未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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蒼穹の試運転、白銀の同期

 

 

 

 宇宙の静寂をそのまま切り取ったかのような、広大で無機質な空間。宇宙戦艦「ソラノミ」の中央格納庫は、あらゆる電子音と重低音の駆動音が混ざり合う、技術の坩堝だった。天井に幾重にも張り巡らされたクレーンが重厚なアームを動かし、作業用ドックの至る所から溶接の火花がパチパチと青白い光を散らしている。

 

 私は、機体の胸部高さに位置するキャットウォークの上に立ち、手すりに手をかけながら、眼前にそびえ立つ巨体を見上げていた。

 

 

「――よし。これですべての物理的ドッキングシーケンス、および電子制御におけるエネルギー伝達経路の構築が完了しました」

 

 

 作業用ゴーグルをパチンと跳ね上げ、額に滲んだ汗を手の甲で拭う。私の視線の先、強力な電磁ロックで頑強に固定されているのは、私のすべての技術、情熱のすべてを注ぎ込んで完全に修理・改修を完了させた、規格外の兵装。

 

 

――対因果律・高機動迎撃ユニット『メテオストライカー』。

 

 

 かつての激戦において、未完成のルミナス・コアを無理やり搭載したことにより崩壊した私の愛機。それを、私の完璧な最適化と構造再計算によって、今ここに一切の不具合のない「完全な姿」へと蘇らせたのだ。

 

 そして今、そのユニットの中央ブロックが左右へと重々しく展開し、内部から目眩を覚えるほど高密度な、エメラルドグリーンの光粒子が溢れ出していた。

ついに完成し、この修復された機体へと組み込まれた、完全なる次世代永久機関――『ルミナス・コア』。

 

 

「稼働率、定常値。エネルギー収束率、理論値通り。修復された各部フレームの剛性および、超高圧パイピングの耐久値も、私の設計段階の計算を上回る120%の数値を維持しています。……ふふ、私の計算に狂いはありません」

 

 

 かつての未完成状態だった頃のコアとは違う。エネルギーの臨界逆流も、精神波動への過負荷による精神汚染やフレームの自壊危険性も、私の完璧な演算によってすべてが排されている。完全に安定した「奇跡の心臓」が、いまメテオストライカーの中央で、静かに、しかし力強く、深遠な拍動を刻み始めていた。

 

 

「セイカさん、お疲れ様です。サンドイッチといつものアールグレイをお持ちしました。……まあ、本当に見違えるような、圧倒的で、そして少し恐しいほどの迫力を持つ姿に戻りましたね」

 

 

 ふふ、と独りごちて喉を鳴らした私の背後から、パタパタと小気味よい足音が近づいてきた。美しく整えられたエプロンドレスの裾を上品に翻し、木製のバスケットを両手で大事そうに抱えて微笑んでいるのは、私のアカネ。

 

彼女のその穏やかで、すべてを包み込むような声を聞くだけで、私の脳内のCPUが一瞬にして最高効率へと冷却され、思考からノイズが綺麗に消え去っていくのが分かる。

 

 

「ありがとうございます、アカネ。ええ、ルミナス・コアとの精神同調効率も、いまや100%のシンクロ率に達しました」

 

「素晴らしいです。でも、どうか無理だけはしないでくださいね? いくらセイカさんの演算が完璧でも、修理が完了した直後のこれほど巨大な装備の試運転です。機械の機嫌というのは、時に不測の事態を呼び寄せるものですから」

 

「心配ありませんよ、アカネ。私の辞書に『不測』の二文字はありません。すべての事象は私の予測の範疇であり、数式の通りに収束します」

 

 

 私が誇らしげに胸を張ると、アカネの背後から、すと、と音もなく小さな人影が並んだ。ケイだ。彼女は復活後のあの淡々とした、けれどどこか愛らしさを隠しきれないトーンで、メテオストライカーの巨大なスラスター尾翼を見上げながら口を開いた。

 

 

「お父さん。完全修復されたメテオストライカーの構造ログ、およびルミナス・コアの出力特性を私の内部データベースとリアルタイムで照合しました。……驚異的な数値です。かつての遺物や、ミレニアムサイエンススクールが誇る超巨兵すら、純粋なエネルギー純度と因果律干渉効率において、このコアの後塵を拝することになります。……ですが」

 

 

 ケイはそこで一度言葉を切り、私の服の裾を小さな指先でぎゅっと掴んだ。

 

 

「完全修復後、初の稼働による体への負担は、過去のデータがないため未知数です。理論上は安全であっても、精神波動の急激な同調による脳波の過熱の恐れがあります。速やかなテストデータの回収と、安全第一の機体制御を推奨……いえ、強く要求します」

 

 

 少しだけ理屈っぽく、けれど確実に私の身を案じてくれている、私の子供の言葉。その健気な瞳に見つめられ、私の胸の奥が温かいもので満たされていく。私はケイの前にゆっくりとしゃがみ込むと、その頭を優しく、慈しむように撫でた。

 

 

「ええ、分かっていますよ、ケイ。私を誰だと思っているのですか? あなたのお父さんですよ。さあ、最高の観測データをあなたたちのストレージに送り届けてあげます。格納庫の安全な特等席で、私の背中を見守っていなさい」

 

「お、お父さん、私を子供扱いするのはやめてください……っ! い、嫌だとは言っていませんが、論理的ではありません! 視覚センサーの同期が乱れるため、至近距離でのスキンシップは規制対象です!」

 

 

 ケイは顔を赤くしながら早口でキレ散らかした。しかし、私の手の温もりは拒むことなく、ぷいっと顔を背けながらも嬉しそうに目を細めている。アカネのどこまでも優しい眼差しと、ケイの頼もしい――そして最高に愛らしい――電子的なサポート。この世界で最も尊い家族の愛を最大のエネルギーに変換し、私は昇降口へと力強く足を踏み出した。

 

 

 

__________

 

 

 

 

 

「メテオストライカー、第一~第十四メインシステム起動。ルミナス・コア、一次リミッター解除。――さあ、私に応えなさい」

 

 

 私の思考パルスが、ダイレクトにユニットの電子神経網を駆け抜ける。

 グォン、というソラノミの巨体すら微かに震わせるほどの重低音が、私の脳幹に直接響き渡り、私の視覚システムは瞬時に拡張され、周囲の暗黒の宇宙空間を360度、圧倒的な解像度で「自身の視界」として捉えた。

 

 

「っ……!」

 

 

 一瞬、意識の深淵にエメラルドグリーンの閃光が走る。しかし、それはかつての暴力的で、精神を狂わせるような過負荷ではない。完全な調律を施され、完璧に修復されたフレームという強固なバイパスを通ることで、コアの光はまるで私の肉体の一部であるかのように優しく、私の神経の延長線として完璧に溶け合っていった。

 

 

『ソラノミ管制室より、ケイ。――お父さん、生体波動と同調率のグラフを確認。現在98.7パーセントで完全安定。メテオストライカー各部の修復完了パーツ、超高圧推進系、および六基の大型メインスラスター、すべてオールグリーンです。カタパルト・クリア。いつでも発進可能です』

 

 

 私の意識の内に直接滑り込んでくる、ケイの冷静で、しかし私のバイタルを誰よりも気遣う声。

 

 

「了解しました、ケイ。メテオストライカー、天野江セイカ、これより抜錨します!」

 

 

ドゴォン!!!

 

 

 ソラノミの電磁カタパルトから、私という存在を核心に据えた巨大な白銀の兵装ユニットが、空間を切り裂く一筋の閃光となって解き放たれた。

発生する凄まじいG。普通の人間であれば肉体が押し潰されるほどの衝撃。しかし、ルミナス・コアと同調した私の超並列演算は、拡張された肉体の尾壁にある無数の姿勢制御スラスターを、私の呼吸のごとき完全なタイミングで逆噴射させ、その物理的衝撃をリアルタイムで完全に相殺・調律してみせた。

 

 

「……素晴らしい! この追調性、およびレスポンスの速度……! これまでの試作段階や、あの激戦で損傷する前とは文字通り次元が違います! 私の思考の速度に、この巨体が、1ミリの遅れもなく完全に同期している……!」

 

 

 暗黒の、しかし星々が美しく煌めく蒼穹の宇宙空間を、私は巨大な流星となって駆け抜ける。

 巨大な兵装アームが、私の現実の両腕の動きを完全にトレースし、空間を威圧するように滑らかに駆動する。背部から伸びた巨大なスラスター尾翼からは、ルミナス・コアの余剰エネルギーであるエメラルドグリーンの光粒子が、まるで美しい羽衣のような残光となって虚空に引かれていく。

 

 急加速、急制動、そこからの流れるような180度反転。

 傍から見れば、巨大な要塞のような質量を持つ兵器が、まるで質量を持たない幻影であるかのように宇宙を舞っているように見えるだろう。機能美と、圧倒的な最大出力が極限のレベルで融合した、戦場を調律する流星そのもののシルエットが、そこに完成していた。

 

 

『凄い……画面のモニターで見ているだけでも、その圧倒的な迫力と、吸い込まれそうな美しさに圧倒されてしまいますね、セイカさん』

 

 

 私の意識の網膜にポップアップした通信ウインドウの中で、アカネが両手を頬に当て、感嘆の吐息とともに声を漏らす。

 

 

「ふふ、驚くのはまだ早いですよ、アカネ。これまではただの準備運動。ここからが本番です――完全に蘇ったメテオストライカーの真の性能と、ルミナス・コアのパワーを私の基本兵装に直結し、最大火力のテストを行います!」

 

「フィンファンネル、展開!」

 

 

 私の生体波動から放たれたダイレクト・コマンド。それに応じて、私自身の背後に浮遊していた、いつもの白銀の幾何学的フレームが、音もなくスッと分離した。

 

 これは私の体の一部であり、いかなる時も私と共に戦場を駆ける、普段から使いこなしている絶対の基本兵装。メテオストライカーという巨大な拡張ツールを纏った状態であっても、私の本質的な武装は何一つ変わらない。むしろ、この瞬間のために調律されている。

 

 

「ファンネル、オールレンジ配置! 観測ポイントAからFへ、空間磁場を完全固定。――電磁防壁を展開しなさい!」

 

 

 推進剤の匂いも、一切の駆動音もなく、六基のフィンファンネルたちは蒼穹の虚空へと滑るように散り、瞬時にして幾何学的な陣形を構築した。

 

 直後、宇宙戦艦ソラノミの前方に、目も眩むような光の膜――巨大な正六角形の電磁防壁が形成される。

 

 通常の出力であれば、巡航ミサイルの直撃や戦艦の副砲を防ぐのが限界のこの防壁。しかし今、メテオストライカーの中央に鎮座するルミナス・コアから、私の生体波動を経由して無尽蔵の、圧倒的な純度のエネルギーがファンネルへと注ぎ込まれている。その結果、展開されたバリアは空間そのものを歪めるほどの強度に達し、物理的な質量兵器はおろか、超高出力の収束ビームすらも完全に霧散させるほどの「絶対防御の結界」へと跳ね上がっていた。

 

 

『フィンファンネルの配置完了を確認。磁場歪み率、電磁防壁の収縮圧、ともに私の想定値の範囲内です。……完璧。お父さん、前方セクター3から5にかけて、事前に配置しておいた演習用の高密度デブリ群が接近中。相対速度、秒速4.2キロ。テストにはこれ以上ない格合の標的です』

 

「ちょうどいいですね、ケイ。――では、お見せしましょう。私たちの我が家、このソラノミと、愛する家族を守るための、絶対の火線というものを」

 

 

 私は、私の両腕そのものである巨大な可動式アームを、前方のデブリ群へと力強く突き出した。その先端のエネルギー超伝導ドックがギチギチと音を立てて変形し、露出する。

 

 

ガシャリ!!!

 

 

 私の脳波制御により、『メテオバスターライフル』が、アームの先端へと完璧にスロットインされる。私の設計通り、1ミクロンの狂いもなく、物理的、電子的に強固なリンクが確立された。パーツが噛み合う瞬間の、計算され尽くした美しい金属音が私の全神経を心地よく震わせる。

 

 メテオバスターライフル自体は、私のいつもの相棒だ。しかし、この完全に修理され、出力を100%解放されたメテオストライカーという「巨大な増幅器」と結合し、ルミナス・コアの無尽蔵のエネルギーをダイレクトに流し込まれることで、その性質は一変する。それはもはや一個人の携帯火器ではない。戦艦の主砲、いや、戦略兵器をも遥かに凌駕する、星をも穿つ超超高火力形態へと変貌を遂げるのだ。

 

 アームと一体化した私のライフル、そしてメテオストライカーの左右に備え付けられた大型ビーム砲の砲身がスライドし、エネルギーの充填を開始する。それと同時に、接続された私のメテオバスターライフルの内部チャンバーが、エメラルドグリーンの光で破裂しそうなほどに満たされていく。さらに、ユニット各部に配置されたミサイルコンテナのハッチが次々と開き、内部の弾頭が私の思考によって全弾ロックオンを完了させた。

 

 

「全エネルギー、バスターライフルおよび各部兵装へ瞬時同調。空間制御率、最大。全出力――解放!!」

 

 

 私の叫びと同調し、私の意志が臨界点を突破する。

 

 

「……フルバースト!」

 

 

ドオオオオォン!!!!!!!!

 

 

 その瞬間、宇宙の静寂は、私の五感を揺るがす圧倒的な光の咆哮によって完全に破壊された。

私の拡張された全周囲の視界が、純白、およびエメラルドグリーンの光によって一瞬で塗り潰される。

 

 ライフルの砲身、巨大な一対の大砲、およびコンテナから放たれた無数の高エネルギー誘導弾。それらが放ったのは、もはやビームやミサイルという生易しい言葉で表現できるものではなかった。それは空間そのものをドロドロに溶かし、穿つような、圧倒的な熱量と質量を持った「光の濁流」であり、一斉に放たれたあらゆる破壊の火線が織りなす、完璧に計算されたシンフォニーだった。

 

 光の濁流は、前方のフィンファンネルが展開した電磁防壁の網目を、私の演算通りミリ単位の干渉も起こさずに綺麗に通り抜けた。そして、全火線が完璧に一点へと同調し、収束した光線が、迫り来る無数の巨大なデブリ群へと衝突する。

 

 キィィィィィン――! という、大気が存在しないはずの宇宙空間で精神に直接響くような、凄まじい空間の軋み。

 直後、直径数百メートルはあろうかという小惑星の破片や、特厚の複合装甲デブリの群れが、爆発の炎を上げる猶予すら実質与えられず、一瞬にして、文字通りチリ一つ、原子一つのレベルにまで分解され、完全に蒸発させられてみせた。

 

 破壊の光線が通り過ぎた後には、歪んだ空間の残滓と、激しく吹き荒れる電磁の嵐だけが残されている。

 通常の機体であれば、これほどの出力を引き出せば、その強烈なエネルギーの逆流と反動によってフレームが消し飛び、操縦者の精神は崩壊していただろう。

 

 しかし、完全に修理され、私の手によってミリ単位の補強を施されたメテオストライカーの強固なフレームは、その限界負荷を平然と受け止めてみせた。あるいは、ルミナス・コアと私の脳波演算の美しい同期は、発生した莫大な反動をリアルタイムで100%完全に相殺。

 

 私の肉体は、その場から1ミリたりとも後退することなく、ただ静かに、蒼穹の闇の中に、美しいエメラルドの光粒子だけをゆっくりと舞い散らせていた。

 

 

「……ふう。初撃のサンプリング、終了。ですが、ここからが本当の観測の始まりです」

 

 

 私の意識の深淵で、システムをハーフマウントに戻し、脳内に高速で展開されるグラフを凝視した。全感覚を流れる数字の羅列は、どれも完璧な「グリーン」を示している。だが、私の思考は、そこでシステムをシャットダウンすることを頑なに拒んでいた。

 

 

『お父さん? 第一次掃射における各部のひずみゲージ、および冷却効率は完全な理論値を維持しています。テストベッドとしてのメテオストライカーのフレーム剛性は、試作コアの戦闘データを完全に上回りました。これ以上のテストは機体への微小な蓄積疲労を招くだけです。帰投を推奨します』

 

 

 私の聴覚神経に直接届くケイの小さな声。その純粋なロジックに基づく指摘は、技術者としては極めて正しい。しかし、私は観測士だ。ただの一発勝負の成功を、奇跡などという不確定な言葉で終わらせるわけにはいかない。

 

 

「いいえ、ケイ。まだです。すぐには引き返しません」

 

 

 私の意思表示は、いつもの調律されたトーンを取り戻していた。

 

 

「今の一撃は、いわば静的な環境下での最大出力に過ぎません。これから行うのは、あのエデン条約調印式上空での『飽和攻撃迎撃時』の挙動を、100%の精度で連続再現する、稼動実証テスト・第2フェーズです」

 

 

 精神リンクの向こうで、ケイが小さく息を呑む気配が伝わる。

 

 

「私たちがこれから行おうとしているのは、この圧倒的な火力を誇る追加モジュールの運用試験であると同時に……ルミナス・コアという太陽の出力を、いかなる極限状態においても『100%制御下に置く』ための、絶対の証明です。ミリ秒単位の出力の揺らぎ、抵抗値の極小のズレが、万が一にでも私の精神波形にノイズを混入させるようなことがあってはならない。完璧なロジックを、物理的データによって完全に削り出す。それが、私のアプローチです」

 

『……最適解への妥協なき追求。了解しました、お父さん。……あなたの観測を、私がこの場所から限界を超えてサポートします。データリンクを再構築。過去の最大損壊時における、あらゆる振動・熱負荷の逆算ログを、メテオストライカーの制御回線へ逆位相で強制挿入します。……いつでもいけます、お父さん!』

 

「最高のサポートです、ケイ。さあ、私の数式が、過去の悲鳴すらも美しく調律する様を見ていなさい」

 

 

 私の拡張された視界のインジケーターが、一瞬にして鮮烈な赤から静謐な白銀へと切り替わる。

ケイが仕掛けた「仮想の絶望」。かつて機体の40%を融解させ、システムを沈黙に追い込んだあの時の熱量と、フレームをネジ切らんとする凶悪なカウンター・トルクが、擬似パルスとなってメテオストライカーの全身――すなわち私の新しい肉体を内側から襲った。

 

 ギギギギギ、と私の全身を構成する装甲が悲鳴のような金属音を立てて震える。普通の機体であれば、この内部負荷だけで自壊するだろう。

 

 だが、中央で脈動する本物のルミナス・コアは、その凶暴な仮想の絶望を前にしても、一切のノイズを発しなかった。

 むしろ、送り出される純粋なエネルギーパルスが、焼き切れんとする回路の隅々にまで完璧に浸透し、その負荷をリアルタイムで「添削」していく。脳内に描かれるエメラルドグリーンの出力波形は、どれほど外的な歪みを与えられようとも、ただの一度もブレることなく、不気味なほどに美しい「完全なフラット」を維持し続けていた。

 

 

『……信じられない。かつての戦闘データを遥かに凌駕する負荷率140%を維持しているにもかかわらず、精神同調効率は100.0%から微動だにしません。……お父さん、コアの旋律は、完全に、過去の断末魔を圧倒しています』

 

「ふふ、当然です。これこそが、先生から繋がれ、みんなの手によって形を成した『完成された太陽』の力。対因果律・高機動迎撃ユニットの真価を論理で縛り付け、絶対の安全へと調律することこそが、私の役目ですから」

 

 

 私はゆっくりと、けれど今度は確信を込めて、メインの精神パルスをニュートラル位置へと引き戻した。

 私の周囲の空間を揺るがしていた凶悪な擬似負荷の重低音が、今度こそ静かに、完全な凪へと収束していく。メテオストライカーの白銀の装甲が、ゆっくりと定位置へとロックされ、熱を帯びた冷却ベントから、澄んだ光の粒子が宇宙の闇へと吸い込まれていった。

 

 

__________

 

 

 

 

「……システム、オールクリア。コアの熱効率、定常値。各部修復フレームの歪み、および金属疲労シグナル――皆無。私の計算に、狂いはありません」

 

 

 静寂が戻った暗黒の宇宙空間で、私は大きく息を吐き出した。私の意志に応じてアームのエネルギー接続ドックが解除され、私のメテオバスターライフルが通常のアイドリング状態へと戻る。

 

 拡張された視界に映し出された演習領域には、先ほどまで確かに存在していた無数の障害物は、もう何も残っていない。ただただ、星々の光が何事もなかったかのように瞬いているだけだ。

 

 私のいつもの兵装が、メテオストライカーという完全に蘇った巨大な拡張ツール、およびルミナス・コアという無限の心臓と融合することで生み出した、この世の理を超えるほどの破壊力。

 

 

「……ふふ。このデータをシャーレのオフィスで先生に見せたら、きっと目を丸くして、それこそ子供のように大興奮して気絶してしまうかもしれませんね。シロコに見せたら、今すぐアビドスの防衛用に貸してくれと、目を輝かせて迫ってきそうです」

 

 

 そんな想像をして、私はふっと口元を緩ませた。

 

 

『……完璧な、面制圧、および空間調律です。お父さん、修理箇所の構造的負荷はゼロ。コアの過熱シグナル、および生体波動の逆流シグナルは一切検出しませんでした。データの回収率も完璧に100パーセントです。メテオストライカー完全修復試運転は、これ以上ない大成功を収めました』

 

 

 意識の内に響くケイの声。いつも通りの淡々としたトーンを装ってはいるが、その声の端々がいつもより少しだけ高く、嬉そうに高揚しているのを、私の高精度な聴覚システムは見逃さなかった。きっと、彼女のストレージの中でも、この誇らしい私の姿とデータが、最高値の記録として永遠に保存されたはずだ。

 

 

『お疲れ様でした、セイカさん。本当に……本当に、言葉も出ないほど、胸が熱くなるほど格好良かったですよ。さあ、機体を格納庫へ戻したら、すぐに温かいお茶にしましょうね。ケイさんと一緒に、最高のアールグレイを淹れて待っていますから』

 

 

 網膜ウインドウの向こうで、アカネが本当に安心したように、および心からの誇りを込めて微笑んでくれる。その優しい声、私を待ってくれているというその言葉が、激しい戦闘シミュレーションを終えた私の心と脳に、これ以上ないほどの幸福な平穏をもたらしてくれる。

 

 

「ええ、今すぐ戻ります、アカネ、ケイ。私の最高傑作の、完全なる復活の初陣を、あなたたちという最高の家族に捧げられたことを、私は心から光栄に思います」

 

 

 メテオストライカーの巨大なスラスターを優しく、滑らかに吹かす。白銀の巨体はゆっくりと向きを変え、母船である宇宙戦艦ソラノミの、暖かな光が漏れ出す格納庫ハッチへと向かって進み始めた。

 

 戦艦の重厚なゲートがゆっくりと閉まり、外部の暗黒の世界が遮断される。電磁ロックが巨大なユニットを固定する重々しい衝撃。

 

 直後、プシューという減圧音と共に中央のプラグイン・ドックが左右へと解放され、私の五感は「数十メートルの巨躯」から、「いつもの自分の肉体」へと滑らかに引き戻された。

 私はドックから一歩踏み出し、キャットウォークへと足を下ろす。

 

 外の世界でどれほど規格外の力を証明しようとも、どれほど圧倒的な、神をも恐れぬ天才と称されようとも、私の本質は、私の戦う理由は何も変わらない。

 この巨大な拡張ユニット『メテオストライカー』の圧倒的な造形も、ルミナス・コアが放つ奇跡のエメラルドグリーンの輝きも、すべてはあの完璧に調律された我が家と、私を待ってくれている愛する家族の笑顔を、何者にも脅かされずに守り抜くためだけに存在するのだから。

 

 私は一刻も早く、世界で一番温かいあのリビングへと至るステップを、弾むような足取りで駆け下りていった。

 

 

__________

 

 

 

 

 

「お帰りなさい、セイカさん」

 

 

 居住区の自動扉が開いた瞬間、私の鼻腔をくすぐったのは、上品に抽出されたベルガモットの爽やかな香りと、オーブンから漂う焼き立てのスコーンの甘い匂いだった。

 格納庫の金属とオイルの冷たい世界のあとに訪れる、この圧倒的なまでの「家庭の熱量」。

 

 アカネは、いつもの所作で私を迎え入れると、私が脱いだばかりのジャケットを恭しく受け取り、ハンガーへと掛けた。その一連の動作には一切の無駄がなく、見ているだけで私の脳内の不快な残余振動が完全に相殺されていく。

 

 

「ただいま戻りました、アカネ。素晴らしいタイミングです。まるで私の帰還時間を秒単位で予測していたかのようですね」

 

「ふふ、これでも私は完璧を自負するメイドですから。セイカさんの機体の推進音がこのソラノミのフレームを微かに揺らした瞬間から、お湯を沸かし始めていたのですよ。それに何より、セイカさんのことなら何でもわかります」

 

 

 アカネは悪戯っぽく微笑みながら、リビングの中央にある木製のテーブルへと私を促した。そこには、綺麗に磨き上げられた磁器のティーセットと、温かい湯気を立てるアールグレイがすでに並べられている。

 

 

「お父さん、お疲れ様です。……データ転送、すべて完了しました」

 

 

 ソファーの隅、ノートPCを膝の上に置いたまま、ケイが私の姿を見ると、す、と静かに立ち上がってきた。彼女の小さな手には、私の作業用の予備のタオルが握られている。

 

 

「ありがとう、ケイ。データの処理速度も完璧でしたね。あなたのサポートがなければ、あの第2フェーズの限界負荷をこれほど滑らかに処理することはできませんでした」

 

 

 私が席に着きながらそのタオルを受け取ると、ケイは私のすぐ隣の席へと収まり、じっと私の顔を見つめてきた。その赤い瞳には、まだ格納庫での興奮の残滓――あるいは私に対する深い安堵――が隠されている。

 私は自然と、彼女の柔らかい髪に手を伸ばし、優しく撫でていた。

 

 

「お、お父さん、は、恥ずかしいです! ……ですが、お父さんの疲労蓄積度を考慮すると、現在のスキンシップによる精神安定効果は無視できないため、今回は特別に処理の続行を容認します」

 

 

案の定、ケイは一瞬で顔を真っ赤にしながら早口で捲し立てた。それでも嬉しそうに目を細めて私の手のひらに頭を預けてくる様子が微笑ましくて、私はさらにその髪を優しく撫でる。しばらくして落ち着くと、ケイは再び生真面目なお堅い表情に戻り、PCの画面を私の方へと向けた。

 

 

「……お父さん。今回のテストデータをもって、メテオストライカーの完全修復、およびルミナス・コアの安全制御化に関するすべての論理証明が完了しました。……これで、私たちの『盾と矛』は完全に揃ったことになります。……ですが、私の演算装置は、もう一つの可能性を提示しています」

 

「ほう? ケイ、あなたの提示する新たな可能性とは、どのようなものでしょうか」

 

 

 私がアールグレイを一口含み、その完璧な温度と渋みの調和に感嘆しながら問いかけると、ケイはPCの画面を私の方へと向けた。

 

 

「メテオストライカーの各関節パーツに施された、お父さんの『超高圧パイピングの耐久値120%』。この余剰剛性を利用すれば、フィンファンネルの電磁防壁と機体の推進スラスターを完全同調させ、戦艦ソラノミの主砲クラスの直撃を無効化しながら秒速12キロで突撃する『超高機動絶対防御形態』の構築が可能です。……これは、私たちの家を守るための、より効率的な数式となります」

 

「なるほど、空間防御圧を推進エネルギーへと逆位相で転換するわけですか。……面白い。確かにその計算式であれば、フレームの自壊率を0.001%以下に抑えながら、あらゆる戦況を強引に突破できますね」

 

「はい。お父さんとの共同演算であれば、この数式の完成には3時間もかかりません。……今すぐ、始めますか?」

 

 

 真面目な顔で、どこまでも合理的な提案をしてくる私の子供。その様子を見ていたアカネが、ふふっ、と楽しそうに喉を鳴らして、私たちの前にスコーンの皿を置いた。

 

 

「ケイ。セイカさんは今、命懸けの試運転を終えて戻ってきたばかりなのですよ? 完璧な観測士であっても、お砂糖と小麦粉によるエネルギー補給がなければ、その素晴らしい頭脳も100%の出力を発揮できません。まずは、この温かいスコーンを召し上がってからにしましょうね」

 

「……了解、お母さん。……お掃除の効率化よりも、まずは有機物の摂取と休息。それが、この家における最優先プロトコルですね」

 

 

ケイはコクリと素直に頷くと、小さなフォークを手にして、スコーンを小さく切り分け始めた。

「お母さん」という、そのあまりにも自然で、温かい響き。

 

かつて心を摩耗させ、孤独であることすらデータの一部として冷たく処理しようとしていた私。そんな私の前に、計算式をすべて爆破して飛び込んできたアカネ。私とアカネの、かけがえのない大切な娘であるケイ。

 

 理屈で固められていた私の世界は、いま、このリビングを満たす呆れるほどの真っ直ぐな温もりの前に、完膚なきまでに満たされている。

 

 

「ええ、アカネの言う通りです。私の完璧なロジックも、あなたたちの淹れてくれたお茶の前では、ただの心地よい調律のスパイスに過ぎませんからね。……さあ、ケイ。美味しいおやつを堪能したあとに、その素晴らしい新数式の構築を始めましょう。私たちの、この世界で一番大好きな場所を、完璧に守り抜くために」

 

 

 私はスコーンを口に運び、目の前で物柔らかに微笑む最愛の恋人と、健気に次の演算を待つ可愛い娘の姿を、その紫の瞳に、および私の人生のすべてに、深く、深く刻み込んでいくのだった。

 

 

 

__________

 

 

 

 お茶の時間が終わり、居住区が夜間モードの静かな照明へと切り替わる頃。

 

 窓の外に広がるのは、どこまでも深く、どこまでも澄み切った暗黒の蒼穹。

 そこには、昼間の試運転で私たちが穿ち、調律した星々の瞬きが、何事もなかったかのように美しい幾何学模様を描いて静止している。

 

 私は手元にある携帯端末を開き、今日、メテオストライカーの心臓部から回収されたルミナス・コアの、極限状態における稼働ログをもう一度だけスクロールした。

 

 ミリ秒単位の狂いもない、完全なフラット。

 かつて機体を焼き切ったあの凄まじい悲鳴のログを、白銀の旋律が完全に包み込み、無力化してみせたあの完璧な調和。

 

 

「……ふふ。これで本当に、すべてが実証されました」

 

 

 私は独りごちて、窓ガラスに映る自分の紫の瞳を見つめた。

 あの時、先生のポケットから譲り受けた『青輝石』という奇跡の結晶。それは不確定な運命の糸がもたらした偶然の産物だったのかもしれない。だが、それを私の完璧な技術によって加工し、構造設計の最後の空白へと流し込んだ瞬間、奇跡は「誰もが信頼できる絶対のロジック」へと姿を変えたのだ。

 

 あの巨躯がただの高火力兵器ではなく、あらゆる不条理な因果の波形そのものを物理的に叩き潰し、観測の型へとハメ込むための対因果律・高機動迎撃ユニットであることを、この数値は何よりも雄弁に物語っている。

 

 ――そしてこれこそが、あの時、このリビングの寝台で毒に灼かれながらも凛として笑っていた、山海経のキサキさんを救い出すための、私からの絶対的な回答の証明だった。

 

 既存の医療技術も、ミレニアムの科学力すらも匙を投げた、生存率10%未満という絶望的な悪意の呪い。

「妾が力尽きるのが先か、其方が救い出すのが先か……面白い勝負になりそうじゃ」と不敵に笑った彼女の、あの震える手の温もりを、私は一瞬たりとも忘れたことはない。セイアが予知した通り、先生のポケットから持ち帰られた『青輝石』という最後の一片が、私の医療ユニットと未完成だったルミナス・コアを完璧に繋ぎ、あのドス黒い毒素のノイズを逆位相の波長によって100%相殺できるところまで来たのだ。

 

 明日になれば、また新しい観測が始まる。

 メテオストライカーの微小なネジの緩みのチェックから、ソラノミの推進回線のさらなる最適化、およびケイが提案してくれた新しい防御形態のモデリング。やるべきことは文字通り無限にあり、私の演算装置が退屈する暇など一瞬たりとも存在しない。

 

 だが、今の私には、かつてのような冷たい焦燥感は微塵もなかった。

 

 どれほど世界が理不尽なノイズを投げかけてこようとも、私には、その壁を笑顔で吹き飛ばして温め続けてくれる恋人がいる。私の背中を絶対の信頼で見つめ、共に数式を紡いでくれる愛おしい娘がいる。

 

 このソラノミという宇宙戦艦の最深部で、白銀の太陽は、これからも私たちの未来を優しく、どこまでも深く照らし続けるだろう。

 

 私は端末をポケットに収めると、最後にもう一度だけ、自分が調律した蒼穹の星々を見上げ、および迷いのない足取りで、愛する人たちが待つ暖かな部屋の奥へと歩みを進めた。私の計算式に、もう狂いが生じることなど、絶対にあり得ないのだから。

 

 

格納庫のメインシステムをスリープモードへ移行した私は、自室のホロ・コンソールを開き、ルミナス・コアの第2フェーズ負荷テストにおける因果干渉の波形データを拡大投影した。

 

空中に浮かび上がる、無数のエメラルドグリーンと白銀の数式。

それは単なるエネルギーの流体力学ではなく、このキヴォトス、あるいはこの宇宙における「結果に対する原因の重み」をリアルタイムで添削した痕跡そのものだった。

 

__________

[因果干ンス・ログデータ]

- 擬似因果ノイズ(エデン条約時の自壊再現):DESTRUCT_LOG_042

- ルミナス・コア同期率:100.00% (FLAT)

- 因果律反転干渉(逆位相添削):ACTIVE (ERROR_RATE: 0.0000%)

- 結論:事象の確定に成功。不確定因果の排除完了。

__________

 

 

「……素晴らしい。かつての戦闘で発生した物理的・確率的自壊の因果、それを完全に『逆算された必然』によって無効化している」

 

 

 私はコンソールの光に照らされながら、その画面を愛おしそうに指先でなぞった。

 

 通常の迎撃兵器というものは、飛来するミサイルやレーザーという「既に発生した物質的な脅威」を破壊する。しかし、この完全修復されたメテオストライカーは違う。ルミナス・コアから放たれる純粋精神エネルギーと私の超並列演算が直結した時、このユニットは「機体が破壊されるという確率的因果」そのものを、発生する前にその根底から書き換える。

 

 それは、キサキさんの体内で細胞を食い荒らしていた、あの予測不能な毒素の因果を『完璧に逆算された救済の波動』で消滅させるプロセスと、全く同じ論理の地平にあるものだ。飛来するはずの弾頭が、私の狙撃によって完璧に蒸発する。その「完璧な未来」という結果に向かって、現在進行形の物理法則を強制的に調律するのだ。だからこそ、140%の極限負荷のなかであっても、フレームの歪みすらミリ単位のズレなく相殺され、完全な定常状態を維持できた。

 

 

「高機動迎撃とは、単に宇宙を素早く駆けるという意味ではありません。押し寄せる無数の破滅の可能性に対し、私の演算とコアの輝きが、それ以上の速度で『正しい未来』を先回りして迎撃し続けるということ。……ふふ、技術の極致とは、実に見事なものです」

 

 

 私が静かに胸の内でそのロジックを噛み締めていると、コンソールの端に、小さな通知がポップアップした。ケイからの暗号化されたデータリンクの更新履歴。

そこには、先ほど彼女がリビングで提案してくれた『超高機動絶対防御形態』の、さらにブラッシュアップされた最適化パッチが添付されていた。

 

 

「……お父さんのバイタル負荷をさらに0.002%低減するための、脳波バイパスの修正、ですか。本当に、よく気がつく子です」

 

 

 ケイが紡ぎ出す数式には、かつての冷徹な遺物には存在し得なかった、明確な「意図」が宿っている。それは、お父さんを守りたい、この家を守りたいという、極めて有機的で温かい家族の意志。

 

 

「これなら、3時間どころか、1時間もあれば完全に実戦配備のプログラムとして組み込めますね。……ですが、今はやめておきましょう。アカネに、またお砂糖が足りていませんよ、と叱られてしまいますから」

 

 

 空中を淡く満たしていた無数のエメラルドグリーンと白銀の数式を、私は愛おしそうに指先でなぞったあと、静かにホロ・コンソールを閉じた。

 一気に静寂が戻った自室を出て、廊下の奥にある、私とアカネの共有スペースである主寝室へと足を向ける。

 

 かつて山海経を揺るがしたあの激動の日々も、今では私のデータベースの奥深くに美しく格納された、確定済みの観測ログに過ぎない。

 不気味なほどの凪に包まれていたこの高度浮遊居住区「ソラノミ」も、今夜はただ、どこまでも穏やかで、優しく、私とアカネの二人だけを満たすための完璧なプライベート・エリアへと姿を変えていた。

 

 静かにドアを開けると、部屋を優しく満たすアールグレイの残り香が私の鼻腔をくすぐった。

 遮光カーテンの隙間から差し込む静かな月光。その光に照らされながら、キングサイズの柔らかなベッドの中で私を待ってくれているアカネの腕の中へと、私は自らの身体をすっぽりと滑り込ませた。

 

 

「……ん、ふふ。やっぱり、ここが一番温かいです」

 

 

 ベッドに入った途端、私はふにゃりと眉を下げて、アカネの胸元に思いきり顔を埋めた。

 いつもなら世界を1ミリ単位で調律する私の紫の瞳も、今はとろとろに蕩けて、彼女の心地よい体温と甘い香りに完全に酔いしれている。私を駆動させる冷徹なプロセッサなんて、部屋のドアを閉めた瞬間にすべてシャットダウンしてしまっていた。今の私は、アカネが足りなくて完全にエネルギー切れを起こしている、ただの寂しがり屋なセイカだった。

 

 

「ふふ、今日のセイカさんは、いつも以上に甘えん坊さんですね? 観測士としての冷徹なプロセッサは、どちらへ置いてきてしまったのですか?」

 

「……そんなものは、明日まで起動しません。今の私は、アカネに甘えることしか計算できないよう、思考回路がバグを起こしているんです」

 

 

 少しだけ鼻にかかった、自分でも驚くほど甘えた声音が口をついて出る。

 そんな私の姿を、アカネは琥珀色の瞳を愛おしそうに細めて見つめると、「では、専属メイドとして、至急私を補給して差し上げなければいけませんね」と囁きながら、私の腰に回した腕にぐっと力を込めた。

 

 薄い絹の寝衣越しに、お互いの柔らかな肌の感触が重なり、二人の隙間が完全にゼロになる。ダイレクトに響き合う、高鳴る心臓の鼓動。

 

 

「……んむっ」

 

 

 どちらからともなく顔が近づき、自然と唇が塞がれた。

 お互いの存在を確かめ合うような優しいリップノイズ。けれど、一度触れ合ってしまえば、それだけで私の演算装置が満足するはずもなかった。アカネの手が私のうなじをそっと包み込み、優しく、けれど執拗に、深く吸い付くような口づけへと変わっていく。

 

 

「ふは……っ、ちゅ、あん……あかね……っ」

 

 

 何度も角度を変えて重ねられる唇。その隙間から、私の甘い吐息と、ちゅ、と濡れた小さな水音が静かな寝室に響き渡る。恥ずかしさで私の顔は一気にオーバーヒートしていったが、拒むことなんてできるはずもなく、私はアカネの首筋に細い腕をしっかりと絡ませ、自らも応じるように熱い舌を絡ませて、彼女の体温を貪った。

 

 唇が離れるたび、互いの吐息が白く交じり合う。私の頭の中は、もはや複雑な数式などひとかけらも残っておらず、ただアカネに愛されているという強烈な多幸感だけで満たされていた。

 

 

「あ、かね……もう、熱いです……。私のバイタルデータ、絶対に限界数値を振り切っています……」

 

「ふふ、構いませんよ。オーバーヒートして動けなくなってしまったら、私が一生、ベッドの上で責任を持ってお世話して差し上げますから」

 

 

 アカネは悪戯っぽく囁きながら、私の愛らしい――と彼女がいつも言ってくれる――耳たぶを優しく食み、そのまま白く滑らかな首筋へと唇を這わせていった。

 ちゅう、と痕を残すように柔らかく吸い上げられるたび、私の身体はビクンと甘く震え、シーツを握りしめる指先にきゅっと力がこもってしまう。

 

 

「ひゃ、んあ……っ! め、メイドの特権を、乱用しています……っ」

 

「いいえ、これは愛する人限定の、特別な『お掃除(ご奉仕)』ですよ?」

 

 

 アカネは顔を上げると、息を荒くして潤んだ私の目をじっと見つめ、優しく頬を包み込んだ。そして、こぼれ落ちそうな愛をすべて注ぎ込むように、再び私の唇を深く塞いだ。

 

「……愛していますよ、セイカさん。私の世界には、あなた以上の最適解なんて、最初から存在しないのですから」

 

「……はい。私も、私のすべての因果を賭けて、アカネを愛しています……っ」

 

 

 外の世界がどれほど揺らごうとも、関係ない。

 このソラノミの最深部で、お互いの鼓動を完全に同調させながら、私たちは一つの甘やかな温もりへと融和していった。私はアカネの心地よい体温と、絶え間なく注がれる無償の愛に包まれ、これ以上ない幸福感に胸を満たしながら、最愛の人の胸の中で、静かに、深い眠りの底へと沈んでいくのだった。

 

 

__________

 

 

 

 ソラノミの人工太陽が、居住区に柔らかな茜色の光を届け始める。

 キヴォトスの地平線から昇る本物の太陽の光を模したその輝きが、私の部屋の遮光カーテンの隙間から差し込み、私の意識を正確に覚醒へと導いた。

 

 

「……時刻、午前06時00分。バイタル、完全正常」

 

 

 ベッドから起き上がり、私は軽く身体を解した。昨日あれほどの極限負荷追従テストを行ったというのに、筋肉の疲労も、脳波の過熱による頭痛も一切ない。ルミナス・コアの調律が、私の肉体の細胞レベルにまで完璧な融和(ヒーリング)をもたらした証拠だった。

 

 リビングへと向かうと、そこには既に、メイドの制服に身を包んだアカネが、朝の陽光を背に浴びながら、テーブルの上に朝食を並べているところだった。

 

 

「あら、おはようございます、セイカさん。素晴らしいお目覚めですね。今朝は特製のクロワッサンと、フレッシュなオレンジジュースをご用意しましたよ」

 

「おはようございます、アカネ。素晴らしい香りに、私の胃袋の消化システムが瞬時に最大稼働を始めました」

 

「ふふ、嬉しいお言葉です。昨日のがんばりを見ていましたから、今朝は少しだけ栄養価を高めに設定しておいたのですよ」

 

 

 アカネが私の席へとお皿を置くのと同時に、反対側の扉から、眠そうに小さな目をこすりながらケイが歩いてきた。彼女の髪は、寝癖で少しだけ右側が跳ねている。そのあまりにも愛らしい「計算外の乱れ」に、私の口元は自然と緩んだ。

 

 

「おはよう、ケイ。まだ少し眠いですか?」

 

「……お父さん、お母さん、おはようございます。……私の内部クロックは覚醒を示していますが、肉体の起動プログラムが0.03秒ほど遅延しています。……ですが、問題ありません。クロワッサンの糖分を検知したため、まもなく完全同期します」

 

 

ケイはすと、と私の隣の席へ座ると、私が手を伸ばしてその跳ねた髪を優しく撫で、整えてあげるのを、嬉そうに目を細めて受け入れていた。

 

 

「お、お父さん、朝一番からの突発的なヘッドスキンシップは論理的ではありません。……い、嫌だとは言っていませんが、脳波の覚醒シーケンスが乱れるため警告します」

 

 

 顔を赤くするケイ。しかしその直後、目の前のアカネが「あらあら、ケイ、朝からお父さんに甘えられて良かったですね」と蜂蜜のように甘い声音でからかってくると、ケイは一瞬でフリーズした。

 

 真っ赤になった顔をさらに熱くさせ、言葉を失ったまま、アカネのエプロンドレスの裾を小さな指先できゅっと強く握りしめる。

 

 

「う、ぅ……お母さん、意地悪です……っ」

 

「ふふ、ごめんなさい。さあ、冷めないうちに召し上がれ」

 

 

 アカネに優しく頭を撫でられ、ケイは完全にデレデレのフリーズ状態のまま、嬉しそうにクロワッサンを小さく齧り始めた。

 

 

「セイカさん、今日の予定はどのようになっていますか? もしお時間が許すのであれば、ソラノミの第三倉庫のお掃除を徹底的に行いたいと思っているのですが……」

 

 

 アカネが紅茶を注ぎながら、物柔らかに、けれどその瞳の奥に「すべての汚れを爆破する」というお掃除狂としての極上の熱量を微かに覗かせながら問いかけてきた。

 

 

「ええ、問題ありませんよ、アカネ。メテオストライカーの稼働データ採取は昨日で100%完了しました。機体のメンテナンスも完全グリーン。今日は丸一日、ソラノミのシステム維持と、あなたのお掃除のサポートに私の演算のすべてを割くことができます。――ああ、それから、山海経の玄龍門から正式に連絡が入りました。ルミナス・コアの完成に伴い、毒の除去を行いたいためソラノミを訪れる。日時はまた後程……とのことです」

 

「まあ! それは本当に喜ばしいことです。ようやくキサキさんの毒を無事にとりのぞけるのですね。お迎えするために、リビングも倉庫も、より一層気合を入れてピカピカに『お掃除』しておかなければいけませんね」

 

「了解。……キサキ門主の来訪ルートにおける安全確率、および医療ユニットの点検開始。……お父さん、お母さん、私もお掃除の効率化でお手伝いします」

 

 

 ケイもスコーンを小さく齧りながら、やる気十分に瞳を輝かせた。

 

 因果律を統べ、蒼穹を駆ける白銀の流星。その真の目的が、この小さなテーブルを囲む、なんてことのない穏やかな朝の景色の中にある。

 かつてみんなで手を伸ばして掴み取った『奇跡』。それが今、こうして何気ない朝の会話と、大切な友人からの嬉しい報せという『当たり前の日常』になって還ってきた。外の世界がどれほど揺らごうとも、どれほど過酷な運命が押し寄せようとも、私の立てた数式と、この完全に蘇ったメテオストライカーが、そのすべての因果を叩き潰して、この温もりを守り抜く。

 

 

「さあ、みんな。美味しい朝食を済ませたら、私たちの『我が家』を、どこまでも澄み切った完璧な姿へと調律しにいきましょうか」

 

 

 私の言葉に、アカネはどこまでも愛おしそうに微笑み、ケイは誇らしげに小さく胸を張った。

 宇宙戦艦ソラノミは、今日も大切な家族の愛をその中心に宿しながら、無限の未来へと向かって、静かに、そして力強く舵を切るのだった。

 

 

 




門主様の毒を取り除く準備が整いました!!!
この後2話くらいしたら再び山海経の話にいきます

……最近タイトルに白銀が多いな
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