未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

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その苗字、予約済みにつき。

 

 

 脱出した光が、仮想空間の彼方へと消えていく。その残光を見送りながら、私は数秒の間、呆然と立ち尽くしていた。

 

 観測者であるこの私が、これほどまでの「隙」を晒すなんて。以前の私なら、自らの未熟さを厳しく断罪していただろう。けれど、今の私の脳裏にリフレインしているのは、失態への悔恨ではない。Keyが最後に零した、あの震えるような声……あれをどう「定義」すべきか、そればかりを考えていた。

 

 

「……セイカさん?」

 

 

 アカネが心配そうに私の顔を覗き込んでくる。

 私は眼鏡をかけていないこの瞳を、驚くほど静かに閉じた。

 

 

「(……演算を開始する。ノイズを排除し、因果の先を固定しろ)」

 

 

 背後に浮かぶ舵輪――ヘイローが、重厚な機械音を響かせて「ガコン」と力強く回転した。

 

 

「……いえ。大丈夫です、アカネ。……今、見えました」

 

 

 深層意識から、無数の光の糸が伸びていく。過去、現在、そして未来を繋ぐ「空見の波」の真髄。Keyの脱出というイレギュラーを受けて、私の予知能力は、無意識のうちにその「先の先」にある確定事項を捉えていた。

 

 

「……彼女は逃げました。ですが、彼女のシステムには、もう取り返しのつかないほどの『誤差』が刻まれています。……あの子がどこへ行こうと、何をしようと、この一週間の記憶が、彼女を導く道標になるはずです」

 

 

 ゆっくりと目を開ける。

 そこには、いつもの冷徹な観測者としての私と、そしてどこか晴れやかな、一人の少女としての私が同居しているのを感じた。

 

 

「……この騒動は、無事に終わります。いえ、正しくは……新しい日常の一部として、収束します。……私の予知に、狂いはありません」

 

「まあ。……ふふ、それなら安心ですね。」

 

 

 アカネの全幅の信頼を込めた言葉が、心地よく耳に届く。

 私は一度だけ小さく咳払いをして、空中に新しいホログラムを展開した。戦艦の制御でも、敵の解析でもない。もっと「実務的」で「切実」なインターフェースだ。

 

 

「……アカネ。……少し、早いかもしれませんが。準備を始めておきましょう」

 

「準備、ですか?」

 

「……はい。あの子が……Keyが、迷子を終えて『ただいま』と帰ってきたときに、必要になるものです」

 

 

 指先が、流れるような動作でデータを入力していく。

 画面に映し出されたのは、学園のデータベースへの登録フォーム。

 

 

「……名前…keyを少しいじってケイにしましょう。学年は私と同じ一年生にするか、それとも編入生として扱うか……。……戸籍上の登録には苗字が必要です。……あの子が『お母さん』と呼んだのですから、当然、こうなりますね」

 

 

【氏名:室笠 ケイ】

 

 

 その瞬間、隣でカップを片付けていたアカネの手が、目に見えて止まった。

 

 

「……えっ、セイカさん!? いま、何て入力しましたか?」

 

「……何て、とは? 彼女は貴女を母と定義したのです。ならば、室笠の姓を継ぐのが論理的帰結でしょう。……何か、演算上の不都合でも?」

 

 

 私は至って真面目な顔で、不思議そうに首を傾げてみせた。

 

 

「不都合というか……その、あまりにも自然に私の苗字を使われると、なんだか本当に……私が産んだ子みたいで、その……っ」

 

 

 アカネが顔を真っ赤にして、ティーカップをカチャカチャと鳴らしている。

 どんな戦火でも微笑みを絶やさない彼女が、目に見えて動揺し、おろおろと視線を泳がせている。……ふむ、この反応も観測データとしては非常に興味深い。

 

 

「……あら? 嫌でしたか、アカネ。……では、天野江にしますか?」

 

「そういう問題ではなくて! どちらにしても、私とセイカさんの子供になっちゃいますよね!? それは、その……まだ心の準備が……!」

 

「(……ふふ、心の準備、か。彼女らしくていい)」

 

「……もう手遅れです。あの子は言いました。貴女を『お母さん』だと。……それは観測された事実であり、確定した未来です。……ほら、見てください。この『室笠 ケイ』という並び。……一分の隙もない、完璧な家族構成(ロジック)です」

 

「完璧って……! セイカさん、意外と強引なんですから……」

 

 

 熱くなった頬を両手で押さえ、椅子にふらふらと座り込むアカネ。

 逃げ出したケイの代わりに、彼女自身が「母親」という概念の重みに耐えかねているようだ。

 

 

「……ふふ。焦るアカネも、観測しがいがあって可愛いですね」

 

「もう、他人事だと思って……!」

 

「……他人事ではありませんよ。……あの子が帰ってきたら、私も『お姉ちゃん』か、あるいは……ふむ、もっと別の呼び方を考えなければなりませんから」

 

 

 私は少しだけ悪戯っぽく微笑んで、動揺するアカネを横目に、手際よく学生証発行の手続きを進めた。

 

 外界で葛藤しているKeyは、まさか自分の名前がすでに「室笠」として固定されたなんて、夢にも思っていないだろう。

 ソラノミの艦橋に流れる、赤面する「母親」と、そんな彼女を見守る「もう一人の親」の、甘やかで騒がしい時間。

 

 

「(……早く帰ってきなさい、ケイ。書類の不備は、私がすべて消去しておきましたから)」

 

 

 




あれ...気が付いたら娘ができそうになってる...

まあ、ヨシッ!
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