未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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観測士の福音とオカ研の衝撃

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクールの喧騒、そして地上のあらゆる理屈を眼下に見下ろす高度。

 

 私たちが辿り着いたのは、高度なテクノロジーの結晶でありながら、どこか浮世離れした静謐な空気が同居する宇宙戦艦ソラノミの居住区。

 この戦艦は、私――天野江セイカにとって、冷徹な観測と演算を行うための巨大な思考回路のようなものだった。けれど、今のこの場所は、その定義すら書き換えられようとしている。

 

 居住区の重厚な自動扉が左右にスライドし、ラウンジに足を踏み入れる。そこには柔らかな陽光を背に、窓辺で優雅に紅茶を嗜む一人の少女が座っていた。

 

 

「――おや。賑やかな客人だね、セイカ。そちらの面々は……ワイルドハントのオカルト研究会だったかな?」

 

 

 優雅に目を細め、どこか浮世離れした、聖域の守護者のような雰囲気を纏っているのは、トリニティ総合学園の百合園セイア。彼女は「空見観測研究部」の部員であり、そして何より、私たちの奇妙な日常を肯定する理解者なのだ。

 

 

「セイア、彼女たちがどうしてもと言ってきかなくて。……シャーレにあるマエストロの絵を見て、居ても立ってもいられなくなったそうなのです」

 

 

 私が説明を終える前に、隣にいた我が娘――ケイが、一歩前に出て淡々と補足した。

 

 

「……お父さんの勇姿を観測し、興奮のあまり論理的思考を一時停止させた個体群です、セイア。情報の過負荷により、情緒の暴走が確認されています。いわゆる『限界オタク』に近い状態であると推測されます」

 

「ほう……。マエストロの描いた、セイカの絵……?」

 

 

 セイアは初めて聞くその名前に、興味深そうに狐の耳をぴくりと動かした。

 

 

「それは初耳だ。あの男、いつの間にそのようなものを。……して、そこまで彼女たちを熱狂させる絵とは、一体どのようなものなのかな? 救済の象徴か、あるいは絶対的な真理の代弁者か。……あるいは、ただの記録画か」

 

「……っ!? セ、セイア……! トリニティの、あの百合園セイア……! なぜここにミレニアムの生徒と一緒にいるのですか!? ここは……まるで、世界の真理を司る者たちが集う聖域、神々のリビングルームです!」

 

 

 白尾エリが、本日何度目か分からない驚愕で声を裏返した。オカルト研究会にとって、百合園セイアという存在は、遠い学園の伝説に過ぎなかったのだろう。

 「神秘」を体現する彼女が、今こうして目の前で、家庭的な空気の中に溶け込んでいる。その事実こそが、彼女たちには最大の「オカルト」に見えたに違いない。

 

 

「ふふ、そんなに畏まらなくてもいい。今の私はただ、この戦艦で彼女たちの日常を共に眺める一人の『部員』に過ぎないからね。……さあ、アカネ。客人の分も紅茶を淹れてくれるかな?」

 

「はい、セイアさん。皆さん、どうぞこちらへ。特製のハーブティーを用意してあります」

 

 

 私のアカネが、手際よく、それでいて完璧な所作で席を用意していた。彼女は当然のように、私を自分に最も近い「いつもの席」へと座らせる。その横に、アカネがぴったりと密着して座ることも、もはや私にとっては抗いようのない「日常の重力」だった。

 

 

「……あはは、先生が言ってた通りだ。本当に、ここには『家族』がいるんだねぇ」

 

 

 カノエがソファの柔らかさを確かめるように座り、少し眠たげに目を細めた。隣ではツムギが、震える手で空気の振動を感じ取ろうとしている。

 

 

「……この空間、静かなのに、温かい。……冬の星空を見上げながら、暖炉にあたっているような旋律……。冷たい金属の響きが、あの方の愛で完全にチューニングされている……」

 

「……セイア。あなたまで面白がらないでください。彼女たちは私の『機能美』とやらを確認しに来ただけですから。決して、あなたの言うような……タジタジになっている姿を見せに来たわけでは……」

 

 私が少し不機嫌そうに顔を背けると、アカネが待ってましたと言わんばかりに、私の背中へ腕を回してきた。

 

「あら、セイカさん。その照れ隠しも十分『機能的』で可愛いですよ? 私の腕の中で少し体温が上がっているのが、手に取るように分かります」

 

「……アカネ、やめてください。皆さんが見ている前で……っ。……ケイ、セイア、あなたたちからも何か言ってください。このままでは私の観測士としての威厳が……」

 

 

 助けを求めるような私の視線。しかし、そこに返ってきたのは冷徹な計算でも、高潔な救済でもなかった。

 

 

「拒否します。お父さんの照れ顔は、私の視覚ログにおいて最優先保存対象です。このデータは、将来的に我が家の『幸福指数』を算出するための重要なサンプルとなります。お父さん、そのままの角度を維持してください」

 

「私もケイに同意しよう。君がアカネに甘やかされて、翻弄されている姿こそが、この戦艦における最も正しい『日常』だよ、セイカ。……いや、今はケイの言葉を借りるべきかな? お父さん、と」

 

「……っ、セイア! あなたまで!」

 

 

 ケイとセイアは、互いに礼節ある口調を保ちながらも、親友同士らしい自然な呼吸で言葉を交わす。その様子は、学園の垣根や肩書きといった瑣末なものを超えた、深い絆を感じさせるものだった。その絆の中心に、なぜか私が据えられているという事実が、私を何よりも戸惑わせる。

 

 

「……本物です。本物の『神秘の私生活』がここにあります!」

 

 

 エリが感極まったように拳を握りしめた。その横では、レナのペン先がかつてない速さで紙の上を踊っている。彼女のスケッチブックには、銀色の戦艦、琥珀色の瞳のメイド、狐の耳を持つ賢者、そして無機質な少女に囲まれ、愛という名の檻に囚われた「理の少女」が、圧倒的な熱量で描き出されていく。

 

 

「……決めた。この『愛に包まれた解』の肖像。ワイルドハントの歴史に残る最高傑作にしてみせます。冷徹な審判者が、家族の温もりに融解していく……これこそが、私が求めていた真実の光!」

 

 

 私は、自分を「芸術」として拝む訪問者たちと、自分をからかって楽しむ親友や家族に囲まれ、今日一番の深いため息をついた。

 

 

「……全く。……困りましたね。私はただ、静かにこの宇宙で観測を続けたいだけなのですが」

 

 

 そう零す私の隣で、アカネが嬉しくなってさらに距離を詰め、私の首筋に顔を寄せた。

 

 

「ふふ、セイカさん。そんなに溜息をつくと、幸せが逃げてしまいますよ? ほら、私の温もりで充電してください」

 

「……ちょ、アカネ、擽ったいです……! ケイ、見てないで止めて……」

 

「拒否します。お父さんがお母さんの腕の中で『充電』される様子は、エネルギー充填効率120%を記録しています。……素晴らしい、美の極致です」

 

 

 ケイは満足げに頷き、セイアはそれを見て楽しそうに目を細めている。

 

 宇宙戦艦ソラノミの夜。窓の外には冷たく無限の宇宙が広がっているが、この居住区だけは、かつての戦場に響いた冷徹な解よりも、ずっと賑やかで温かな「愛」という名の音色に包まれていくのだった。

 

 エリたちは、用意された極上の紅茶を口にしながら、もはや自分たちが何を調査しに来たのかさえ忘れかけていた。ただ、目の前にある「幸福という名の神秘」が、自分たちの魂に刻まれていくのを、心地よく感じているのだった。

 

 

 

 

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