バロックエンジン   作:福ノ権兵衛

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 「医者とは人を救う人間のはずだ。それなのに、俺は・・・。」
(ある男の手記より)


ある医師の話

これは2120年1月25日、ケベック州のある病院の話。

レイモンド「次の方、どうぞ。」

 先の患者カルテを見終わった外科医、レイモンド・リチャードは次の患者を呼んだ。「はい」と大人びた女性の返事と共に診察室のドアが開いた。入って来たのは20代後半か30代前半くらいの茶髪で青い目の女性だった。彼女の腕の中には生まれて間もない赤子がすやすやと寝ていた。

レイモンド「どうぞ、おかけになってください。」

メリー「はい、失礼します。」

 彼はカルテに目を通した。カルテの患者名にはメリーではなく、子供の名前が書かれていた。アーシャ・アップルトン、手術内容は去勢であった。何故なのか、その理由は子供の性別だった。

レイモンド「メリー・アップルトンさん?」

メリー「はい。」

レイモンド「今回、ここにきたのは・・・。」

メリー「ええ、うちのアーシャを良くして貰いたいのです。」

 メリーの言葉でカルテを見直す振りをする。

レイモンド「ええと・・・、失礼ですがお子さんの容体は問題ない筈ですが・・・。」

メリー「いいえ、アーシャは病気なのです。”バロック”という忌まわしい病の。」

 バロック、2110年のK少年以降に現れ始めた両性具有の存在。男でありながら総排出膣(クロアカ)を有しているため子を成せる事が出来る。さらには女性ホルモンが多いため、毛は少なく丸みを帯びた女性的な姿をしている。反面、オッドアイやアルビノといった遺伝子疾患に加え、ホルモンバランスが不安定なため短命である。

 バロックを巡り、世間は普通の人間として接する「融和派」と社会的価値観を狂わす禍源として封印する「排斥派」、人類の目指すべき偶像、あるいは「神」として崇め奉る「信奉派」の3つにわかれた。最初こそ融和派が優位であったが、2116年にケベック州で起きたバロックによる虐殺事件「カナディアン・キルドーザー事件」で排斥派を支持する人間が増えた。その大半がキリスト教徒であった。

メリー「お願いします、先生。先生の力で”彼女”を直してください。」

レイモンド「・・・。」

 

 病院の屋上、レイモンドは黄昏ていた。タバコ・・・ではなくロリポップキャンディーを口に加え、街の灯りを眺めていた。人と車が行き交う中、HAV(人型装甲車両)を輸送する大型トレーラーと装輪戦車が混じっていた。戦時中ではないのに兵器が街を行き交う光景は異常だ。しかし、人々はその異常さに慣れてしまっている。

レイモンド「直す、か・・・。」

 バロックを理由に去勢する以前に、アーシャはまだ生まれたばかりの幼子、そんな子を手術するなんて倫理に反するのではないのか。だけど、今の世はバロックに対して風当たりが強く、あの子が普通に暮らせる保証はない。彼は板挟みになり、深く苦悩していた。しかし、時は構わず進み始める。じりじりと迫る手術日、しかし未だに決断できずにいた。

オッズ「なにしけた顔してるんだよ。」

レイモンド「オッズ・・・。」

 彼の傍に同僚のオッズがコップ一杯のコーヒーを片手に座り込む。

オッズ「助手から聞いたぜ、バロックの赤子の手術を担当することになったってな。」

レイモンド「ああ・・・。正直、やりたくない。」

オッズ「何弱気になっているんだ?前代未聞のバロック手術だぜ。成功すればお前は莫大な報酬と共に昇進する。」

 悠々と金や出世のことを話す同僚に彼はいら立ちを感じた。

レイモンド「金の話じゃない!子供の未来がかかっているんだぞ。今は無理かもしれないけど、いつかバロックの子供が平和に暮らせる日が来るまで・・・。」

オッズ「理想家みたいなことをいうな。あの事件以来、ここだけじゃなくアルバータやオンタリオで排斥派と融和派がドンパチしている。その子がバロックとしてお天道様に照らされながら堂々と暮らせる保障なんて何処にもないんだぜ。」

レイモンド「けど・・・。」

オズ「後々ひどい目に合うくらいなら、タマタマちょん切ったほうがあの子の幸せになると思うけどな。俺はよ。」

 オッズはコーヒーを飲み干して席を立った。

オッズ「じゃあ、また明日。手術終わったらハブいこうぜ。」

レイモンド「・・・。」

 同僚の考えも一理ある。気が付けば街の灯りは消えていた。それを眺め、彼は決心した。翌々日、手術当日。待合室にて母親メリーは両手を握って、神に祈りながら手術が終わるのを待っていた。

メリー「主よ・・・、どうか我が子の罪を許したまえ・・・。」

 表示灯が消え、重々しい扉から手術衣を着たレイモンドが出る。

メリー「先生、娘の・・・アーシャは大丈夫ですか・・・。」

レイモンド「・・・はい、手術は無事終わりました。」

 それを聞いたメリーは感極まって涙を流した。

メリー「ああっ、先生・・・。本当にありがとうございます。」

 彼女の嬉しそうな顔を見たレイモンドは内心複雑な感情を抱いていた。この後、彼は「バロックを直す外科医」として有名となり、昇進を果たした。

 

 あれから18年、レイモンドはキャリアと経験を積んだおかげで、病院一の腕を持つベテラン外科医となっていた。給料が上がったおかげで、家や車、家庭を持つことができ順風満帆な人生を送っていた。たまにバロック関連のニュースを見て、アーシャの事を思い出す。その時は、「あの子は普通の女の子として幸せに暮らしている。だから心配しなくても大丈夫」と自分に言い聞かせていた。

 2138年10月25日、そんな彼に急患がやってきた。ストレッチャーで運ばれた患者を見ながら、彼は患者の容態を聞いた。

レイモンド「患者の容態は?」

看護師「かなり深刻です。五階から飛び降りて、全身骨折しています。臓器にも損傷を負っていると考えられます。」

レイモンド「分かった、急ごう。ところで患者の身元は何か分かったか?」

看護師「まだ情報を掴めていません。」

レイモンド「分かった。とりあえず、今は患者の治療を行おう。」

 手術室に運ばれた患者。レイモンドは手術衣に着替えた。そして助手や麻酔科医の6人体制で緊急手術を施した。しかし、彼の努力虚しく患者は息を引き取った。

 ロビーにて、彼は椅子に座り落ち込んでいた。缶コーヒーをやけ酒の様にぐいっと飲みまくっていた。そこに看護師が駆けつけてきた。

看護師「先生、すみません。患者の身元が判明しました。」

 彼はせめて自分が救おうとした命について聞こうとした。

レイモンド「そうか、患者の名前は?」

看護師「患者の名前は・・・アーシャ・アップルトンです。」

 彼の手から缶が床に落ちた。こぼれ出た黒いコーヒーがトボトボと溢れ、床に広がる。

レイモンド「えっ・・・、アーシャって・・・。」

看護師「はい、18年前に先生が執刀した子供です。」

 18年前の手術の後、アーシャは投薬によるホルモン治療を受け続けていた。先に言ったように、バロックは常人よりもホルモンバランスが不安定である。そのため、錠剤を飲んでホルモンを調整しなければならなかった。そうすれば、何も問題はないと当時は考えられていた。だが、現実は違った。中学生の頃、彼女は不眠症と記憶障害に悩まされ、学業や日常生活に支障をきたしていた。それだけではなく、彼女は自身がバロックである事を親戚から知ってしまう。自身の呪われたルーツとホルモン治療の副作用、2つが合わさり自殺衝動に駆られてしまったとのこと。

 レイモンドは地面に膝をついた。これまで自分は「あの時の手術で彼女は幸せに暮らしている」と言い聞かせてきた。だがそれは人道に反する行為を誤魔化すための言い訳でしかなかった。

レイモンド「私の・・・せいだ。」

 その後、レイモンドは医者を辞め、ケベック州を去った。彼がどこへ行き、何をしているのかは誰にもわからない。

 




用語解説
HAV(人型装甲車両):本作に登場する10m級人型多機能車両。
バロック:鳥類や爬虫類にしかない”総排出膣”を有した両性具有者。日本でいうところの「男の娘」。性ホルモンが不安定かつ短命。また一部から迫害されている。
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