わせ、肩をすくめました。一人の少女の「感情」によって理詰めの計画が鮮やかに崩され、より熱い「奇跡」へと形を変えていく。
ソラノミの巨体は雲海を割り、月明かりの下へと躍り出ました。