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休み明けは忙しくなるのであまり投稿ができないかもしれません。それでも頑張りますので応援よろしくお願いします。
――島田家
静かな空気が流れる広い屋敷。
だが、その中でほんの少しだけ柔らかな空気が生まれようとしていた。
「じゃあ勇気」
のどかが、軽く振り向く。
「母さんたちは少し別室で話があるから……」
一拍置いて、優しく微笑む。
「愛里寿ちゃんと仲良くするのよ?」
「……子ども扱いすんなって」
勇気は苦笑する。
だが――
「ふふ、いいじゃない」
そのやり取りを見て、千代も口を開く。
「愛里寿」
「……うん」
「勇気くんと、ちゃんとお話しなさい」
穏やかな声。
だがそこには、ほんのわずかに“試す”ような響きがあった。
「……うん」
小さく頷く愛里寿。
そして――
三人は別室へと向かう。
静寂。
残されたのは、二人だけ。
「……」
「……」
最初の沈黙。
だが――
「……戦車、好きなんだよな?」
勇気が、自然に口を開く。
「……うん」
小さく返る声。
「どんなのが好きなんだ?」
「……機動」
少しだけ考えてから答える。
「動いて、崩すの」
「おー、いいな」
勇気は素直に頷く。
「俺も動くの好きだな。じっとしてるの向いてねぇし」
「……そうなの?」
少しだけ、顔が上がる。
「ああ。なんかこう……動いてると全部分かる感じしないか?」
その言葉に――
「……わかる」
愛里寿の目が、ほんの少しだけ変わる。
共通点。 その一言で、距離がわずかに縮まる。
「……他には?」
愛里寿が問いかける。
「んー……寝ること」
「……」
一瞬の間。
「それは……ふつう」
「だよな」
即答。
「でもな、戦車のあとに昼寝すると最強だぞ?」
「……最強?」
「うん。なんかこう、全部リセットされる」
「……ほんと?」
「ああ。たぶん敵にも勝てる」
「……それは、ちがう」
即座にツッコミ。
「じゃあ、昼寝してから戦えば無敵だな」
「……ふふ」
――小さく、笑った。
ほんの一瞬。 ほんのわずか。
だが確かに――笑った。
(……お、笑った)
勇気は内心で少しだけ驚く。
だがそれを表には出さない。
「今の笑ったろ」
「……わらってない」
「いや笑った」
「……わらってない」
「絶対笑った」
「……ふふ」
今度は、少しだけ長く。
空気が――柔らぐ。
――やがて
「終わったわ」
のどかの声が聞こえる。
振り返ると、三人がこちらへ戻ってきていた。
その視線が、自然と二人へ向いた。
「……随分と、打ち解けたようね」
千代が静かに言う。
「……少しだけ」
愛里寿が答える。
その空気に、しほが目を細める。
(……なるほど)
そして――
「勇気くん」
千代が呼ぶ。
「はい?」
「少し、いいかしら」
「……?」
「愛里寿と――戦ってみて」
「……え?」
一瞬、言葉が止まる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
戸惑い。
だが――
「……戦ってみたい」
愛里寿の声。
その目は、さっきとは違う。 真っ直ぐだった。
(……本気か)
一瞬考え――
「……分かりました」
頷く。
その瞬間、空気が変わる。
――庭 簡易演習場
小規模な配置。
低い石壁、木箱、わずかな起伏。
遮蔽物が点在している。
「模擬戦で行う」
しほが告げる。
「実車ではない。判断と動きのみ」
「ルールは単純よ」
千代が続ける。
「相手の背後を完全に取った時点で勝ち」
「……了解」
「……うん」
向かい合う二人。
およそ十数メートルの距離。
間にあるのは、低い障害物とわずかな死角。
距離。 呼吸。 空気。
風が止まったような静けさ。
(……さっきと全然違うな)
勇気は感じていた。
(これが本来の“あいつ”か)
視線が鋭い。
無駄に動かない。
それだけで——圧がある。
「――始め」
その瞬間。
同時に、動いた。
勇気は左へ。
木箱を利用して視線を切る。
愛里寿は——中央。
(速い――!)
一歩で分かる。
迷いがない。 無駄がない。
低く、滑るような移動。
視線だけでこちらを追っている。
(全部見えてる)
愛里寿の動きは、完成されていた。
木箱の影から一瞬覗く。
(位置は中央……でも)
動いていないのに、
“動かされている”感覚がある。
だが――
(……だからこそ、崩せる)
勇気も動く。
右へ一歩。
わざと足音を立てる。
そして——止まる。
わずかな遅れ。
視線を誘導するための“ズレ”。
「……っ」
愛里寿の視線が、ほんの一瞬だけ動く。
(今――)
踏み込む。
低く、速く。
斜めに角度をつける。
死角へ——滑り込む。
だが。
「――そこ」
背後。
(なっ……!)
視界が一瞬で反転する。
気づいた時には——
位置が入れ替わっている。
完全に取られていた。
振り向く。
そこに——愛里寿。
距離は、あと一歩。
逃げ場はない。
「……チェック」
静かな決着。
風が、もう一度通る。
張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
「……はは」
勇気は小さく笑う。
「負けたな」
素直な言葉。
悔しさはある。
だがそれ以上に——
納得があった。
「……でも」
肩で息をしながら、少しだけ口元を緩める。
「いい動きしてたろ?」
「……うん」
頷く。
視線は、逸らさない。
「……すごかった」
その評価に、迷いはなかった。
「……なるほど」
千代が静かに言う。
「勇気くん」
その声には、確かな驚きがあった。
「娘を相手に……ここまでできるとは」
「ええ」
しほも同意する。
「すでに実戦で通用する域ね」
「……やっぱりそう思う?」
嬉しそうに、のどかが小さく笑う。
誇らしげに。
――帰り際
門の前。
来たときより、空気が柔らかい。
「……今日は」
愛里寿が口を開く。
「……楽しかった」
小さな声。
「……おう」
勇気も頷く。
「俺も楽しかった」
少しの沈黙。
「……また、来てくれる?」
不安と期待。
「……ああ」
迷いなく。
「また来るよ」
「……うん」
その表情は―― 少しだけ、安心していた。
――愛里寿side
私は、少しだけ周りと違う。
まだ何も知らないはずの頃。
それでも、気づけば分かってしまっていた。
戦車道の訓練でも、初めて触れたはずの動きがすぐに分かってしまう。
地形を見れば、どこに敵が来るかがなんとなく読めてしまう。
教えられたことも、一度で理解してしまう。
自分では、それが“普通”だった。
できてしまうものは、できてしまう。
ただ、それだけのこと。
最初は――褒められた。
「すごいね」
「さすがね」
周りは笑っていた。
大人たちも、同じように。
その言葉に、悪い気はしなかった。
だから私は、そのままでいようと思った。
でも――それは、長く続かなかった。
少しずつ、距離ができていく。
一緒にやっていたはずの子たちが、気づけば私を避けるようになった。
同じように話していたはずなのに、会話が減っていく。
最初は、よく分からなかった。
どうして?
何が違うの?
そう思っているうちに——
聞こえるようになる。
「なんであんなにできるの……?」
「普通じゃないよね」
「……ちょっと、怖い」
小さな声。
でも、はっきりと聞こえた。
耳を塞いでも、残る言葉。
何度も、何度も繰り返される。
――化け物みたい。
その一言だけが、強く残った。
胸の奥に、沈むように。
消えずに、ずっとそこにある。
それからは、誰かと話すときも――少しだけ距離を取るようになった。
近づきすぎないように。
踏み込みすぎないように。
どうせまた、同じになる。
最初は近づいてきて、
少ししたら離れていく。
なら――最初から近づかないほうがいい。
そう思うようになっていた。
気づけばそれが、当たり前になっていた。
だから私は、人と少し距離を取るようになった。
静かな部屋。
一人で考える時間。
それは、楽ではないけれど——
少なくとも、傷つくことはなかった。
でも――あの日だけは、少し違った。
男の人である勇気さんを見たとき、少しだけ怖かった。
同年代の子たちと同じように、また距離を取られるかもしれないと思った。
そして同時に――
(……また、同じことを言われるかもしれない)
そんな不安が、胸の奥にあった。
言葉にしなくても分かる視線。
距離を置かれる、あの感覚。
それが来ると、分かっていた。
でも。
「……はじめまして」
その声は、やさしかった。
無理に近づかない。
でも、離れない。
ただそこにいて、
自然に言葉をかけてくる。
「いい名前だな」
そんなことを、当たり前みたいに言う人だった。
評価でもなく、驚きでもなく——
ただ、受け入れているだけの言葉。
(……へんな人)
最初に思ったのは、それだった。
話してみると。
もっと変だった。
「寝るのが好き」
「昼寝が最強」
戦車の話をしているのに、急にそんなことを言う。
普通なら、よく分からない。
でも——
(……いやじゃない)
むしろ、少しだけ気が抜けた。
構えなくてもいい空気。
張り詰めなくてもいい距離。
それに。
「動いてると分かる感じ」
その言葉。
(……同じ)
初めてだった。
同じ感覚を、持っている人。
説明しなくても、伝わる。
言葉にしなくても、分かる。
それだけで——
ほんの少しだけ、心が軽くなった。
戦ったとき。
確信した。
(この人は――)
見えている。
同じものを。
動き。 間。 視線。
すべてを“感じて”動いている。
私と同じように。
なのに。
怖くない。
距離を取ろうとしない。
避けようとしない。
負けたあと。
笑っていた。
悔しそうじゃなくて。
楽しそうに。
「いい動きしてたろ?」
そんなことを言う人。
(……へんなの)
普通じゃない。
でも——
その“へん”が。
とても、心地よかった。
帰り際
「また来るよ」
その一言で
胸の奥が、軽くなった。
ずっと沈んでいたものが、
ほんの少しだけ浮かび上がる。
息が、しやすくなる。
わたしは思う。
この人は――
(……安心できる)
初めて、そう思えた。
だから。
決めた。
「……勇気さん」
まだ少しだけ、ぎこちない。
でも――
この人となら。
(……いつか)
ふと、言葉が浮かぶ。
家族みたいだと、思った。
理由は、うまく言えない。
ただ、
(……お兄ちゃん、って)
そう呼べたらいい、と思った。
それが正しいのかどうかは、まだ分からない。
でも――
わたしは、ひとりじゃない。
そう思えた日だった。