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――あの日から
西住家を訪れる回数は、自然と増えていった。
「春兄ー!」
「おー、また来たな」
変わらない声。
変わらない距離感。
門をくぐった瞬間——
自然と足が庭へ向くようになっていた。
(……もう慣れたな)
最初に感じた“重さ”は、もうほとんどない。
代わりにあるのは——
(なんか、落ち着くんだよな)
理由は分からない。
でも確かに、ここには“居場所”のようなものがあった。
「勝負しよ!」
「はいはい、今日は何で勝負するんだ?」
「かけっこ!」
「またそれかよ」
笑いながら並ぶ。
その様子を、少し離れた場所で——
まほが静かに見ている。
「よーい……ドン!」
みほが勢いよく飛び出す。
「おい、フライングだろそれ!」
少し遅れて走り出す。
(速いな)
小さな体なのに、全力で走る。
足音が軽い。
迷いがない。
ただ前だけを見て走っている。
(……でも)
「追いついた」
あっさり並ぶ。
「えっ!?」
驚くみほ。
「甘いな」
そのまま前へ出る。
「むー!」
悔しそうに追いかけてくる。
(全力だな)
その必死さに——
少しだけ笑いそうになる。
ゴール。
「……はぁ……はぁ……」
息を切らしながら止まるみほ。
「ほら、水」
差し出す。
「ありがと……」
受け取りながら、小さく笑う。
その手は少しだけ震えていた。
それでも——表情は明るい。
「……無茶はするなよ」
少し後ろから、まほの声。
いつものように、少し距離を取って見守っている。
「してないもん!」
「してるだろ」
即答。
「してない!」
「してる」
「してないー!」
「してるって」
「……ふふ」
まほが小さく笑う。
その笑いは——
ほんの少しだけ柔らかかった。
その光景は——
どこにでもある、ありふれた日常だった。
でも——
(なんか、いいな)
勇気はふとそう思う。
特別なことは何もない。
ただ、笑っているだけ。
それでも——
(こういうの、嫌いじゃねぇ)
むしろ。
(……好きかもな)
そんな時間だった。
だが——
その日常は、ずっと続くわけではなかった。
――みほ side
放課後
西住家へと続く細い道。
人通りは少なく、静かな場所。
夕日が伸びた影を作り、足元をゆっくりと染めていく。
「……」
一人で歩く。
少しだけ足取りが軽い。
(今日は、春兄来てるかな)
そんなことを考えながら。
自然と歩く速度が少しだけ速くなる。
胸の奥が、少しだけ温かい。
そのとき——
「なあ」
声。
「……え?」
振り向く。
そこには、見知らぬ年上の子たち。
視線が重い。
距離が近い。
(……やだ)
本能的に、そう思う。
「いいじゃん、ちょっとくらい付き合えよ」
距離を詰められる。
「……やだ」
小さく首を振る。
「お前ん家、偉いんだろ?」
「何か持ってんじゃね?」
囲まれる。
逃げ場がない。
背中に冷たいものが走る。
「ほら、それ貸してみろよ」
手に持っていたバッグを奪われる。
「あ……!」
「だめ……返して……!」
必死に手を伸ばす。
だが届かない。
「なんだよこれ、子供のおもちゃか?」
中身を勝手に取り出される。
大事にしていたもの。
(やめて……)
声が出ない。
怖い。
体が動かない。
足がすくむ。
「お姉ちゃん……」
助けて。
そう思った、そのとき——
「おい」
低い声。
空気が変わる。
一瞬で、張り詰めたものが走る。
「嫌がってるだろ」
振り向く。
そこにいたのは——
「……春兄」
「離せって言ってんだよ」
まっすぐな目。
いつもの軽さはない。
空気が違う。
(……春兄)
その姿を見た瞬間——
張り詰めていたものが、少しだけ緩む。
「なんだよ、お前」
睨み返される。
だが——
勇気は一歩も引かない。
視線も、姿勢も、変わらない。
「……チッ」
舌打ち。
バッグが投げられる。
「覚えてろよ」
そのまま去っていく。
足音が遠ざかる。
「……っ」
力が抜ける。
バッグを拾おうとして——
手が震える。
うまく持てない。
「おい、大丈夫か?」
すぐにしゃがみ込む。
目線を合わせる。
「……うん……」
でも——
涙が止まらない。
「ほら」
ぽん、と頭に手が置かれる。
「泣くなって。もういねぇから」
優しい声。
「……怖かった……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
止めようとしても、止まらない。
「そりゃ怖いよな」
否定しない。
「でもちゃんと言えたじゃん。“やめて”って」
「……うん」
少しだけ、呼吸が落ち着く。
胸の締め付けが、ゆっくりほどけていく。
「偉いじゃん」
くしゃっと笑う。
「……えへへ」
少しだけ笑える。
涙はまだ残っているけど——
さっきとは違う。
「次あいつら来たら、また俺呼べばいい」
当たり前のように言う。
「……いいの?」
不安そうに見上げる。
「いいに決まってんだろ」
即答。
「俺、こういうの見過ごすの嫌いだし」
その言葉に——
胸が温かくなる。
さっきまでの怖さが、少しずつ消えていく。
「……ありがとう」
小さく呟く。
そのとき。
「みほ!」
聞き慣れた声。
「お姉ちゃん……!」
振り向く。
まほが駆け寄ってくる。
普段より、少しだけ息が乱れている。
「大丈夫か?」
しゃがみ込み、顔を覗き込む。
「うん……春兄が助けてくれたの」
「……そうか」
視線が勇気へ向く。
ほんの一瞬だけ、鋭く——
そしてすぐに柔らぐ。
「ありがとう」
まっすぐな言葉。
「いいって」
軽く手を振る。
「妹なんだから、ちゃんと見ててやれよ」
「……ああ」
まほが、少しだけ笑う。
その笑みは——
以前よりも、確かに柔らかかった。
その日から。
(春兄は、すごい)
そう思うようになった。
怖いときに、助けてくれる。
泣いたときに、そばにいてくれる。
一緒にいると、
なんだか、あったかくて。
離れると、少しだけさびしい。
理由は、よく分からない。
でも――
(もっと一緒にいたい)
そう思った。
まだ名前のない感情。
でも確かに——
大切な存在になっていた。
――まほ side
庭の一角。
簡易的な訓練場。
地面には線が引かれ、小石や木片が配置されている。
戦場を模した空間。
風が静かに流れる。
「……もう一度」
声を出す。
「前進、右に展開——」
指示を出す。
だが——
「遅い」
母の声。
一瞬で止まる。
空気が張り詰める。
「判断が遅い。敵は待ってくれない」
冷静で、厳しい声。
「……はい」
短く返す。
(分かっている)
分かっているのに——
体が追いつかない。
思考と行動のズレ。
それが、はっきりと分かる。
「もう一度」
繰り返す。
だが——
「甘い」
即座に否定される。
逃げ場はない。
「……」
言葉が出ない。
「今日はここまでだ」
静かに告げられる。
訓練が終わる。
音が消える。
一人、端に座る。
手のひらに残る砂の感触。
じわりと汗が滲む。
「……」
悔しい。
(どうしてできない)
妹は自由に動けるのに。
自分は——
(……足りない)
そう思った瞬間。
「よ」
軽い声。
「……勇気か」
顔を上げる。
「なんか、顔やばいぞ」
隣に座る。
距離が近い。
でも——不思議と嫌ではない。
「……そんな顔していたか?」
「してた」
即答。
「めっちゃ分かりやすい」
少し笑う。
「……そうか」
小さく息を吐く。
肩の力が、少し抜ける。
「うまくいかないんだ」
ぽつりと漏らす。
誰にも言っていない言葉。
それが自然と出た。
「へぇ」
興味深そうに聞く。
否定もしない。
「さっきの見てたけどさ」
「……見ていたのか」
「うん」
あっさり。
「大変そうだな、あれ」
「……ああ」
正直な感想。
それでも——
少しだけ楽になる。
「でもさ」
勇気が言う。
「やってんだろ?」
「……?」
「その戦車道ってやつ」
「……ああ」
「じゃあいいじゃん」
あっさり言う。
「……何がだ?」
思わず聞き返す。
「ちゃんと向き合ってんだろ?」
「……」
言葉が詰まる。
「それ、結構すごいと思うけどな」
まっすぐな言葉。
否定の余地がない。
「結果なんて後からついてくるもんだろ」
「そんな簡単なものじゃない」
少し強く言う。
「かもな」
否定しない。
「でもさ」
少しだけ真面目な声。
「今、やめてねぇんだろ?」
「……ああ」
「じゃあ、それで十分だろ」
「……」
胸の奥に、少しだけ光が差す。
さっきまであった重さが——
ほんの少しだけ軽くなる。
「……変わっているな、お前は」
小さく笑う。
「よく言われる」
笑って返す。
「だが——」
少し間を置く。
「……嫌いではない」
「そりゃどうも」
軽く返す。
だがその言葉は——
確かに届いていた。
「また来てくれるか?」
ふと、口に出る。
自分でも少し驚く。
「おう」
迷いのない返事。
「任せとけ」
その言葉に——
「……ふふ」
自然と笑みがこぼれる。
(不思議なやつだ)
だが——
(悪くない)
そう思えた。
みほは守られた。
まほは支えられた。
同じ時間の中で——
二人は、同じ存在に救われていた。
そして、
この日々が——
三人の関係を、確かなものにしていく。
まだ幼い彼らは知らない。
この繋がりが——
やがて、大きな運命へと繋がっていくことを。