未来を統べる翼と、優しいメイドの家   作:天野江

97 / 99
算術と絶対君主の机上

 

 

 

 ミレニアムサイエンススクール、中央タワーの最上階近くに位置するセミナー執務室。

 全面ガラス張りの巨大な窓からは、雲一つない正午の、鮮やかで、どこまでも均質な陽光が差し込んでいた。ガラスの向こうに広がるのは、最先端のテクノロジーによって完全に制御されたミレニアムの学園都市の全景であり、そこには一切の無駄も、不条理も存在しないはずだった。

 室内に満ちているのは、高度に冷却されたサーバーの駆動音と、セミナーのメインシステムが刻む、静謐で規則正しい電子の鼓動。本来であれば、ここはキヴォトスで最も合理的かつ、知的に洗練された「平熱の空間」であるべき場所だった。

 

 しかし――現在のセミナー室の中心には、その静寂を真っ向から引き裂く、激しい電子音と叫び声が響き渡っていた。

 

 

「――っ、はぁ!? また!? またセイカの仕業なの!? 意味がわからないわよ、本当に!!」

 

 

 デスクの前に陣取った早瀬ユウカは、その特徴的な髪を激しく左右に揺らしながら、空中に展開された幾重ものホログラムウィンドウをバシバシと指先で叩いていた。

 液晶の青白い光に照らされた彼女の額には、隠しきれない頭痛の気配と、限界寸前の怒張がありありと浮かび上がっている。彼女が握りしめているセミナー公式のスタイラスペンは、その過剰な筆圧によって、今にもへし折れそうなほどにしなっていた。

 

 

「これを見てよ、ノア! 会長! 上空の『空見観測研究部』が、ミレニアムの公式部活動管理システムを通じて、また新しい『部員追加申請書』を送りつけてきたんだけど……追加された名前の文字列(データ)が、どっちも完全に規格外なのよ! バグとかそういうレベルじゃないわ!」

 

 

 ユウカが怒りのあまり、デスクから身を乗り出して突き出した人差し指の先。セミナーの最終承認を待つ、淡い発光を放つホログラムのテキスト枠内には、ミレニアムの青い学園ロゴの真隣に、これ以上なく場違いな、しかしあまりにも巨大で、キヴォトスの勢力図そのものを揺るがしかねない「二つの名前」が、平然としたフォントで並んでいた。

 

 

【 竜華キサキ(山海経高級中学校・玄竜門門主) 】

【 衣斐レナ(ワイルドハント芸術高校・オカルト研究会) 】

 

 

「山海経の最高権力者である門主に、ワイルドハントの生徒!? ちょっと、正気!? 前にトリニティの百合園セイアを勝手に引き込んできた時だって、あの後の外交ルートの予算補正と、通信プロトコルの組み換え、それからトリニティ側への法的根拠の説明文書の作成で、私、死にそうになったのよ!? 覚えているわよね!? あの後輩、味をしめて今度は一気に二つの学園から、それも各校の最重要人物と、ガチガチの学校規則に縛られてる生徒を同時に毟り取ってきたっていうの!? 他校との特例兼部なんて、ミレニアムの基本規律のどこを探したって1ミリも存在しないわよ! 監査局に回されたら、セミナーが真っ先に『管理不行き届き』で始末されるわ!」

 

 

 ユウカの呼吸は完全に乱れていた。1クレジットの誤差も、規律の乱れも許さない彼女にとって、天野江セイカという後輩が定期的に送りつけてくる「超法規的措置」という名の爆弾は、文字通り自分の胃壁を物理的に削り取る最悪のエラーだった。

 

 

「あらあら、本当に賑やかですね。ユウカちゃん、お昼休みからそんなに声を荒らげると、せっかくの計算精度が落ちてしまいますよ?」

 

 

 ユウカのすぐ隣。お気に入りの革手帳を優雅に開いた生塩ノアが、全く悪びれる様子のない、それどころか極上のエンターテインメントを特等席で見つけたかのような、完璧に計算された美しい微笑みを浮かべた。彼女の指先は、ユウカが発狂しているその一挙手一投足を、すでに一言半句の漏れもなくセミナーの公式ログへと刻み込んでいる。

 

 

「前回の百合園セイアさんの時も、トリニティのティーパーティーがミレニアムの非公式艦に事実上吸収されるのではないかと、ナギサさんが胃を痛めて大変な騒ぎでしたが……今回の文字列も実に挑戦的で、記録のしがいがありますね。山海経の玄竜門と、ワイルドハントのオカルト研究会。セイカちゃん、相変わらず『お友達』の選び方のスケールが地上に収まっていません」

 

「笑い事じゃないわよ、ノア! これ、もし公式に承認なんてしてみなさいよ、予算の執行手続きも、他校との共同観測の法法的根拠も、全部のセクタが初手でめちゃくちゃになるわ! これをどうやって合理的に処理しろっていうのよ!」

 

 

 

__________

 

 

 

 

 ユウカが完全に頭を抱え、冷たいデスクの天板に突っ伏しかけた、その時だった。

 

 

「――落ち着きなさい、ユウカ」

 

 

 執務室の最奥。部屋全体の影を統べるかのような巨大なデスクに鎮座していた、ミレニアムサイエンススクールの会長――リオが、静かに、その冷徹な双眸をホログラムの光へと向けた。

 彼女の纏う圧倒的な統治者のオーラは、昼下がりのセミナー室の温度を、わずかに平熱のそれへと引き下げる。リオの声には一切の無駄な高揚もなく、怒りのトーンすら排された、完璧な「理性」そのものの響きがあった。

 

 リオは手元の端末に、無駄のない洗練された動作で指先を滑らせ、セイカが提出してきた一連の申請データ群を、恐ろしい速度でスクロールし始めた。

 

 

「セイカの独断専行は今に始まったことではないわ。ユウカ、あなたが手続きの不備に憤る気持ちは理解できる。けれど、今回の件に関しては、規律の整合性よりも先に確認すべき『現実的なリスク』が別にあるわ」

 

「え……? リスク、ですか……?」

 

 

 ユウカがハッとして顔を上げ、リオの操作によってメインモニターへと転送された、いくつかの暗号化ファイル群を見上げる。

 そこに表示されたのは、部員追加申請書と同時に、上空の宇宙戦艦ソラノミのメインシステムから「セミナーへの自動送信プロトコル」として強制的に送りつけられてきた、二通の公式な『共同要請書』のログデータだった。

 

 

「これは……トリニティ総合学園・ティーパーティー(百合園セイア直筆署名)、および山海経高級中学校・玄竜門(竜華キサキ直筆署名)による、ミレニアム生徒会宛ての公式文書……?」

 

「ええ。その内容を精査し、簡潔に要約すればこうよ」

 

 

 リオは淡々と、しかし極めて冷酷な現実の計算式を突きつけるように、感情を抑えたトーンのまま言葉を重ねた。

 

 

「『貴校の空見観測研究部における、衣斐レナの特例兼部、および竜華キサキの部員登録を無条件で承認されたし。なお、これが手続き上の理由、あるいは規律の不整合によって拒否、または審議が遅延された場合、今後の外交・交易ルートにおける関税、および両校が保有する巨大資本の、ミレニアム内における全通信プロトコルに、相応の『調整』が発生する可能性がある』……とね。ユウカ、これが何を意味するか分かるかしら」

 

「……は、はい?」

 

 

 ユウカの思考が、一瞬だけ完全にフリーズした。

 

 

「つまり、これは政治的な『脅迫状』よ。トリニティの賢者と山海経の門主が、ミレニアムの一介の後輩が作った部活の『座席』を確保するためだけに、共同で国家規模の政治的圧力をかけてきている。拒否すれば、ミレニアム全体の経済および通信インフラに、現実的な損失が発生するわね。……非常にリスクが高いと言わざるを得ないわ」

 

「い、意味がわからないわよ何なのよそれーーーっ!!!」

 

 

 ユウカはついに椅子から転げ落ちんばかりに絶叫した。ペンを握る手が怒りと困惑でワタワタと震える。

 

 

「国家規模の職権乱用じゃない!! なんで他校のトップ二人が、ミレニアムの、しかも一介の後輩の部活のために、揃いも揃ってセミナーを脅迫してくるのよ!? 政治的おもちゃにするのも大概にしなさいよ!! あの子たち、ソラノミのテーブルの上で一体どんな会話をしてこんな書類(怪文書)を組み立てたのよ!?」

 

「ふふ、でもユウカちゃん、面白いデータはそこだけではありませんよ。セイカちゃんは、記録に関しては非常に『誠実』ですから」

 

 

 ノアがホログラムウィンドウの一部をさらに拡大し、楽しげにトントンと画面を叩いた。

 

 

「ほら、ここを見てください。ワイルドハント芸術高校の衣斐レナさんが、この申請書にサインをした瞬間の、ソラノミ艦内システムが自動記録した『生体バイタルログ』が、ご丁寧にそのまま添付されています」

 

 

 ユウカとリオの視線が、ノアの指し示すピンク色のバイタル数値へと集まる。

 

「署名執行の瞬間、対象の心拍数が通常の300%まで急上昇。精神的混乱、および過度な感情の飽和を検知。同時刻、音声ログに、通常の猫科猛獣に類似した、極めて威嚇的な音声波形を記録……システムによる音声テキスト化結果は、『シャーーーッ!』……だそうです」

 

「……この生体ログは少し不自然ね」

 

 

 リオが、至極大真面目な顔で顎に手を当て、画面の数理データをじっと見つめた。その表情には、一切のふざけた様子も、悪役のような冷笑もない。ただ純粋に、ミレニアムの責任者としての「事実確認」の眼差しだった。

 

 

「署名時の心拍数が通常の300%を超えているわね。音声記録にある威嚇音を含め、何らかの過度な精神的負荷がかかっていると推測できる。……ユウカ、セイカたちが無理な勧誘、あるいは物理的な強要を行った形跡はないかしら? もしこれが他校の生徒に対する『脅迫』による入部であるならば、セミナーとして看過することはできない。事実確認が必要よ」

 

「違います、会長……! それ絶対、あの政治力マックスのトップ二人に笑顔でお茶を注がれながら外堀を埋め立てられて、タジタジになって、ヤケクソでシャーシャー言いながらサインさせられただけですって!!」

 

 

 ユウカは完全に胃のあたりを押さえ、深く、深いため息をついた。

 

 

「ああ、もう……思い出したわ。前にもこれと全く同じ既視感があったじゃない。百合園セイアの時だってそうよ! 『私は私の眼で、今この瞬間の空を観測したい』とかいう、お高くとまった屁理屈と一緒に、ティーパーティーの超巨大圧力がセミナーに突っ込んできたのよね……。あの時から何も変わってない。セイカのやつ、完全に味を占めて、また同じ手を使って他校の生徒の居場所をこじ開けたのよ……!」

 

 

 ユウカの愚痴を静かに聞きながら、リオは視線をゆっくりと窓の外の上空――そこにあるはずの、高度数千メートルを浮遊する宇宙戦艦ソラノミの位置へと向けた。

 

 その瞳の奥には、冷徹な計算や責任感だけでなく、後輩であり、そして「友人」でもある天野江セイカという少女の行動原理に対する、言葉にしない『なんとなくの理解(あたたかい信頼)』が、確かに宿っていた。

 

 セイカという少女は、いつだってそうなのだ。

 彼女は数式を愛し、正解を求め、世界を平熱の温度で記述しようとする。けれど、その不器用で、あまりにも純粋な論理の網は、結果として「地上で自分の居場所に悩み、規律や責任に縛られている者」を、不思議と鮮やかに絡め取ってしまう。

 トリニティの賢者も、山海経の門主も、そして規律に縛られていたワイルドハントの少女も。政治的な圧力という名の、巨大すぎる屁理屈をわざわざ並べてまで、みんな、セイカが守り、アカネが温め、ケイが防衛する、あのソラノミの「なんでもないテーブルの座席」に座りたかったのだ。

 

 リオには、なんとなくそれが理解できていた。

 

 

「……そうね。前例があるわ」

 

 

 リオは簡潔に言った。

 

 

「リスクマネジメントの観点から言えば、これ以上の外交摩擦は推奨できないわね。手続きの不備を理由にこの申請を突っぱねた場合、トリニティおよび山海経との間に発生する不利益は、ミレニアムの現行予算の12.5%を脅かす試算になるわ。……ユウカ、承認を」

 

「えっ!? 会長、本当にいいんですか!? 規律の例外をこんなにポンポン認めたら、セミナーの示しがつかなくなります!」

 

「問題ないわ。手続きの例外処理にかかるコストと、拒否した場合の現実的な不利益を天秤にかければ、どちらが合理的かは明白よ。……それに、セイカの用意したこの数式は、結果的にミレニアムの防衛プロトコルを他校の最上位権限を使って強化することに繋がっているわ。……責任は私が持つ。手続きを進めなさい」

 

「……はぁ。会長がそこまで言うなら、今回だけは特例に許可をあげるわ」

 

 

 ユウカはぶつぶつと文句を言いながらも、端末の画面に表示された『承認プロトコル執行』のボタンに、ゆっくりと指を近づけた。

 

 

「でも、次にもし同じようなことがあって、他校の生徒がまた勝手に追加されたら――その時はセミナーの全総力を挙げて、あの戦艦ごと予算を完全にゼロにしてやるんだから……!」

 

 

 ユウカが半ばヤケクソ気味にボタンを押し込むと、ホログラムウィンドウは「デバッグ完了・承認済」の文字と共に、静かにセミナーの基幹システムへと吸い込まれて消えた。

 

 

「ふふ、お疲れ様です、ユウカちゃん。これでまた一つ、世界に美しい記録が保存されましたね」

 

 

 ノアが手帳をパタンと心地よい音を立てて閉じ、窓の外の青空を見上げた。その美しい瞳には、この不条理で、しかし最高に愛おしい地上の日常を祝福するような光が宿っている。

 

 窓の外、どこまでも高く明るいミレニアムの昼の空。

 地上のセミナー室で少女たちが頭を抱え、合理的な算術のなかで「友人」のやらかしをなんとなく理解し、見守っている、その遥か上空で。

 

 新しく二人の少女の「座席」を手に入れた宇宙戦艦ソラノミは、今日も誰にも邪魔されることのない完璧な平熱の温度のまま、永久の方程式を紡ぎながら、静かに、優しく、星海の余白を航行し続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。