水槽の外で息をする   作:シロヤユウ

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ガルパン二次創作なのにオリキャラしか出てないやん!!!
ワイトもそう思います、今回までお付き合いください。


2話 終わってないのが、いちばん困る

玲は手早く帰り支度を終えた。

工具箱の蓋を閉めながら、折りたたみ椅子に座ったままの澪を見る。

 

白い。

 

さっきよりは少し戻った。けれど、まだ白い。

頬の色は薄いし、目の端の焦点も、ほんの少し遅れている。

 

「歩ける?」

 

澪はスポーツドリンクを握ったまま、少し遅れて頷いた。

 

「……はい」

 

「じゃあ、私も上がるから」

 

向こうで部員が「おつかれさまでーす」と手を振る。玲は短く返し、つなぎのファスナーを喉元まで上げた。

澪が立ち上がる。

 

立てた。

でも、立てることと平気は違う。

 

玲はそれを口にしないまま、工具箱をロッカーへ押し込んだ。

 

自動車部棟を出ると、甲板を抜ける風が少し強かった。

夕方の艦上は、昼より人が少ない。遠くで誰かの笑い声がして、すぐに散る。下の方からは、艦体の低い振動がじわじわ伝わってくる。

 

大洗の普通。

けれど澪は、こういうものに時々足を取られる。

 

玲は歩幅を合わせすぎないよう、ほんの少しだけ前を歩いた。

 

「歩ける?」

 

「歩けます」

 

「うん」

 

返事は短い。

短いけれど、いつもより少し遠い。

 

横目で見る。

足元は大丈夫。けれど階段の手前で、ほんのわずかに間があった。

 

見て、降りるまで、一拍。

 

普段なら見落とすくらいの、小さな遅れだった。

 

玲は何でもない顔で先に一段降りる。

 

「手すり使って」

 

「そこまでじゃないです」

 

「そう?」

 

声は柔らかいまま返す。

 

「じゃあ約束して。帰ったらちゃんと連絡すること」

 

澪は少しだけ口を結んだ。

 

「……いります?」

 

「いる」

 

すぐ返す。

 

「倒れたか倒れてないかだけでいいから」

 

「倒れません」

 

「その返事が一番信用できない」

 

責めるつもりで言ったわけじゃない。

でも澪は、少しだけ黙った。

 

怒ったというより、誤魔化す場所をひとつ失った顔だった。

 

階段を降りきる。

人の流れがばらけ、通路の幅が急に広くなる。

 

澪は一度だけ、首元に指を入れてシャツを少し引いた。

息苦しい時の癖だと、玲は小さい頃から何となく知っている。

 

昔も、ああいうのがあった。

 

追い込まれるほど静かになる。

苦しいとも、辛いとも言わない。

言わないくせに、妙に一点だけはっきりしてくる。

 

クラブでも、その後のどこかでも、たぶんずっとこんなふうに保ってきたんだろう。

 

細かいことまでは知らない。

でもあの子は昔から、しんどい時ほど静かに、遠くなる。

 

「澪」

 

「はい」

 

「今日のこと、忘れていいからね」

 

澪が少しだけ顔を上げる。

 

「Ⅱ号のことも。私が言ったことも。今は考えなくていい」

 

一拍置いてから、澪は小さく頷いた。

 

その頷き方が、あまりにも素直で、玲は逆に嫌な感じがした。

 

考えなくていいと言われて、考えないで済む子じゃない。

 

分かれ道の手前で、玲は足を止めた。

 

「ここから一人で行けるなら行っていい」

 

澪も止まる。

 

「でも、無理なら言って」

 

「……はい」

 

「はい、じゃなくて」

 

玲は少しだけ目を細めた。

 

「無理なら、ちゃんと言う」

 

澪は視線を落として、それからほんの少しだけ困ったように笑った。

 

「努力します」

 

努力じゃない。

 

そう言いかけて、玲はやめた。

代わりに、短く言う。

 

「着いたら一言ね」

 

「わかりました」

 

今度は少しだけマシな返事だった。

 

澪が歩き出す。

背中は薄い。

 

けれど、さっき自動車部棟で見た時よりも、目だけはたしかに戻っていた。顔色は悪いままなのに、輪郭だけが少し濃い。

 

玲はその背中が角を曲がるまで見送ってから、ようやく踵を返した。

 

 

部屋に戻る頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 

制服の袖を抜きながら、玲は机の上に携帯を置く。

つなぎの匂いが、まだ少し残っている。

 

シャワーを浴びる前に澪へ一度連絡しておこうかと思ったのと同時に、携帯が震えた。

 

母からだった。

 

玲は少しだけ眉を寄せて通話を取る。

 

「もしもし」

 

『玲? 今いい?』

 

「うん。どうしたの」

 

向こうは一拍だけ黙った。

その間の悪さで、玲も少し姿勢を変える。

 

『あんた、澪ちゃんに会った?』

 

「会った」

 

『そう。どうだった?』

 

「……どうって、なにそれ」

 

『今日ね、向こうのお母さんと話したの。あの子、ただ療養でこっち来てるって話じゃなかったみたい』

 

玲は黙る。

 

『戦車道の試合で、頭をやったんだって。一回、戻そうともしたらしいけど、駄目で。お医者さんにも、もう乗せない方がいいって言われてるみたい』

 

「……そう」

 

『知らなかった?』

 

「うん。そこまでは」

 

向こうはまだ何か言っていた。

玲は最後まで聞いた。

 

けれど、頭に残ったのは説明の方じゃない。

 

まだ死んでない。

 

あれは車両に向けた言葉だった。

少なくとも、そのつもりだった。

 

でも澪は、あれを自分の方へ入れていた。

 

終わってる。

私と似てる。

 

あの顔を思い出す。

 

違う。

 

と返した時の、自分の声も。

 

あれは、ただ具合が悪くなっただけじゃない。

終わったことにしていた何かを、無理やり起こされた声だった。

 

通話を切ったあと、玲はしばらくそのまま立っていた。

 

部屋は静かだ。

艦の低い振動だけが、床の下をゆっくり流れていく。

 

携帯を置く。

もう一度持つ。

メッセージ画面を開いて、何も打たないまま閉じる。

 

「……最悪」

 

小さく漏らして、ようやくつなぎのファスナーに手をかけた。

 

 

その頃、澪は部屋に戻っていた。

 

靴を脱ぐ。

鞄を椅子の背に掛ける。

制服のまま机に手をついて、一拍だけ待つ。

 

いつもの順番で、今の状態を測る。

 

目はまだ少し揺れている。

右が遅い。

吐き気は少し。

歩けた。帰れた。

 

だから平気。

 

そう言い切れないところまで含めて、もう癖になっていた。

 

机の上には、朝のままの薬と湿布。

飲みかけのスポーツドリンク。

 

どれも生活の中にきちんと馴染んでいて、それが少し嫌だった。

 

澪は制服のリボンを緩めて、ベッドの端に腰を下ろす。

 

静かだ。

 

学校より静かで、通路より静かで、自動車部棟よりずっと音が少ない。

 

なのに、息は楽にならない。

 

手元に視線を落としたまま、さっきの言葉が戻ってくる。

 

まだ死んでない。

 

忘れていいと、玲は言った。

今は考えなくていい、とも。

 

でも、考えないで済むわけがない。

 

終わっているなら楽だった。

終わったものに寄りかかっていれば、それ以上、自分に聞かなくていい。

 

もう使えないと決まっているなら、それ以上、自分の身体に答えを聞かなくていい。

 

死んでない。

終わってない。

 

澪は右腕を少しだけ上げる。

 

途中で止まる。

痛いわけじゃない。

ただ、引っかかる。角度を選べばいける。選ばなければ少し嫌だ。

 

それが、余計に困る。

 

首をゆっくり回す。

右が遅い。

 

前に少しだけ屈む。

視界の端が一拍ずれる。

 

そこでやめるつもりだったのに、澪はもう一度だけ試した。ほんの少し深く。ほんの少しだけ。

 

その瞬間、胃の底が持ち上がる。

 

「……っ」

 

短く息を止めて、すぐに戻る。

 

戻れた。

戻れたけれど、視界の揺れはさっきより増えた。

 

ばかみたいだと思う。

 

でも、確認しないともっと気持ちが悪い。

 

どこまでなら保つのか。

何が駄目で、何がまだ残っているのか。

終わっているのか。

本当に終わっていないのか。

 

それを確かめる方が、もっとしんどい。

 

澪は湿布の箱を引き寄せて、一枚取り出した。

首の後ろへ貼る。

 

冷たさが皮膚を通って、じわじわ広がる。少しだけ楽になる。

でも、それで終わる種類のものじゃない。

 

薬を飲む。

水をひと口。

 

机に置いたスマホが目に入る。

 

着いたら一言。

 

玲に言われたことを思い出して、澪は少しだけ迷った。

連絡なんていらないと言ったのは自分だ。

でも、言われたからには返した方がいい。そういう種類の義務なら、まだ処理できる。

 

短く打つ。

 

【着きました。倒れてないです。】

 

送ってから、その文面が少しだけ嫌になった。

 

倒れてない。

それだけだ。

 

それ以上のことは、どこにも書いていない。

 

スマホを伏せる。

部屋はまた静かになる。

 

終わってる方が、楽だった。

 

そう思って目を閉じる。

 

終わっているなら、確かめなくていい。

終わっているなら、もう乗れない理由を、自分の身体に毎回聞かなくていい。

 

澪はもう一度だけ、右腕を上げる。

さっきより少しだけ上がる。

 

そこが、いちばん困る。

 

痛くて無理なら簡単だった。

動かないなら、もっと簡単だった。

 

でも、動く。

少しだけ戻る。

それでいて、前と同じには足りない。

 

「……なら、ちゃんと動いてよ」

 

小さく言って、腕を下ろす。

 

春先のぬるい風が頬を撫でた。

そこに、鉄と火薬の匂いはまだない。

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