「……ここまで、か。玄龍門の意地を見せることもできず、あろうことか門主様を不純物の渦に巻き込んでしまうとは……っ!」
山海経特区の東翼に位置する、かつては美しかった白壁の庭園。現在はその面影もなく、黒煙と激しい硝煙がすべてを厚く覆いつくしていた。
玄龍門の近衛隊長であるミナは、幾重にも連なる瓦礫の陰に身を潜め、激しく乱れる呼吸を必死に整えようとしていた。彼女の手に握られた愛用の銃は、連続する激しい戦闘の熱で悲鳴を上げている。周囲に展開していたはずの玄龍門の精鋭たちも、申谷カイ率いるクーデター軍の圧倒的な物量と、事前に仕組まれていた高度な電波妨害による指揮系統の完全な混線により、今や完全に孤立無援の絶体絶命に追い込まれていた。
「ミナ隊長! 後方の防壁が突破されました! 敵の装甲車、さらに二騎がこちらへ急速接近中!」
「不作法な賊どもが……! 門主様が療養されている本営に、その泥靴で踏み入ろうなどと!」
ミナは悔しげに奥歯を強く噛み締めた。カイの武装集団は、山海経の正統なる統治者であるキサキの体調不良に乗じ、あまりにも周到な準備のもとでこの一斉蜂起を敢行していた。通信は完全に遮断され、どこからの応援も届かない。迫り来る無限とも思える足音と、不敵に笑うカイの残党たちの声が、確実にミナたちの命脈を絞り込んでいく。
「全員、最後の着力まで戦うぞ! 玄龍門の誇りを、この程度の不純物に汚させてはならない!」
ミナが最後の覚悟を決め、引き金にかけた指に力を込めた、まさにその瞬間だった。
ピキィィィィィン――――――――。
それは、戦場の喧騒をすべて一瞬で置き去りにする、あまりにも澄み切った、そして絶対的な結晶の響きだった。
山海経のどんよりとした曇り空、その一角が、まるでガラスが割れるかのように空間ごと大きく歪み始める。直後、その亀裂から、吸い込まれそうなほどに深く、美しいエメラルドグリーンの光粒子が、天からの豪雨のように激しく全域へと降り注いだ。
「な、なんだ……!? 何が起きている!?」
「空が……光っている……?」
敵も味方も、引き金を引く指を完全に止め、唖然としてその天空を見上げた。
次の瞬間、大気を物理的に圧搾するような, 重厚で巨大な油圧の駆動音が全域に響き渡る。次元の壁を強引に抉り開ける轟音とともに、雲海を割り、エメラルドグリーンの光粒子を纏ってその圧倒的な威容を現したのは――宇宙戦艦ソラノミであった。
洗 練された幾何学的なラインを持つ、未知の超弩級戦艦。その巨大な質量が山海経の上空に君臨しただけで、地上のあらゆる建造物が小さく影を潜める。
「な、何んだあの巨大な質量は……!? 航空戦力など、山海経には存在しないはずだぞ! 構うな、撃て! 叩き落とせ!」
恐怖を紛らわすように叫ぶ武装集団の現場指揮官が、慌てて地対空ミサイルや重機関銃の火線をその巨大な船体へと一斉に集中させた。数条の光条がソラノミへと殺到する。しかし、激トツの寸前、ソラノミの艦首にハニカム状の幾何学的なエメラルドグリーンの光の防壁が展開された。
ズガァァァン! ズガァァァン!!
激しい爆発音が響くが、煙が晴れたソラノミの装甲には、塵一つの傷すらついていなかった。すべての火線が、ミリ単位の狂いもなく完全に弾き返されていた。
「敵対勢力からの対空砲火を検知。艦首防壁、出力を最大値に固定しました。……お母さん、不純物の接近を百パーセント遮断完了です。我が家の領域、および先生のいらっしゃる空間への立ち入りは、論理的に一切許可されていません」
ソラノミのメインブリッジ、その高性能コンソールの前で、室笠家の愛娘――ケイが、冷静に作戦通信回線へとその声を流した。その表情は生真面目そのもので、一切の妥協を許さない。
「ふふ、よくできました、ケイ。本当に頼りになる私の可愛いオペレーターですね。それでは、山海経の全域を覆っている不作法な電波妨害ネットワークへの、逆ハッキングおよび電脳戦を敢行します。……この美しいエリアに散らばる汚れは、一文字残さず電子的にデリートしましょうね」
ケイの隣で、優雅に、けれど絶対的な技術力をもってキーボードを叩くアカネの、蜂蜜のように甘い声音が重なる。
ソラノミの降臨。そして室笠家の母娘による完璧な初期オペレーションにより、戦場のパワーバランスは、地上の誰一人が理解できない次元で根底から覆ろうとしていた。
_________
ソラノミの重厚な艦底ハッチが、空間を断裂させるほどの金属音を響かせて滑らかに開く。その暗闇から、地上へ向けて「ただ一人」で、音速を超える速度のまま真っ直ぐに急降下してくる超質量があった。
天野江セイカである。
漆黒の外套が引き裂かれんばかりに大気を叩き、猛烈な衝撃波を引き連れて降下するその最中、彼女の背中から美しくも巨大な「水色の翼」が展開された。
同時に、彼女の周囲に完全自律して静かに滞空していた12基のフィンファンネルが、主人のニューロン速度と完全に同期して一斉に駆動高周波を上げ始めた。
190cmという圧倒的な存在感を放つ長身、その背で激しく波打つ水色の長い髪。天を覆うように展開された光の翼と、地上の硝煙を一切寄せ付けない、洗練された白と青の12基のファンネル群。
それらが完璧な幾何学的ロジックのもとに主人の背後に連なるその背面シルエットは、まるで白と青の神聖な翼が何重にも、何重にも重なり合って戦場を支配しているかのような、神々しくも絶対的な「武の最適解」を山海経の全域へと刻みつけた。
「な、何なんだあいつは……! 怪物か!? 構うな、あの水色の羽を叩き落とせ!」
未知の恐怖に直面した武装集団が、狂ったように一斉に銃口を上空のセイカへと向け、トリガーを固定した。放たれる、空を埋め尽くすほどの対空機関砲と対空ミサイルの弾幕。
しかしセイカは、その全火線を、未来予知に近い超精密な空中機動だけで、わずか数ミリの隙間をすり抜けるようにシャープにかわしていく。なおも四方から逃げ場を塞ぐように肉薄する濃密な火網に対しては、彼女が視線をわずかに微動させた瞬間、数基のファンネルが彼女の周囲へと目にも留まらぬ速度で滑らかに展開された。
ビシィィィン――――!!
展開されたファンネル同士が鮮烈なエメラルドグリーンのビーム・エフェクトで空間の因果を繋ぎ、あらゆる物理攻撃・光学攻撃を空間ごと遮断する正四面体の絶対防御バリア―を瞬時に形成。
直撃したミサイルが次々とバリアの表面で圧搾され、幾何学的な光の壁に阻まれて虚しく爆散していく。降り注ぐロケット弾の暴風も、その爆圧すらも、一点の曇りもないスマートさで完全に無効化・霧散させてみせた。
まさにその時、戦場を制圧するセイカの作戦通信回線へ、ノイズを強引に割り込ませて「一つの声」が滑り込んできた。
『――素晴らしいね。驚異的な演算能力、そして何より、これほどの暴力を振るいながら、対象の生命活動には微塵の損耗も与えないという独善的なまでの非殺傷。……なるほど、それが君の導き出した最適解かね? 天野江セイカ』
それは、山海経の通信網を完全に掌握していたはずのアカネの防壁をすり抜け、全域の電子回線から響き渡った、氷のように冷ややかな声音。山海経の元・錬丹術部長であり、七囚人の一人――申谷カイ。
自身の軍勢が一方的に蹂躙されているというのに、その声音には焦りも怒りも微塵もない。どこか達観したような余裕を湛えたトーンのまま、冷徹な皮肉をスピーカー越しに投げかけてくる。
『君のその圧倒的な『武』は確かに美しい。だが、数式というのは不確定要素一つで容易に反転するものだ。たとえば……それが本当に、万に一つも改善の見込みがない、ただ世界を腐らせるためだけに動く生徒が相手だとしたら? それでも君や、あのソラノミに座る先生は、同じ生ぬるい選択を続けられるのかね?』
こちらの倫理の痛いところを正確に突いてくる、歪んだ執念と冷徹な知性。姿を見せずとも、その絶対的な強者としての格調高さが戦場に重くのしかかる。しかし、宙を舞うセイカの瞳は、一切の揺らぎすら見せなかった。
「ふふ。退屈な問いかけですね。改善の見込みがないバグなど、この世界には存在しません。もし存在するならば、それは演算を諦めた者の言い訳に過ぎない。――私は観測士。どのような歪んだ因果であれ、完璧に、美しく、元の正しい仕様へと添削してみせるだけです」
『だね。君ならそう言うと思ったよ。……ならば見せてみたまえ。君たちのその美学が、どこまで通用するかをね』
カイの通信が静かに途絶えるのと同時に、セイカの美しい紫の瞳の奥、そして戦場全体の空間そのものに、幾千幾万の幾何学的なマルチロックオンサイトが、網膜を焼き切るほどの密度で爆発的に展開された。
「空見の波」による未来予知と完全連動したその超越的な照準ロジックが捕捉したのは、敵生徒たちの肉体ではない。
彼女たちが手にするアサルトライフルのボルトキャリア、包囲網を形成する重戦車のトランスミッション、攻撃ヘリのローターシャフト、そして、これから極大の衝撃波が迫った際に敵生徒たちが無意識に身を守るために移動するであろう未来の回避座標――すなわち、戦場におけるすべての「兵器の因果と未来の交差点」の点と線を、数手先まで完全に固定した。
キィィィィィン――――――――!!
12基のフィンファンネルが、セイカの背後から全方位へと鋭く拡散。山海経の空を縦横無尽に駆け巡りながら、複数のファンネル同士のエネルギー出力を空中で交差・同調させ、変幻自在のオールレンジ一斉照射体制を確立する。
同時に、通常時は彼女の左右の手で独立して運用されていた、洗練された白と青の2挺の独立大出力ライフル――「メテオバスターライフル」が、胸の前で中央の接続機構へと滑らかにスライド。カチ、ガチィィン! と重厚な金属ロック音とともに完全に一体化し、一挺の巨大な主砲へとドッキングを果たした。
セイカがそのスマートかつ圧倒的なシルエットで巨大な主砲を美しく構える姿は、ミレニアムサイエンススクールの誇る超絶的な科学力の結晶が何であるかを、圧倒的な説得力をもって証明していた。
「チェックメイトです」
セイカの細く白い指先が、合体したメテオバスターライフルのトリガーを静かに、けれど深く引き絞った。
その瞬間、次元の違う「ハイマット・フルバースト」が山海経の空から炸裂した。
ズドォォォォォォォォン!!!
同期された12基のファンネルから放たれる、空間をチェス盤のように切り裂く縦横無尽のビーム。メテオバスターライフルの合体最大出力から放たれた、天をも割る極大の熱線流。それらが、先読みされた「絶対に逃れられない運命の座標」へと同時に叩き込まれ、戦場を真っ白な光の奔流で埋め尽くした。
しかし、地響きとともに山海経を包んだその圧倒的な破壊の光は、生徒たちの肉体にはかすり傷一つすらつけることはなかった。
セイカの恐るべき超精密演算は、肉体への直撃を100%回避させつつ、敵の戦車や装甲車、銃器の機関部といった不純物だけを熱線でピンポイントに融解・大破。それと同時に、直撃の周囲に発生する凄まじい大気圧の衝撃波とエネルギーの強烈な精神的ショックによって、敵生徒たちを安全に、かつ確実に一斉気絶させるという、まさに神業めいた「非殺傷の添削劇」だった。
光の残滓がエメラルドグリーンの粒子となって静かに消えゆく中、戦場に広がっていたのは、圧倒的な静寂だった。
山海経を包囲していた武装集団のじつに八割以上の戦力が、一歩も近づくことすらできずに、全員がその場で目を回し、ゴロゴロと折り重なるようにして安全に気絶していた。手にする武器はすべて完璧に機能停止させられ、戦意ごと完全に刈り取られている。
たった一射。天野江セイカ単身の、圧倒的な空中バスター機動により、戦場の大半を占めていたバグは完璧に「添削」されたのだった。
__________
地上での圧倒的な一撃を終え、ソラノミの艦内で通信越しにリアルタイムで見ていた少女たちの領域は、別の意味で完全に崩壊していた。
「(わ、わわわわ……っ!! セ、セイカさん……っ! 水色の翼を広げて空を舞い、ファンネルとバスターライフルの一射だけで軍隊の大半を安全に気絶させるなんて……っ! なんて理不尽で、慈悲深くて、知的な格好良さなの……っ! ああ、もう本当に格好良すぎて尊すぎて、ワイルドハントの全芸術史に刻むべき神話だわ……っ!!)」
最前線への降下を待機していたレナは、通信モニターの前で、尊さのあまり天を仰いで今にもその場に卒倒しそうなほどに限界を迎えていた。胸の髪飾りをギチギチと音が鳴るほどに握りしめ、心臓を爆速で高鳴らせながらも、なんとかワイルドハントの生徒としての誇りで表向きのおすまし顔を維持しようと必死に取り繕っている。
一方その頃、ソラノミの作戦室中央サブコンソールでは――。
『ふふ、よくできました、アカネ、ケイ。地上は私の演算通り、大半のゴミの気絶を完了しました。防壁の維持とハッキングのサポート、実に見事です。……やはり、私の自慢の娘ですね』
通信回線からノイズ一つなく響く、何気なく父親としてのストレートな信頼と肯定を口にするセイカの声。
その瞬間、ケイの論理回路に、想定外の幸福による過負荷が叩き込まれた。
「――ッ!? じ、自慢の……む、娘……っ!?」
ケイは一瞬で耳まで真っ赤に染め上げると、コンソールの前で小さな手をぎゅっと握りしめた.
いつもなら反論を口にしてしまうところだが、あまりの嬉しさに胸がいっぱいになり、今回は強がることすら忘れてしまっている。
「……お父さんにそう言っていただけて、その……すごく、嬉しいです……っ。私のサポートが、お父さんの完璧な演算の役に立てたのなら、これ以上の最適解はありません……!」
潤んだ瞳をパチパチと瞬かせながら、照れくさそうに、けれど心の底から嬉しそうにふにゃりと微笑むケイ。その健気で素直な愛娘の姿に、隣にいたアカネも柔らかく目を細めた。
「ええ、本当に。セイカさんの言う通りですね。私にとっても、これほど完璧にサポートをこなしてくれるケイは、世界一の自慢の娘ですよ。いつも我が家のために頑張ってくれて、ありがとうございます、ケイ」
アカネもセイカの言葉に完璧に同調し、母親としての深い愛情を込めて優しく微笑んだ。お父さんとお母さん、大好きな二人から同時にストレートに褒めちぎられたケイは、もう限界だった。
「お、お母さんまで……っ。うぅ、お父さんとお母さんにそんな風に言われたら、私のメインフレームが幸福度で満杯になってしまいます……」
ケイはさらに顔を真っ赤にしながら、今度はアカネのメイド服の裾を小さな手できゅっと握りしめた。両親からの絶対的な愛情に包まれ、完全に甘えん坊な子供の顔になったケイは、アカネの隣にぴったりと寄り添いながら、幸せそうに胸を張る。
「はい。お父さんとお母さんの娘として、次回の演算フェーズも、これ以上ない最高効率で完璧にこなしてみせます」
「ふふ、頼りにしていますね。……さあ、それでは残りの敗走するバグたちの処理は、あそこの頼もしい1年生の女の子たちにバトンタッチしましょうか。先生、地上への通信をお願いします」
"うん、任せて"
アカネの言葉にソラノミの指揮官席から先生が力強く頷き、マイクを取った。
"トキ、エイミ! 敗走する武装集団を撃退し、山海経の安全を完全に確保するんだ。レナも、彼女たちのサポートをお願い!"
「了解しました、先生。C&Cのエージェントとして、セイカが綺麗に添削してくださった戦場の、最後のお仕上げを敢行します。……エイミ、行きますよ。ピース」
トキが真顔のまま、戦闘への覚悟を込めた完璧なピースサインをビシッと決めて、ソラノミから地上へと飛び出す。
「ん……了解。……先生、行ってくる。……動いたら、またあつくなりそうだけど……がんばる」
エイミはいつも通りの眠たげな目をほんの少しだけ動かし、超マイペースで淡々としたまま呟いた。愛用の巨大な重火器の安全装置をパチリと解除し、トキに続いて地上へと滑り降りた。
レナも二人に次いで降下していく。
地上では、セイカの圧倒的な一撃によって完全に戦意を喪失し、残された僅かな武器を手に散り散りに逃げ惑うカイの残党たちがいた。そこへ、ミレニアム最強の矛であるトキの「アビ・エシュフ」が展開され、容赦ない正確無比な重火器の嵐が叩き込まれる。
「あ……逃げるんだ。……じゃあ、これ、おいておくね。……んー、それ」
エイミはまぽつりぽつりと短い言葉を置き去りにして、マイペースに重火器をぶっ放した。びっくりした時すら「わ。びっくりした」で済ませる彼女らしいローテンションだが、その一撃一撃は驚くほど冷静で、残りの防衛線を文字通り完全に薙ぎ払っていく。エネルギーを最小限に抑えて生きているような脱力感の裏にある、圧倒的なタフさと観察眼。
「ちょっと! トキちゃん、エイミちゃん! 逃げる敵を追撃するのもいいけれど、その大雑把すぎる破壊はお行儀がよくないわよ! ……もう、しょうがないわね、残りの指揮車輌は私が 無力化してあげるんだから!」
レナもまた、頬をほんのり赤く染めたまま――心の中のセイカオタクの興奮を必死に抑え込みながら――、ツンとした強がりの裏にある確かな戦術技量で、見事に残党の逃走ルートを封鎖してみせた。
「ん。レナ、お疲れ。……なんか、あっち、綺麗になったね。……よかった。……ふぅ、あつい」
硝煙の立ち込める戦場で、エイミは額の汗を手の甲で小さく拭いながら、やっぱりいつも通りにぽつりと呟いた。
__________
上空からの容赦のない計算された波動、そして地上に残った残党たちの迅速な無力化劇を経て、山海経特区の東翼に、ようやく熱気の引いた静寂が戻ってきた。
瓦礫の影からゆっくりと姿を現したミナは、手にしていた武器のバレルを冷ましながら、上空から音もなく滑らかに地へと降り立つ人影を見つめた。
水色の翼を淡い光の中に溶け込ませ、12基のフィンファンネルを背後に整然と滞空させたまま着地する天野江セイカである。
「……相変わらず、無茶苦茶な計算式を現実に叩きつけるな、セイカ。前線に直接降臨するなど、君らしくもない効率の悪さだと思っていたが」
ミナは小さく息を吐き、なじみの深い相手に向けるような、少しだけ口角を上げた笑みを浮かべた。二人は以前からの知り合いであり、彼女がどれほど冷徹な言葉の裏に深い配慮を隠しているかを、ミナはよく知っていた。
「ふふ、お久しぶりですね、ミナさん。非効率に見えましたか? ですが、あなた方の防衛線が突破され、被害が広がることを考慮すれば、これが最も短時間でバグを処理できる最短ルートだったのですよ」
セイカは外套の裾を美しく翻し、紫の瞳を柔らかく細めた。敵の生徒たちに致命傷を与えず、完璧に気絶させるだけの出力を選んだのも、彼女の精密すぎる計算の成果だ。
「はは、何はともあれ、助かった。門主様も、これで治療に移れる。感謝するよ」
「ふふ、礼には及びません。不作法な汚れを落とすのは、観測士としての基本仕様ですから」
二人の静かな会話。それを少し離れた場所から見守っていた先生たちの横で、レナの「内なる領域」は、完全に新しい次元の暴走を迎えていた。
「(ちょっと待って……っ! 今、セイカさんが山海経の近衛さんと、あんなに親しげに『ふふ』って微笑みながらプライベートな会話を……っ!? 知り合いだったの!? 聞いてないわ、そんな芸術的相関図……っ! 冷徹な天才観測士が、他校の武闘派隊長と過去にどんなキズナを組み立てていたっていうのよ……っ! ああ、もう尊さの文脈が複雑に交差しすぎて、私の感情のグラフが無限大に発散しちゃう……っ!!)」
レナの脳内は、目の前で繰り広げられる「セイカの新たな人間関係」という神話の追加データによって、物理的に煙が出そうなほどに限界を迎えていた。胸元の髪飾りを激しく指先でいじくり回し、今すぐ手帳を取り出してこの歴史的瞬間をワイルドハントの全芸術史に刻みたい衝動を、必死の強がりで抑え込んでいる。
だが、表向きの彼女は、フンと小さく鼻を鳴らし、制服の襟をエレガントに整えてみせる。
「……ま、まあ! 他校の防衛網がどれだけ脆弱だったかって話だけど、結果オーライだし! 私がわざわざサポートしてあげたんだから、今回はこれで納得してあげるんだからねっ!」
完全に余裕のない、舐められたくない一心の一大虚勢。しかし、その瞳が憧れのセイカから一秒たりとも離れず、限界を迎えかけていることを、隣にいたトキは見逃さなかった。
「レナ。視線の動線がセイカに一〇〇パーセント固定されています。ツンデレの標準的なシステム挙動、および余裕のないイキリのパラメータを検知。ピース」
「ちょっとおぉ! 何言ってるのよそのお掃除メイド!? 意味不明なこと言わないでよ! 私はただ、全体の戦後処理を冷静に評価しているだけなんだからねっ! 怖がってなんか全然ないし!!」
おすまし顔を秒で維持できなくなり、素のトーンでギャーギャーと必死にツッコミを入れるレナ。顔を真っ赤にして地団駄を踏む彼女の横で、エイミは、やっぱりいつも通りのマイペースさを崩していなかった。彼女は高い体温を少しでも下げるように、ジッパーをほんの少し下げ、白くて温かいハーブティーのボトルをコンソールから引っ張り出して、ぽつり、ぽつりと静かに言葉を置いていく。
「ん……トキも、レナも、元気だね……。……戦い終わったのに、あっち、まだ熱気がすごい。……んー、レナ、顔、真っ赤だし……。……お茶、飲む?」
「い、いらないわよ! っていうか煽ってないでよエイミちゃん! 私は全然あつくなんかないから!」
必死に叫ぶレナのローテンションな空気感の対比が、戦場だったこの場所に、不思議なほどの安心感と温かい放課後のような空気を運んでくる。
「ふふ、皆さん、本当にお疲れ様でした。ソラノミの艦内で美味しいお茶が待っていますよ。私たちの領域へ、帰りましょうか」
いつの間にか地上へ降りていたアカネが、母親のような深い包容力を湛えた笑顔で、ギャーギャー騒ぐ1年生の少女たちを優しく包み込む。
上空を見上げれば、宇宙戦艦ソラノミが穏やかなエメラルドグリーンの光粒子を霧のように降らせ、傷ついた特区の空を静かに癒やしていた。不作法なバグを完璧に添削し終えた少女たちを乗せて、巨大な領域は次の未来の座標へと、滑らかにその進路を向け始めるのだった。