「……せっかくですし、宇宙に行ってみますか?」
私が淹れられた紅茶のカップを静かに置き、まだ青みの残る窓の外を見つめながらそう告げると、ラウンジの空気は凍り付いたように静まり返った。白尾エリを筆頭とするオカルト研究会の面々は、さきほどまで高度数千メートルの絶景に興奮していたが、私の予想外の提案に呆然としている。
ですが、彼女たちの「空」への渇望は、すぐにその驚きを塗り替えた。
「……えっ? い、いま、なんと……!? 宇宙、ですか!? 成層圏を超えて、あの星々の海へ……!?」
エリが身を乗り出して拳を握り締めると、カノエやツムギ、そしてこれまで一言も漏らさずスケッチブックに没頭していたレナまでもが、弾かれたように顔を上げた。期待に満ちた、どこか陶酔したような眼差しが、一斉に私へと向けられている。
私にとっては、もはや見慣れた光景であり、何度も航路を描いた領域。けれど、生け垣に隠れてまで私を追い、必死に「真実」を模索しようとする彼女たちの真っ直ぐな探求心を見ていると、その「当たり前」を共有してあげたいという、柄にもない感情が芽生えてきたのだ。
「……! セイカ、本気かい?」
セイアが驚いたように狐の耳をぴくりと動かしました。彼女もまた、この艦で何度も星海を渡った部員である。私の真意を察したのか、その瞳には悪戯っぽい光が宿った。
「面白そうだね。……ケイ、私も手伝おう。この艦の『目』となる観測演算、私の知覚もリンクさせれば、より精緻な航路が描けるはずだ。いつものルートより、少し景色のいい場所を選ぼうじゃないか」
「セイアの申し出を受諾します。親友との並列処理により、星海への遷移プロセスの効率が15%向上しました。お父さん、演算のバックアップは私たちに任せてください。慣れた手順ではありますが、安全係数を最大値に設定します」
セイアは優雅に腰を浮かせると、ケイの隣に並び立った。かつてトリニティの賢者として真理を覗き見たその瞳が、今は私の娘と共に、この家の日常を守るための輝きを湛えている。二人の少女がコンソールを囲む姿は、まるで未来を編み上げる女神のようであった。
「セイカさん……! ふふ、そうこなくては。それでは私は、宇宙の特等席に相応しい、とっておきの茶葉を用意しておきますね。セイカさんの好きな、あの香りの高いものを。無重力対応のティーセットも、しっかり点検しておきますから」
アカネが楽しそうに微笑み、キッチンへと向かっていった。私は「観測士」としてのスイッチを完全に切り替え、コンソールのホログラムを展開する。
「……はぁ。……アカネ、紅茶はいつものをお願いします。ケイ、セイア、全エンジンのリミッターを解除、航路の計算を。……出航します」
私が静かに号令を下すと、ソラノミの巨大な船体が、歓喜に震えるように低く唸りを上げ始めた。ブリッジとラウンジを兼ねたこの空間に、重力制御装置の駆動音が心地よく響きわたる。足元から伝わる微かな振動。
それは、かつて戦場で感じた破壊の予兆ではなく、家族と客人を乗せて未知の世界へと解き放たれる鼓動のようであった。私は手際よくコンソールを操作し、大気圏突破のための防護シールドを展開する。
「全セクター、気密チェック完了。重力子エンジン、出力上昇。……各員、衝撃に備えてください。ここから先は、地上の重力が私たちを縛ることはありません」
私の宣言と共に、メインスクリーンに映し出される高度計が、恐ろしい速度で数値を跳ね上がっていく。
「……信じられません。私は今、歴史の特異点に立ち会っているのですね。現代の神秘が、科学の翼を広げて天に至る……この光景そのものが、最高級のオカルトです!」
エリが窓に張り付き、眼下に遠ざかっていくミレニアムの学園都市を見つめている。その瞳は、まるで星の輝きをそのまま吸い込んだかのように輝いていていた。
「……あはは、本当に飛んじゃうんだねぇ。継ぎ目から風が吹いてきたらどうしようかと思ったけど、案外、揺れないんだねぇ」
カノエがソファに深く身を沈めながら感心したように呟いている。その隣では、レナが震える手で新しい鉛筆を握り直していた。
「……空気の色が変わっていく。青から藍、そして……見たこともない深い漆黒へ。セイカさんの瞳の奥にある、あの『解』の色彩が、世界を塗りつぶしていく……っ。このグラデーション、一秒たりとも逃せないわ!」
レナのペン先は、加速する船体の振動すら利用するかのように、猛烈な勢いで紙の上を躍動している。その執念は、芸術家というよりは、もはや未知を記録する観測士のそれに近いものであった。
「……聴こえます……。大気が薄くなるにつれて、旋律が……研ぎ澄まされていく……。澄み渡るような、高貴な静寂の響き……」
ツムギもまた、愛用のギターの弦にそっと触れ、宇宙が奏でる無音の重奏を魂で聴き取ろうとしていた。
私はそんな彼女たちの様子を視界の端で確認しながら、セイアとケイが弾き出す最適解に従い、スロットルを静かに押し込んだ。
「大気圏境界線を突破。……重力、定常状態へ移行」
「素晴らしい安定性だね、セイカ。ケイの計算通り、船体に歪み一つ生じていない。流石は、何度もこの道を征く者たちの連携だ」
セイアが満足げに目を細め、コンソールから手を離した。
「当然です。お父さんの操縦とセイアの知覚支援、そして私の演算。……これこそが、宇宙空間における、完璧なチームワークです。お父さんの決断により、家庭内のQOLが爆発的に上昇しました。この光景を、私は永遠に視覚ログへ記録し続けます」
ケイの言葉に、私は少しだけ顔を赤くした。家族、お父さん、日常。そんな言葉が、この鉄と電子の塊である戦艦の中に、当たり前のように溶け込んでいる。何度も宇宙に来ているはずなのに、こうして誰かを招き、賑やかな声に包まれている今は、いつもよりずっと特別に感じられる。
背後からは、アカネが淹れてくれた紅茶の、華やかでいて落ち着く香りが漂っている。それは、私が一番落ち着く、アカネの愛がたっぷり注がれた「安らぎの解」の香り。
「セイカさん、準備ができましたよ。大気圏を抜けて、一番綺麗な星空が見えたら、一緒に飲みましょうね? そらで飲む紅茶は、きっと地上よりも甘く感じますから」
アカネの柔らかな声が、ブリッジに響きわたる。私は前を見据えたまま、けれど口元を少しだけ緩めて答えた。
「……ええ。楽しみにしていますよ、アカネ。それと……その、お疲れ様です」
窓の外の景色が、淡い青色から、吸い込まれるような深い漆黒へと完全に溶けていった。大気圏を突破し、重力の枷を完全に振り払ったソラノミが、真なる「星の海」へとその銀翼を浸した瞬間。私たちは、これまでの地上の喧騒を忘れ、宇宙という名の静謐なゆりかごに包まれていく。
宇宙戦艦ソラノミの夜。窓の外には冷たく無限の宇宙が広がっていますが、この居住区だけは、かつての戦場に響いた冷徹な解よりも、ずっと賑やかで温かな愛の音に包まれていくのだった。