父をたずねて三千里   作:くまも

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白き吸血姫の最期

 

 

 魔法使い達が帰ったあと。

 天守の窓辺に肘をつき、純白の花園を見下ろしながらつらつらと思考に耽る。

 

 宝石翁の予言はやや抽象的だ。並行世界を運用する魔法使いとして、細部に言及することそれ自体が災いを招きかねないのだろう。

 逆に言えば、彼が断言したものは既に確定してしまった事象に他ならない。手をこまねいていれば、彼の街は確実に破滅する。

 予期せぬ幸運や”神のご加護”など、万に一つにもあり得ないということだ。

 

 なので、祖を相手に盤面をひっくり返せるアルトリウスを総耶に向かわせるという選択は理にかなっている。

 というより、現状それ以外に打てる手がない。わたしがこの城から動けない以上、わたしに次ぐ戦力たるアルトリウスを投入するか、あの街を見捨てて傍観に徹するかの二択だ。

 後者を選べないことを承知で話を持ち掛けたのだから、宝石翁のやり口は説得というより殆ど脅迫に近かった。

 ブルー共々、お前達でどうにかしろと投げつけてやりたいのは山々だが、所詮街一つが滅びる程度の災厄では動きようがないのが魔法使いの難儀なところだ。

 

 普段なら信仰の薄い極東の島国など大して気にもかけない教会も、祖と真祖が出没すれば最優先で動くだろう。

 どこまで巻き込めるかは、その時点でのアルトリウスにつけられた値打ちによる。自分を高く売り込めれば、それだけ引き出せる物も大きくなる。

 そのためには相応の暴力と、なにより実績が必要だ。吸血鬼が教会を相手取るには、連中の狂気じみた信仰心をもへし折るほどの「前科」を見せつけるのが一番手っ取り早い。

 たとえそれが真祖、その中でも王族にあたる個体だろうと、牙が生え揃っただけの箱入りに臆するような可愛げなんて、あの狂信者共にあるはずもないのだから。わたしの経験上、教会における吸血鬼の値打ちはどれだけ爪を振るったかが全てとなる。

 侮られるぐらいなら、憎まれ蔑まれるほうがずっといい。間違っても、飼いならせるなどと思わせてはならない。

 祖をも凌駕する危険因子とならなければ、教会は祖だけをやり過ごすために、街の一つぐらい平気で生贄にする。

 

 もっとも、これについては散々言い聞かせてきたことだ。

 気性面で心配はしていない。ただでさえ戦闘狂に片足を突っ込んでいるというか、思考に闘争が根を張っている。城主相手に躊躇なく吹っ掛けてくるぐらいには。

 そもそもが朱い月を処刑するためのワンオフなのだ。退魔の血による吸血衝動の解除、人間の側面としての成長性という肉体面のみならず、精神面もより戦闘向けにデザインされているとみて間違いない。

 まさしく星が生み出した攻性生物。野に放てば誰の手にも負えない災厄となる。男の子なのだからそのぐらいでちょうどいいのではないか。

 真祖である限り、本人でもその在り方は変えられないだろう。

 寿命のない真祖にとって、「価値観の喪失」は「自己の死」と同義である。自然の調和を図るために人間を処断するわたし達が、己の欲求のために人間を必要とする矛盾に耐えられないのもそのためだ。

 血を吸えば吸うほど、上品な精霊から、人間のように快楽を貪る獣に堕落する。そうして魔に堕ちた真祖は自らが発生した意義を失い、強力な吸血鬼となって世界を汚染し始めてしまう。

 この意義の死を防ぐために、能力の大部分を吸血衝動の抑制に割かなければならない。

 必然的に血を吸うことに耐えれば耐えるほど、能力のレベルは落ちていく。いつか吸血衝動を抑えることができないと気付いた時、真祖は自らの意思で永眠する。

 吸血衝動のないアルトリウスとはいえ、種としての本能は同じだ。自らが生み出された意義を至上とし、そのためならどのような手段であろうと必ず実行する。

 たとえ、この星に残された神秘を余さず喰らい尽くしてでも。

 

 さて、とため息交じりに呟く。

 アルトリウスを城から出す。それ以外に選択の余地がない以上、これ以上躊躇うのは時間の無駄だ。

 そして無駄にできるだけの時間もない。祖を二体も相手取るには、成熟度と戦闘経験でやや不安が残る。日本に渡る前に、まずは欧州で神秘を狩る必要がある。

 ついでに教会のお膝元を荒らしてやれば、代行者とて無視はできない。連中が躍起になるだけ、死徒にとっては圧力となろう。

 

 蜘蛛女が何時から総耶に巣を張っていたかは知らないが、裏であの蛇と繋がっていたのであれば、消滅した奴の城や資産はそのまま簒奪している可能性が高い。

 かの偽証と証明の支配者を利用するというのだから、相当に下準備を積み上げてきたに違いない。いつそれが万全に至るのかは知る由もないが、吸血鬼事件で流布した噂を元に志貴を巻き込むのであれば、そう遠い未来ではない筈だ。

 開演の日時は、霊子の航海図を組み上げた本人にしか分からない。あるいはせいぜい、第六に至るため契約を交わしたアルトルージュぐらいだろうか。

 あくまで惨劇の幕を開けるのは現象の死徒に他ならない。その顕現が即ちタイムリミットとなるが、逆に言えばそれまで祖が大っぴらに動くこともないため、こちらが手を打てる猶予期間として見込める。

 もっとも、あまり悠長にはしていられない。与えられた猶予は、長く見積もっても恐らく一年も残されていないだろう。

 血液を媒介して、アルトリウスにはこの数か月で今のわたしの持つあらゆる知識、経験を渡しておいた。わたしが記憶として保持している情報などたかが知れているが、それでも地上で生き抜くには十分だ。

 色々と理由を付けて手元に留めていたが、別に未来永劫この城に繋ぎ止めておくつもりもなかった。巣立ちがこうまで早まるのは予想外だったが、なるべく早くから教育を施してきたのが結果的に功を奏したか。

 

「おかげで城は空っぽだけど。星が生み出した兵器の中でも、鋳造コストは頭一つ抜けてるわね」

 

 侵略者に対抗するための必要経費か。

 これで肝心の性能が追いついていなかったらお笑いだったが、杞憂なようでなによりだ。

 

 白い花園を踏み分けて城に向かってくる、黒き吸血鬼の姿を眺める。

 この城は遠大だ。仮に総耶ぐらいの都市で顕現すれば、城郭だけでも軽く街を覆い尽くす。わたしがいる天守までの高さに至っては、人類の創造物では測れない。

 千年城と銘打つが、その実態は真祖の王国である。故に、ただ歩いては庭から外壁に辿り着くにも相当の時間がかかる。

 もっとも、空間を自在に改変できる真祖にとっては距離などなんの障害にもならない。普段は無駄な力の使い方をしないだけだ。

 そういえば、最後にあの機能を行使したのは何時だったか。あぁ、確か初めて志貴に会いに行った時だ。

 わたしを振り切ろうなどと無駄な逃走を試みた挙げ句、自分から袋の鼠となった彼の姿はいま思い返してもやっぱりおかしい。

 

 くぁ、と込み上げる欠伸を噛み殺す。

 近頃は睡魔に襲われることが増えた。こうしている今も、気を抜けば船を漕いでしまいそうだ。

 

 己の衰えを自覚する。

 

 倦怠感。

 目眩。

 鉛のような身体の重さ。

 一歩、踏みしめるたびに視界が朱く染まる。

 

 それはあたかも生命線を絶たれた人間のような。

 

 最期は近い。

 この城に帰った時点で既に死に体で、さらにあの子に血と力を分け与えてきたのだ。むしろよく持ったほうだろう。

 

「……おかしいな。わたし、まだ八百年しか(・・)生きてないのにね」

 

 いまここで眠りに落ちたら、再び目を醒ませるだろうか。

 ”次”も、あの子とお話できるだろうか。宿敵ではなく、親子として。

 

 そんな弱気を振り払う気力もなく、椅子に深く背を沈める。

 アルトリウスが帰って来るまでだいぶかかるだろう。それに今は、幼子の跳ねっ返りに付き合うだけの気力もない。

 ただでさえ、呼んでもいない魔法使いの仕事話に付き合わされたばかりなのだから仕方ない。そう、仕方がないのだ。

 

 我が子を迎えにいかない言い訳をあれこれ頭の中で捏ね繰り回していると、どっと眠気が押し寄せてくる。

 

 ここは星の内海を一望する尖塔。玉座に還る手間すら煩わしい。

 黒い化身が城の外壁に到達したのを見届けて、すっかり重たくなった瞼を閉じた。

 

 

 ◆

 

 

「────ん」

 

 ふと、目が醒めた。

 

 機械に電源を入れるような目醒めはいつものこと。

 緩慢に椅子から身を起こす。

 

 緩慢に身を起こしたつもりだった。

 どういうことだろう。

 嘘みたいに身体がかるい。

 それともあの気怠さこそ嘘だったのだろうか。

 

 なんであれ幸いだ。

 さあ、あの子を迎えに行こう。

 

 

 いつも通り、城に意識を流し込む。

 ここはわたしの胎内だ。掌握できないものなどなにもない。

 ──それなのに、どういうわけか、ちっともあの子が見つからない。

 

 まさか、城を飛び出したわけではあるまい。

 万が一、あの魔法使いに誑かされたのだとしても、この星の内海はわたしが封鎖している。

 なら、このわたしすら欺く術を身につけたのか。

 そうなると、自分の足で探さないといけないのか。この巨城を隅から隅まで。

 

 流石に頭が痛くなる。とはいえ、やらないわけにはいかない。

 禍福は糾える縄の如し。この嘘みたいな快調の対価と諦めよう。

 

 展望台を出て、下層へと降りていく。

 かつては栄えたこの城から賑わいが消えて久しい。

 伽藍洞のホールに響くのは、一人分の靴音のみ。

 

 空気が冷たい。

 大理石の間は耳が痛くなる程の静寂で以て城主を迎える。

 階段も、客間も廊下も、つい先程までここにいた誰かを悼むかのように、白黒に閉ざされていた。

 

「────」

 

 どうしようもなく、温もりが欲しくて。

 ピンヒールが磨き抜かれた床を叩く反響に耳を凝らしながら走っていたら、いつの間にか玉座の間に辿り着いた。

 

 ぽっかりと口を開ける、城の心臓部の入り口を駆け抜ける。

 そうして

 二歩、三歩と玉座に近づいて。

 ふと、懐かしい匂いを嗅いだ。

 鉄臭くて、それでいながら耐え難いほどに芳醇で。

 頭のくらくらする背徳の香りが鼻腔をくすぐる。

 

 意識した途端、それはみるみると濃くなって。

 つられて、足元に視線を落とす。

 

 

 ──ああ、何故いまのいままで気づかなかったのだろう。

 わたしの足首は、すっかり血の海に浸かっていた。

 

 

 振り返る。

 外からは見えなかった扉の傍ら。

 投げ捨てられた黒い塊。

 

 よほど遠大な生命だったのだろう。

 その小ささとは到底釣り合わない、この真っ赤な大海は。

 しかし疑いようもなく、幼き肉塊からこんこんと流れ出していた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 分からない。

 アレはなんなのだ。

 

 ……そうであればどれほど良かったか。

 いま、この城に在る真祖など、わたしを除けば一人しかいない。

 

「い、いや……嫌、違うから」

 

 そうだ。侵入者の可能性だってある。

 事実、つい先程この内海を訪れる者だっていたではないか。

 だって玉座の間の扉が開いていた。

 きっと、真祖の寝込みにつけ込もうと目論んだ不届き者が、あえなくその爪にかかったのだろう。

 わたしは弱っていて、そんなわたしを狙う輩は掃いて捨てるほどいて──

 

「あ……あぁ…………」

 

 そう目を背けられたら、どれだけよかったか。

 わたしが眠りについている間。

 ここでなにが起きたのか。

 ここでなにをしてしまったのか。

 

 血溜まりに鮮やかに浮かぶ金砂の髪。

 

 再び視線を落とす。

 わたしの指先は、乾いた血で固まっていて。

 血の海を歩いたドレスは朱く染まっていた。

 中でもとりわけ汚れが目立つのは、靴でもスカートでもなく、臓腑を抉り抜いたであろう手袋。

 これらの事実が、なにより雄弁に惨劇の真実を語っているではないか。

 

 ──そうだ。

 おまえが愛するものを傷つけたのは、これが初めてではないだろう。

 

 頭の中。

 わたしに巣食う宿痾がせせら笑う。

 

「────あ」

 

 公園での出来事。

 彼とのお出かけの最後、楽しい一日を台無しにした愚行。

 

 わたしはまたしても、愛する者に牙を剥いたのだ。

 

 あの時にはベスティーノがいた。

 今は違う。この城には誰もいない。

 

 あの子を守れるのはわたししかいない。

 だから、あの子はわたしを信じていた。

 敬愛すらしていた。

 なのに

 

 ”おまえはその信頼に背いたのだ”

 

 

『──だが、よくやった』

『其の個体は我が血より生まれし我が天敵』

『おまえは見事、月の癌(ムーンキャンサー)を葬ったのだ。アルクェイド・ブリュンスタッド』

 

 月の王は嗤う。

 

『振り向くな。其れのことはもう忘れてしまえ』

『忘れたくなくとも、忘れることになる』

『そも、己を餌とする獣を駆除するなど、自然における当然の在り方だろうに』

 

 嗤う。

 

『報奨の一つでも与えたいところだが、生憎と不自由な身だ』

『出獄までもうわずかか。せいぜい気張るがいい、娘』

 

 脳裏に響く声が、最期を告げた。

 

 

 思えばはじまりはそこだった。

 真祖は子は成さない生物。

 もし成し得たとしたら、それは星が望んだからに他ならず。

 あの子には命題が与えられた。

 魔法使いの示唆により、ようやくアルトリウスを知ることができた。今更ながらに。

 もう、なにもかも手遅れだけど。

 

 ごめんなさい、と謝ることもできない。

 そもそも誰に、なにを謝りたいのか。

 

 愚かな母親の未練のために、僅か半年に満たない生涯を終えた我が子にか。

 彼に、あなたとの子を育てられなかったと詫びたいのか。

 

 ……同族殺しなど、今更だろうに。

 

 違う。わたしは間違えた。

 わたしが殺し尽くしたモノが言っていただろう。

 アルクェイド・ブリュンスタッドに無駄はいらない。

 わたしはだけは、間違えてはいけない。

 

 間違えてしまえば、遠からずこのように──

 

 

 

 ◆

 

 

 

「────―ッ!」

 

 そこで、目醒めた。

 

 暴力的な覚醒。

 不随意かつ容赦のない上半身の跳ね上がりに、堪えきれず絶叫を奏でる椅子。

 歪にひしゃげたそれから腰を上げる。

 

 いつもの、機械の電源を入れるような、静かな目覚めには程遠い。

 飛び起きる、とはこういうことを言うのだろう。

 

 胸元から腹へ、うなじから背中にかけてと、滂沱のように汗が伝う。

 粗い呼吸。酸素を欲するというより、暴れる心臓を取り込んだ空気で締め上げるような。

 およそ限界を超えた身体酷使の有り様のようだが、ただ一つ体感温度だけがそれに反してずっと冷たい。

 凍えるような悪寒に慄いて、思わず肩を抱く。

 

 あの惨劇を想起し、反射的につい、と足元を見やる。

 一匹の子猫が、こちらをじっと見上げていた。

 

「──レン」

 

 彼女は受動的な使い魔だ。

 絶対、と言っていい程、命令された以外のことはしない。

 

 だが、それは受け身な指示待ちとはまるで異なる。

 主人からの命令を遂行するため、立案し、実行するだけの行動力がある。

 主体性が皆無なだけで、使い魔としての性能は頭一つ二つ抜きん出ている。

 

 わたしがレンに命じた唯一のオーダーは、アルトリウスを守り抜くことだ。

 その脅威は侵入者に留まらない。

 むしろ、最も近しい母親こそ最大の脅威である。

 ただでさえ吸血衝動の限界が近い真祖の王族の様子がおかしければ、万が一を防ぐために必ず干渉する。

 その、最上位の夢魔であるレンをして介入できなかった。

 

 すなわち、アレはただの夢ではない。

 このままでは避けようのない結末。傍観の末に確定した破綻の映像。

 朱い月の後継者としてではない、アルクェイド・ブリュンスタッドという一人の吸血鬼が辛うじて手繰り寄せた予知夢だった。

 

 通常、真祖は夢を見ない。

 わたし達が見るのは過去の焼き直し。

 自己分析と自己啓発。

 睡眠が記憶と情報の整理であるのは、人間も同じだったか。

 

 この駆体は、戦闘兵器としての在り方を忘れていない。

 我が身を苛む吸血衝動。猶予はあとどれだけあるか。

 そして、アルトリウス・ブリュンスタッドという真祖の本質。

 それら全てを篩にかけて、分析して、導き出された回答があれだ。

 

 あの子は朱い月わたしを殺すために生み出された、この惑星の結論兵器。

 アルクェイドとアルトリウスは、母子であると同時に、互いが互いにとっての宿敵である。

 そのように創られた生き物なのだから。

 

 墜ちたわたしは、一番にこの子を排除しにかかるだろう。

 この城はもはやこの子にとって揺り籠ではない。

 むしろ、この星における最たる危険地帯となりつつある。残された時間は少ない。

 

 次に眠りに落ち、それから目覚めた時には、わたしは朱い月として新生し、先の予知夢は確定(・・)するだろう。

 わたしがわたしとして活動できるのは、今の覚醒めが最後だということだ。

 

 ──わたしとあの子が親子でいられるのも、これが最後となる。

 

 我が子の孤独な船出に、母親として、先達として餞別を与えよう。アルトリウス。

 なんであれ、あなたは祝福された命なのだから。

 

 

 

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