未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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星の巡りと、あなたの生まれた日

 

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクールの朝は、常に高度にシステム化された無機質な電子音から始まるのが常だった。しかし、宇宙戦艦「ソラノミ」の最奥にある主寝室に響くのは、そうした味気ないアラームではない。ただ一定の周期で静かに時を刻む、クラシカルな機械式の時計の音と、もう一つ――自分のすぐ隣から聞こえる、愛おしいほどに穏やかな寝息の音だけだった。

 

 

「……ん」

 

 

 微かな呟きと共に、天野江セイカはゆっくりと瞼を開いた。寝起き特有の、少し焦点の合わない瞳でぼんやりと周囲を見渡す。190cmの、すらりとしすぎているほどの長身を優しく包み込んでいるのは、上質なシーツの感触と、それから――自分の身体をそっと抱きしめるように回された、温かい腕のぬくもりだった。

 

 

「……あ」

 

 

 視線を少しだけ下に向けば、そこにはシーツの海に水色の長い髪を散らせた自分と、その髪に優しく指を絡めるようにして、穏やかな微笑みを浮かべて眠る室笠アカネの姿があった。セイカの頭上に浮かぶヘイロー――「舵輪」の方陣を模した幾何学的な光――が、照れ隠しのように、いつもより少しだけ速い周期でチカチカと回転を始める。

 

 ふと、部屋の調光システムが作動し、壁のディスプレイに本日の日付が表示された。

 

【 6月14日 】

 

 自分の誕生日だ。普段なら「365日の中の、ひとつの24時間」として論理的に処理するはずのその数字。けれど今、腕の中に伝わるアカネの体温が、セイカの胸に、砂糖を口に含んだときのような確かな甘い予感を広げていく。

 

 

「……起きていらっしゃるのでしょう? セイカさん」

 

 

 蜂蜜のように甘い、上品な声音がすぐ耳元で鼓膜を揺らした。いつの間にか目を覚ましていたアカネが、愛おしさが溢れて隠しきれないといった様子で、セイカを見上げている。その瞳はどこまでも優しく、精度を欠いた冷徹さなど微塵もなく、恋人を全面的に包み込むような甘い独占欲が潤んでいた。

 

 

「……アカネ。おはよう、ございます。……気づいて、いたのですか」

 

「ふふ、当然です。大好きなあなたの鼓動が、お目覚めと同時に少しだけ速くなりましたから。……おはようございます、セイカさん」

 

 

 アカネはそう言って、シーツの中からそっと自分の左手を滑り出させた。その薬指には、朝の光を浴びて静かにきらめく指輪が嵌められている。彼女はその手で、セイカの左手を優しく包み込んだ。セイカの左手薬指にあるものと、全く同じ、唯一無二の絆の証。指輪同士がカチリ、と小さな音を立てて重なり合う。

 

 

「本日は6月14日……セイカさんがこの世界に生まれてきてくださった、私にとって何よりも特別な記念日でございます。お誕生日、おめでとうございます、私の大切な観測士」

 

「……っ、あ、アカネ……。朝から、その、甘やかしの演算が、過剰、です……」

 

 

 いつもなら冷静な観測士も、同じベッドの中で受ける恋人の全力の愛情表現を前にすると、途端に論理的な思考回路がショートしてしまう。白い肌をみるみるうちに林檎のように赤く染め、190cmの身体を布団の中で小さく丸めるようにして、アカネの胸元に顔を埋めた。

 

 

「ふふ、もう。そんな風に縮こまって……可愛いですね。ですが、本日はあなたが限界ラインを気にする必要はございません。ベッドの中から出られないくらい、お砂糖をたくさん補充して差し上げますからね?」

 

「……ん。……アカネの、お砂糖なら……いくらでも、欲しい、です……ね?」

 

 

 極上の幸福感に包まれながら、二人がさらに腕の力を強め、もう一度深い口づけを交わそうとした、その時だった。

 

 トントン、と少し遠慮がちながらも、規則正しいリズムで寝室のドアが叩かれた。

 

 

「お父さん、お母さん。現在時刻は06時14分です。お父さんの生存戦略の起点となった記念すべき瞬間に合わせて、お祝いの言葉を述べに来ました。……入室の許可を求めます」

 

 

 ドアの向こうから聞こえてきたのは、愛娘である室笠ケイの、少しお堅いです・ます調の声だった。

 

 

「……あ。ケイ、ですね」

 

「ふふ、お寝坊な親を起こしに来てくれたようですね。いいですよ、ケイ」

 

 

 アカネがクスクスと笑いながら声をかけると、ガチャリとドアが開き、エプロン姿のケイがひょこっと顔を出した。その小さな手には、お砂糖がこれでもかと乗ったハニーフレンチトーストの皿が握られている。ケイはベッドの上で身を寄せ合っている二人を見て、少しだけ羨ましそうに、だけど生真面目に居住まいを正した。

 

 

「お父さん、お誕生日おめでとうございます。計算上、本日はお父さんが世界で一番甘やかされるべき日だと導き出されました。ですから……その、私もお母さんと一緒に、お父さんの朝食を作りました。非効率的なメニューですが、糖分の補給には最適です」

 

「……ケイ。おはよう、ね。……ふふっ、お父さんのために、わざわざ作ってくれたのかな」

 

 

 セイカがベッドから上半身を起こし、優しく穏やかな、親らしいニュアンスを声音に混ぜて、長い手を伸ばしてケイの頭をぽんぽんと撫でる。すると、ケイのAIのような冷静な表情が一瞬で崩壊した。白い頬をたちまち真っ赤に染め、早口でまくし立てる。

 

 

「お、お父さん! ベッドの中で子ども扱いして頭を撫でるのは論理的ではありません! 嫌だとは言っていませんが……お母さんの前でこのようなスキンシップは、その、気恥ずかしいですから今すぐ止めてください!」

 

「ふふっ。……もう、ケイは照れ屋さんですね。でも、そんなところも、すごく可愛い、ですよ」

 

「な、何ですかそれは! 私は事実を報告しているだけで、照れてなどいません!」

 

 

 あわあわと動揺して、結局はベッドの脇にトコトコと近づき、アカネの腕の中に潜り込もうとする愛娘。アカネはそんなケイを愛おしそうに抱き寄せ、開いた片方の腕で、今度はセイカの引き締まった腰をぐっと引き寄せた。

 

 

「さあ、ケイもお父さんのベッドに仲間入りですね。セイカさん、今日の一日はまだ始まったばかりでございます。まずはこのベッドの中で、私どもの特別なおもてなしをたっぷりと受け取ってくださいね?」

 

「……っ。……はい。私も、お母さんとケイがいてくれて……世界で一番、幸せ、ですから……」

 

 

 おそろいの指輪が光る手を重ね合い、三人でぎゅっと抱き合う。天野江セイカの、甘やかさに満ちた特別な誕生日が、こうして一番温かいベッドの中から、静かに幕を開けたのだった。

 

 

__________

 

 

 

 

 ベッドの中での朝の時間がひと段落し、ケイ特製のハニーフレンチトーストを無事に完食した頃には、主寝室の時計はすでに午前10時を回ろうとしていた。

 

 ソラノミのメインリビング――。

 普段は冷徹なまでのシステム管理と、セイカが趣味で集めたヴィンテージな機械式時計が調和するその広大な空間は、今や見慣れた「我が家」の温かさに満ちていた。

 

 

「お父さん、襟が僅かに右へ0.4ミリほど傾いています。……修正を許可してください」

 

「あ、ありがとう、ケイ。……少し、緊張して、いるのかもしれませんね」

 

 

 アカネがこの日のために仕立てた上質な私服に身を包んだセイカは、どこかそわそわとした様子で愛娘を見下ろしていた。セイカが少し長身の身体を屈めると、エプロンを外して「お留守番モード兼・おもてなしモード」のシステムドレスに着替えたケイが、小さな手で器用にその襟元を整えていく。

 

 

「無理もありません。本日の来訪者データを確認しましたが……ミレニアムの最高知能に、C&Cの特異戦力、ワイルドハントの芸術的感性、そして私の親友。極めて賑やかなパラメータになることが予想されます」

 

「ふふ、ケイの言う通り、今日は賑やかになりますよ?」

 

 

 パタパタと小気味よいステップの音と共に、キッチンの方から大きなトレイを抱えたアカネが姿を現した。

 

 

「ネル先輩方も、今回のお茶会をとても楽しみにしていらっしゃいましたから。カリンもアスナ先輩も、セイカさんのお祝いのために、数日前からスケジュールを完璧に調整していたのですよ」

 

 

 トレイの上には、山のように積まれた極上のスコーンと、最高級の茶葉から淹れられたアールグレイのティーポット。その気品のある香りがリビングを満たしていく。

 

 

「それに、ヒマリ先輩やトキちゃん、セイアさん、レナちゃんまで……。これほどのメンバーが、私の大好きな人のために集まってくださるなんて、メイドとしても、その……セイカさんの『お隣』に立つ身としても、これ以上の誉れはございません」

 

 

 アカネはトレイをテーブルに置くと、セイカの隣へと歩み寄り、その長い腕にそっと自分の身体を預けた。薬指の指輪同士が、カチリと微かな音を立てる。

 

 

「……アカネ。……みんなを、おもてなしする側の私たちが、そんなに密着していては……論理的に、示しが、つかないのでは……?」

 

「いいえ、本日のソラノミの第一基本法は『お父さんを全肯定で甘やかすこと』です。お母さんの行動は完全に仕様通りです」

 

 

 少しだけ視線を泳がせるセイカの横で、ケイが真顔のまま、しかしどこか満足げにシステムログを読み上げる。

 

 その時だった。

 ソラノミの全域を管理するメインシステムが、電子のチャイムを鳴らし、リビングの空間投影ディスプレイに美しい幾何学的なホログラムを浮かび上がらせた。

 

 

「……っ、来ましたね」

 

 

 セイカのヘイローが、緊張と期待でチカチカと小さく回転の速度を上げる。

 アカネはセイカの腕に重ねていた手をそっと離し、しかしその瞳には深い愛おしさを湛えたまま、メイドとしての一礼の姿勢を取った。

 

 

「さあ、お迎えいたしましょう。セイカさん、ケイ。……私どもの、大切なお客様方です」

 

 

 ソラノミの重厚なエントランスゲートが、静かに駆動音を立てて開き始める――。

 

 

「――開いたぞ! おい、セイカ!!」

 

 

 エントランスゲートが完全にスライドしきるより早く、格納庫の静寂をぶち破るような、快活で大きな声がリビングに飛び込んできた。C&Cのリーダー、美甘ネルだ。

 

 

「誕生日おめでとう、セイカ! 主役のツラ拝みに来てやったぜ!」

 

「セイカちゃん、お誕生日おめでとう~! わあ、今日もソラノミはすっごく広くてカッコいい~!」

 

 

 ネルの背後から、文字通りぴょんぴょんと跳ねるような勢いで飛び出してきたのは一之瀬アスナだった。彼女は部屋に入るなり、セイカの姿を見つけて天真爛漫な笑顔を弾けさせる。そのすぐ後ろからは、少し大きな箱を両手で大事そうに抱えた角楯カリンが、前を走る二人を咎めるようにサバサバとした硬いトーンで歩み寄ってきた。

 

 

「先輩たち、入るなり騒ぎすぎだ。……内規違反になるぞ」

 

 

 カリンはネルとアスナを小さく睨んでため息をついた後、すぐにセイカの方へと向き直った。スッと背筋を伸ばし、メイドとしての意識を働かせるように、どこか少しぎこちない丁寧さで一礼する。その肌が、ほんの少しだけ照れくささで赤らんでいる。

 

 

「セイカ、お誕生日おめでとう。これ、C&Cのみんなで選んだプレゼントだ。……日頃の感謝を込めて持ってきた。受け取ってほしい」

 

「ネル先輩、アスナ先輩、カリン。ふふ、ようこそ我が家へ。皆さんが揃って来てくださるなんて、本当に嬉しいです。どうぞ中へお入りください」

 

 

 アカネが胸元にそっと手を当て、同じ部活の仲間を迎える親しみと、この家の主のパートナーとしての深い慈愛が入り混じった、完璧に美しい一礼で同僚たちを迎える。

 

 

「おめでとう、セイカさん。……C&Cの皆さん、エントランスでのダッシュはソラノミの内規に抵触します。……ですが、本日はお父さんの記念日につき、例外として警告を1回免除します」

 

 

 アカネの隣で、ケイが真顔のまま、しかし小さな手でパチパチと拍手をしながらお祝いのシステムログを読み上げた。

 

 そんな賑やかなメイドたちの先陣から一歩遅れて、静かに、しかし圧倒的な存在感を放ちながら室内へと進み出てくるメンバーがいた。

 

 

「フフ……全キヴォトスの理と英知が祝福するこの記念すべき日に、超天才病弱美少女にして、ソラノミのシステムすらも美しくハッキングできてしまいそうなこの私が、直々にお祝いに駆けつけてあげましたよ。――お誕生日おめでとう、セイカちゃん」

 

 

 車椅子の上で、いつものように自信に満ちあふれた完璧な美貌を輝かせる明星ヒマリ。その車椅子の後ろを、寸分の狂いもない正確な足取りで押しているのは飛鳥馬トキだった。トキはセイカの前に来ると、車椅子を止め、スッと綺麗な直立不動の姿勢を取る。

 

 

「セイカ、お誕生日おめでとうございます。本日の私は、ヒマリ先輩の護衛兼, あなたを全肯定で祝福する『バースデー・エージェント』として稼働します。ピース、ピース」

 

 

 無表情のまま、指先で器用にダブルピースを作るトキ。そのあまりのシュールさと温かさに、リビングの空気がさらに和んでいく。

 

 

「ふふ、相変わらず賑やかだね、君たちは。……セイカ、私からもお祝いを言わせておくれ。誕生日おめでとう。君という特異な観測士がこの世界に生まれてきてくれたこと、私たちがこうして君の家に集える奇跡に、心からの祝福を」

 

 

 どこか神秘的で深みのある笑みを浮かべて語りかけてきたのは、百合園セイアだった。彼女の狐耳が、周囲の賑やかさを楽しむようにピコピコと心地よさそうに揺れている。

 

 その穏やかでハイレベルな空気の中、セーラー服の上に羽織った外套の襟をギュッと掴み、他校の大物たちに舐められまいと必死に肩を怒らせたワイルドハント芸術学院の衣斐レナが、フンと鼻を鳴らして一歩前に踏み出した。

 

 

「ちょっと! 勝手にセイカさんを概念化しないでくれる!? オカルトみたいなインチキは全部お見通しなんだから! セイカさんの素晴らしさは、もっとこう……視覚的かつロジカルに構築された、芸術としての完璧な美しさなんだからねっ!」

 

「おや……」

 

 

 セイアが予想外の勢いのある噛みつきに、面白そうに狐耳をピコピコと揺らす。

 レナはソラノミの圧倒的な超技術空間と、目の前に並ぶキヴォトス屈指の天才たちの威圧感に、本当はめちゃくちゃビビっているのを隠すため、必死に虚勢を張ってツンツンとしたトーンで捲し立てた。

 

 

「だ、大体、今日の主役はセイカさんなんだから、難しく語る方がおかしいんだし! セイカさん! お誕生日、本当におめでとうございますっ! ほら、これを見なさいよ!」

 

 

 レナは頬を真っ赤に染め上げ、オタクとしての限界感情と恥ずかしさを必死のイキリで覆い隠しながら、胸元に抱きしめていたスケッチブックをセイカの前にバッと広げて見せた。

 

 

「今日のこの、ソラノミの温かい空気と……みんなに囲まれて、少し照れながらも本当に幸せそうに笑っているセイカさんの姿を……私のキャンバスに、完璧に記録してあげたんだから! まだ途中なんだからねっ! 受け取ってください!」

 

 

 そこに描かれていたのは、ソラノミのリビングの中心で、アカネとケイに寄り添われながら、頑なさを解いて心の底から穏やかに微笑んでいる観測士の姿だった。必死に虚勢を張る口調とは裏腹に、そこには家族の『温かさ』そのものが、繊細で溢れんばかりの愛を感じさせる筆致で克明に切り取られている。

 

 

「……っ、これ……」

 

 

 セイカのヘイローの回転が、一瞬だけピタリと止まる。

 目の前の少女が、虚勢の裏に隠しきれない純粋な熱量で自らを描写してくれたことに、天才観測士はいつもの冷静さを保ちつつも、小さく感嘆の息を漏らした。

 

 

「……素晴らしいです、レナさん。お父さんの本質的な幸福の波形が、視覚情報として完璧に定着されています。口調の攻撃的パラメータに対して、出力された芸術データが極めて高純度なツンデレ仕様です。この絵画データは、室笠家の最重要家宝プロトコルに指定されるべきです」

 

「ちょっと、何言ってるのよっ!? ツ、ツンデレなんてインチキな定義で私を分析するんじゃないわよ! 私はただ、セイカさんのファンとして、当然の初期衝動をロジカルに描いただけなんだからねっ……っ!」

 

 

 ケイの淡々とした指摘に、おすまし顔を維持できなくなったレナは一気に余裕をなくし、素のトーンでギャーギャーと声を裏返らせて慌てふためいた。

 

 

「ええ、本当に……。レナさん、ありがとうございます。セイカさんのこんなに素敵な表情を捉えていただけるなんて、専属メイドとしても、言葉になりません」

 

 

 アカネがそっと自らの胸元に手を当て、唯一無二の絆の指輪をきらめかせながら、心からの感謝を込めて一礼する。その「正妻の余裕」とも言える完璧な美しさと気品を前にして、レナは完全に圧倒され、「ひゃ、ひゃい! ど、どういたしまして……!」と必死の虚勢もボロを出して縮こまってしまった。

 

 一斉に注がれた、学園の垣根をも完全に越えた「おめでとう」の弾幕。

 これほど純粋で、圧倒的な密度の祝福を前にして、セイカは内心の演算プロセッサをフル回転させて言葉を選んでいた。しかし、大勢のゲストの前であるため、表情にはいつものクールで理知的な佇まいを崩さない。

 

 ただ、ほんのわずかだけ視線が彷徨い、隣に立つアカネをそっと盗み見る。

 その一瞬の揺らぎだけで、アカネはセイカが「みんなの前だから平静を装っているけれど、本当はキャパシティが限界に近いこと」を瞬時に察し、くすくすと愛おしそうに喉を鳴らした。そっとセイカの手をテーブルの下で握り締め、彼を支えるように微笑みかける。

 

 

「皆さん、どうぞこちらへ。特等席をご用意しております」

 

 

 アカネは一同を広大なメインソファへと案内した。

 全員が席につくと、テーブルの上は一気に華やかさを増した。アカネとケイが用意したスコーンや紅茶に加え、C&Cの面々が持ち込んだ色とりどりのプレゼントの箱が並び、完全に極上のパーティー会場へと上書きされていく。

 

 

「おーう! これ、アカネとケイが作ったのか? 相変わらずめちゃくちゃ美味そうじゃねえか!」

 

 

 ネルがソファにドカッと深く腰掛け、大振りのスコーンを一口で頬張りながら満足げに喉を鳴らす。

 

 

「わあ~! この紅茶、すっごくいい匂い! ねえねえセイカちゃん、お誕生日おめでとうだから私と一緒に写真撮ろうよ! はい、チーズ!」

 

「あ、アスナ先輩……っ、突発的な、撮影プロトコルは、その……心の準備が……」

 

 

 アスナ先輩がいつも通りの天真爛漫さでセイカの隣に飛び込み、ぐいぐいと肩を寄せてスマートフォンを向ける。セイカはいつもの理知的なトーンを保とうとしつつも、彼女の純粋な善意に押し切られ、ヘイローをパタパタと忙しなく回転させていた。

 

 

「アスナ先輩、主役をそうやって強引に困らせるな。……っ、セイカ、さっきのプレゼントだが、後で時間がある時にでも開けてくれ。ネル先輩とアスナ先輩の意見をまとめるのは……その、少し骨が折れたからな。気に入ってもらえるといいんだが……」

 

 

 カリンはセイカに対してサバサバとした、けれど不器用な誠実さを隠せない視線を戻してお茶を口にする。その様子を見守るように、ソファの特等席に鎮座したヒマリが、フフ、と満足げな笑い声を漏らした。

 

 

「流石はミレニアムが誇る美少女エージェントたち、お祝いの熱量も規格外ですね。しかし、いつ見てもこのソラノミの環境維持システム……環境を統括するケイの演算処理能力。ふむ、超天才病弱美少女の私をして、少々嫉妬してしまいそうなほどに美しいロジックで構築されていますね」

 

「ヒマリ先輩。その評価は、私およびお父さんの全演算に対する最高値の賛辞としてストレージに格納します。……ですが、ソラノミのメインフレームへのハッキングの試みは、たとえ先輩であっても内規により即座に電磁ロックの対象となります。現在、私の防壁は100%の警戒を維持しています」

 

「おや、手厳しい。ですが、その徹底した安全管理こそが、セイカちゃんの『家』に相応しい仕様というわけですね」

 

 

 ヒマリとケイが、真顔のまま火花を散らすような、しかしどこかお互いの知性を認め合うような高度なシステム談義を交わす。その車椅子の後ろでは、トキがいつも通りの無表情で直立していた。

 

 

「ヒマリ先輩、お茶会の最中の電脳戦はエネルギーの非効率的な消費を招きます。セイカ、こちらの特製クッキーもお召し上がりください。本日の私は、あなたの咀嚼と栄養吸収を全肯定で見守るエージェントです。ピース、ピース」

 

 

 トキが無表情のまま再びダブルピースを繰り出し、セイカにお菓子を勧める。

 

 

「あ、ありがとう、トキ……。みんなの、気遣いが、本当に……」

 

 

 セイカが不器用ながらも冷静にお菓子を受け取る姿を、少し離れた席から、長い狐耳をピコピコと心地よさそうに揺らしながら眺めていたのはセイアだった。

 

 その尊すぎる光景を横目で見ていたレナは、オタク特有の限界感情が限界突破しそうになり、今度は慌ててアールグレイをゴクゴクと一気に飲み干した。

 

 

「(っ、な、何今の美しすぎる会話パラメータ……!? セイアさんずるいし! そんな神秘的な距離感でセイカさんの文脈に寄り添うなんてインチキだから! ああ、でもそれに応えるセイカさんの儚くもクールな微笑み、最高に絵画的だし……! 感情をあまり表に出さないあの佇まいこそが至高なんだからねっ! 私の網膜のストレージが融解しちゃうからねっ……!)」

 

「レナさん、顔が真っ赤ですが、ソラノミの室温が体感データと乖離していますか? または、オカルト的な怪奇現象による体温上昇でしょうか」

 

「ちょっと、何言ってるのよっ!? 怪奇現象なんてこの世に存在しないって言ってるじゃない! 私はただ、お茶が美味しくて少しのぼせただけなんだからっ!」

 

 

 ケイの淡々としたツッコミに、レナがまたしても両手を振り回して必死に強がる。その余裕のない叫びに、リビングは再びアスナ先輩の歓声とネルの豪快な笑い声、そして全員の賑やかな祝福の音で包まれていく。

 

 

「みんな……本当に、本当に、ありがとうございます……。……今日という、この奇跡的なパラメータだけは……私のどんな数式でも、予測、できませんでした。この世界で一番、私は……幸せな主役、です……」

 

 

 セイカはいつもの理知的で少し硬いトーンを保ちながらも、今度は逃げることなく、集まってくれた大切な仲間たちの目をまっすぐに見つめて、深い感謝を口にした。

 

 

「へへ、何言ってんだよ。お前が主役んだから、今日はこれでもかってくらい楽しめよ!」

 

 

 ネルが笑いながらセイカの背中をバシバシと叩き、温かい時間が流れていく。

 

 学園の垣根を越えた最高の仲間たちと、愛する家族。

 ソラノミの中心に灯ったこの上なく温かい笑顔の熱量は、外の冷たい蒼穹の宇宙空間を完全に忘れさせるほどに、いつまでも、いつまでも、室笠家のリビングに賑やかに響き渡り続けるのだった。

 

 

__________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 賑やかだった誕生日の宴が幕を閉じ、ソラノミのゲスト用客室に全ての来訪者たちが無事に収まった頃には、時計の針はすでに深夜の2時を指そうとしていた。

 

 あれほど賑やかだったメインリビングは、今は嘘のように静まり返っている。

 システムが夜間維持モードへと移行し、照明が淡いアンバー色に落とされた空間には、セイカが趣味で集めたヴィンテージな機械式時計が時を刻む、チク・タクという小さな規則的な音だけが静かに響いていた。

 

 

「お父さん、お母さん。ゲストの皆様は全員、指定客室にて就寝されたことを確認しました。……本日のミッションはこれにて、完全な成功を以て終了です」

 

「ありがとう、ケイ。本当に助かりました」

 

「いいえ。……ですが、私の起きていられる体力パラメータも、そろそろ限界値を迎えています。……これより自室にて、朝までねようとおもいます。お二人とも、良い夜を」

 

 

 空気の読める愛娘――ケイは、少しだけ眠そうに小さなあくびを噛み殺すと、健かに一礼し、パタパタと静かな足取りで自分の部屋へと引き上げていった。

 

 リビングに残されたのは、主役である天野江セイカと、その専属メイドにして最愛の恋人、アカネの二人だけ。

 

 

「ふう」

 

 

 天才観測士は、今日一番の、心からの安堵を込めた大きなため息を漏らした。

 日中、キヴォトス屈指の天才たちや、あまりにも熱量の高いゲストたちを前にして、クールで理知的な佇まいに張り詰めていた演算プロセッサが、ようやく冷却プロセスに入る。

 セイカは少し涼むために、リビングから繋がる広大なバルコニーのガラス扉を開け、夜風の中へと一歩を踏み出した。

 

 ソラノミのバルコニーから見上げる蒼穹の夜空は、息をのむほどに澄み渡っている。

 吸い込まれそうな星々の光を浴びながら、手すりに細い手を預けて息をついていると、背後から静かな、しかし聞き慣れた確実な足音が近づいてきた。

 

 

「セイカさん。本当にお疲れ様でした。はい、温かいハーブティーです」

 

「あ、アカネ。ありがとうございます」

 

 

 振り返ると、そこにはいつの間にかエプロンを外し、ラフな部屋着を身にまとったアカネが立っていた。差し出されたマグカップを受け取ると、指先から伝わる温もりとカモミールの優しい香りが、セイカの張り詰めていた神経をゆっくりと解きほぐしていく。

 

 アカネはくすくすと嬉しそうに喉を鳴らすと、手すりに身を預けるセイカのすぐ隣へと歩み寄った。そして、確信犯的な笑みを浮かべながら、セイカの顔を至近距離でのぞき込む。

 

 

「昼間のセイカさん、とっても格好良かったですよ? ヒマリ先輩の言葉にも動じず、セイアさんの前でも、凛としていて。……流石は、私の自慢の旦那様です」

 

「っ、あ、アカネ! からかうのは、その……やめてくださいっ」

 

 

 その瞬間だった。

 日中、大勢のゲストの前ではどれだけキャパオーバーになろうとも、頑なに維持し続けていた 「クールで理学的な天才観測士」の防壁が、跡形もなく、瞬時に崩壊した。

 

 セイカの白い肌が、みるみるうちに耳の裏まで真っ赤に染まっていく。

 頭上の「舵輪」のヘイローが、昼間の比ではないほど激しく、チカチカと恥ずかしそうに明滅を繰り返した。

 

 

「本当は日中ずっと、心拍数も脳内の論理演算も完全に理論値を大幅に超過して、機能停止寸前だったのですから。それを、あなたがそんな風に……っ」

 

 

 タジタジになりながら、視線をあちこちに泳がせて抗議するセイカ。

 みんなの前でのあの毅然とした態度が嘘のように、アカネの前でだけ見せる、あまりにも無防備で愛らしい、独占的な「照れ」のパラメータ。

 

 

「ふふ、知っていましたよ。テーブルの下で手を握った時、セイカさんの手が少しだけ震えていましたから。……でも、本当に素敵でした」

 

 アカネは愛おしさが限界に達したように目を細めると、そっと長い腕を伸ばし、照れ隠しで俯こうとするセイカの身体を正面から優しく抱きしめた。

 

 

「ひゃ、ひゃいっ!? ……あ、アカネ……っ」

 

「誰も見ていませんよ、セイカさん。ネル先輩たちも客室でぐっすりですし、ケイも寝ています。……だから、もう強がらなくていいんです」

 

 

 耳元で囁かれる、優しく、包み込むようなアカネの声。

 その心地よい体温と、自分を世界で一番全肯定してくれる恋人の匂いに包まれた瞬間、セイカの身体から完全に力が抜けた。

 

 赤面したまま、しかしもう拒むことはせず、セイカは自らアカネの豊かな胸元へと額をそっと預けた。自然と腕が動き、アカネの腰へと回して、子供のようにぎゅっと強く抱きしめ返す。

 

 

「ずるいです。アカネの前だと、どうして私はこんなに論理的な思考ができなくなって、無防備になってしまうのでしょうか……」

 

「それは、ここがセイカさんの『家』で、私がセイカさんの『恋人』だからですよ」

 

 

 アカネはセイカの柔らかい髪を愛おしそうに撫でながら、そっと自らの左手を重ねた。

 月光に照らされた夜のバルコニーで、二人の薬指に嵌められた「絆の指輪」が、カチリと微かな音を立てて重なり合う。シルバーの輝きが、星空の下で静かに、繊細なきらめきを放った。

 

 

「セイカさん。改めまして、お誕生日おめでとうございます。みんなからのプレゼントも素敵でしたけれど……私からの『本当のプレゼント』は、この後の主寝室で、たっぷりお渡しさせていただきますね?」

 

「っ……!? あ、アカネ、その……出力されるセリフのニュアンスが、少々不純なデータを含んでいるような……っ」

 

「ふふ、専属メイドとしての、最上級のご奉仕ですよ?」

 

 

 再びタジタジになって顔を赤くするセイカを見て、アカネは心からの幸せに満ちた笑顔を咲かせた。

 

 どんな高度な数式でも、どんな精密な観測機器でも、この胸の痛いほどの愛おしさと幸福のパラメータを計測することはできない。

 

 

「……アカネ」

 

 

 セイカはアカネの腕の中で、まだ少し顔を赤らめながらも、今度はその紫の瞳でまっすぐに恋人の目を見つめた。不器用だけど、一切の計算を取り除いた、純度100%の本音の言葉を紡ぐ。

 

 

「生まれてきて、良かったです。あなたに出会えて、あなたの隣にいられる今が、私の人生の中で最も完璧な観測データです。……愛しています、アカネ」

 

「ええ、私もです、セイカさん。……世界で一番、愛しています」

 

 

 重なり合う二人のヘイローが、静かな夜のバルコニーを、そしてこれからの未来を優しく祝福するように、いつまでも、どこまでも温かい光を放ち続けていた。

 

 

 




誕生日ダイスで決めたら橘姉妹とおなじだったんですよね
今回は関わらなかったですがどこかでお話を書きたい
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