宇宙戦艦ソラノミ、漆黒の深淵。無機質なはずの船内は、今や紅茶の香りと、少女たちの熱狂的な議論で満たされていた。
「……信じられません。宇宙空間で、重力に縛られず、こうして『お茶』を嗜む日が来ようとは!」
エリが震える手でカップを持ち、窓の外のキヴォトスを見つめながら叫んでいた。その隣では、レナが宙に浮きそうになるスケッチブックを必死に押さえつけながら、鉛筆を走らせている。
「エリ先輩、静かにして……! 今、セイカさんの横顔と、土星の環のような美しさが完全にシンクロしたの。この『宇宙服を着ない神秘』という構図、一生に一度のシャッターチャンスならぬ、スケッチチャンスなんだから!」
「……あはは、レナちゃん必死だねぇ。でも、本当に不思議だなぁ。ねぇ、アカネさん。この紅茶、地上で飲むよりずっと味が濃く感じるのは気のせい?」
カノエがソファに寝そべり、重力制御で安定しているはずの液体を不思議そうに眺めている。
「ふふ、気のせいではありませんよ、カノエさん。宇宙の静寂は五感を研ぎ澄ませますから。……それに、セイカさんが隣にいる隠し味が効いているのかもしれませんね」
アカネは当然のように私の隣に座り、私の肩に頭を預けていた。私はその重みを感じながら、オカ研の面々に「観測士」としての説明を試みた。
「……皆さんが感じているのは、感覚の鋭敏化というよりは、情報の遮断による脳の活性化です。地上のような雑多な電磁波や喧騒がないこの場所では、人は本能的に『今、目の前にあるもの』に集中するようにできています。……つまり、その紅茶の味も、隣にいる人の声も、より鮮明に届くということです」
「……流石はセイカさん。すべてを論理で解き明かす、冷徹なまでの機能美。……でも、その説明をしている時の貴女、少しだけ……嬉しそうに見えますね?」
ツムギが目を閉じ、愛用のギターを抱えたまま、私の声の「微振動」を聴き取るように微笑んだ。
「……っ、それは、観測の正確性が証明されたことへの純粋な知的喜びです」
「いいえ、お父さん。その発言の背後にある感情パラメータを分析した結果、『自慢の家族と大好きな場所を褒められたことによる承認欲求の充足』が88%を占めています。お父さん、嘘は非効率です。もっと素直に甘えてください」
コンソールを操作していたケイが、振り返りもせずに容赦ない突っ込みを入れた。
「ケイ、君も少しは手心を加えてあげたまえ。彼女は今、客人たちの前で必死に『観測士としての威厳』を守ろうとしているのだから」
セイアがクスクスと笑いながら、ケイの隣でホログラムの調整を手伝っている。
「セイアさん! 貴女のような伝説の賢者が、なぜこれほどまでに『家族』という概念に馴染んでいるのですか!? 宇宙戦艦で、トリニティの要人とミレニアムの観測士、そして完璧なるメイドが一つ屋根の下に……! これは、キヴォトス全土を揺るがす特大のオカルト案件です!」
エリが興奮して身を乗り出すと、セイアは優雅に尻尾を揺らした。
「ふふ、エリ。神秘とは、遠くにあるからこそ神秘なのではない。こうして当たり前の日常の中に、説明のつかない『絆』が存在すること……それこそが、この世で最も解き明かしがたいオカルトだとは思わないかな?」
「……絆、という名の不可解なエネルギー。……なるほど、深いです、セイアさん!」
「……お父さん。オカルト研究会のリーダーが、セイアの適当な言いくるめに完全に丸め込まれました。論理的思考の放棄を確認。……ですが、この空間の『幸福共鳴』は過去最高値を更新し続けています。……お父さん、おかわりをお願いします。私も、その紅茶が飲みたくなりました」
ケイが、珍しく子供らしい要求を口にした。私は席を立ち、アカネに代わってポットを手にする。
「……分かりました。ケイ、セイア、今持っていきます」
私が二人の方へ歩み寄ると、アカネが背後から私の腰を軽く抱くように付いてきた。
「セイカさん、私もお手伝いしますね。お二人には、お父さん特製の……いいえ、セイカさんの愛情がたっぷり入った特別な一杯を差し上げましょう」
「……アカネ、言い方を変えないでください」
宇宙戦艦ソラノミのラウンジに、笑い声が響く。
窓の外には、命の温もりを拒絶するような絶対零度の真空が広がっている。けれど、この透明な障壁の内側には、キヴォトスのどこを探しても見つからないほど、濃密で、騒がしくて、不器用な「愛」という名の解が満ちていた。
「……セイカさん。私、決めたわ」
レナがスケッチブックを閉じ、決然とした表情で私を見つめた。
「この旅のタイトルは、『星海のゆりかご』。冷たい戦艦を、世界で一番温かい家に変えてしまった、ある観測士の物語……として、描き切ってみせるわ!」
「……『星海のゆりかご』、ですか。……悪くない響きですね。観測士として、あなたのその執念が何を捉え、どんな『解』を描き出すのか……最後まで見届けさせてもらいますよ。頑張ってください、レナ」
私が静かに、けれど明確な応援を口にすると、レナは一瞬だけ呆然としたように目を丸くした。だが、すぐにその顔を真っ赤にし、壊れた機械のように何度も頷いた。
「……っ、はい! はい、もちろんです! セイカさんにそう言われたら、もう、死ぬ気で描き上げるしかありませんっ! この熱量、この紫、すべてをキャンバスに刻み込んでみせます!」
「あはは、レナちゃん、鼻息が荒いよぉ。でも、セイカさんに認められちゃうなんて、これこそ本物の『超常現象』だねぇ」
カノエが楽しそうに笑い、ツムギも「ふふ、素敵な音が鳴り響きましたね」と、穏やかにギターの弦を爪弾いた。
「お父さん、レナさんの創作意欲が限界突破しました。これによる機内の酸素消費量の微増を予測しますが……問題ありません。お父さんのエールは、目標達成のための最も効率的な触媒として機能したようです」
ケイが満足げにログを更新し、セイアもまた、満足げに目を細めている。
「ふふ、セイカ。君も随分と『主』らしくなったじゃないか。……さて、アカネ。これほどまでに盛り上がっているんだ、夜食には少し豪勢なものを期待してもいいかな?」
「もちろんです、セイアさん。……セイカさん、あんなに熱心に応援して。レナさんのこと、すっかりお気に入りですね?」
アカネが少しだけ悪戯っぽく私の耳元で囁き、さらに密着してきた。
「……お気に入りとか、そういうことではなくて、単に観測の成果を期待しているだけです。……アカネ、近いですよ」
「あら、宇宙は広いですから。どこまで近づいても、誰にも文句は言われませんよ。ね?」
漆黒の宇宙を往くソラノミ。窓の外には冷たく無限の闇が広がっているが、このラウンジだけは、少女たちの熱気と、家族の温かな温度に満たされていた。
私は、熱心にスケッチを再開したレナの背中と、賑やかな友人たち、そして寄り添う家族を順番に眺めた。
『空より舞い降りる解』。かつて戦場を震撼させたその二つ名は、今、この星々の海において、新しい物語を紡ぎ出すための優しい「光」へと変わっていくのだった。