父をたずねて三千里   作:くまも

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賽は投げられた

 

 

 旅の支度には、然程の時間もかからなかった。

 

 千年城の潤沢な資産とて、余さず地上に持って行けるわけでもなし。

 人間と違って必要に応じていくらでも創り出せるのだ。必要なものは本当に最小限度となろう。

 

 満月の下、純白の庭で向かい合う。

 わたしを見上げる我が子の腕に黒猫を抱かせ、最後に一度だけ、その艶やかな毛並みをそっと撫でた。

 名残り惜しむつもりはない。ただ託すのみ。

 使い魔としての主従契約は既に結んである。この城に残るのはわたしだけでいい。

 どのみち、吸血や魂喰いを拒むレンは既に活動限界が迫っている。わたしに殉じたところで、消え去るほかないのだと知っている。

 

 アルトリウスについては、未だ個体として成長途中ではあるが、なるようにはなるだろう。

 今ならこの不可解な成長速度も腑に落ちる。

 なんてことはない。この世に生を受けて以来、常に傍らに在った脅威(わたし)への適応でしかなかったということだ。

 性能で敵より上を取ること。これが真祖としての戦い方の基本であり全てである。

 少しでも早く(わたし)の性能に追いつき、凌駕するために星からのバックアップを限界まで引き上げた。

 それでもなお、わたしを打倒するには届かなかったことが口惜しい。

 アルトリウスは既に天体を成す器ではあるものの、吸血衝動を抑えないわたしを超越するには至らなかった。

 誰にもわたしを止められないというのなら、わたし自身の手で幕を引くより道はない。

 ここが、朱い月が辿り着いた最後の場所となる。

 真祖アルトリウスの巣立ちを見届けて、アルクェイド・ブリュンスタッドは、今度こそこの星と共に深い眠りにつくのだから。

 

 吸血鬼とはいえ、齢一つにすら満たない幼子に全てを背負わせることになるが、星の頭脳体として授けるべきことは授けてきた。

 その半身たる人間の在り方については、終ぞ理解が及ばなかったが。

 だからこそ、宿り木なら既に決まっている。

 

「外に出たら、お父様を頼りなさい。人間社会のことなら、わたしよりずっと詳しいから」

 

 そして、わたしの代わりに。

 

「──彼の街(総耶)を助けてあげて。人類の矜持も死徒の悲願も、あなたなら黒く焼き尽くせるでしょう」

「かしこまりました。お母様」

 

「そう。ありがとう、アルトリウス」

 

 これで、真祖アルクェイドの役目はおしまい。

 わたしの遺言をアルトリウスが承諾したのを見届けて、レンに与えた最後の命令(オーダー)を発動する。

 夢魔によるパスを介した一時的な機能停止(シャットダウン)

 意識が堕ちている間だけわたしが星からのバックアップを独占し、万全を期してこの城を閉じる。

 この子が次に目を覚ます頃には、全てが終わっている筈だ。

 

 腕に抱いた幼い躯を花園に横たえた。

 長い睫毛が、ゆっくりと、眩い宝石のような蒼色を包むように閉じていく。

 暖炉の火に灰を被せたように、少しずつ力が抜けてきた。もう意識も保てないだろう。

 

 

 今生の別れを噛み締めながら、いつかの夕暮れと同じように。

 

 ばいばい、と笑って告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 まるで機械に電源を入れたかのように、水底から水面下まで急速に意識が浮上する。

 この感覚も、もう慣れた。燦々とした月光を浴びながら、瞼を開く。

 

 深々と降る月光を背に、子猫がしずしずと顔を覗き込んできた。

 影絵のような黒さの中で、爛々とした深紅の瞳が揺れる。

 主の目覚めを迎えたのは夢魔だけではない。

 星を覆う天蓋も、白い花弁が見渡す限り咲き乱れる花園も、その中心に聳え立つ巨城も、花を揺らす風も空を巡る雲も星々も大地も大気も湖も、この星の内海に存在するありとあらゆる事象が新たな主に拝跪する。

 比喩ではなく、花の一輪一輪からその葉の一枚に至るまで、目覚めた私の目は世界の総てを捉えている。

 

 頸木は解かれ、外界への道は開かれた。

 ここが回帰不能点だ。一度進んでしまえば、戻ることは出来ない。

 

 聖堂教会、魔術協会の別なく、千年城は地上から監視されている。

 この城に動きがあれば、あちらの世界全体に警報が発せられるらしい。

 次にアルクェイド・ブリュンスタッドが目覚めるときには魔王に堕ちている可能性が高いからだ。それは世界の終わりとほぼ同義である。

 今を生きる人類として、目を逸らすわけにはいかないのだ。たとえ、打つ手などないのだとしても。

 千年城の内部について、外から観測することは不可能だろう。しかし外堀を固められている以上、巣立ちと同時に私は捕捉される。

 そして始まるのだ。食うか食われるかの生存競争が。

 

 最後に一度だけ、城へと足を向ける。

 確かにあったはずの城門は、影も形もなく消えていた。

 そのまま城壁に沿って歩いてみても、入城できるだけの穴はない。執拗なまでに、外からの干渉を拒んでいる。

 冷たく閉ざされたその在りようは、どこか棺にも似ていた。

 後をついてきたレンが、少し戸惑ったようにこちらの表情を伺う。お母様の下に帰りたがっているようにでも見えたのだろう。

 

「今更怖気づいたわけではございません。多少名残を惜しむぐらい良いでしょうに」

 

 足を止めずに釈明する。黒猫は二度三度、目を瞬かせて前を向いた。

 こう見えて情緒豊かだ。言語というツールを介さず、よくここまで器用に感情表現が出来るものだと感心する。

 正式なマスターは私だから、命令さえしてしまえば流暢に話すかと気にはなったが、これからの関係を考えてやめておく。

 家族であると同時に、終わりの見えない旅路における唯一の連れなのだから。少なくとも、今のところは。

 

 益体もないことをつらつらと頭の隅で転がしながら歩いていると、不意に城壁が途切れる。

 懸命な籠城に泥を塗るような、総耶の高層ビルぐらいなら軽く収まる大きさの穴だった。

 目に見えた破壊の痕跡だった。なにか途轍もない質量を内側から叩きつけられたのだろう。

 記憶を辿れば、すぐにその正体に辿り着いた。

 

「魔剣『真世界』……」

 

 星を焼き払う一撃とは彼女(アース)の言だが、それにしては崩落が浅い。

 恐らく火力不足ではなく、徐々に穴が塞がっている。千年城の自動修復機能か。

 いずれここも閉ざされるだろうが、完全に元通りになるにはまだ時間がかかる。

 せっかくなので、あれも回収していこう。どうせ私以外の誰にも使えないのだから。

 

 流石に宝物庫というだけあって、外郭からはそれなりに距離がある。

 曲がりなりにも城ということだ。

 賊の類など来ようもないこの星の内海において、盗難を意識する意味については大いに疑問だが。

 天井から壁、床にかけて、まるで毛細血管の如く張り巡らされた鎖を躱しながら進む。

 

「ここまで鎖が及ぶとは難儀なものですね」

 

 思わずぼやくと、足元でレンがみぃと鳴いて同意を示す。

 破壊によって生じた空間ですらこの有り様だ。間違いなく、城の居住区域はもっと酷い。

 遍く鎖は玉座を縛る。これらは外からの干渉を阻むと同時に、内からの脱走も許さない戒めだ。

 この崩落孔が塞がってしまえば、脱出は厳しい。あまり悠長にしている時間はないかもしれない。

 壁を堀り抜いた”通路”は闇に包まれているが、夜の世界に生きる私達にはなんの問題もない。

 それに、道標もある。それなりに歩いたところで、行く手に想像通りの輝きが見える。

 進むにつれて大きくなるそれがはっきりと形を成したところで、私達はようやく宝物庫に辿り着いた。

 

 いたるところに鎖が絡みついた、巨大な蔵。

 凄惨な破壊の跡地において、無数に転がる瓦礫の一つに、淡く輝く長い金髪をなびかせた白い女が腰掛けている。

 まるで膝枕でもするかのように、腿の上に己の背丈を優に超える長剣を寝かせ、その刃に指を這わせている様は怖気が走るほど優雅だった。

 

「ごきげんよう、アーキタイプ:アース様。この惨状の責任の半分はあなた様にあろうかと」

「貴方の扱い方が未熟なだけです。私が指向性を付与したので”この程度”に収まりましたが」

 

 なぞる指を止めて、じっとりとアーキタイプ:アースは私を見据える。

 思えば初めて遭遇した時もわりと自由に権能を行使していた。伊達に剣の妖精をやってるわけではないらしい。

 

「あれは殆ど暴発でしたね。星を焼く熱量をまともに受け、それでも無傷とは称賛に値します」

「当然です。星すら打倒し得る規模ですから。その分、使い熟すには相当の理解が必要ですが、貴方はまだまだですね。アルトリウス」

 

 星すら打倒し得る。その評価は何処かで聞いたなと顎を撫でる。

 一つは朱い月から落ちた深紅の染み。星を侵す特異点たる死徒二十七祖。より正確には、それらの祖を祖たらしめる原理血戒。

 ならば、あれも該当するだろう。人間でありながら原理血戒を保有するとかいう代行者。

 お父様から受け継いだ記憶の中では、それらしきものの片鱗すら見せていないが。

 それを抜きにしても人間にしては格別に味が濃そうなので、密かに狙いをつけていた。

 

「なるほどシエルと同じですか」

 

 その名を口にした瞬間、アーキタイプ:アースの眉間に皺が刻まれる。

 これは意外だ。彼女が何処からどうやって来たのか知らないが、あの代行者と面識があるらしい。

 なら、私の知らないシエルの情報も、彼女は握っている可能性がある。

 

「どうなのです。もしや原理血戒のみならず、その魔剣に匹敵する武装すら保有しているのでは」

「……あのような出力だけの兵器(第七聖典)など、この洗練され尽くした征伐兵器とは比べるべくもありません」

 

 アーキタイプ:アースの眉間の皺がより一層深くなる。

 

「ですが、そのような自明の、議論の余地すらない純然たる事実すら彼女は認められませんでした。畢竟するにその愚かしさこそが、代行者シエルが所詮は遊園地の楽しみ方も知らぬ世間知らずの箱入り娘に過ぎない証左なのでしょう」

 

 そういうものだろうか、と首をひねる。

 まぁ確かに、目をつけた後輩(重要参考人)にカレーとカレーとカレーうどんから二択を強いる女は世間から逸脱していると言えるかもしれない。

 世間を一切知らない私が言うのもなんだが。

 

 判断つきかねるこちらを他所に、アーキタイプ:アースは床に目を落とす。

 遠く先の地下深くに秘された玉座で眠る自分を見据えて、悩ましげに溜め息をついた。

 

「もっとも、彼女の持つ原理が稀有であることを否定はしません。意外でした。アルクェイドは強奪しなかったのですね」

「強奪、ですか。それは何故」

「必要だからです。そして何かを必要とするとは、即ち自力では克服し得ない課題があるということ。皆まで云わずとも分かるでしょう」

 

 完璧である筈の真祖が持つ唯一の課題。

 吸血衝動の克服。

 その鍵を、シエルが握っていると。

 星に作用する呪いだ。特効薬があるとするなら、同等の呪詛──原理血戒しかない。

 剣、城、森。当時の総耶において、彼女が獲得していた呪いは三つ。

 

 当然、簡単には手放さないだろう。

 なにしろ教会にすら引き渡していない。だから、アーキタイプ:アースは強奪を示唆したのだ。

 しかし、お母様はシエルから奪わなかった。奪いたくても奪えなかった。

 人形遣いが操ったとはいえ比べるのも馬鹿らしくなる程に弱い弟子に苦戦し、下級死徒すら仕留め切れない死に体のお母様では、どう足掻いても埋葬機関相手に戦いなど成立すらしない。

 なにしろシエル自身、お母様の敗死をロア抹殺の作戦に組み込んでいたぐらいだ。それも、黒鍵のみという清々しい程の軽武装でありながら。

 

 ──その果てにお母様は斃れ、地上に留まること能わず今に至る。

 

 私なら弓のシエルに勝利出来るか。

 出来る。いくら超人とはいえ、所詮は人間だ。加えて、今は不死すら失っている。

 まずはそのために、すべきことをしなければ。指針なら既に与えられている。

 

「お母様には、お父様の助力をするよう言付かっております。そのために、まずは神秘を喰らって力をつけろと」

「そうでしたか。それがなにか?」

「私が好きに暴力を振るえば、いつか必ずシエルと相見えることになる。結局、やることは同じですね」

 

 ただそこに、新たな目的が一つ加わっただけ。

 もとより、私の役目は朱い月問題の最終的解決。

 その手段が処刑という対症療法だろうと、吸血衝動の解消という原因療法だろうと、得られる結果が等しければそれでいい。

 

 一筋の光明を見た気がして、少しだけ胸が軽くなる。

 それで、自分が思っていた以上に訣別が堪えていたのだと自覚して苦笑する。

 このことを、レンはとっくに見抜いていたのだろう。アーキタイプ:アースもきっと。

 

「どうぞ、思うように暴れたらいいでしょう。星の声を聞くに、貴方はそのために造られた真祖のようですから。一つだけ、環境破壊は程々に」

「ありがとうございます。ついでにその剣も貰っていきますがよろしいですね。この城の所有権は既に私のものなので」

「いいでしょう……貴方が”摘み食い”しないよう、私もついていきますが。それが今の私の役目なので」

 

 言うや否や、アーキタイプ:アースの姿がゆっくりと薄れていく。

 霊体化であれば、私の淨眼に引っ掛かる。

 散々剣の妖精などと呼んできたが、まさか本当に魔剣『真世界』の本体にでも取り憑いてでもいるのだろうか。

 

「生身のままで同行しないのですか。恥ずかしがり屋さんなんですね」

「違います。下々の者との会話に慣れていないだけです。失敗するのは嫌なので」

 

 それを恥ずかしがり屋と言うのではないか。

 また臍を曲げられても困るので、あえてつっつくことはしない。

 代わりに、最初からずっと気になっていた問いを投げる。

 

「アーキタイプ:アース。そもそも、あなたは何処からどうやってここに来たのです。アルクェイド・ブリュンスタッドが二人いることになるのでは」

「確かに、私はアルクェイドと同じ個体です。あくまで成り行きを異にするif(もしも)ですから。ですので、何処からというなら、同じ幹の違う枝からと答えましょう。そして、どうやってについては──」

 

 一旦、アーキタイプ:アースは息を入れる。

 説明出来ないのではなく、確証が取れない情報を提示する事への逡巡が見て取れた。

 

「──以前、死に絶えた星(ムーン・ドバイ)に喚ばれた実績があるから、でしょうか。それに、他の二人と比べて遥かに魔剣に造詣が深いのも因果の一つとなるかもしれません」

「ようするに、断言出来るものはなにもないと」

「そう、あの月に私を喚んだのは小さな足跡、旧人類の第一歩でした。なら、この前人未到の城に人間の血継ぐ貴方がいたことも、きっと無関係ではないのでしょう。はい」

「……あの、それはどういう」

 

 何やら一人納得したまま、アーキタイプ:アースは光の粒子となって消えた。

 魔剣を虐めればまた出てくるだろうか。

 そもそもそこまでして知りたい情報でもなかったと思い直し、守護者のいなくなった魔剣を拾う。

 見た目に違わぬ重さ。

 アーキタイプ:アースの髪と同じく独りでに輝いている。その素材には検討もつかない。

 私の膂力で以てすれば苦も無く振るえるが、お母様のように肉弾戦に徹した方が余程合理的且つ強力だ。

 アーキタイプ:アースには身元確認ではなく、これの実戦的な扱い方を問うべきだったと今更ながらに後悔する。

 このままでは持ち運びすら一苦労なので、とりあえず私の影の中にしまっておいた。この蔵に辛うじて残っていた僅かな食べ滓も、ついでに放り込んでいく。

 こんなものでも人間社会で売れば、一つで一生遊んで暮らせるだけの資産が手に入る。あくまで人間換算での一生だが、貰えるものは貰えるときに貰うに限る。

 

「レン、出発しましょう。少し、時間を使いすぎました」

 

 

 この城に、もう用はない。

 目的も、方針も既に定まった。

 

 さあ、外の世界に出かけましょう。

 

 

 





黒い鳥は枝を発つ。
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