未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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星海の日常 ―テラスの解と、暴かれた愛の重奏―

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクールの正門をくぐり、噴水広場に面した開放的なテラス席。そこには、ワイルドハント芸術学院の四人が追い求めてきた「空より舞い降りる解」そのものである少女、天野江セイカの姿がありました。

 

 しかし、生け垣の陰に身を潜めたオカルト研究会が目撃したのは、冷徹な審判の光景ではなく、あまりにも甘やかな「日常の理」でした。

 

 

「……いた。間違いありません。あの紫の瞳、あの無駄のないシルエット。まさに、空より舞い降りる解、天野江セイカです」

 

 

 生け垣の隙間から白尾エリが、震える声で告げました。その隣では、レナが双眼鏡のピントを限界まで合わせ、ツムギが愛用のギターを抱え直して息を呑んでいます。

 

 

「……でも、先生が言っていた通りだねぇ。あはは、本当だ。一人じゃない」

 

 

 カノエが縁に身を預け、気だるげに呟きます。彼女たちの視線の先には、同じミレニアムの制服を纏った三人の姿がありました。一人は、慈愛に満ちた表情でセイカに密着し、幸せそうに微笑んでいる琥珀色の瞳の女性。そしてもう一人は、セイカの隣でその袖をぎゅっと握りしめ、二人のやり取りを満足そうに見守っている無機質な美しさを湛えた少女。

 

 

「セイカさん、次はこのベリーのタルトを。はい、あーん……」

 

「……何度も言っていますが、食べ物くらい自分で食べられ――……んむっ」

 

 

 セイカは一応の文句を口にしましたが、差し出されたフォークを拒むことはせず、結局は大人しく口を開きました。以前ならもっと必死に抵抗していたはずですが、最近の彼女は、この「強行突破」にある種の諦めと、心地よい慣れを感じているようです。

 

 

「ふふ、良い食べっぷりです。セイカさんのそういう素直なところ、私は大好きですよ?」

 

「……照れてなどいません。効率的に糖分を摂取しているだけです」

 

 

 セイカは顔を赤くしながらも、女性が自分の肩に頭を預けてくるのを、もはや当たり前の重みとして受け入れています。

 

 

「お父さん。お母さんの供給する糖分は、お父さんの精神安定に寄与すると推測されます。拒絶せず、速やかに受け入れることを推奨します」

 

「あなたまで何を……。私は別に、不安定になど……」

 

「お父さんがお母さんに甘やかされている光景は、家庭内における最適解です。私は、この空間を高く評価しています」

 

 

 少女の淡々とした、けれど深い愛情を感じさせる言葉に、セイカは「困りましたね……」と溜息をつき、逃げ場のない愛の包囲網の中で、運命を受け入れたようにタルトを咀嚼しました。

 

 

 

 

 

 

「…………嘘です、こんなの信じられません」

 

 

 エリが、絶望したようにがっくりと膝をつきました。

 

 

「あの、プロヴィデンスの巨体を解体した理の指先が……今、あの方のフォークを『仕方がありませんね』という顔で受け入れている!? 空より舞い降りる解はどこへ行ったのですか!? まるで、愛されている普通の女の子ではありませんか!」

 

「……静かにして、エリ先輩。……見て」

 

 

 レナが、熱に浮かされたような声でスケッチブックに筆を走らせます。

 

 

「隣の人の包容力を示す着こなし、少女の潔癖なまでの端正さ、そしてその中心で、二人の愛を一身に受けて『慣れて』しまったセイカさんの……機能美と生活感の完璧な調和! この一家、デザインの神に愛されているわ!」

 

「……っ……旋律が、変わりました」

 

 

 ツムギが、震える指でギターの弦に触れます。

 

 

「鋭く冷徹な解の裏側に、こんなにも甘くて、蕩けるような……。聴こえます、あの方の愛に、心地よく身を任せている人間らしいメロディが……!」

 

 

 その時、超人的なセンサーを持つ少女――ケイが、生け垣の異変に気づきました。

 

 

「……お父さん、お母さん。不可解な視線を検知。北北西、30メートルの付近。ワイルドハント芸術学院の所属生徒と推定される個体が、私たちを観測しています。……家族の時間を阻害する要因は、私が排除します」

 

「……っ!? バレました! 退避、一時退避です!」

 

 

 エリの悲鳴と共に、生け垣から四人の影がバタバタと逃げ出していきます。

 

 

「……こら、物騒なことはやめなさい。ただの、賑やかなお客さんでしょう」

 

 

 セイカは逃げていく彼女たちの背中を、絵画と同じ静謐な瞳で見つめながら、けれど隣で再び「さあ、セイカさん、次はこっちのムースを……」と顔を寄せてくる女性に、「……一口が大きいです。……あと、口元に付いていますよ。まったく、もう……」と、赤面しながらも自らハンカチを取り出し、慣れた手つきでお母さんの世話を焼き始めるのでした。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 逃げるオカ研一行、それを追う一陣の風。

 

 

「待ってください。逃走は非論理的です。お父さんとお母さんをあのような好奇の目で観測した目的、および所属を明確に述べることを要求します」

 

「ひっ……!? は、速すぎます! あの小さなお子様、あんなに足が速いなんて聞いていません!」

 

 

 エリがとんがり帽子を押さえながら悲鳴を上げます。背後には、無表情ながらも凄まじいプレッシャーを放ち、制服のスカートをなびかせて猛追してくるケイの姿がありました。

 

 

「あはは……。あの子、本気だねぇ。私の継ぎ目が風圧で持っていかれちゃう……」

 

 

 カノエが余裕があるのかないのか分からない声で笑いながら走り、レナは走りながらも必死に背後のケイをスケッチしようとしています。

 

 

「……素晴らしい脚力、そして一切の無駄がない走行フォーム! まさに機能美の権化だわ!」

 

「……っ……追い詰められる……! 嵐のような……でも、どこか透き通った……冬の朝みたいな足音が、すぐ後ろまで……!」

 

 

 ツムギがギターケースを背負い直し、必死に脚を動かしたその時。

 

 

「――そこまでです」

 

 

 前方に、いつの間にか回り込んでいた少女の影。紫の瞳を静かに細めた、天野江セイカ。

 

 

「わっ!? い、いつの間に……!?」

 

 

 エリたちが急ブレーキをかけ、噴水の前で立ち往生します。背後からはケイが追いつき、完全に退路を断たれました。

 

 

「……私の家族を、熱心に観測していたようですね。ワイルドハント芸術学院の皆さん」

 

 

 セイカは、絵画の中の「空より舞い降りる解」そのものの気品を漂わせ、静かに問いかけました。

 

 

「あ、あの……それは、その……! 決して怪しい者ではありません! 私は白尾エリ、こっちはカノエ先輩にツムギにレナ! 私たちはただ、シャーレで拝見した『絵』の中のあなたに魅了されて……!」

 

「……絵? シャーレに、私の絵が……?」

 

 

 エリたちの必死な弁明を聞いていたセイカが、わずかに眉を寄せ、不思議そうに首を傾げました。

 

 

「ちょっと待ってください。私が……白銀の巨像を相手に、空から舞い降りている……? そのような光景、誰が、いつ……。……まさか、あの時の戦いを、誰かが観測していたとでも?」

 

 

 セイカの脳裏に、かつての激戦の記憶がよぎります。しかし、それを芸術作品として昇華させ、あまつさえシャーレに飾るような心当たりのある人物は、一人しかいませんでした。

 

 

「……マエストロ。あいつ、また余計な真似を……」

 

 

 セイカが頭を抱えて溜息をつくと、隣にいたアカネが「あらあら」と嬉しそうに目を輝かせました。

 

 

「まあ、素敵じゃないですか、セイカさん! 先生のところに飾ってあるということは、先生もその絵のセイカさんを、とても大切に思っているということですよ?」

 

「……お母さんの言う通りです。お父さんの神々しい姿がキャンバスに固定され、永久保存されていることは、論理的にも喜ばしい事象です。今度、私も観測に行きます」

 

「ケイまで……。……いえ、それよりも」

 

 

 セイカは、再び紫の瞳をエリたちに向けました。その視線は鋭く、けれど先ほどまでの警戒心は消え、純粋な困惑へと変わっています。

 

 

「皆さんは、その絵を見てわざわざ私を探しに? ……ただの絵、ですよ。今の私は、こうして家族と共にある、どこにでもいるミレニアムの一生徒に過ぎません」

 

「……どこにでもいる生徒、ですか。あはは、その台詞、今の状況で言われても説得力ゼロだよ、セイカちゃん」

 

 

 カノエが笑いながら、セイカに密着するアカネと、袖を離さないケイを指差しました。

 

 

「……そうです、天野江セイカさん! そのギャップこそが、我々オカルト研究会が辿り着いた『究極の解』なのです!」

 

 

 エリが再び熱っぽく、演説するように拳を握りました。

 

 

「冷徹な観測士としての顔と、愛に解ける家庭的な顔……。その二面性こそが、キヴォトス最大の神秘であり、最高の芸術なのです!」

 

「……芸術、ですか。……困りましたね。私はただ、大切な人と一緒に居たいだけなのですが」

 

 

 セイカは困ったように微笑み、自分を挟み込む二人へと視線を落としました。

 

 

「……アカネ、そろそろ離してください。……ケイも。……ほら、皆さんが見ていますから」

 

「ふふ、いいじゃないですか。ね、セイカさん?」

 

「拒否します。お父さんの体温を感知することは、私の重要任務です」

 

 

 逃げ場のない「愛の包囲網」の中で、セイカはもう一度だけ、深く、けれどどこか幸せそうな溜息をつくのでした。

 

 

 

 

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