未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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星海の結合定数

 

 

 

 宇宙戦艦ソラノミの艦橋は、地上から400km離れた場所にある、私にとっての「城」であり「家」だ。

 

 窓の外には、地上では決して拝めない、一分の隙もない漆黒の深淵が広がっている。大気による歪みを一切受けない星々の光は、まるで網膜を直接焼き切らんとするほどに鋭く、そして冷たい。しかし、その冷徹な宇宙の理を背負う私の胸の内には、今、かつてないほどの「熱」が宿っている。

 

 

「……セイカさん。先ほどから、端末を眺める指が止まっていますよ? 宇宙の観測も大事ですが、あまり根を詰めすぎると、せっかくのチョコレートが甘く感じられなくなってしまいます」

 

 

 背後から、衣擦れの音と共に柔らかな声が届く。アカネだ。彼女はトレイの上に、自作の「新作ダークチョコレート」と、香りを極限まで引き出したアールグレイを載せて歩み寄ってくる。私は無言で、メインコンソールに表示されていた複雑な数式の羅列を「消去」した。実際には計算に詰まっていたわけじゃない。

 私はここ数時間、ミレニアムサイエンススクールの商業エリアにある全宝飾店の在庫データと、アカネの私服の色彩傾向、さらには指のサイズをミリ単位で推測するための過去の接触ログを照合していたのだ。

 

 

「……計算は、既に完了しています。……今は、その『出力結果』を、どのようにあなたに提示すべきか……その最適解を演算していただけです」

 

 

 私は椅子を回し、190cmの長身をゆっくりと立ち上がらせた。背後に広がる巨大な青い翼が、私の感情の揺らぎを反映するように、ふわりと大きく展開される。それは、近づいてきたアカネをそのまま自分のテリトリーへと引きずり込むような、無意識の抱擁の予兆。

 

 

「ふふ、最適解、ですか。セイカさんのことですから、きっと驚くような効率的な結論が出たのでしょうね?」

 

 

 アカネがトレイをコンソールに置こうとした瞬間、私の大きな手がその手首を優しく、けれど拒絶を許さない強さで掴んだ。

 

 

「……お茶は、後でいいです。……今は、私の熱量を共有してください」

 

 

 私はそのままアカネを引き寄せ、ソファへと促した。二人の身体が密着する。

 私の胸にすっぽりと収まるアカネ。私は背後の翼を大きくしならせ、ソファごとアカネを包み込んだ。青い羽毛の天蓋。そこは外気から完全に遮断された、体温と吐息だけが循環する密室。

 

 

「……最近の私のバイタルデータには、ある一定の周期で不自然な『空白』が生じています」

 

 

 私はアカネの首筋に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。アカネの髪から漂う、落ち着いたシャンプーの香りと、隠しきれない甘いチョコの匂い。それが私の脳内の論理回路を心地よくショートさせていく。

 

 

「空白……ですか? どこか体調が悪いのでしょうか」

 

「……いいえ。逆です。……あなたと触れ合っている間、私の思考は『次の一秒』を予測することを放棄し、ただ『今』という定数に固執するようになる。……これは、観測者としては致命的なエラーですが……個人としては、非常に好ましい状態であると定義せざるを得ない」

 

 

 私の指が、アカネの左手を探り、その細い指先を一本ずつ確かめるようになぞっていく。薬指の付け根に触れたとき、背後のヘイローが、静かな火花を散らすように回転を速めた。

 

 

「……アカネ。私は、あなたがいないと味がしないチョコを食べる生活には、もう戻れない。……そして、あなたが私の視界から消える可能性を、一パーセントであっても容認できない」

 

「セイカさん……」

 

「……だから、明日。私の時間を、あなたに預けます。……ミレニアムの商業エリアへ、私に同行してください」

 

「お買い物……。誘ってくださるんですね」

 

 

 アカネが顔を上げ、私の瞳をじっと見つめる。私の瞳は、いつも通り冷徹で鋭い。けれど、その奥底には、自分でも制御しきれない切実さと、彼女を自分の檻に繋ぎ止めたいという独占欲が渦巻いている。

 

 

「……必要な『備品』があるのです。……私とあなたの、繋がりの強度を物理的に証明するための、特別な定数が。……私の隣にいてください」

 

 

 私はそう言うと、アカネの左手の薬指に、誓いを立てるように静かなキスを落とした。言葉では「備品」や「定数」と装っているけれど、この震えるような愛しさは、一分の隙もなくアカネに伝わっているはずだと信じて。

 

 

「はい……。もちろん、喜んで。明日、世界で一番幸せな『備品』を取りに行きましょうね、セイカさん」

 

 

 アカネが優しく微笑み、私の首に腕を回す。青い翼の内側で、二人の心拍は重なり合い、宇宙の冷たい静寂を書き換えるほどの熱を帯びていった。

 

 明日の買い物が、ただの消費活動ではなく、二人の魂を一つの鎖で繋ぐ儀式になることを、確信して。

 

 

 

__________

 

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクールの商業エリアは、最先端のホログラフィック広告と、無数の学生たちの喧騒が絶え間なく交差する、私にとって「動的なノイズ」に満ちた場所だ。

 一分の隙もない静寂が支配するソラノミから降り立った私にとって、そこは本来、長居を避けるべき場所。けれど今日、私の隣には、そのノイズさえも柔らかな風景に変えてしまうアカネがいる。

 

 

「わあ……! セイカさん、見てください。あそこのウィンドウ、もう夏物の新作が並んでいますよ。ミレニアムの流行は、光速よりも早い気がしてしまいますね」

 

 

 アカネが、楽しげに周囲を見渡しながら弾んだ声を上げる。彼女は今日、この日のために選んだ清楚な私服を纏っている。対して私は、190cmの体躯と、太陽の光を反射して青く輝く巨大な翼を隠そうともせず、ただ隣を歩く。

 

 通行人の学生たちが、次々と足を止め、驚きと好奇の眼差しを向けてくる。

 

 

「ねえ、あの人……モデル?」

「あの青い翼、本物かな……。あんな大きいの見たことないよ」

 

 

 囁き声が波のように押し寄せるけれど、私は一分の隙もなく、それらを「無価値なデータ」として処理し、消去する。私の全演算リソースは今、隣を歩くアカネを雑踏から守り抜き、目的地へと最短ルートで誘導することだけに割かれているのだから。

 

 

「……アカネ。……脇見は、転倒のリスクを高めます。……私の翼の影から、離れないでください」

 

 

 私は自身の右翼をわずかにしならせ、アカネの背後を物理的にガードするように展開した。私の作り出す翼の影は、まるで移動するシェルターのように、アカネを周囲の視線から遮断する。

 

 

「ふふ、過保護ですね、セイカさん。でも、こうして守られていると、私、自分がとっても大切なお姫様になったような錯覚をしてしまいます」

 

「……錯覚ではありません。……現在、私の全存在定義において、あなたの安全と充足は最優先事項として設定されています。……公式に、私はあなたの騎士として機能している」

 

 

 言葉は淡々としていても、私の指先は無意識にアカネの左手を探り、その細い指を優しく、けれど強く絡め取った。指先から伝わる彼女の体温。

 それが、この騒がしい街の中で唯一、私に「自分は今、ここに生きている」という実感を与えてくれる。

 

 

「目的地まで、残り120メートル。……人混みの密度が上昇します。……しっかりと、掴まっていてください」

 

「はい、離しませんよ。……でもセイカさん、そんなに怖い顔をしなくても大丈夫です。今日は『お買い物』なんですから、もう少しだけ、その綺麗な瞳を緩めてみませんか?」

 

 

 アカネが空いた方の手で、私の強張った頬にそっと触れる。その瞬間、背後に浮かぶヘイローが、驚きに近い揺らぎを見せて回転を止めた。ミレニアムの喧騒が、一瞬だけ遠のく。

 

 

「……照れてしまうのでやめてください」

 

 

 私は顔を真っ赤にさせながらそう言う。

 

 

「ふふ、それは光栄ですね。……さあ、見えてきましたよ。あそこの、静かな佇まいのお店ですね?」

 

 

 二人の前に現れたのは、大通りの喧騒から一本路地に入った、静寂と気品が同居する老舗のジュエリーショップ『Aeterna Jewelers(アエテルナ)』だった。最新のネオンが踊る商業エリアにおいて、そこだけが時間の流れから切り離されたかのような、落ち着いた石造りの外観を保っている。

 

 

「……在庫の確認は、済ませてあります。……行きましょう」

 

 

 私は、繋いだ手をさらに強く握り締め、意を決して店の扉を開けた。ベルの澄んだ音が響き、外の世界のノイズが完全にシャットアウトされる。

 

 そこは、私とアカネの物語を物理的な形へと変えるための、聖なる観測地だ。

 

 

__________

 

 

 

 

 店内に足を踏み入れた瞬間、アカネは思わず息を呑んだ。壁一面のショーケースに飾られた宝石たちが、星々のような眩い輝きを放っている。

 

 

「いらっしゃいませ。本日はいかがなさいましたか?」

 

 

 歩み寄ってきた店員に対し、私は一分の隙もない動作で、端末に表示させた特定の品番を提示した。

 

 

「……事前の在庫確認、および加工精度の再検収を依頼していた者です。……直ちに、実物を確認させてください」

 

「承知いたしました。こちらへどうぞ」

 

 

 案内されたのは、店内の奥まった場所にあるプライベートスペース。店員がトレイの上に載せて持ってきたのは、水色と紫のコントラストが美しい、一対のプラチナリングだ。

 

 

「わあ……」

 

 

 アカネが、トレイの上のリングに顔を寄せる。プラチナの裏面には、私のヘイローを構成する幾何学模様が、極小のレーザー刻印によって精密に再現されている。

 

 

「……アカネ。この石の色は、あなたの瞳の輝きに最も近いものを選別しました。……そして周囲のプラチナは、私の翼の色を数値化し、合金の配合比率を調整させたものです。……これは単なる装飾品ではなく、私とあなたの存在を合成した、唯一無二の結合定数です」

 

 

 私はリングを一つ手に取ると、体を深く屈めて、アカネの左手を取った。

 

 

「……左手の薬指を。……この指から心臓へと至る血管の経路に、私の存在を直接リンクさせます」

 

「セイカさん……ふふ、本当に、あなたらしい誓いの言葉ですね。……ええ、どうぞ。私のすべてを、あなたの定数で埋め尽くしてください」

 

 

 アカネが指を差し出す。私は震える指先を必死に抑え、リングをゆっくりとはめた。

 

 金属が滑り、指の付け根に収まった瞬間、アカネの体温がリングへと移り、冷たかったプラチナが温かな家族の証へと変わる。

 

 

「……ぴったりです。一分の狂いも、ありません」

 

 

 私は満足げに頷くと、今度は自分の左手をアカネの前に差し出した。

 

 

「次は……あなたの手で、私の指に嵌めてください。……あなたが私の指を縛ることで、初めて私の演算系は『完全』なものとなります」

 

 

 アカネは、私の手を取った。アカネが指輪を滑り込ませると、私はわずかに目を見開き、自身の左手を何度も握り締めたり開いたりして、その重みを確かめた。

 

 

「……冷たいはずの金属が、こんなに熱く感じるなんて。……私の計算式には、この『温度』の項が欠落していたようです」

 

 

 私は店内で少しだけ翼を広げ、アカネをその内側へと招き入れた。青い翼に包まれた二人。アカネは、指輪のはめられた私の手を両手で包み込み、その胸にそっと寄り添った。

 

 

「セイカさん。この指輪の輝きは、きっと何万光年先にある星よりも、私を導いてくれる光になりますよ」

 

「……当然です。……これは、私たちが未来という名の空白を観測し続けるための、永久不滅のマーカーなのですから」

 

 

 二人は重なり合った手元をじっと見つめ合いました。そこに刻まれた幾何学模様は、これから始まる「一分の隙もない」永遠の生活を、静かに、けれど雄弁に物語っていました。

 

 

 

__________

 

 

 

 ショップを出た二人の前には、先ほどまでと変わらないミレニアムの喧騒が広がっていた。しかし、その景色は私の瞳には全く違ったものとして映っている。左手の薬指に宿った確かな重み。それが、二人を繋ぐ不可欠な「重力」となっている。

 アカネは、歩きながら何度も自分の左手を持ち上げ、街灯の光に透かしては、そこに宿る紫と水色の輝きを確かめています。

 

 

「ふふっ……。セイカさん、見てください。ショーウィンドウに反射する私たちの指輪、まるでお揃いの星が並んで飛んでいるみたいです」

 

「……光の屈折率と反射角を考慮すれば、その比喩は物理的にも妥当と言えます。……ですが、その『星』は遠くにあるものではなく、今、あなたの血潮に最も近い場所に定着している。それが重要です」

 

 

 私は前を向いたまま、繋いでいない方の右翼をわずかに広げ、周囲の通行人がアカネにぶつからないよう無言で牽制する。それは、寄り添うアカネへの独占欲の現れでもあった。

 

 

「……アカネ。……先ほどの言葉、訂正します」

 

「えっ? どの言葉ですか?」

 

「……『備品』という表現です。……この指輪は、外部から調達された物品ではなく、既に私の一部として統合されました」

 

 

 私は一瞬だけ立ち止まり、アカネを自分の方へ引き寄せた。雑踏の中、私の青い翼がふわりと二人を囲い、刹那の静寂を作り出す。

 

 私はアカネの指輪が嵌まった指を自分の唇に寄せ、銀色の金属越しにその体温を確かめるように深くキスをした。

 

 

「……愛しています、アカネ。……この感情を言語化するのは非効率的ですが、この指輪の輝きが、私の代わりに四六時中それをあなたに演算し続けるはずです」

 

「……っ、セイカさん……。そんなふうに真っ直ぐ言われたら、私の胸のエンジンがオーバーヒートしてしまいますよ。……私も、愛しています。世界で一番、不器用で、優しくて、誇らしい私の騎士様」

 

 

 アカネは顔を赤らめながらも、私の胸に顔を埋めた。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 高度400km。ソラノミに帰還した私達を待っていたのは、ケイだった。

 

 

「お父さん、お母さん。お帰りなさい。……バイタルチェック完了。両名とも、セロトニンおよびオキシトシンの分泌量が通常の140%を記録しています。……極めて良好な外出であったと推測します」

 

「……ケイ。……ただいま。……報告した通り、必要な定数の調達に成功しました」

 

 

 私は、左手をケイの目の前に差し出した。

 

 

「お父さん、それは……。お父さんのヘイローの幾何学情報を0.01ミリの誤差なくトレースした、物理的な識別票ですね。……そしてお母さんの指にも、同じものが。……なるほど、これが『お揃い』ですか」

 

 

 ケイは興味深そうに、二人の指輪を交互に見つめました。彼女の論理回路にとって、装飾品という概念は未知のものでしたが、その指輪が二人の間に生み出している「絆の可視化」は、どんな複雑な数式よりも明白な事実として認識された。

 

 

「……ケイ。……次は、三人の番です」

 

 

 私は、空いている右手をケイの頭にそっと置いた。

 

 

「……今回は二人の関係を固定するためのものでしたが、ソラノミは三人で完成する。……いずれ、この家族というシステムを象徴するものを、三人で共有します。……今度、買いに行きましょう」

 

「……はい、お父さん。……お父さんとお母さんが繋がっているという事実は、私のシステムにとっても最大の安定要素となります」

 

 

 ケイは、アカネの手を取り、その指輪にそっと触れました。

 

 

「お母さん。……とっても、綺麗です。……お父さんの色が、お母さんの指を守っているみたいで」

 

「ふふ、ありがとう、ケイ。……本当にそうですね。……さあ、今日はお祝いに、とびきりおいしいものでもつくりましょうか」

 

 

__________

 

 

 

 その夜、ソラノミの自室。

 

 窓の外では、無数の星々が瞬いている。

 けれど、今の私にとって最大の輝きは、腕の中で微かな寝息を立てるアカネの存在と、その薬指で静かに光る、私とお揃いの小さな星だ。

 

 ソラノミの静寂に包まれたベッドの上、私は広げた翼を柔らかな天蓋のようにしならせ、アカネをその内側へと招き入れる。シーツの冷たさは、二人の重なり合う体温によって、一分の隙もなく上書きされていた。

 

 

「……セイカさん。……まだ、観測を続けているのですか?」

 

 

 眠りの淵に沈みかけていたアカネが、微かに目を開けて私を見上げた。私はその頬に、自分でも驚くほど穏やかな手つきで触れる。

 

 

「……ええ。……至近距離における、あなたの睡眠導入プロセスの観測です。……心拍、呼吸数、そして……この指輪が私の肌に触れる角度。そのすべてが、私のシステムにとっての安らぎとして同期されている」

 

 

 私は重ねた左手を、二人の間に置いた。プラチナの冷たさが、彼女の体温を吸い取って熱を帯びる。私はその指先を一本ずつ、愛おしさを演算に込めるように絡めた。

 

 

「……ふふ。……なら、安心してください。……私はどこにも行きませんし、この絆の『定数』は、夢の中でも解けることはありませんから……」

 

 

 アカネは満足げに瞳を閉じ、私の胸に顔を埋める。彼女の重みが、私の肺を圧迫する。けれどその苦しさは、孤独という虚無を埋めるための、最も心地よい質量だった。

 私は、彼女を抱きしめる腕に力を込めた。ソラノミのメモリが尽き、私のヘイローが消えるその時まで。あるいは、宇宙の寿命が尽きてすべての星が燃え尽きるその瞬間まで。私はこの腕の中にある温もりを、一分の隙もなく守り抜くと誓う。

 

 

「……観測、終了。……今夜も、世界は一分の隙もなく、幸せです」

 

 

 私はアカネの額に、誓いの上書きとして静かな接吻を落とした。そして、愛おしい恋人の寝息を子守唄に、私もまた、深い、深い、安らぎの海へと沈んでいった。

 

 

 

 

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