未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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アカネちゃんのねんどろいど到着記念


掌の家族、白銀の造形

 

 

 

 高度浮遊居住区「ソラノミ」の、ある穏やかな昼下がりのこと。

 天野江セイカは自室の作業机に向かい、いつになく真剣な表情で手元を凝視していた。

 

 普段ならナノメートル単位の精密基盤や高感度センサー、あるいはプラズマ波動を制御する回路のハンダ付けを行っているはずの彼女の細い指先。しかし今、彼女が両手で包み込むようにして扱っているのは、電子部品でもなければ、何かの高度な兵器でもなかった。

 

 それは、どこまでも白く、滑らかな造形用の特殊樹脂ブロックだ。

 

 

「……お父さん。先ほどから生体波動に、不可解な集中周波数が観測されています。不規則な指先の運動、および視覚センサーの極端な固定。何をしているのですか?」

 

 

 デスクのすぐ傍らに立ち、じっと手元を覗き込んできたのはケイだった。その小さな白銀の身体を少しだけ屈め、赤く澄んだ瞳をパチクリとさせながら、セイカの作業を見つめている。

 セイカの持つ精密ピンセットの先、拡大ルーペの向こう側にあるのは、直径わずか数センチメートルほどの、コロンとした丸みを帯びた球体――デフォルメされた頭部のパーツだった。

 

 

「……ふふ、見ての通りですよ、ケイ。フィギュア、を作っているんです」

 

 

 セイカは作業用ゴーグルを少しだけ額へと押し上げ、満足げに微笑んだ。その紫の瞳には、重高度の数式を解き明かした時のような鋭さはなく、どこか温かみのある、年相応の無邪気な光が宿っている。

 

 

「フィギュア……。外部データベースより該当する定義を抽出します。立体造形物、特に特定のキャラクターや人物の容姿を模した模型、あるいは玩具。……確認ですが、お父さん。現在は次の実証テストまでの貴重なインターバルです。このタイミングで、なぜそのような非効率的な作業を?」

 

「非効率、ですか。いいえ、ケイ。これは観測士として、このソラノミに住む一人の人間として、極めて重要な『実証実験』の一環なんですよ」

 

 

 セイカはピンセットで極小の樹脂パーツをスッと摘み上げながら、語りかけるような優しい声で続けた。

 

 

「データや数式は世界を正しく切り取ってくれますが、それだけでは埋まらない『空白』というものがあります。これは、物理的に形として触れ、視覚的に認識することで脳内に発生する『癒やし』の波長を観測するための、いわば精神的プロトタイプ。……固定概念を捨てて向き合うと、このモチーフの素晴らしさがよく分かります」

 

「モチーフ、ですか?」

 

 

 ケイがさらに首を傾げ、小さな手をデスクの端にかけて、手元へ視覚センサーの焦点を合わせた。

 削り出され、滑らかに磨き上げられていく樹脂の塊。それは全体の頭身が二頭身強という、極めて極端なデフォルメが施されていた。ぽてっとした丸い輪郭、大きくデフォルメされたアーモンド形の瞳のライン、および一筋だけ遊び心のように跳ねた前髪のシルエット。

 

 

「……あっ。その形状の波長は、まさか」

 

「ええ、気付きましたね。いつもこのソラノミの家事を完璧にこなし、私たちの健康と平穏を誰よりも近くで守ってくれる存在。――アカネのフィギュアです」

 

 

 その小さな頭部パーツを前に、ケイの青い瞳が釘付けになる。

 そこに表現されているのは、紛れもなくいつも自分たちのためにエプロンドレスを翻し、美味しい紅茶を淹れてくれるお母さんの姿だった。手のひらにちょこんと載るほどのサイズ感でありながら、特徴的な眼鏡のフレーム、きっちりと結い上げられた髪の毛、および一筋だけ遊び心のように跳ねた前髪のカーブにいたるまで、驚くべき解像度で再現されつつあった。

 

 

「……髪のハネ具合の角度、よし。……お馴染みの、あのクラシカルなメイド服のフリルの波長、よし。……眼鏡のブリッジ部分の厚み、よし。……私の網膜に焼き付いている彼女のプロポーションを、この小さな二頭身の黄金比へと完璧に落とし込みました」

 

 

 セイカはふふ、と喉を鳴らし、今度はデザインナイフを握り直した。

 普段、超大型の機械やシステムを設計するその頭脳が、今は「いかにしてアカネの可愛らしさを物理的に表現するか」という一点のためにフル回転している。

 

 

「いつも私たちを陰ながら支えてくれる、大切なアカネですからね。先生との交渉に向かってくれた時も、『掃除のついでにポケットをお借りしてきます』なんて、あのおっとりとした口調で、とんでもなく頼もしいことを言ってのけました。あの時の彼女の粋な行動と慈愛を、私は技術者としての矜持をかけて形にしたいんです。これは、天野江セイカが持てるすべての造形力を集め、幾度もの『添削』を重ねた最高傑作になりますよ」

 

 

 セイカの言葉を、ケイは静かに聞いていた。

 

 彼女の内部で、数千、数万のプロセスが瞬時に立ち上がり、そして消えていく。ケイにとって、アカネという存在は、単なる同居人や保護者という記号では片付けられない、胸の奥の最も深い部分に位置する存在だった。

 自分の不完全な感情の動きを肯定し、冷たい機械のようだった自分を「家族」として強く抱きしめてくれた人。

 世界中でたった一人、自分を無条件に愛し、大好きな「お母さん」と甘えることを許してくれた人だ。

 

 

「……お父さん」

 

 

 しばらくの沈黙のあと、ケイが小さく、しかしはっきりとした意志を帯びた声で呼びかけた。

 

 

「おや、どうしましたか、ケイ?」

 

「そのフィギュアの顔パーツ……表情の造形データについて、提案があります。いえ、提案ではありません。私に直接、その領域の出力を担当させてください」

 

 

「おや」と、セイカは驚いたようにナイフを止め、隣の少女を見た。

 

 

「ケイがフィギュアの造形に直接介入したいだなんて、珍しいですね。ええ、もちろん歓迎しますとも。ケイの精密な空間演算があれば、より完璧なものになります。……それで、具体的にどんな表情にするつもりですか?」

 

 

 セイカが尋ねると、ケイは少しだけ視線を伏せ、まるで大切な宝物を紐解くようにして、自身の胸元に手を当てた。

 

 

「お母さんが、私を呼ぶ時の表情です」

 

 

 その言葉の響きは、冷徹なオペレーターのそれとは全く異なっていた。どこまでも純粋で、温かく、少しだけ誇らしげな響き。

 

 

「お母さんは、普段は完璧なメイドとして、誰に対しても非の打ち所のない笑顔を崩しません。ですが、私を呼び止め、私の頭を撫でてくれる時だけは……ほんの少しだけ、眉の端を下げて、困ったように、でも、世界中の何よりも愛おしいものを見つめるようにして、どこまでも優しく微笑むのです。……私はその瞬間の視覚ログ、および生体反応のデータをすべて、完全に保存しています。その『波』を、100%の精度でこの樹脂のパーツに定着させたいのです」

 

 

 セイカはデザインナイフをデスクに置き、作業用ゴーグルを完全に外した。そして、目の前の愛娘を見つめ、これ以上ないほど穏やかな, 優しい笑みを浮かべた。

 

 

「……素晴らしい着眼点です、ケイ。データ観測士としても、一人の家族としても、君のその提案は満点以外の何物でもありません。よし、ではこの交換用のフェイスパーツを使いましょう。瞳の虹彩の輝き、視線の角度、精度、および口元の極微細な曲線の『波』……すべて、ケイの演算通りに削り出し、調律します」

 

「了解しました、お父さん。……これより、表情出力プロセスの共同書き換えを開始します」

 

 

 こうして、ソラノミの自室は、臨時の「超精密フィギュア製造ハンガー」へと変貌を遂げた。

 最高峰の技術者と、人知を超えた超高度な能力を持つ少女が、たった数センチメートルのデフォルメフィギュアを作るためにこれほどの熱量を注ぎ込んでいる現場は、世界中どこを探してもここ以外に存在しないだろう。

 

 

__________

 

 

 

 作業は、驚くべき速度と精度で進んでいった。

 セイカが極小のペーパーヤスリを指先で操り、樹脂の表面にある僅かなバリや歪みを滑らかに整えていく。その指先の動きは、精密な電子基盤を調整する時と同等、いや、それ以上の緊張感と繊細さを含んでいた。

 髪の毛のパーツが、アカネの持つ特有の柔らかさを帯びていく。デフォルメされているにもかかわらず、一本一本の毛流れの「波長」が、見る者に実物以上の実在感を与えていた。

 

 一方、ケイもまた、一切の妥協を排して色彩データの調合を行っていた。

 ハンガーの片隅にある小型の3Dプリンターとリンクし、エアブラシに使用する塗料の顔料比率を、コンマ数ミリグラム単位でコントロールしていく。

 

 

「お父さん、黒色および白色の光沢率の調整が完了しました。お母さんが着用しているエプロンドレスの生地は、ソラノミの照明下において、わずかに青みがかった陰影を形成します。これを再現するため、ミッドナイトブルーを0.04%混色しました。これで視覚的な『質感』の同期が完了します」

 

「さすがですね、ケイ。光の反射率まで計算に入れるとは、私も大満足です。さあ、次は君が担当したフェイスパーツの彩色に移りましょう」

 

 

 セイカの手によって削り出された交換用の顔パーツに、ケイが調合した塗料が薄く、幾重にも重ねて吹き付けられていく。

 赤みがかった絶妙な肌の温かみ。そして、職人技のような精密さで描き込まれる、丸みを帯びた大きな瞳。

 最後に、ケイのこだわりが詰まった「眉」と「口元」のラインが、極細の面相筆によって定着させられた。

 

わずかに下がった眉の端。それは、ケイに対して、一人の「人間」として、一人の「子供」として向き合ってくれたお母さんの、あの無条件の慈愛の表情そのものだった。小さく開かれた口元からは、今にも「ケイ」と、あの心地よいソプラノの声が聞こえてきそうなほどの生命感が宿っている。

 

 

「……できました」

 

 

 数時間が経過した頃、セイカが筆を置き、大きく息を吐き出した。

 デスクの上に、すべてのパーツが組み合わさった、手のひらサイズの小さな立体物がちょこんと立たされる。

 

 それは、完璧なまでに可愛らしくデフォルメされた、世界にたった一つの「アカネ」だった。

 クラシカルなメイド服、非の打ち所のない白いエプロンのフリル、および実物より少しだけ大きめの眼鏡の奥で、ケイの指定した通りの、どこまでも優しく、ほんの少しだけ困ったような、愛おしげな微笑みを浮かべている。

 

 

「……完璧、です」

 

 

 ケイはその小さなフィギュアを覗き込みながら、ぽつりと呟いた。彼女の赤い瞳が、デスクの上のミニチュアをスキャンし、その出来栄えの美しさに、満足そうに細められる。

 

 

「ええ、完璧です。私の造形力と、ケイの表情演算のリンクによって生み出された、私たちの感謝の結晶。……これならば、日頃の彼女の労苦に対する、素晴らしいプレゼントになるはずです」

 

 

 セイカがそう言って、フィギュアの出来栄えに何度も頷いていた、まさにその瞬間だった。

 

 トントン、と、部屋の扉から、いつものように穏やかで、一定のリズムを刻むノックの音が響いた。

 

 

「おふたりとも、お茶が入りましたよ。少し休憩にいたしませ――」

 

 

 トレイを持ち、温かい紅茶の香りを漂わせながら入ってきたアカネは、デスクの上の「それ」が視界に入った瞬間、ピタリと動きを止めた。

 

 

 

 部屋の中に、一瞬の静寂が訪れる。

 アカネの手にあったティーポットが、微かにカタカタと音を立てた。彼女の眼鏡の奥の瞳が、これまでに見たこともないほど大きく見開かれている。

 

 デスクの上でちょこんと立っている、手のひらサイズの、丸っこくて、自分と全く同じデザイン的特徴を持つ、小さな小さな自分のレプリカ。

 しかもそのミニチュアは、自分がいつも、愛おしい家族であるケイを見つめる時の、あの特別な微笑みを浮かべているのだ。

 

 

「……あら、あらあら。これは……」

 

 

 アカネは持ってきたトレイをそっとサイドテーブルに置き、両手を頬に当てて、小さく声を上げた。いつもなら、どんな不測の事態に対してもエレガントに対処する彼女が、今は完全に言葉を失い、ただただデスクの上のフィギュアを凝視している。

 

 

「完璧なタイミングです、アカネ。……驚かせてしまいましたか? ええ、これは私の造形力と、ケイの表情演算のリンクによって生み出された、あなたへの感謝の結晶です。日頃、このソラノミで私たちを支えてくれるあなたに、何か形になるお礼をしたいと思いまして」

 

 

 セイカが少し誇らしげに胸を張り、デスクの上のフィギュアをアカネのほうへと優しく押し出した。

 

 

「お母さん、作りました。……お母さんのための、フィギュアです」

 

 

 ケイがまっすぐな瞳で、どこまでも純粋な、一点の曇りもない響きを込めてそう言った。

 その声には、照れ隠しも、迷いも、不確実性も一切ない。ただ、目の前の「お母さん」を、その存在を全肯定する、確固たる愛だけがあった。

 

 アカネはゆっくりとデスクの前へと歩み寄り、その場に静かにしゃがみ込んだ。彼女は自分のミニチュアと全く同じ目線になり、掌の中の小さな自分を、じっと見つめた。

 

 

「まぁ……とっても可愛いです。ふふ、私、おふたりからは、こんなに可愛ろしく見えているのですね。……それに、この表情は……」

 

 

 アカネはそっと指先を伸ばし、フィギュアの小さな頭を、壊れ物を扱うかのように優しく撫でた。

 その眉の下げ方、口元の緩み方。それが、自分がケイを愛おしいと思う時に無意識に浮かべていた顔であることに、彼女自身、すぐに気付いたのだろう。データとして切り取られ、物理的に固定された自分の「愛」の形を見て、アカネの胸の奥に、温かい熱がじわりと広がっていく。

 

 

「ケイ、セイカさん……ありがとうございます。これほど素晴らしい贈り物をいただけるなんて、メイド冥利に尽きます。いえ……私個人として、これ以上の幸せはありません」

 

 

 アカネはいつもの優雅な微笑みよりも、ずっとずっと柔らかく、およびほんの少しだけ目元を潤ませながら、最高の笑顔を浮かべた。

 そして立ち上がると、デスクの前のセイカと、その隣で嬉しそうに佇んでいたケイを、愛おしそうに順番に、その温かい腕の中にきゅっと抱きしめた。

 

 

「お母さん……温かいです」

 

 

 腕の中で、ケイの小さな身体がその温もりを確かに受け止める。その声は、心なしかいつもより弾んでいるように聞こえた。アカネの注ぐ愛情の「波長」は、彼女の心全体に完璧な平穏をもたらしていた。

 

 

「ふふ、さあ、お茶が冷めてしまいますね。セイカさんが削り出してくれたこの素晴らしい私の横で、さあ、一緒にいただきましょう。今日は特別なお菓子も用意してあるんですよ」

 

 

__________

 

 

 

 窓の外には、夕刻の光に染まった美しい雲海がどこまでも広がっている。

 世界には未だ多くの過酷な運命や、立ち向かうべき理不尽な状況が待ち受けているのかもしれない。

 

 けれど、この暖かな自室に流れる穏やかな旋律――アカネが淹れてくれた紅茶の湯気と、三人で囲むテーブルの笑い声、およびデスクの上で静かに微笑む小さなフィギュア。

 その光景を形成するすべての「波」だけは、何者にも、決して壊されることはない。

 

 まっすぐに「お母さん」と呼び、その体で温もりを確かめ合える場所。

 観測士としての冷徹な眼差しを持つ少女が、ただ家族の笑顔のためにその技術を振るえる場所。

 および、それらをすべて包み込む、アカネという母の揺るぎない愛。

 

 それは、どんな圧倒的な技術的偉業よりもはるかに強く、はるかに温かく、ソラノミの家族を、どこまでも深く結びつけていた。

 

 

 

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