ミレニアムサイエンススクールの片隅に佇む、年季の入ったゲーム開発部の部室。そこは普段から、レトロゲームの筐体やジャンクパーツ、山積みにされた仕様書と書きかけのプログラミングコードが混沌とした小宇宙を形成している場所だった。しかし、今日の部室に漂う空気は、いつも以上の熱気と、それに相反するような行き詰まった沈黙が交互に波打つ、奇妙な均衡状態にあった。
原因は、間近に迫ったミレニアムの一大イベント『晄輪大祭』。その大舞台で、ゲーム開発部のアリスが応援担当となることが決定したからである。当然、部員たちはアリスに最高の舞台を用意するべく息巻いていたのだが、肝心のアリスの衣装開発プロジェクトは、完全に初期の仕様策定段階で泥沼のスタックを起こしていた。
「……ところで、ミドリ。……アリスの衣装についても、少し気になるところがあるのですが」
セイカが瞳を、困ったように眉を下げているミドリの手元にある液晶タブレットへと向けた。
画面に映し出されているのは、いくつかの大まかなシルエットや、画面の端々に殴り書きされたパーツのメモ、あるいは「ここにフリル?」といった疑問符付きの矢印がバラバラに散らばっているだけの、お世辞にも決定稿とは呼べない散漫なキャンバスだった。アルファテスト前というよりも、プロトタイプの企画書すら通っていない状態に近い。
「……デザイン自体はとてもレトロで、愛らしい……女の子らしさが詰まっていて素敵です。……ただ、これだけ全体の方向性が模索段階だと、アリスのモーションによる物理演算のトリガーも、これ以上進められませんね。……うん、細かいパーツの配色バランスも、まだ全然まとまっていないみたいですし……」
ふわりと、少し困ったように長い髪を揺らしながら、セイカは等身大の女の子らしい丁寧で、どこかおっとりとした口調で呟いた。彼女の持つ高度な演算能力と観測眼をもってしても、この混沌としたラフスケッチから「完成形」をシミュレートするのは不可能に近かった。
「……う、うん。実はそうなの……。お姉ちゃんが『とにかく王道のチアがいい!』ってアイデアだけは勢いよく出すんだけど、具体的なフリルの形とか、パーツの分割をどうするかとかが全然決まらなくて……」
ゲーム開発部のメイングラフィッカーであるミドリが、ペンタブのスタイラスペンを握りしめたまま、がっくりと華奢な肩を落とした。彼女の技術をもってすれば、デザインさえ決まれば美しいグラフィックに落とし込むことは容易なのだが、その前段階の「コンセプトの具体化」という壁にぶち当たっていた。
「ふふん! 創作っていうのはね、ミドリ! 最初の熱いパッションが一番大事なんだよ! 細かいドットの打ち込みとか、ポリゴンの調整なんかは、これからみんなで肉付けしていけばいいの! 魂が燃えていれば、デザインなんて後から勝手についてくるんだから!」
部室のソファにドカッと腰掛け、炭酸飲料の缶を片手に持ったモモイが、自信満々に胸を張って言い放つ。
「……モモイ、それを世間では『丸投げ』と言うのです。……でも、確かにアリスが着る衣装の方向性が決まらないと、応援プログラムのグラフィック処理の演算も、これ以上進められませんね」
ゲーム開発部のコンソール席に座り、無表情な顔のまま淡々とキーボードを叩いていたケイが、冷静極まりないツッコミを入れた。ケイの視線の先にあるモニターには、アリスのモーションデータを読み込むための仮オブジェクトが配置されているが、衣装の体積や重量、空気抵抗のパラメータが不確定なため、エラーログが虚しく点滅を繰り返している。
「あーあ、どいつもこいつも口ばっかり動きやがって。要するに、まだ何も決まってねえってことだろ? だったらアタシが適当に決めてやろうか? スカジャンにズボン、これぞミレニアムの硬派な応援スタイルだ! 動きやすくて殴り合いにも強い、これ以上の機能性はないだろ!」
ソファの背もたれに足を乗せ、気怠げに爪を弄んでいたC&Cのリーダー、ネルがフンと鼻を鳴らして自身のスカジャンの襟を引いた。彼女の提案は、応援というよりも完全に「戦闘準備」のそれであった。
「ネル先輩、それは単にネル先輩がいつも着ているカッコいい洋服です! アリスはフリフリした可愛い要素も捨てがたいのです! 魔法少女とか、伝説の勇者みたいな、キラキラした属性を付与したいです!」
アリスがネルの服の裾を小さな手でグイグイと引っ張りながら、自身のささやかな、けれど譲れないこだわりを大声で主張した。
「……ふふっ。皆さん、落ち着いてください……ね?」
部室がいつもの賑やかな、あるいは収集のつかない混沌に包まれそうになるのを察知して、セイカは柔らかい微笑みを浮かべながら、その場をなだめるように手を尽くした。
「……衣装のベースデザイン、およびコンセプトの未定。……であれば、この領域のプロフェッショナルに力を借りるのが、最も効率的な最適解だと思います。……ちょうど、私にはとても心強い友達がいますから」
セイカはそう言って、自身のスマートフォンを取り出した。少し楽しげに、かつ誇らしげに目を細めながら、慣れた手つきでモモトークを開き、特定の連絡先――ワイルドハント芸術学院に所属する友人であり、新進気鋭の天才デザイナーとして名高い「衣斐レナ」のアイコンをタップした。
「……レナに連絡を取ってみますね。……彼女のセンスなら、ミレニアムの技術論理だけでは導き出せない、アリスに一番似合う衣装の答えを導き出してくれると思うんです」
セイカがそう言って通話ボタンを押し、スピーカーモードに切り替えると、わずか数回のコール音の後、静かな部室に凄まじい勢いの声が響き渡った。
『もしもし、セイカさん? こんにちは! 宇宙の旅はどう? っていうか、まさかセイカさんの方から私に連絡をくれるなんて、本当にびっくりなんだけど。今、スマホを持つ手が震えそう。……って、あれ? 後ろがやけに賑やかだけど、今どこにいるの?』
「……ふふっ。レナ、お久しぶりです。……はい、今は諸事情でミレニアムのゲーム開発部室に身を寄せています。……実は、レナに少し、ファッションのデザインに関する相談をしたいことがありまして……」
セイカは現状を説明し始めた。アリスが晄輪大祭で応援を担当すること、王道熱血なチアの要素とミレニアムらしいサイバーな機能性を両立させたいこと、そして、まだ全体の方向性が決まらずにみんなで頭を抱えていること。
『なるほど、晄輪大祭の応援衣装ね。……アリスちゃんって、後ろにいる可愛くて元気な女の子でしょ? 彼女の可動域と魅力を120パーセント引き出すデザインなんて、私のクリエイティビティが刺激されないわけがないじゃない。セイカさんの頼みなら、どこまでだってインスピレーションを拾いに行くわよ』
電話の向こうで、レナが勢いよく椅子から立ち上がり、デザイン画の束をひっくり返したようなガタゴトという大きな音が響く。
『データだけ送られても、実際の素材感とかアリスちゃんの細かいサイズ感、関節の駆動域を見ないと完璧な仕立てはできないし……よし、決めた。今からすぐそっちに行く。ミレニアムのゲーム開発部室ね。ソラノミの拠点に遊びに行った時以来、またみんなの顔が見られるのも楽しみだし、すぐに向かうしかないじゃない。メジャーとスケッチブックはもう鞄に詰めえたから』
「……えっ? あ、レナ、今からですか……?」
セイカがその驚異的な行動力に少し目を見開いた時、隣で優雅に紅茶を啜っていた特異現象捜査部の部長、明星ヒマリが車椅子を滑らせて画面の前に割り込んできた。
「お初にお目にかかります、衣斐レナさん。私はミレニアムが誇る、超天才病弱美少女ハッカーにして特異現象捜査部部長のヒマリです。私のような至高の存在が同席しているのですから、直々のお越しは大歓迎ですよ? あなたのデザインを、私の完璧な論理で美しく調律して差し上げましょう」
『初めまして、明星ヒマリさん。ワイルドハントの衣斐レナです。……ふん、全知の天才だかなんだか知らないけど、私のデザインを論理的にサポートしてくれるって言うなら、直接行ってまとめてあげてもいいわよ。ミレニアムの全知、お手並み拝見ね』
レナはそう言うと、一転して今度は何かを思い出したように、にやにやとした気配を声に乗せて言った。
『……あ、そうだ。それはそれとしてヒマリさん。私、セイカさんから「ミレニアムには凄く頭が良くて、頼りになる大切な親友がいる」って話は聞いてる。……でもね、それ以上に、通話する時、室笠アカネさんの話になると、セイカさん急に限界突破して、腑抜けた惚気話を散々始めるのよ。「アカネの淹れてくれるお茶が世界で一番美味しい」とか「アカネの笑顔が眩しすぎて直視できない」とか、「彼女の存在そのものが私の宇宙の特異点だ」とかね』
「……えっ!? れ、レナ……っ!? そ、その話は今、関係ないのでは……っ!」
それまでクールに観測士としての佇まいを保っていたセイカが、一瞬で顔を真っ赤にして大慌てで携帯を両手で握りしめた。翼が動揺のあまりバタバタと大きく羽ばたき、部室の空気を激しく揺らす。
『あはは、図星でしょ。ヒマリさんなら、私のデザインのサポートもバッチリだけど、セイカさんのその腑抜けた脳みそをシャキッとさせるサポートもよろしくね。じゃあ、すぐ行くから』
レナは楽しそうに笑い声を残し、嵐のように通話を切った。
静まり返る部室の中で、セイカは真っ赤になった顔を隠すように俯き、長い髪の隙間から、隣に立つアカネを恐る恐るチラリと盗み見た。あまりの恥ずかしさに、彼女の誇る高度な言語機能は完全に消失し、プロセッサが熱暴走を起こしている。
「おや……」
ヒマリは車椅子の上で、どこか面白そうに、けれど親友の滅多に見られない等身大の取り乱し振りを愛おしむようにクスリと笑った。
「あら、あらあら……。流石は私のセイカさん、ですね?」
当のアカネはというと、首元のスカーフの結び目をそっと指先で直しながら、嬉しそうに白い頬を染め、世界で一番甘くて眩しい、すべてを包み込むような「お母さん」の優しさと、そして「最愛のパートナー」としての誇らしげな微笑みをセイカに向けていた。
「セイカさんからそこまで慕っていただけているなんて、メイド冥利に尽きます。……レナさんが到着されたら、さらに気合を入れて、世界で一番美味しいお茶と特製のお菓子でおもてなししなければなりませんね」
「……う、うぅ……アカネ……。……レナ、あとで覚えていてくださいね……」
セイカは恥ずかしさで完全にキャパシティをオーバーし、小さな声でブツブツと呪文のように呟きながら、長い前髪で顔を完全に隠してしまった。その隣で、ケイが淡々と、
「報告。お父さんの心拍数が通常の140パーセントまで急上昇。顔面の紅潮率、および羞恥パルスの排出量が観測史上最大値を記録」
と、無慈悲な実況を入れてさらにセイカを追い詰めていく。
「うわぁ……プロのデザイナーさんが直接ここに来てくれるのも凄いけど、セイカのあんな顔、初めて見たよ! 恋する乙女って感じじゃん!」
「お姉ちゃん、ジロジロ見たら失礼だよ。……でも、これで衣装のグラフィックも、面と向かって一気にクオリティアップしてもらえるね!」
ミドリがモモイをたしなめつつもホッとしたように笑い、モモイも「プロのデザインにヒマリ先輩の監修、このゲーム、一気に神ゲーの予感がしてきたよ!」と大はしゃぎし始める。
「肯定。レナさんの到着ログが確認されるまでに、ソラノミのシミュレーターの受け入れ態勢を完了させます」
ケイが少し赤くなっているお父さんを気遣うように、淡々とキーボードを叩いて場を進行させる。アリスも「アリスは、世界で一番美味しいお茶のパワーでパワーアップしたみんなの衣装を楽しみに待つシステムです!」と拳を突き上げた。
__________
それから、およそ一時間が経過した頃だった。
ミレニアムの広大な敷地内における移動速度としては明らかに異常な――おそらく超特急の直行便を乗り継ぎ、あるいは文字通り「秒速」で走ってきたであろう――激しい足音が、ゲーム開発部の廊下に響き渡った。
バァァァン!!
部室の年季の入ったドアが、壊れんばかりの勢いで文字通り叩き開けられた。
「ハァッ……ハァッ……! セ、セイカさん……!! どこですかセイカさん!! 衣服の挙動のエラーとかいう歴史的損失からセイカさんを救うために、ワイルドハントの衣斐レナ、ただいま到着いたしました……!!」
肩を激しく上下させ、乱れた前髪を大きく振り払いながら部室へ転がり込んできたのは、スケッチブックと巨大なメジャーを抱えた少女――衣斐レナだった。
言葉遣いこそいつも通りの、少しぶっきらぼうでツンとしたレナらしいトーンを保っているが、その瞳は完全に獲物を見つけたそれだった。彼女は部室に足を踏み入れるや否や、周囲のゲームの山や、睨みを利かせるネル、優雅に微笑むヒマリの存在など一切目に入っていないかのように、部屋の奥に立つセイカの姿をその瞳に捉えた。
「(……いた、生の、本物のセイカさん。あいかわらず宇宙の観測データ並みに解像度が高い……。尊い、尊すぎてミレニアムの空気が一気に変わってる気がする……)」
レナの脳内では限界オタクのような激しい思考が渦巻いていたが、それを一切口には出さず、少し息を整えてからツカツカとセイカの方へ歩み寄った。
「本当に、生のセイカさんは相変わらず存在感があるわね。ソラノミで会った時より、ずっと解像度が高くて安心したわ」
「……れ、レナ。本当に、本当にすぐに来てくれたのですね。……わざわざワイルドハントから足を運ばせてしまって、申し訳ありません。……それと、その、先ほどの通話の後半部分については、後でじっくりとお説教を……」
セイカが少し引きつった笑みを浮かべながら出迎えると、レナはフンと鼻を鳴らした。
「何言っているの、セイカさん。セイカさんからのオーダーよ? この衣斐レナ、世界のどんなファッションウィークのランウェイを蹴ってでも最優先で飛んでくるに決まっているじゃない。謝るなんて滅相もないわ、むしろ私を呼んでくれて感謝したいくらいよ」
一息にそこまで言い切ると、レナはプロのデザイナーとしての鋭い視線を、今度はセイカのすぐ隣に佇むアカネへと向けた。
「(……アカネさんも、あいかわらずすごい存在感だわ)」
レナの目が、一瞬にして職人のそれへと細められる。その脳内では(……何この完璧な質量バランス。服の裁断、スカーフの結び目の角度、および全体のシルエット……そして何より、セイカさんが腑抜けるのも納得の、圧倒的な包容力エネルギー……! 悔しいけど、これは確かに私のデザインワークにも多大なインスピレーションを与える存在だわ。前にお会いした時も思ったけれど、セイカさんの惚気話、盛りすぎじゃなくて事実だったなんて、私の負けね)と、大音量で賛辞が鳴り響いていた。
「こんにちは、レナさん。ワイルドハントからのお越し、心より歓迎いたします。この前ぶりですね」
アカネはレナを出迎えた。その洗練された所作、大人の余裕、および完璧な給仕の姿勢、そしてメイド服の上からでも分かる非の打ち所がない美しいプロポーションを見た瞬間、レナは抱えていたスケッチブックを一瞬強く握りしめ、平然を装いながらも、少しだけ悔しそうに口元を尖らせた。
「……お久しぶり、アカネさん。相変わらず素晴らしいプロポーションと洗練された衣服の着こなしね。服の裁断やスカーフの結び目一つとっても、完璧な質量バランスだわ。セイカさんが『直視できないほど眩しい』って言うのも、デザイナーの視点から見ても少しだけ納得がいくわね」
「……だ、だからレナ! その話はもう、終わったはずでは……っ!」
再び顔を真っ赤にして慌てるセイカの横で、アカネは「ふふ、まあ。嬉しいお言葉ですね」と、ますます嬉しそうに頬を緩めている。その様子を、コンソール席からじっと見つめていたケイはレナの方へ向き直った。
「レナさん、お久しぶりです。お父さんの羞恥パルスは依然として高数値を維持していますが、衣服の最適化シミュレーションへの移行準備は完了しています」
「ケイちゃんもお久しぶり。相変わらず冷静ね。でもそのサポート、すごく助かるわ」
レナはケイに軽く手を振ると、再び姿勢を正し、今度は車椅子のヒマリへと視線を戻した。
「おや……。ちょっとそこのワイルドハントのデザイナーさん? 私の愛すべき親友をからかうのはそれくらいにして、そろそろ本題に入っていただけないでしょうか」
車椅子を静かに前へ進め、ヒマリがレナの正面に位置取った。その空間を支配するような圧倒的な存在感、しかしどこか悪戯っぽい瞳を見たレナは、すっと姿勢を正し、少しだけツンとしたいつもの態度を維持した。
「……明星ヒマリさんね。さっきは通話越しで色々言ったけど、まぁ、セイカさんが『本当に頭が良くて、頼りになる大切な親友なんです』って、宇宙から通信を入れてくるたびに結構な頻度で自慢していたから。あんたの実力については、別に疑っていないわよ」
レナのその言葉を聞いた瞬間、今度はヒマリの動きがピタリと止まった。ヒマリは優雅に紅茶を啜ろうとしていた手を止め、一瞬だけ目を丸くした後、白い頬をほんのりと桜色に染めながら、ふいっと顔を背けた。
「お、おや……。セイカが、私に隠れてそんな熱烈な評価をあなたに伝えていたとは……。ふ、ふん、まあ、ミレニアムの至宝であり、超天才病弱美少女たる私を親友に持ったのですから、彼女が宇宙の果てから自慢したくなるのも当然の帰結ですがね。全知を司る私としては、その程度の評価、至極当然として受け止めますが」
言葉では尊大に構えつつも、ヒマリの口元は嬉しさを隠しきれずに完全に緩んでおり、車椅子の背もたれに身を委ねながら、どこか誇らしげに胸を張っている。
「……ヒマリ、私は少し恥ずかしいのですが……」
「良いではないですか、セイカ! 事実をありのままに観測し、それを他者に伝えることこそ、観測士たるあなたの本来の業務でしょう!」
「(……あー、セイカさんとアカネさんの並びもいいけど、この二人の並びも本当にバランスが良くて尊いわ。私のデザイン欲がどんどん刺激されて、脳が溶けそうになるくらいインスピレーションが湧いてくる……)」
脳内では相変わらず限界一歩手前のオタク的思考を全開にしながらも、レナはそれを表に出さず、ただクールにスケッチブックを開いた。
「おい、そこらの限界オタク共。身内ネタで盛り上がってんのは結構だが、そろそろアタシを退屈させないでくれよ?」
ソファからゆっくりと立ち上がり、小柄な体躯からは想像もつかない圧倒的な威圧感を放ちながら、ネルがレナの前に歩み出た。その赤い瞳がレナのメジャーとスケッチブックを鋭く射抜く。
「お前がプロのデザイナーだってんなら、口じゃなくて、その腕で語ってみせろ。このゲーム開発部のチビ共が、大祭のグラウンドで一番輝ける最高の装備を、今すぐここで仕立ててみやがれ」
ネルの放つ本物の「強者」のオーラに、レナは一瞬だけ息を呑んだ。しかし、彼女の瞳からは職人としての、そしてワイルドハントの生徒としてのプライドが消えることはなかった。レナは不敵に、少しぶっきらぼうに笑ってみせる。
「……ふん。言われなくたって、そのつもりよ。C&Cのリーダーだかなんだか知らないけれど、私のデザインに口出しして後悔しないでよね。アリスちゃん、ちょっとこっちに来て」
「はい! アリス、前線に突入します!」
呼ばれたアリスが、部室の中央へとタタタッと駆け寄ってくる。レナは抱えていたメジャーを鮮やかな手つきで広げると、アリスの周囲を回りながら、驚異的な速度でその数値を測定し、スケッチブックに数値を叩き込み始めた。
「……ミドリちゃん、さっきのラフを見せて。モモイちゃんの『王道熱血チア』っていうコンセプトは悪くないけれど、これだとアリスちゃんの動きに干渉するじゃない。可動域を確保するために、背中のカッティングは大胆にスポーツバック調に落とし込むわ。でも、モモイちゃんの言う『フリフリ感』を殺さないために、腰のプリーツスカートは二重構造にして、内側にミレニアム製の衝撃吸収繊維を仕込む。これならネルさんの言う『メイド服並みの耐久度』と、ミドリちゃんの言う『機能性』、全部両立できるでしょ?」
「わ、わぁ……っ! すごい、パーツの干渉問題を一瞬でクリアしちゃった……!」
ミドリが目を輝かせてレナの手元を覗き込み、モモイも「すごーい! 背中が開いてるチアガールとか、なんかちょっとサイバー感あってめちゃくちゃカッコいいじゃん!」大興奮でペンを握り直す。
「……ふむ。レナ、その背面のカッティングであれば、ソラノミの広域同調パルスのアンテナを衣服の内部に違和感なく配置できます。物理的な挙動エラーの発生率は……わずか0.02パーセントまで減少しますね」
セイカが素早く端末の画面を操作し、レナの叩き出したデザインの寸法と、ソラノミのシミュレーションデータをリアルタイムで同期させていく。
「肯定。レナさんのデザインログの流入を確認。ソラノミのメインプロセッサによる3Dモデリングの試作を開始します。ヒマリさん、衣服の表面におけるパルス伝論率の最適化計算、お願いします」
「ええ、任せなさい。プロの紡いだ美しいデザインの糸を、私の完璧な論理でさらに強固な織物へと昇華させてあげましょう。ほら、レナさん、ここのプリーツの幅をあと3ミリ広げなさい。そうすれば、アリスちゃんがステップを踏んだ際の空気抵抗が完全にゼロになります」
「へえ、言うじゃない、ヒマリさん。じゃあその3ミリの余白に、ワイルドハント特製の高弾性パイピングを流用するわ。これなら強度は保ったまま、あなたの言う『美しい論理』とやらを120パーセント体現できるはずよ」
「おやおや、素晴らしいカウンターですね! 気に入りましたよ、レナさん!」
部室の中央に展開されたホログラムの三面図を囲み、レナ、ヒマリ、セイカ、ケイ、そしてゲーム開発部の面々が、凄まじい熱量で意見を交わし合う。技術者としての誇りと、芸術家としての意地が心地よい火花を散らす。それらが完全に噛み合い、白紙だったアリスの衣装は、瞬く間にキヴォトス史上最も「美しく、強く、愛らしい」応援衣装へと形を変えていく。
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作業開始からさらに二時間が経過し、部室の外は完全に夜の帳が下りていた。蛍光灯の明かりの下、ホログラムの衣装モデルは何度も修正を重ねられ、初期のモモイの雑なラフからは想像もつかないほど洗練された「サイバー・チアリーダー」としての姿を確立しつつあった。
「……ふぅ。これで、第一段階のパターン引きは終わりね」
レナが額の汗を手の甲で拭い、スケッチブックを机に置いた。その指先には細かなチョークの粉や、ミレニアムの端末を操作した際についた特殊なオイルの匂いが残っている。
「ふふ、皆さん、本当に楽しそうですね。……さあ、レナさん。長旅でお疲れでしょう。デザインの手を動かしながらでも構いませんので、こちらの特製ハーブティーと焼き菓子をどうぞ。エネルギーを補給して、さらに素晴らしいアイデアを閃かせてくださいね」
アカネが絶妙なタイミングで、湯気の立つ美しい琥珀色のお茶をレナのデスクの傍らに置いた。その瞬間、部室の中に、心が洗われるような素晴らしい香りが広がる。
「……ありがとうございます。……って、何これ、信じられないくらい美味しいんだけど。脳の疲労が一瞬で吹き飛ぶというか、五感が研ぎ澄まされてインスピレーションが無限に湧いてくるわね。セイカさんが『世界で一番美味しい』って言っていた理由、完全に理解したわ」
「……だ、だからレナ、その話を蒸し返すのはやめてくださいと……っ!」
再び部室にモモイたちの笑い声と、セイカの可愛らしい悲鳴が響き渡る。ソファでその様子を眺めていたネルは、満足そうにフンと笑うと、再び背もたれに深く腰掛けた。
「へっ、いいチームじゃねえか。これなら大祭の本番、ミレニアムの連中全員の度肝を抜く最高のステージになりそうだな」
その言葉を受け、セイカはそっとアカネの隣に立ち、完成しつつあるアリスの衣装ホログラムを見つめた。かつて宇宙の冷たい静寂の中で一人、星々を観測していた彼女にとって、この地上で交わされる賑やかな会話、友達たちの熱意、実直なまでのクリエイティビティ、精度を誇る職人の技、そして何より、隣で優しく微笑んでくれる大切な人の存在は、何物にも代えがたい温かさを持っていた。
「……レナ。……お越しいただき、本当にありがとうございました。……この衣装なら、きっとアリスの想いを、世界で一番綺麗な形で、みんなの心に届けることができます……ね?」
「もちろんです、セイカさん!」
ミドリがモモイと顔を見合わせ、力強く頷く。
「レナさんのデザインログの最終同期を完了。ソラノミのシミュレーター上での物理挙動エラー発生率は、現在0.00パーセント。完全なる最適解がここに『確定』されました。お父さんのメンタルも安定領域に復帰した模様です」
ケイがコンソールのエンターキーを静かに叩いた。画面の中で、アリスの3Dモデルが、新しく仕立てられたサイバー・チア衣装を纏って生き生きと踊り始める。その姿は、テクノロジーの結晶でありながら、確かな温もりと情熱を宿していた。
「アリスは、みんなの想いが詰まったこの最強の装備で、晄輪大祭を完全攻略します! 電心の歌姫、爆誕です! シャキーン!」
アリスの元気な宣言とともに、部室はドッと大きな笑い声に包まれた。セイカの機転と、彼女のノックアウトされた腑抜け話を暴露して突撃してくる友人レナの熱意。そしてミレニアムの仲間たちの強い絆。白紙だった衣装計画は、宇宙の家族の愛と、地上で紡がれた新たな友情の光に包まれて、これ以上ないほど鮮やかに、晄輪大祭の本番へと向かって力強く走り出すのだった。
_________
――レナがアリスの衣装の寸法を鮮やかな手つきで測定し、スケッチブックにガリガリとペンを走らせていた、その時。
部室の隅、普段はレトロゲームの空き箱やジャンクパーツの影に隠れて完全に背景と同化している「大きなロッカー」が、にわかにガタガタと小刻みに震え始めた。
「ひ、ひゃぅ……っ!?」
中から漏れ聞こえてきたのは、消え入りそうな、けれど切実な女の子の悲鳴。
パカッとロッカーの扉が数センチだけ開き、そこから覗いたのは、ゲーム開発部の部長でありメインプログラマーであるユズの、不安げに揺れる瞳と赤くなった顔だった。
「あ、あの……! わ、私も……アリスちゃんの衣装データの、その、サーバーへのアップロード処理とか、グラフィックの最適化パッチの作成なら、お、お手伝いできます……っ! うぅ、でも、ワイルドハントのプロのデザイナーさんなんて、眩しすぎて私なんかじゃ上手くお話しできないかも……っ」
レナという「外からの超大物ゲスト」の襲来に完全に気圧され、限界まで気配を消して引きこもっていたユズだったが、大好きなアリスのため、そして部員たちの熱量に背中を押され、勇気を振り絞ってケースから顔を出したのだ。
その様子を捉えたレナは、ペンをピタリと止め、いつもの少しぶっきらぼうなトーンのまま、けれど興味深そうにユズへと視線を向けた。
「ちょっと、そこのロッカーから出てきた子。あんたがゲーム開発部部長の、花岡ユズちゃんね? ……ふん、事前にセイカさんから『もの凄くシャイだけど、天才的なプログラミング腕前を持つ部長さんがいる』って聞いてたけど、まさか本当にロッカーから出てくるなんてね」
レナはユズに手元へ持ってきた外部端末の画面を見せた。
「ちょうど良かったわ。ヒマリさんの論理計算とセイカさんのシミュレーション、それに私のデザインデータをリアルタイムで統合して、アリスちゃんのゲーム内アセットに落とし込むための『超並列処理エンジン』が必要なの。ミレニアムの既存のフレームワークじゃ私の尖ったデザインのテクスチャを処理しきれないから、あんたの腕前で、このデザインを100パーセント表現できるシステムを組んでくれない?」
「え……っ、あ、私のプログラミングを……必要としてくれる、んですか……?」
ユズは驚きで目を丸くし、ケースから完全に這い出ると、ノートPCを胸に抱きしめてコクリと力強く頷いた。
「は、はい……っ! プロのレナさんが引いた最高のデザインなら、絶対に、1ドットの狂いもなく完璧に動かしてみせます……! アリスちゃんの晴れ舞台ですもん、部長として、絶対にバグなんて出させません……!」
「よし、良い返事ね。じゃあ早速やるわよ!」
ユズの参戦により、部室のノートPCのキーボードを叩くタイピング音がさらに加速する。
モモイとミドリが「ユズ、ついに箱から脱出したね!」「うん、ユズちゃんが本気になったなら、このプロジェクトはもう無敵だよ!」と大歓声をあげ、ケイも「肯定。ユズのメインプロセッサ参入により、衣装グラフィックの描画速度が300パーセントに向上」と淡々とログを更新していく。
レナの容赦ないデザインオーダーと、それに完璧に応えていくユズの精密なコード。ヒマリの監修、セイカの観測、アカネのお茶、そしてゲーム開発部全員のパッションが、ユズの手によって一つの「形」へと編み込まれていく。
後ろから見ていたネルはそれを微笑ましそうに見守っていたのであった。
レナちゃんがセイカちゃん限界オタクになっちゃった……