未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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空の救世主と地上の理解者

 

 

 

 

 エデン条約調印式まで、あと二十四時間。

 キヴォトスの夜を飲み込むように、ソラノミは静かに高高度を巡航していた。この空中母艦のブリッジには今、本来なら一堂に会することのない、二つの巨頭が集まっている。

 

 ミレニアムサイエンススクールの生徒会長、調月リオ。

 そして、トリニティ総合学園ティーパーティーのホスト、百合園セイア。

 

 

「……各セクターの防衛ライン、並びにミレニアム製自律兵装の配置は完了したわ。迎撃準備に抜かりはない」

 

 

 コンソールを叩くリオの声は、張り詰めた弦のように鋭い。彼女は自らの正義を証明するかのように、完璧な防衛図をモニターに展開している。

 

 

「……私の視る『夢』も、今は凪いでいる。セイカ、君という観測不能な存在が介入したおかげで、破滅の結末は霧散したよ。……だが、不確定要素は依然として地上に残っている。……『先生』を、どうするつもりだい?」

 

 

 セイアが静かな、けれど射貫くような視線を私に向けた。

 

 

「……先生に、私たちの計画を共有するかどうか、という話ね」

 

 

 私が口にすると、ブリッジの空気が一段と重くなった。

 オペレーター席のケイが指を止め、背後のアカネが紅茶を淹れる所作を一瞬だけ止める。

 

 

「……反対よ」

 

 

 真っ先に口を開いたのは、リオだった。彼女の瞳には、一切の迷いがない。

 

 

「先生は理想主義者だわ。私たちが明日行おうとしている『飽和攻撃に対する超法規的迎撃』……つまり、敵を一人残らず空中で殲滅する非情な効率性を、彼は良しとしない可能性がある。……作戦の完遂を優先するなら、彼は遠ざけておくべきよ。彼に背負わせるには、この計画はあまりに『冷たい』」

 

 

 リオの言葉には、一度は先生と対話し、その「甘さ」と「正しさ」を知っているからこその、彼女なりの保護の裏返しが滲んでいた。自分一人で泥を被ればいい。彼女の合理性は、先生という光を汚したくないと叫んでいるようだった。

 

 

「……私は、リオとは違う意味で反対だ」

 

 

 セイアが静かに言葉を重ねる。

 

 

「先生が介入すれば、運命の糸は再び乱れる。彼の持つ力は、私の予知さえも超えた奇跡を起こすが、それは同時に、積み上げた計算をすべて台無しにするリスクでもある。……何より、会ったこともない男を信じて、このキヴォトスの存亡を賭けるなど、あまりに非論理的だ」

 

 

 二人は、先生を「知りすぎている」がゆえに、そして「全く知らない」がゆえに、それぞれ先生を遠ざけるという結論に至っていた。

 

 

 

 

「ふふ、お二人とも。先生を想うからこそ、慎重になっていらっしゃるのですね」

 

 

 アカネが、柔らかな微笑みを浮かべて私の前にカップを置いた。

 立ち上る湯気が、殺伐としたブリッジの空気をわずかに和らげる。

 

 

「でも、セイカさんはどうお考えですか? ……このソラノミの主として、そして、これからキヴォトスの空を背負う一人の女の子として」

 

 

 アカネの言葉に、リオとセイアの視線が私に集まる。

 私は一口、紅茶を啜ってから、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「……リオ、貴方の言うとおり、先生は私たちのやり方を『残酷だ』と言うかもしれない。……そしてセイア、貴方の言うとおり、先生を加えれば未来は混沌に変わる」

 

 

 私は一度言葉を切り、コンソールに映る地上の「シャーレ」の小さな灯りを見つめた。

 

 

「……でもね。先生を蚊帳の外に置くことは、彼から『大人としての責任』を奪うことよ。……リオ、貴方の知っている先生は、生徒が独りで苦しむのを黙って見ていられる人だった? ……そしてセイア、貴方がまだ会っていないその人は、絶望を分かち合うことで奇跡を起こす人だと聞いている。……私たちは彼を試すべきよ」

 

 

 私の言葉に、リオが不快そうに視線を逸らした。でも、その指先はわずかに震えている。

 セイアは静かに目を閉じ、何かを咀嚼するように黙り込んだ。

 

 

「ケイ。……貴方はどう思う?」

 

 

 私が問いかけると、娘は無機質な瞳をこちらに向け、淡々と答えた。

 

 

「……お父さん。……先生という変数を排除して計算を完結させることは、未知の可能性を切り捨てることと同義です。……計算できないからこそ、観測する価値があると判断します」

 

 

 ケイなりの、精一杯の肯定。

 私は笑みをこぼし、通信ウィンドウを開いた。

 

 

 

 

「……先生に、今の状況の要約と、私たちの意志を送るわ。……彼に判断を仰ぐんじゃない。……『私たちはこう戦う、貴方はどうする?』って、突きつける」

 

 

 私はリオとセイアを交互に見つめた。

 

 

「……ミレニアムの会長も、トリニティのホストも、今夜だけはその重荷を下ろしていいわ。……ここにいるのは、ただ明日を怖がりながらも、誰かに見守ってほしいと願う……ただの女の子よ。……そうでしょ?」

 

 

 リオは小さく溜息を吐き、ようやく肩の力を抜いた。

 

 

「……勝手にしなさい。……でも、もし先生が計画の中止を求めてきたら、私が通信を遮断するわよ」

 

「……ふふ。言うようになったね、セイカ。……分かったよ。……その『先生』とやらが、私の予知を超えるほどの器かどうか、見極めさせてもらおう」

 

 

 セイアも、穏やかに微笑んだ。

 

 アカネが、新しく淹れ直した紅茶を皆の前に配り歩く。

 この空中母艦に集まった、孤独な天才たちが、今、一人の「お父さん」の下で、初めて他者を頼るということを知ろうとしていた。

 

 

「さあ、お茶会を続けましょう。……先生へのメッセージは、一番素敵な言葉を選んでくださいね、セイカさん」

 

「……ええ。……『初めまして、先生。明日、空を見ていてください』……これだけで、十分よね」

 

 

 私は送信ボタンに指をかけた。

 エデン条約まで、あと二十四時間。

 私たちが選んだのは、孤独な支配ではなく、未知なる大人への、精一杯の「挑戦」だった。

 

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソラノミの冷たいブリッジに、電子音だけが響く。

 私は意を決して、シャーレへの秘匿回線を開いた。

 

 リオは腕を組み、不機嫌を隠そうともせずにモニターを睨んでいる。セイアは静かに目を閉じ、これから始まる「対話」が運命にどう干渉するかを、その鋭い感性で計っているようだった。

 

 

「……繋がったわ」

 

 

 メインモニターに映し出されたのは、書類の山に囲まれ、少し疲れた顔をした一人の男性。

 彼が、キヴォトスの数々の奇跡の中心にいるという「先生」。

 

 画面越しに視線が重なった瞬間、心臓がトクンと跳ねた。会ったこともないはずなのに、その眼差しには、すべてを見透かされ、同時にすべてを許されているような不思議な温かさがあった。

 

 

「……初めまして、先生。私は天野江セイカ。今、ミレニアムの調月会長、そしてトリニティの百合園さんと共に、高度数万メートルの空にいます」

 

 

 先生は驚いたように目を見開いたけれど、すぐに真剣な表情でこちらの言葉を待ってくれた。

 

 

「明日、エデン条約の調印式で何が起きるか……私たちはすでに予測しています。……いえ、確信している。未曾有の飽和攻撃が、地上を、そして貴方を襲う」

 

 

 私は一度言葉を切り、背後に控えるリオとセイアの顔を、そして隣で静かに見守るアカネとケイを見た。

 

 

「私たちは、それを空中で完全に『撃墜』します。……誰も傷つかない、誰も悲しまない、私たちの独断による完璧な迎撃。……でも、それはリオが言うように『冷たい効率』かもしれないし、セイアが危惧するように『不確かな奇跡』かもしれない」

 

 

 先生は黙って聞いている。その静寂が、私に言葉を続けさせる勇気をくれた。

 

 

「……先生。私たちは、貴方に助けを求めたいわけじゃない。……ただ、知っておいてほしかった。貴方が見守っているこの空の下で、私たちは、私たちの意志で、明日を守ると決めたこと」

 

 

 沈黙が流れる。

 リオが「ほら、言わんこっちゃない」とでも言いたげに口を開きかけた、その時。

 

 画面の中の先生が、ふっと柔らかく笑った。

 その笑顔は、どんな演算結果よりも、どんな予知夢よりも、私の心を強く打った。

 

 

『……初めまして、セイカ。……そしてセイア、リオもあの時ぶりだね。……みんながキヴォトスのために、そんなに一生懸命になってくれていること、すごく嬉しいよ』

 

 

 先生の声は、穏やかで、けれど迷いがなかった。

 

 

『効率が冷たいとか、奇跡が不確かだとか、そんなことは気にしなくていい。……君たちが「守りたい」と思って選んだ答えなら、私はそれを信じる。……明日、私は地上から空を見上げているよ。……君たちが広げる「翼」が、どんなに綺麗か、ちゃんとこの目に焼き付けるために』

 

「……先生」

 

『セイカ。……自分を「お父さん」だって言ってるみたいだけど、無理しすぎちゃだめだよ。……君は私の大切な生徒なんだから。……明日、終わったらみんなで美味しいものでも食べよう。約束だ』

 

 

 通信が切れる。

 ブリッジに、再び沈黙が戻った。

 

 

「……バカね、あの人は。相変わらず、計算外の甘いことばっかり」

 

 

 リオは呆れたように肩をすくめたけれど、その頬は心なしか緩んでいるように見えた。

 

 

「……ふふ。どうやら、私の予知も捨てたものじゃないね。……『希望』という名のノイズが、これほど心地よいものだとは」

 

 

 

 私は、熱くなった胸を押さえながら、ケイとアカネに向き直った。

 

 

「……聞いたわね、二人とも。……先生は、見ててくれるって。……私たちのワガママを、まるごと信じてくれるって」

 

「……了解です、お父さん。……迎撃任務、必ず完遂させます」

 

「ふふっ。素敵な先生ですね、セイカさん。……さあ、明日のお茶会に備えて、もう一踏ん張りしましょうか」

 

 

 アカネが、新しく淹れた紅茶を私の手に握らせてくれた。

 

 明日、エデン条約。

 私たちは、独りじゃない。地上で見上げているあの人に、最高の「正解」を見せるために。

 

 私はメテオストライカーの翼を研ぎ澄まし、決戦の夜明けを待った。

 

 

 

 




実は先生とセイカが会話するの初めてなんですよね
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