父をたずねて三千里   作:くまも

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クロンの大隊①

 

 本拠地としている教会に戻ってみれば、バディの女はやはり礼拝堂にて懸命に神に祈っていた。

 彼女の祈りが長引くのはいつものことだが、今日は輪をかけて酷い。

 流石に状況が状況だ。「あとちょっと」だの「5分だけ」だの次々と飛び出す往生際の悪い泣き言は心を鬼にして突っぱねる。

 森を目視出来る位置に築かれている通り、この教会は件の人狼の監視を目的とした砦だ。最初から襲撃を想定しているだけあって護りは鉄壁であり、矛となる騎士団も抱えている。

 小心者の彼女が出たがらないのは道理だが、そうは問屋が卸さない。斬り込み役が真っ先に芋を引いてどうする。

 だいたい、アルクェイドと肩を並べる吸血鬼がその気になれば、こんな拠点など藁の家の如く吹き飛ばされる。ともすればヴァチカンすら陥落するだろう。安全地帯などどこにもない。

 そう言葉を重ねることおよそ10分。ボソボソと怨み言を吐きながら、ノエルはようやくその重い腰を上げた。

 これでもまだ普段よりは聞き分けがいい。間違いなく、周囲に展開している法王庁からの派遣隊が(一時的とはいえ)わたしの指揮下に置かれている事実が多分に作用している。

 6年間、彼女を指導してきたのだからよく知っている。多勢に無勢で我を貫ける気概などノエルにはない。

 

「だ、だいたいなんでこっちから真祖なんかに接触しなきゃいけないのよ」

「その真祖の無力化がわたし達の任務だからに決まっているでしょう。たとえどのような手段をとるにしても『正体不明』のままでは話になりませんから」

「……どのような手段って、相手は吸血鬼よ。死徒(あくま)の大元。殺す以外にないじゃない」

「やる気に溢れているようで何より。あとは行動さえ伴ってもらえれば、バディとしてなにも言うことは無いのですが?」

 

 ちらりと目をやれば、水を向けられると露程も思っていなかったらしきノエルはひっと小さく悲鳴を上げて顔を伏せた。

 私は全くお役に立てませんと、これでもかと全身で訴えている。

 それは紛れもない事実だったし、最初から彼女を戦力として頭数に入れてないのであえて咎めることはしない。ノエルにはノエルの役割がある。

 

「囀るのは結構ですが、やるなら炭鉱のカナリアらしく。いまはその時ではありませんよ、代行者ノエル」

「わ、分かったわよぅ……」

 

 かつてなら私の小言にすかさず噛みついてきたものだが、すっかり憔悴しきった今のノエルにはその程度の気力も残されていない。

 日本で任務を遂行していた頃の図太さ厚かましさは見る影もない。彼女がこうまでやつれたのも、ひとえに例の真祖が原因である。

 わたしがアサインされた以上、腐っても相方であるノエルもまた当然に同行させられる(・・・・・)

 真祖の王族といつ邂逅するとも知れない恐怖と緊張が、数か月かけて彼女の精神を蝕んできた。

 己の命を顧みないのが常である代行者の基準では並外れて肝が小さいといえる。

 

 そしてこの臆病さこそが、わたしがノエルについて最も評価している部分だった。

 こう見えて、ノエルには真祖の王族──アルクェイド・ブリュンスタッドと交戦した経験がある。

 そして五体満足で生還した。それ自体、凡百の代行者としては天地がひっくり返らん程の偉業である。なんなら四肢を全て捥がれ、目と耳が潰されていようとも、教会において千年は語り継がれる。

 なにせ万全であれば、マスタークラスの代行者を少なくとも中隊規模で使い捨てにして、初めて殺し合いが成立する相手なのだから。それも真祖の気分次第で、足切りラインは青天井に跳ね上がる。

 並みの代行者であれば、間合いに到達するまでに両手の指で足りないほどの回数は殺されている、そんな怪物。

 言うまでもなく、並外れた実力がノエルに備わっているわけではない。司祭代行の「操作」ありきだったし、なによりアルクェイドの衰弱が極まっていた。

 いや、衰弱を通り過ぎてほぼ死に体だったか。人間でいえば、肺と心臓がまとめて潰れたに近い。仮にわたしが相手だったなら、通常の武装でも赤子の手をひねるように叩き潰していただろう。

 ただ、そういった諸々の事情はさておいて、ノエルが真祖と戦い生き延びたこと自体は事実なのだ。

 主の代行として僅かなりとも功名に浮かれたところで無理もない実績だが、しかしノエルには驕るところがまるでなかった。

 強烈な生存本能で抑えつけているのだろう。彼女の危機察知能力には目を見張るものがある。

 遠野くん相手にすら油断し不覚を取るノエルには、アルクェイドの真の実力は測れまい。それでも公園での一戦が本来どれだけの死地であったかを感覚的に掴んでいる。

 まだ知らぬ真祖の王族にも心の底から怯えているのもそのためだ。対峙すればただ殺されるだけだと理解している。

 警戒心の一点においては、ひょっとしたらわたしよりも鋭い感覚を持っているかもしれない。故に炭鉱のカナリアこそが、ノエルを最も活かせるポジションなのだ。

 これでもう一つぐらいなにかがあれば。高位の死徒と正面から打ち合える強さでも冷静沈着な観察力でも命を預けられる仲間でもなんでもいい、とにかくあと一つなにかを手に入れられれば、今の殻を破れるかもしれないが。

 如何せん本人にやる気がない以上は見込みがない。現状に甘んじれば、落ちこぼれではないものの、逃げ足の速さだけが取り柄の平凡な代行者のままである。

 決して努力をしていないわけではないのだが。それでも、中途半端な才能を埋め合わせるにはまるで足りていないというのが、仮初の師であるわたしからの評価だった。

 

 再び指揮所に到着したところで、屯していた派遣隊に集合をかけた。

 隊列が揃うのを確認しつつ第六死因『拷問死(ペイン)』を展開した瞬間、ノエルが血の気の失せた顔でこちらを睨む。

 通常の作戦では使用しない、二十七祖をはじめとした強力な吸血鬼を相手取る場合にのみ纏う甲冑。拷問具・純潔証明(ヴァージンペイン)。

 すなわちこの手札が切られた以上、埋葬機関が出動するに値するだけの死地が待ち構えているということ。それは、わたしと数々の戦場を共にしてきたノエルが最もよく理解している。

 命の危機など今更だろうに、毎度のように恨めし気な態度をとるのはいい加減どうにかならないものか。

 毎回気付かないふりをするのも疲れるし、戦う前から士気を下げられるのは困る。

 ましてや今は派遣隊の目もあった。わたし達代行者は聖堂教会の精鋭として、通常戦力たる彼らとは一線を画す立場にある。職責に見合ったやる気を出せとは言わないが、せめて取り繕う努力ぐらいはしてもらいたい。

 経験不足を建前として予備戦力に回すような配慮はもうしてやれないのだから。

 

 第七聖典の構成を組み替える。

 両手にはそれぞれ第一死因『焼死(ブレイズ)』と第三死因『出血死(ブレイド)』を。黒鍵と併せれば、オールレンジに対処出来る。

 さらに保険と切り札を兼ねて第二死因『病死(シック)』も装填しておく。これが功を奏せば最悪の予想が現実となるわけだが、だからこそ備えなければならない。

 いずれの武装も、瞬間火力よりも取り回しの良さを重視した。敵の傾向は概ねアルクェイドを参照できるだろうが、これまで観測されてきた異常極まりない活動からして、未知の生態を有している可能性も否めないからだ。

 一年近く前、ロアが滅んだことにより今のわたしに不死の恩恵(呪い)はない。かつて祖の一角を始末した時のような、蘇生ありきの戦法にはもう頼れない。

 一応、かつてアルクェイドに討たれた後に息を吹き返したのはロアと無関係ではあるものの、そうした自前の生命力をあてにするには根拠に欠ける。

 最悪一撃で死ぬ可能性もある以上、守りに意識が向くのは仕方ない。あれから更に研鑽は重ねたといえども、肉体的には脆弱になったということだ。

 

 全ての準備を整えた後、既定の配置を組んで森へと出立する。

 わたしを先頭に、ノエルを最後尾に据えて、代行者二人で隊を挟む布陣だ。

 本当なら、危険回避能力に優れたノエルに先頭を行かせ、戦域指揮官のわたしが最後尾から指示を出すことが望ましいのだが、最も危険なこのポジションはノエルには流石に手に余る。

 最悪、恐怖と緊張から暴走しかねない。ならば最後方からゆとりを持って視野を広げてもらうのが次善だろう。

 

「ホットスポットは森を覆う『霧』の内部全域。代行者ノエルを除く各員は『霧』の外郭にて速やかに結界を敷設・維持してください」

 

 真祖を内部に閉じ込めると同時に、外部からの月光を遮断する。大聖堂(ゴチックフォート)をさらに応用して編み上げた今宵限りの相転移式隔絶型結界。

 自分で用意しておいてなんだが、本当に真祖の王族が相手なら賑やかしにすらならないだろう。この程度の小細工に絡めとられる相手なら、全勢力に中指を立てて回る過程でとっくに死んでいる。

 ただ、少なくとも後者の効果については必要不可欠なのだ。

 あらゆる死徒狩りを控えるべき満月の夜に、あろうことか月の民である真祖に挑む以上、月の加護を引き剥がさなくてはわたしでも戦いにならない。

 

 脛までの丈しかない草を踏み締めて前進する。

 欧州の片田舎。眼前に広がる黒い森以外、一帯に遮るものはなにもない。

 ざあ、と風に揺られて、葉にしがみついていた夜露が足を舐める。

 背中に遠ざかる指揮所のランタンを最後に、文明の灯は消えた。

 わたし達一行の行く手は、皮肉なことに天高く輝く満月から降り注ぐ月光のみが頼りだ。

 やがて、森の木立の一つ一つがはっきりと見分けられるようになった頃。先陣を切るわたしの鼻を、微かな、しかしはっきりとした血の臭いが擽った。

 とりわけ五感の鋭いわたしだからこそ気付けたそれは、霧の湿り気に紛れて他の面々には届かなかったものの、そこからさらに数分歩けば皆がその正体に辿り着く。

 

 ちょうど、わたしぐらいの大きさの肉の塊を固定して。

 そこに、かつて極東の島国で見た新幹線という乗り物が最高速度で衝突したあと、野犬に荒らされればきっとこんな風になるのだろうというような。

 真夜中の視界の悪さを差し引いても、よくよく目を凝らさなければ元が人間だということすら読み取れないほど、見る影もなくひしゃげて潰れた死体だった。

 

 凄惨の一言に尽きる。あまり見ていて気分の良いものではない。

 とはいえ、動かぬ死体に臆するようでは代行者など務まる筈もなく。あまりこういう現場に慣れてないのか、顔色を悪くする隊員たちに檄を飛ばす。

 もう霧も目前。結界の敷設に取り掛かるよう、手順とポイントを改めて指示した上で死体の元へ戻る。

 これも重要な遺留品だ。片膝をついて観察し、損壊の中身をあれこれと分析していると、やや興味深げにノエルが後ろから覗き込んでくる。

 

「……なにこれ。ねぇシエルさん。例の真祖って、人間は襲わないって話じゃなかったかしら」

あえて(・・・)襲うことはしないというだけです。積極的に人間の都市や村を襲撃することはないだけで、無害を意味するものではありません」

「で、捕食活動の最中にたまたま出くわしちゃえばこうなると。なーんだ、ちゃあんと”吸血鬼”してるってわけ」

 

 ノエルの声音には、どことなく嬉しそうな、そして安堵したような色が滲んでいる。

 あの日から怨念と未練と被害者意識に囚われ続けている彼女の世界において、吸血鬼とはそのような(・・・・・)化物でなくてはならないからだ。

 思えば、アルクェイドが二十七祖から総耶を守ったと聞かされた時も、彼女は露骨に機嫌を損ねていたのだったか。

 

「我々の監視を掻い潜った時点で、魔術師に間違いありません。真祖の領分に踏み込んだと判断されたか、状況次第では獲物の横取りを警戒されたのかも。かの真祖は貪欲ですからね」

「だからって自分が餌食になってるようじゃ世話ないわよね。ミイラ取りがミイラってやつ? 心臓はまるまる抜かれてるわ肝は半分齧られてるわで、もう無茶苦茶ってカンジ」

「不法侵入者の身元を確かめましょう。むしろ真祖こそが目的だった可能性も十分あります。あれが魔術師に狙われる理由など星の数ほどある」

「そうは言っても肝心のアタマが無いじゃない」

 

 ノエルの言う通り、死体には首から上が無い。だからこそ、一見して人間だと分からなかった。

 ひょっとしたら消滅したのかと思ったが、断面から強い力で捻じ切り飛ばされたと分かる。喉からうなじにかけて、下方向から拳を振り抜かれたようだった。

 そちらも齧られていなければ、頭部は然るべき方向に飛んで転がっている筈だ。

 標的の真祖は、基本的に獲物は血の一滴も残さず喰らい尽くす。こうして雑に転がされている時点で、お気に召さなかったのは明らか。

 そもそも神秘の理に生きる魔術師だろうと、人間という種族の時点で食い出がないのではないか。

 わざわざ拾いに行ったとは考え難い。時間を割いて探してみるだけの価値はある。

 

「というわけで、ノエル。今すぐ残りを探してきて下さい。結界が成立するまでに」

「あーはいはい。なんの為に連れてきた部下なんだっての……ったく」

 

 死体への忌避感ではなく、ただ純粋に面倒臭いという意味での拒絶を露わにしながら、ノエルはのそのそとそれらしき方角を漁りに向かう。

 そもそも派遣隊は彼女の部下ではないのだが。指揮系統においてあくまでノエルとは横並びだ。

 それでも彼女を使うのは、単純に適任だからである。物臭でありながら、ノエルは意外と細かい作業が得意だった。駄目にした法衣の修繕もそつなくこなせる程度には。

 

 成果が上がるのを待ちつつ、改めて死体の損壊を読み解く。

 特に顕著なのは臓腑の欠損か。ノエルの言う通り、心臓が獲られていて、肝臓にも食害の痕跡が目立つ。

 どちらも、魔術において最も重要な器官。竜や悪魔にとって心臓が特別視されるのは言うまでもないが、同じことは人間にも当て嵌まる。

 ようは、一番美味しい所だけを選り好みして食べたのだ。さながらシャトーブリアンだけ切り取って、余りは廃棄するかのように。

 これは、比較的高位の幻想種によく見られるパターンだった。弱い捕食者ほど粗悪な肉まで卑しく貪るが、そのような非効率な狩りを強者は好まない。

 見たところ、一撃で心臓を抜かれている。主な肉体の破壊は、その際に生じた衝撃の余波によるものではないか。

 それだけでも致命傷ではあるものの、さらに首を刎ねられているあたり、止めを刺される程度には抗ったのだろう。結果は見ての通りだが。

 さらに意義深いことに、この犠牲者は妙齢の女性だ。死徒の場合、獲物として若い異性を好む傾向がある。吸血行為には性欲の要素も含まれるからだ。

 件の真祖の場合は純粋に食欲にのみ基づいた捕食活動にも見えるが、口にする時点で選定基準はそう変わらないだろう。すなわち、男性体の可能性が高い。

 アルクェイドが特殊なだけで、真祖は基本的に男性体である。性別自体は特異なものではない。

 そして真に考察すべき点は他にある。ヴェニスの商人の戯曲にもあるように、肉を喰らっている以上、そこには当然血も含まれている筈だ。

 真祖はそれらを摂取することに、この通りなんら躊躇いがない。既に血に狂っているのか──それとも、吸血衝動そのものが存在しないのか? 

 

「ありえない」

 

 思わずついて出た否定。いや、そう決めつけるのはあまりにも浅はかだ。わたしが真祖という種族を果たしてどこまで理解しているというのか。

 真祖の狩りが「処刑」ではなく「捕食」だと判明して以来、常について回る疑問。どれだけ考えても、頭の中だけで答えは出せない。

 魔王に堕ちるにしてはあまりにも早すぎる。それに、必ず発生する筈の死徒が一度も報告されていない。というより、人間社会への直接的な加害自体がない。

 そもそも失敗作の真祖ならいざ知らず、王族の器が堕ちればそれは朱い月として新生する。二十七祖を束ね、侵略活動を再開していなければおかしい。

 今は移行期である、とすれば一番納得がいくだろうか。真祖が一度血を口にしてから本格的に理性を失うまでには時間差がある。この場合、タイムリミットまでにあの個体を滅ぼさなくては、最悪の未来が待っているのだが。

 そして、それと同じぐらい最悪なのが、何らかの理由で吸血衝動そのものが初めから存在しないこと。フルスペックの真祖の王族が、自由気ままに暴れ回っているという現実。

 いずれにせよ、この死体を見つけた時点でほぼ最悪は確定している。

 ここに来るまで──例の真祖が人間も捕食するとこの目で確かめるまでは、まだ甘い幻想に逃げられた。幻想種の血であれば、人間のものほど害はないのではなどと。

 幻想種は自然に属するモノであり、人間はその枠にはないのだから。

 もとより自然と、自然から独立した人間を調停するのが真祖の役割だ。吸血衝動のメカニズムにおいて、摂取する血が人間に由来することに意味があっても不思議ではない。

 故に、血に狂うことを避けるため、真祖は人間を襲わないのではないかと。そんな儚い期待に対する答えがこれだ。

 なんてことはない。長じた神秘と比べてまるで物足りないから、割に合わないから積極的に狩ることはしない。ただそれだけのこと。

 これから対峙してみればよりはっきりするだろう。自分で言うのもなんだが、わたしはそこらの幻想種より遥かに獲物として魅力的だ。

 奴がその牙をわたしに向ければ、あれは自らを縛らない真祖であることが証明される。

 

 検分を終えた亡骸を見下ろしながら顎を撫でていると、これ見よがしに靴音を鳴らしながらノエルが戻ってきた。

 その左手には鳶色の長髪を鷲掴みにされた人間の頭部が乱雑にぶら下がっている。やはりというか、鼻から下が無くなっていた。

 およそ死者に相応しい扱い方ではないが、魔術師という人種を吸血鬼の次に嫌悪するノエルにとっては払う敬意などこれっぽっちも持ちわせていないのだろう。これについては、わたしも人のことを言えた義理はないが。

 まぁ、全部が全部とは言わないものの、目的のためなら倫理も道徳も顧みず、必要さえあれば望んで死徒にまでなるような異端である。

 今回の件とて、自らの意思で神秘の境界を踏み越え、その代償を支払ったというだけのこと。

 迂闊に一線を越える前に、胸に手を置いて人の領分のなんたるかを再考すべきだったのだ。件の真祖は、文明そのものを敵視していないのだから。

 

「なに。人をこき使っておいて、自分はのんびり考え事? シエルさんはいつから代行者から安楽椅子探偵に転職なされたのかしらぁ」

「ちゃんと現場には出ているでしょう。手早く済ませたことは評価します」

「あっそ。それで、お土産は気に入って頂けたかしら」

「ええ。お手柄ですノエル」

 

 ノエルから手渡された顔は、大いに欠けている部分はあるものの、わたしに素性を想起させるには十分だった。

 元々、この現場における不確定要素の一つとして報告に上がっていた人物。

 

「面は割れてるってコト。で、誰なのソイツ」

「時計塔の幹部が一人。現在は第一原則執行局に籍を置く魔術師です。出身は動物科(キメラ)で、学科長の補佐が務まる程度には腕利きだと聞いています」

「法政科なら単独犯じゃないわね。所属は?」

「クロンの大隊。貴女も耳にしたことぐらいはあるでしょう」

 

 時計塔院長補佐『魔導元帥』バルトメロイ・ローレライが率いる魔術師集団。

 軍隊の如く統率の取れた部隊であることは有名だ。一流の魔術師のみで組織されるが、あくまで群としての強さに重きを置くが故に、構成員が個々で作戦に臨むことは無い。

 それが単独でこの場にいるあたり、恐らく交渉や視察といった類の任務が与えられていたのだろう。ひょっとしたら、威力偵察も兼ねていたのかもしれない。

 なんにせよ、これで確信がいく。この魔術師が狙いを定めていたのは、最初から真祖ただ一人。

 これまでの行動様式と欧州に残された神秘の在り処から、わたし達と同じくこの森に出没すると当たりをつけていた。

 彼の人狼とは、迎撃に向けた同盟を結ぶ算段だったのだろう。どうやら交渉は決裂し、そして予想以上に真祖が早く動いたことが運の尽きだったか。

 

「あの学科は、問題解決の為なら手段を選びませんからね。教会との不可侵協定など、任務遂行にあたって躊躇いなく破ります」

「せっかくこっちが気を遣って封鎖してやってんのに、横紙破りの不法侵入の末に殉職とかつくづく魔術師って救いようのない生き物だわ」

「同感です。最初からこちらを同盟に組み込まないあたり、多少は弁えていたようですが」

 

 司教の裁可なしに、代行者が魔術師と手を組むことはあり得ない。教義に悖るというのもあるし、そもそも権限に照らして無理がある。

 栄達の途が閉ざされる代わりに、現場における大きな裁量を許された役職ではあるものの、所詮は鉄砲玉である。教会という巨大な組織のしがらみからは逃れられない。

 埋葬機関であるわたしの場合、更に特殊ではあるのだが。それでも、主の代行などという大それた不遜の執行人には、それ相応の椅子しか用意されない。

 本当の意味で救いようのないのは果たしてどちらだろう。少しだけ憐憫にも似た情が湧く。同病相憐れむというものか。

 

「てか、法政科の私兵差し向けられるとかあの真祖はなにしでかしたのよ」

「秘骸解剖局を襲撃。霊墓アルビオンに不法侵入。そして内部の生態系を破壊。役満では」

 

 つい先月のことだ。対吸血鬼用の切り札であるわたしはともかく、一般の代行者にはまだ詳しい話が届いていなくても仕方がない。

 それでもロンドンからの凶報について多少は伝え聞いていたようで、ノエルは頬に指をあてる。

 

「あー……そっか。呪体も発掘品も残さず食われたから、時計塔も財政危機と」

「待っていればまた湧いて元通りですけどね。それまで破産しなければ、の話ですが」

 

 法政科……第一原則執行局は、時計塔における警察に近い役割も担っている。

 根源への到達ではなく、時計塔の秩序維持を目的とした特殊な学科。魔術師を統べる魔術師の集まり。管理者として魔術世界の平和と安定的な発展を実現することが彼らの矜持であり、存在意義に他ならない。

 したがって、逆説的に言えば、時計塔の脅威はそれ自体が法政科を侮辱するモノであり、世界のどこに在ろうがすべからく抹殺せんという道理が成り立つ。

 いわんやお膝元(というより真下)を荒らせばどうなるかなど火を見るよりも明らかだというのに。

 標的の真祖は、既存の勢力関係など微塵も考慮しない。

 手に負えなくなった山火事の如く、なにもかもを黒く焼き払う。今宵わたし達が相対するのはそういう暴力だ。

 

 作業開始からおよそ30分。つつがなく結界の敷設は完了した。

 例の大隊が何かしら茶々を入れてこないとも限らない。外に目を向けるよう指示を放ち、ノエルを半ば引き摺るようにして、いよいよ結界の先に広がる森へ突入する。

 境界を越えると、待っていたのは深海のように暗い世界。月光を遮る術式は完璧に発動している。

 暗視の秘蹟を使えば行動に支障はない。むしろ、生命が死に絶えたが故の嘘のような静けさが痛い。大自然とは、生き物の主張で満たされているべきだというのに。

 獣の息遣い、鳥の囀り、虫の羽音。

 それらが途絶えるのは、なにか恐ろしいものがすぐ近くに潜んでいる証拠。

 わたし達の本能はそのことを知っている。

 

「……や、やっぱ真祖なんて放っておきましょうよシエル。化け物が化け物襲うのなんて勝手にやらせとけばいいじゃない。ねぇ」

 

 この期に及んで聞くに堪えない泣き言を延々と漏らす女。

 無理やり黙らせると衰弱するので仕方なく付き合ってやる。

 

「神秘の世界にも、生態系に近い構造はあります。頂点捕食者による頭数の調整やコロニー同士の勢力争いなど。それによりもたらされるのはある種の『安定』です」

 

 秩序と言い換えてもいい。

 繁栄を追求した結果として生じるバランス。各々が行き着いた場所に隙間なく収まることで、容易に身動きのとれない均衡が成立する。

 ──ただし、突出した個が現れた場合はその限りではない。

 

「当然、その理は人間にも適用されます。自然界と異なる点は、個として極めて脆弱であるが故に、無力に等しい存在であること。結局のところ、我々は安定に守られているのです」

「だ、だったらなんなのよ」

「この環境破壊生物は、生態系そのものを破壊する。混沌の渦に叩き落されれば、最も出血を強いられるのも我々なのです。なにしろ無力なので」

 

 ぶちまけられたピース。新たに生まれた空白。

 頭を抑える者が消えたのをいいことに、のびのび動きたがる輩が出てきてしまう。

 この吸血鬼はとても貪欲だ。それでも、文字通り地上の全てを根絶やしにするわけでもない。

 生き残りが必ず出てくる。強者が喰われ、支配者の去った土地はさぞ魅力的に映るだろう。

 そうして後釜についた成り上がりは、総じて行動が衝動的だ。それは混沌をもたらし、混沌は災禍を招く。

 僅か半年で、欧州の地は狂乱に叩き落された。

 

 尚も踏ん切りがつかない様子で囀っていたノエルだったが、はたとなにかに気付いたように押し黙る。やがて恐る恐る、縋るようにこちらを向いた。

 何年、代行者をやっているのかと心中で嘆息する。こういう時の悪い予感は、絶対に外れないというのに。

 そもそもあえて匂わせたのだ。自力で辿り着いただけでも成長だろうか。

 

「……あの、シエル。一応聞くけど、言い間違いよね。この(・・)環境破壊生物っていうのは」

「いいえ、正しい言い回しです。なにしろ真祖はいまこの場にいますから」

「……………………………………はぁっ!!?」

「カナリアとしての自覚が足りていないのでは。代行者ノエル」

 

 宙を仰ぐ。噎せかえるような濃霧。

 絡み合った枝葉を覆うように、何処までも終わりが見えない。

 

 死徒であれば瘴気そのものだ。

 しかし、これ(・・)は違う。思わず畏怖を覚える程に透明で無垢でありながら、暴力的なまでの生命力に満たされている。

 これは『正しい』ものだと本能で理解させられる。本来、この星の在るべき形。濁りのない遠大な生命。星の触覚。

 これが原初の一。とある稀代の神学者が辿り着いてしまった、一つの解答。

 

「真祖はずっとわたし達を誘っています。狩りを終えて尚もこの霧が晴れないことがその証拠」

「吸血鬼の、霧化……」

「それも極めて高等なものです。粒子化した自己を拡散させて、現象そのもの(・・・・)になる離れ業。わたしの知る限り、ここまでの規模でこなせるのは二十七祖においてもただの一体のみ」

 

 その祖にしても、あくまで現象に特化した果ての在り方だ。ここまでのものを、標準の機能として持ち合わせている吸血鬼は聞いたことすらない。

 あるいはアルクェイドなら出来ただろうか。そうだとしても、一度も披露しなかったのはやはりやる意味がないからだろう。

 この星において、彼女は自由に肉体を分解し転移、再構築出来る。霧化などよりずっと効率的だ。

 ならば何故、これは同じの真祖でありながらあえて無駄なことをしているのだろうか。

 ここまで来ると、この個体について合理的な答えを求めること自体が遥かに無駄に思えてくる。

 

「極力吸い込まないよう努めるように。体内から食い破られるかも」

「なにそれ!? 真祖ってそんなことも出来るの!?」

「大体なんでも出来ますよ。とにかく吸血鬼由来のものですから、取り込むのは良くありません」

「………………これ、吸い込んだら死徒になったりしないわよね? ねぇ?」

「…………」

「ちょっと!?」

 

 ああうるさい。

 わたしだって初めてのシチュエーションなのだ。聞けば当たり前に答えが返ってくると思わないで欲しい。

 とはいえ、ノエルの不安もあながち的外れではない。なんにせよ長居は無用だ。

 もっとも手ぶらでは帰れない。速やかに調査の手がかりとなるような遺留物を見つけ出し、回収しなければ。

 幸い、真祖もわたし達に興味を持っている。このままいけば、「本体」が出てくるかもしれない。

 

 見られている感覚に眉を顰めながら、足早に夜の森を進む。

 道中、目に見えて世界が変わっていた。

 図鑑でしか見たことがないような、古代の植物がまるで津波のような勢いで森を塗り替えている。霧に阻まれ、外界から観測出来なかった異界。

 規格外の神代回帰。既にテクスチャは元に戻りつつあるが、本来人間の存在が許される世界ではない。とにかく酸素が薄い。

 

「シエル」

「ええ。これだけの大きさですから、消費する酸素の量も膨大なのでしょう」

「違う……あそこ」

 

 ノエルが震える指で示した先には、この古代樹の森には似つかわしくない、無骨なタクティカルヘルメットとボディアーマー。

 野放図に腕を広げる蔦に半ば埋もれつつ、折り重なって斃れている先遣隊の亡骸だった。

 出血はない。糸の切れた人形のよう。

 自分でも経験したから、死因には想像がつく。

 

「酸素欠乏症でしょう。酸素濃度が6%を下回れば即死です」

「あれも……真祖が?」

 

 その問いに、一瞬の逡巡を経て首を横に振る。

 荒らされた痕跡がない。そしてなにより彼らのような異能を持たないただの戦闘員を真祖が狙うとも思えない。

 たんに、彼らを生かす配慮をしなかっただけ。そもそも存在すら把握してなかったかもしれない。

 

「先に進みましょうノエル。彼らはわたし達の目的ではありません」

「ええ、そうね。行きましょう」

 

 彼らには悪いが、あくまで巻き添えに過ぎない以上、痕跡とは認められない。

 回収班に委ねることとし、さらに奥へ向かう。

 

 根に根を重ねたような地形は、悪路と呼ぶことすら憚られる有り様。常人では身動きすらままならないが、わたし達は危なげなく踏破する。

 再び景色が変わった。終点と思しき地点に顕れたのは、大樹を割るようにして聳え立つ幾本もの壮麗な柱。

 橋なような構造。頂点の冠は緩く弧を描きながら柱同士を繋げ、悠然と森を睥睨している。

 高さはエッフェル塔に引けを取らない。冠の全長に至っては想像もつかない。わたしはこの建造物を知っている。

 千年城ブリュンスタッド。正確にはそれを構成するほんの一部。

 この城を顕現できる真祖のみが、ブリュンスタッドの称号を継げる。我々が追う真祖が紛れもなく王族であるという、これ以上ない証だった。

 

「にしても、随分と中途半端じゃない? 全部とまでは言わないけど、せめて本体の城ぐらい見せなさいよ。なによ柱だけって」

「確かに誇示にしては半端ですが、これは恐らく誘導でしょう。我々に向けての」

「は?」

 

 今度はわたしの方が見つけるのが早かった。ノエルを置いて大樹の枝から目的地に飛び降りる。

 起点となる柱の底部。大理石の基盤が覗いた部分に、真紅の染みが飛び散っていた。

 真祖は獲物を血の一滴まで丸呑みにする。だとすれば遺された血痕は、犠牲者ではなく真祖本人のものと期待出来ないか。

 

 そう告げた瞬間──まるでわたしの答えを讃えるかのように、千年城の柱が砕け散った。

 空想は粒子に還る。残滓は輝きを損なわず、夜闇に融けるように消えていく。

 敵地にありながら、見惚れる程の美しさ。

 直後、その裏に秘められた悪意が牙を剥く。

 

「────っ!」

 

 地面が熱い。空気が薄い。重力がおかしい。

 飛び降りる前の枝は、既に手の届かない高さにあった。さながら闘技場のように世界はわたしを逃さない。

 ああそうか、あの城は重石だった。

 抑圧から放たれた神代の自然現象。この星本来の生命力の具現が代行者を誅殺せんと覚醒める。

 

「随分と手の込んだファンファーレですね」

 

 咄嗟に皮肉を口にする。

 それに、初めて反応が返ってきた。

 

 

     くす

 

               くす

 

   くす

 

          くす

 

 

      くす

 

 

 霧が笑う。鈴を転がすように愛らしく。

 世界が愉しんでいる。

 あるいは舌舐めずりにも似ていた。

 

 真祖は言外に語る。

 この夜から生かして帰さないと。

 この血は代行者へのささやかな贈り物であり、難路を踏破したわたし達へのちょっとしたご褒美であり──獲物(わたし)を絡め取る為の毒餌だった。

 

 幸い、ノエルは脱出が叶う場所にいる。

 なら、わたしのやる事はなんら変わらない。

 正体不明の真祖が観測されて以来、埋葬機関第七位としてこの瞬間を待っていた。

 

「助かりました。ちょうど、待ちくたびれていたところです」

 

 その腹を捌いて、中身を確かめるとしよう。

 

 

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