ダイブ装置により侵入したセイアの精神世界。
狙うのは、彼女の精神を侵食する「色彩」の深淵。私はその昏い渦へと、自らの意志で、自らの翼を広げて舞い降りた。
暗黒の虚無。光さえ届かない絶望の底に降り立った私の背後には、神々しいまでの輝きを放つ翼をひらいている。機械的な推進器の唸りはない。あるのは、空間を震わせる静かな羽撃きの音だけ。
私は右手で虚空を指し示し、メテオバスターライフルを物質化させた。
『……現在、あなたの意識座標は目標地点から1200カウント離れているわ。色彩の残滓の反応が、全方位からあなたの光を食い潰そうと膨張中。セイカ、あなたの脳に直接ソラノミの全センサーログを叩き込むわ。……無駄な被弾は計算にないわよ。一撃で、全てを終わらせなさい』
脳内に直接響くリオの言葉は、相変わらず冷徹で、理知的だ。
直後、私の視界には幾何学的な警告アラートが数千、数万と重なり合い、闇に潜む敵の座標が赤裸々に暴き出されていく。
『はぁ、リオは相変わらず言葉の選び方が「合理的」すぎて可愛げがありませんね。……セイカちゃん、私の演算で、あなたのシステムの安全リミッターをすべて書き換えておきました。……摩擦係数? 情報密度? そんな瑣末な物理法則に縛られていては、私の親友は務まりませんよ?』
「最高だねヒマリ。……それじゃあ、この『論理崩壊したゴミ溜め』を、一気に片付けさせてもらうよ!」
私は、自らの翼を力強く一煽りした。 空間そのものを踏みしめるような高潔な手応え。私は弾丸のごとき速度で、敵陣へと突撃を開始した。
正面から押し寄せるのは、形を成さない色彩の尖兵たちだ。数に任せて私を圧殺せんとするその群れに対し、私は一切の迷いなく翼で空を斬る。
「まずは、道を空けてもらおうか!」
メテオバスターライフルが咆哮を上げる。ヒマリによって「概念レベルで熱量保存を無視」された弾丸は、単なる物理弾ではない。色彩の存在定義そのものを否定し、消去する「情報の破壊槌」だ。
一射ごとに数百の影が霧散し、深淵の闇に青い閃光が走り抜ける。
『……セイカ、左舷30度、深度5に大規模なノイズの塊を確認。そのまま突っ込めば、あなたの自我データが汚染される。……1.2秒後に、私がソラノミから爆弾を投下するわ。その余波を翼で捉えて、さらに加速しなさい』
「了解! 1.2秒……今だ!」
リオのカウント通り、空間そのものが剥離するような衝撃波が発生した。
色彩の群れが断末魔を上げる暇もなく消滅する中、私はその翼を美しく翻し、爆風すらも己の飛翔の糧へと変換する。 もはや私の動きは、ただの「移動」ではない。深層意識という情報の海を自在に舞い、不純物を一方的に排除する「裁定者」のそれだった。
しかし、深淵の深層に近づくにつれ、色彩の圧力は増していく。 私の耳元で、実体のない虚無の囁きが響き始めた。
「……なぜ、そこまでして救おうとする……。……お前一人の力で、何ができるというのだ……」
「……独りじゃない。私は独りで戦っているわけじゃないんだ」
「……なぜ抗う。……お前が救おうとしている『百合園セイア』は、既に我らの一部。……彼女が視た絶望を、お前は共有できない。……お前はただ、自分の『正しさ』を証明したいだけの、哀れな工作機械に過ぎない……」
「『正しさ』なんて言葉は、君たちには似合わないね。私はただ、友人を返してもらいに来ただけ」
その時、脳の奥底に「温かい雫」が落ちるような感覚があった。
『……お父さん。……私のルミナス・コアを、あなたの神経系に直結しました。……恐怖も、痛みも、私が半分引き受けます。……だから、止まらないで。……あなたは、私の自慢の「お父さん」ですから』
ケイの静かな、けれど確かな信頼。
彼女が「錨」として現実世界に踏みとどまり、私の精神の揺らぎを瞬時に修正しているのがわかる。
さらに、通信の端からアカネの声が混じる。
『セイカさん、ご安心を。ソラノミの周囲に集まった不浄どもは、この私が全て「処分」いたしました。……カプセルの中のあなたが眉一つ動かさずに済むよう、完璧な環境を維持しております。……さあ、その不快なバグを、根こそぎ消し去ってください』
アカネの言葉が、データ越しに見えるようだ。
家族が守る背後。友人が拓く前方。
私には、負ける理由などどこにもなかった。
「……思い出せ、お前の内側にある空虚を。……お前は何も持たず、何も生み出さない。……愛娘? 家族? 恋人? ……それらもすべて、偽りのプログラムがもたらす白昼夢に過ぎない……」
「……いいや、違うね」
私は静かに、けれど確信を持って否定した。
「彼女たちの体温も、笑顔も、私を呼ぶ声も。……それを偽物だと断じる君たちの『真実』こそ、私には何の価値もないゴミデータだよ」
「理解できぬ」
「理解できぬ」
「理解できぬ」
「理解できぬ」
「理解できないならそれで結構。……全出力解放。ソラノミ、リミッターを解除しろ! この層のゴミを、一匹残らず蒸発させる!」
私が叫ぶと同時に、その翼から無数のフィンファンネルが展開された。
ヒマリの演算制御とリオの戦略配置が融合し、ビットは幾何学的な陣形を描きながら、色彩の群れを文字通り「裁断」していく。
『……いいわ、セイカ。出力は私が管理する。あなたはただ、その「正しさ」を論理的な破壊へと変換しなさい』
『あら、リオにしては珍しく良いことを言いますね。……さあ、フィナーレです。華々しく打ち上げていらっしゃい!』
フィンファンネルは幾何学的な陣形を描きながら、色彩の群れを文字通り「断裁」し、同時に鉄壁のピラミッド状バリアを形成して私の進路を確保する。
「……何故だ、何故そこまでの力が……。……不完全な存在であるはずのお前が、何故……!」
「不完全だからこそ、誰かと手を取る設計図を引けるの。……独りよがりの『虚無』に負けるつもりはないよ!」
「「「「驕るな——!!」」」」
「それはこっちのセリフ!
所詮世界の外から干渉することしかできないモブどもに、私たちの
私は翼を最大まで広げ、メテオバスターライフルを構え直した。ソラノミの全エネルギーが銃身に凝縮され、眩いまでの純白に輝く。
一閃。
深層意識の暗闇が、私の放つ光の奔流によって真っ二つに裂かれた。
数万、数億という色彩のコードが、不要なデータとしてゴミ箱へ放り込まれていく。
爆発的な光の余波の中、私はただ一人、その翼を静かに休めて着地した。
周囲には、もはや「声」の残響さえない。
「……掃除完了。待たせたね、セイア」
前方、光の檻の中に閉じ込められた百合園セイアの姿が見える。
私はゆっくりと、勝利を確信した足取りで、親友を救い出すための最後の一歩を踏み出した。
リオの戦略、ヒマリの援護、ケイの献身、アカネの守護。
すべてを乗せた私のメテオバスターが、今、絶望の深淵に夜明けを告げようとしていた。