未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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深淵への設計図、あるいは家族の絆

 

 

 

 無機質な医療機器の電子音だけが響く部屋に、ミレニアムの生徒会「セミナー」会長、調月リオが持ち込んだのは、かつてアリスを救うために使用されたダイブ装置、それの改良品の設計図だった。ホログラムとして展開されたその複雑な数式と幾何学模様は、現在のキヴォトスの技術水準を遥かに逸脱した、精神と物質の境界を侵食する代物である。

 

 

「……セイアの意識は今、現実世界からは完全に断絶されているわ」

 

 

 リオの声は、張り詰めた弦のように硬く、冷徹だった。彼女の視線は、ノイズに埋め尽くされたセイアの脳波モニターに固定されている。

 

 

「原因は、ケイの体内の『ルミナス・コア』とセイアの精神回路が繋がった瞬間、色彩の呪詛が逆流したこと。強大な永久機関が放出した反発エネルギーは、セイアの精神そのものを、観測不能な深層意識の底、いわば『情報の特異点』へと押し込めてしまったのよ」

 

 

 リオが端末を操作すると、ホログラムが形を変え、セイアの精神を囲む黒い霧のような「色彩」のモデルを映し出した。

 

 

「……それで、リオ。具体的にどうやって彼女を連れ戻すつもり?」

 

 

 天野江セイカが、窓の外に向けていた視線をゆっくりとリオへと戻した。その瞳には、先ほどまでの破壊衝動とは異なる、鋭利な「観測士」としての光が宿っている。

 

 

「……あなた自身を、情報体として流し込むのよ。セイカ、あなたの脳を『ルミナス・コア』の並列演算回路として直結させ、強制的にセイアの精神世界へ同期させるの」

 

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、部屋の空気が「チリッ」と焼けるような殺気に包まれた。

 

 

「……リオ会長。今、何とおっしゃいましたか?」

 

 

 室笠アカネが、音もなくリオの側方へと移動していた。彼女の右手には、いつの間にか彼女の拳銃が握られており、その銃口は、微塵の迷いもなくリオの側頭部を捉えている。

 

 

「セイカさんの脳をコアと直結させる……? それがどれほどの負荷をかけるか、あなたのような合理主義者が理解していないはずがありません。情報過多による脳の焼損、精神の崩壊。……それは、救済ではなく、あなたによる『処刑』の設計図ではありませんか?」

 

 

 アカネの微笑みは、もはや恐怖を感じさせるほどに完璧だった。怒りが頂点に達したとき、彼女は逆に「完璧な給仕」へと先祖返りする。

 

 

「もし、あなたがセイカさんを便利な道具か何かと見なしてそのような策を提示しているのだとしたら……今この場で、あなたの存在を歴史から『お掃除』させていただきます。……ミレニアムの会長という地位も、あなたの高度な知能も、この部屋にぶちまけられる肉片になれば等しく無価値ですから」

 

 

 アカネの指が、武器のトリガーに触れる。その殺意は本物だった。リオは、向けられた銃口を無視し、淡々とアカネを見つめ返したが、その瞳の奥には一瞬だけ、計算外の感情への戸惑いが見えた。

 

 その時だった。

 

 

「……落ち着いて、アカネ」

 

 

 セイカが静かに歩み寄り、背後からアカネの身体を優しく、しかし力強く抱きしめた。

 

 

「……っ、セイカさん! ですが、この女は……!」

 

「わかっている。……私を想ってくれていることも、今のあなたがどれほど傷ついているかも。……でも、大丈夫。私は、壊れたりしない」

 

 

 セイカの体温と、耳元で囁かれる柔らかな声。それが、アカネの脳内で沸騰していた殺意を、急速に鎮静化させていく。セイカはアカネの肩に顔を埋め、その震える手を、自分の手でそっと包み込んだ。

 

 

「……あなたがいてくれるから、私はどこへだって行ける。……だから、そんなに怖い顔をしないで。私の大切な、家族でしょう?」

 

 

 セイカの腕の中で、アカネの肩から力が抜けていく。握りしめられていた武器が、わずかに銃口を下向けた。アカネは深い溜息をつき、瞳を閉じた。

 

 

「……ずるいです、セイカさん。……そんな風に言われてしまえば、私は……」

 

 

 アカネはゆっくりと武器を収めた。まだリオへの不信感は消えていないが、大好きな恋人の抱擁が、彼女を「狂犬」から「守護者」へと引き戻したのだ。

 

 セイカはアカネを離すと、今度はリオを真っ直ぐに見据えた。

 

 

「……続けて、リオ。リスクは承知の上。……セイアの精神回路を内側から『修正』できるのは、『ルミナス・コア』の設計者である私しかいない。……そうでしょ?」

 

 

 リオは一瞬の沈黙の後、小さく頷いた。

 

 

「……ええ。極めて高い負荷がかかるけれど、あなたなら耐えられると、私の計算は告げているわ。……そしてアカネ。あなたにも、さらに重要な役割を担ってもらうことになるの」

 

 

 リオはホログラムを操作し、現実側の監視システムと、ケイの「ルミナス・コア」の同期状況を表示した。

 

 

「セイカが深淵に潜っている間、その肉体は無防備になる。色彩の残滓は、通信路を逆流して現実側の肉体をも浸食しようと這い上がってくるでしょう。……実体化した不浄、あるいはアリウスの追っ手。……あなたは、現実側で発生するあらゆる『障害』を排除し、二人のバイタルを死守しなさい」

 

 

 リオは、アカネの瞳を正面から射抜いた。

 

 

「……あなたにしか頼めないのよ。一分子の汚れも許さず、主を守り抜くその執念が、今この瞬間には不可欠なの。……セイカを現実に繋ぎ止められるのは、あなたの完璧なまでの忠誠心と愛だけだわ」

 

 

 アカネはその言葉を反芻するように、再び優雅な笑みを浮かべた。先ほどの狂気的な殺意ではなく、それはプロフェッショナルとしての冷徹な自負だった。

 

 

「……ふふ。……よろしいでしょう。セイカさんの身に触れようとする不浄は、たとえそれが運命であろうと神であろうと、私が塵一つ残さず消毒して差し上げます」

 

 

 最後に、リオは部屋の隅で膝を抱えていたケイへと向き直った。

 

 

「……そしてケイ。……あなたもよ」

 

 

 名前を呼ばれ、絶望に沈んでいたケイが力なく顔を上げた。

 

 

「……私、に……何ができるの……ですか? セイアを壊した、この力で……」

 

「……あなたのコアが、セイカを深淵へと運ぶ唯一の船になるのよ。……あなたが自分を責め、エネルギーを乱せば、中にいるセイカは二度と戻ってこれなくなる。……父であるセイカの帰還を信じ、出力を一定に保ち続ける。……それが、あなたにしかできない、親友への『償い』だと思わないかしら?」

 

 

 リオの言葉は、残酷なまでに正確だった。しかし、それはバラバラになりかけた「家族」を、もう一度一つの目的に向かわせるための、彼女なりの理知的な福音だった。

 

 

「……はい。……やります。……私が、お父さんを……セイアを、支えます」

 

 

 ケイの瞳に、微かな、しかし消えることのない意志の灯火が宿った。

 セイカはそれを見届け、自らの端末をベッド脇のポートへと接続した。

 

 

「……準備はいいよね、リオ。……書き換えるよ。……絶望という名の設計ミスを、私たちの手で」

 

「ええ。そのためにも、『全知』の力も借りましょう」

 

 

 リオの合図とともに、治療室の照明が完全に落ちた。

 闇の中で、ルミナス・コアの青い鼓動と、アカネが構える武器の金属音、そしてセイカの静かな呼吸だけが重なり合う。

 

 家族という名の「最強のユニット」による、最も危険で、最も尊いデバッグ作業が、今まさに幕を開けた。

 

 

 

 

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