父をたずねて三千里   作:くまも

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タイトルのわりにクロンの大隊が影も形もない……。




クロンの大隊②

 

 

装甲を纏う爪先を地面に叩きつける。

 赤黒く沁みついた場所ごと抉るように蹴り抜いて、遥か頭上のノエル目掛けて投擲。おっかなびっくり受け取った弟子の女は、尻に火が付いたように霧の彼方へ消える。

 一目散に逃走を図るノエルに対し、真祖からの反応はない。

 このままノエルが無事に帰還できれば、あれは即座に解析に回される。この世に二つとない真祖の貴重な生体サンプルだ。得られるものは大きい。

 

 この賭けは通るだろう。真祖はノエルに微塵も興味を抱いていない。

 やはり、わたしだけを狙ってきた。

 ここからどこまで情報を引き出せるか。上手くいけば、この先の任務の質が飛躍的に向上する。

 

 星から与えられた命令。

 命令を遂行するにあたっての目標。

 目標を達成するための手段。

 手段を実現するための性能。

 この個体を構成する要素のうち、最も知るべきものは何か。

 ただ死線をくぐるだけなら、手段と性能だけに目を向ければいい。しかしそれは、この吸血鬼の不羈を許すことに他ならない。

 わたしの使命は生き延びることではない。災禍の根を正し、欧州の夜明けを拓くことだ。

 相手の行動原理を知らなければ、戦略すら立てられない。

 

『──虹は見えますか? 代行者シエル』

 

 透き通るような声。

 距離はなく、さりとて頭に直接響くわけでもなく。謡うように、わたしに寄り添う霧が紡ぐ。

 

『夜空ばかり見ていると、この星の華やかさに殺されますよ』

「そちらこそ、無駄なお喋りにかまけてないで手を動かしてはいかがです」

 

 こちらの挑発に、吸血鬼はいっそう愉快そうに喉を鳴らす。

 やはり、わたしのよく知るアルクェイドとはまるで雰囲気が違う。彼女は話の口火を切ることもなければ笑うこともなかった。

 堕ちた真祖を処刑するための戦姫。無駄を排除し、仕事を遂行するために必要なことを必要なだけしか許容しない無機質な兵器。感情を知らないのだから、それを表現することもない。

 

 人間なんて下等種族には興味すら持てなかった──あの日、総耶を訪れるまでは。

 そんなアルクェイドが、どうして年頃の娘のように笑うようになったのか。人間の街を、そこに暮らす人々の命と営みを庇ったのか。少年を戦場ではなく遊びに連れ出したりしたのか。

 真祖の姫を決定的に変えた”きっかけ”をわたしは知らない。

 ただ、これだけは確信している。それはアルクェイドにとって何よりも代え難い運命だった。

 

『では、彼女は報われたのでしょうか』

 

 吸血鬼が問う。

 なにかがあれの琴線に触れた。

 真祖なら相手の思考を読むぐらいの事は当然に出来る。わたしですら片手間にこなせる程度の芸当。

 機械人形のペルソナを被れば躱せるが、せっかく向こうから持ちかけてくれているのだから乗るべきだろう。

 本来、話し合いなど望むべくも無い存在だ。願ってもない幸運と言える。

 

 これは彼らの尊厳にかかる問いだ。

 故に相手が欲しがっているものを素直に与えるのではなく、良心に導かれた結論を提出する。

 

「生憎、わたしには答えを出せません」

 

 アルクェイドの旅路に値段をつけられるのは彼女だけだ。

 その果てに得られたものの価値についても、彼女以外の誰にも決められない。決めてはならない。

 

「ですが、彼女は間違いなく救われた。処刑人としてのみ存在を許された戦姫が、自分の意思で誰かの為に死地に赴くことを選べたのですから」

 

 だから、彼女は十分に幸せだったのだ。

「彼」の前でははぐらかしたが、贖罪に生きる身としてこれほど嫉ましいものはない。

 柄ではないお節介を焼いたのも、たぶんその嫉妬と無関係ではなかった。

 

 どうやらわたしの返答は吸血鬼のお気に召したらしく、満足げにゆらゆらと濃霧が揺蕩う。

 

『感心しました。案外、聖職者らしいことが出来るのですね』

「お望みとあらば告解も許しましょう。彼女と違ってのびのびと死地を彷徨うあなたのことです。告白すべき懺悔には欠かないでしょうから」

『戦うこと、殺すことが使命なのはあなたも変わらないのでは?』

「……わたしが、あなたと同じであると?」

 

 思わず聞き返す。

 代行者として、あろうことか吸血鬼と同類に括られたことへの憤懣──ではない。この真祖の行動原理に深く関わる部分だからだ。

 戦うことと殺すこと。吸血鬼を狩るのがわたしの使命。では、この吸血鬼には何と戦うことが課せられている? 

 まさか、地上に残された神秘とは言うまい。この真祖にまつわる全ての報告に目を通してきた。あのような一方的な虐殺を戦いとは呼べない。

 手当たり次第に神秘を喰い漁っているのは力をつけるための手段。それ自体が目的と化しているならいよいよ目も当てられないところだったが、この個体にはさらにその先に成すべきことがある。

 

「半年間、あなたのことを追ってきたからよく分かります。あらゆる意味で既存の真祖とは性質を異にしている。ハイエンドを求めるなら、アルクェイドのコピーで十分なのに」

『つまり?』

「わざわざ設計図を書き換えてまで、ワンオフを作り出す労力に見合う脅威をわたしは知りません。そもそも真祖、それも王族なんて滅多に遣わされるものではない」

 

 とどのつまりわたしが求めているのは、この災害が人類の脅威にならないという確信だ。

 この星は既に霊長を見限っている。人理そのものが誅殺対象と見なされたところでなんら不思議ではない。正体不明である限り警戒は解けない。

 とはいえ聖堂教会がいかに巨大組織といえども、流石に現在の厳戒態勢を維持し続けるだけの体力はない。破綻はすぐそこまで迫りつつある。

 

 王族らしく人類に関心を抱かないだけでいい。

 極論、人間社会に危害が及ばなければこの真祖が暴れようと静観出来る。その結果、死徒社会や魔術協会がどうなろうとも、聖堂教会並びに一般社会にとっては知らないし知ったことではない。

 ノエルの泣き言を借りるなら、化け物同士勝手に殺し合っていればいいのだ。教会は管理者としてダメージコントロールに専念する。

 

 無関心でさえあればいい。真祖と人間の友好など断じてあり得ず、可能性さえも検討に値しない。

 だからこそ。

 直後に明かされたその根源は、俄に受け入れ難いものだった。

 

『朱の残滓。月の暈。空を覆う天蓋を割る。祖に呪いあれ。人の世に栄あれ──これが私の始まりでした』

「──は?」

 

 なんだ、それは。まるで理解が及ばない。

 だってそれでは、まるでこの真祖が人類を肯定し……人理の背中を押しているようではないか。

 あり得ない。真祖はその根底で人類を嫌っている。

 人類を拒絶するために作られた種族が人理を讃えてしまえば、それは存在からして矛盾する。そんなものを星が代行として認めているなら深刻な自己中毒だ。

 

「いま、なんと」

 

 返事はない。ゆらゆらと、気まぐれな蜃気楼のように漂っている。

 明らかに楽しんでいる。ただしそれは、わたしをからかうようなものでもなかった。

 あくまで事実だからこそ意味を成すものだ。この真祖は、嘘を語っていない。

 情報が増えた結果、余計に意味が分からなくなる。もはや正体不明という言葉すら生温い。なにか、この星に致命的なエラーが生じているのか。

 

『──やはり、エレイシア(・・・・・)は世界を信じられない。あなたにとっては極めて都合のいいことに、私が人類の脅威ではないことを喜べませんか』

「……間接的に、あなたの活動はあらゆる生物の災いになり得ます。真に潔白を訴えるなら、まずその放蕩を改めなさい」

『城に帰ってもよろしいですよ。あなたが私のものになると誓うなら、今すぐにでも』

 

 その提案もまた、本気だった。

 真祖のものになる。それがなにを意味するか、この世で代行者ほど理解している者はいないだろう。ただ殺されるよりも遥かに酷い仕打ち。

 一度は逃れた血みどろの記憶。この体は、死徒の在り方を忘れていない。

 

『蛇の依代の頃など比べるべくもございません。自由意思の確立もまた、私に見初められ力を与えられたあなたであれば叶います』

 

 若い異性。優れた形質。それらを所有したがるのは、死徒としてならごくありふれた衝動だ。

 真祖は違う。生きるために血を必要としない彼らにとって、吸血は破滅への第一歩。それでも死徒を生み出すのは、ひとえに宿痾を紛らわすため。

 

「意外ですね。てっきり影も形もなく喰い尽くすものとばかり。まさかもう非常食がなければ耐えられませんか」

『痛み止めは不要です。私にそのような衝動はございませんから』

「……もう本当になんなんですかあなたは。意味不明にも程があります」

 

 どんな生態だ。本当にこれを真祖と呼んでいいものなのか。

 一体どんな製造過程を経たのか見てみたい。間違いなくわたしの想像を超えている。

 

 そして酷いことに、本人の口から吸血衝動の不存在が明かされた。

 衝動自体が存在しない以上、それを抑制するためにリソースが割かれることもない。理論上、自己を縛ることをやめたアルクェイドと遜色ないということ。

 その実力を踏まえると、この半年間の暴虐はむしろ相当に自重していた方とすら見ることが出来る。信じられない。これでまだ穏健なんて。

 

「それにしては随分と小心者なんですね。ここまで恨みを買ったからには、従順な手駒の一つもなければ安心できない。だからこんな取引にもならない取引を持ち掛けたと?」

 

 これ程までに強力な吸血鬼がわたしを必要とする理由。

 全世界と敵対している以上、戦力はいくらあっても困らない。下克上など万が一にも起こり得ないからだ。凡百の死徒とはわけが違う。

 わたしが真祖の軍門に降り、いつか祖の一角まで成り上がったと仮定して──それでも、首輪が外れることは永遠にないと断言出来る。

 

 その想像に戦慄した。

 アルクェイドを謀ることで、親に認められることなくその力の一部を掠め取っただけの、ⅵ階梯の域を出ない初代のロアですら原理血戒を持つ死徒の王を退けたのだ。皮肉なことに、その祖もブリュンスタッドである。

 アルクェイドと同格の個体から直属の眷属として承認され、力を与えられれば、どのような怪物に新生するのか見当もつかない。

 一つ確かなのは、教会による介錯はおよそ期待できないということ。

 

『一人の代行者を賭け金に世界が救われるのであればむしろ破格では』

「黙りなさい。吸血鬼風情が人の値打ちを計ろうなどと烏滸がましい」

 

 脳の茹った提案を斬って捨てる。ここで命を差し出すのは自己犠牲ではなく、ただの独善だ。

 確かに真祖にとってはこの上なく有益だろう。目下最大の抵抗勢力である聖堂教会の最高戦力を無力化できるばかりか、手駒として使役できるのだから。

 もっとも、実現可能性が皆無な以上はただの皮算用に過ぎない。だいたい吸血鬼に自ら首を差し出す代行者がどこにいる。さらに言えば、わたしはその頂点に立つ者だ。

 

「……やはりあーぱーの子はあーぱーでしたか」

 

 厳密には真祖は子を成すことはなく、必要に応じて個別に発生するのだが。

 とにかくこの個体はアルクェイドの後継者とみて間違いない。先代と五十歩百歩などうしようもなさに思わず頭を抱えたくなる。

 そんなこちらの苦渋を知ってか知らずか、わたしを囲う霧はにわかに圧を増した。

 言葉を交わすのはここまでということか。

 

「最初から力に訴えればいいものを。こともあろうに代行者を誑かそうなどとはらしくもない。わたしのことを欠片も理解していないから袖にされる……女の口説き方も知りませんか」

『……確かに、私はあなたのことをあまり承知しておりません。反省いたしましょう』

 

 くすりと、吸血鬼は嗤う。殊勝な言葉とは裏腹に、こちらを嬲るような態度。

 ここが退き際だ。そう本能が発した警告に逆らわず、頭の片隅で組み立てていた手順に沿って脱出を試みる。

 

 当然、それを指を咥えて見ている相手ではない。

 

『分かり合うことは、大事ですからね』

 

 いま、お前の吐いた言葉をそのまま返すと吸血鬼は言外に告げる。

 ──その瞬間、輪郭のない粒子の流れに指向性が現れた。

 

 魔術の世界において、存在規模の定義は大きく四つ。

 一つの個として確立する生命がその境界を跨ぐことはまずないが、こと真祖についてはその限りではない。比喩ではなく、世界そのものを変貌させる。

 

「なん、て──」

 

 それは太陽が落ちたような。

 噴き上がる生命力の濁流。物質化した神話の容器(うつわ)

 牙を剥いたそれは、人の身で受け止めるには、あまりにもスケールが大きすぎる。

 人間に理解できる最上級の存在とは、神と呼ばれるものに他ならない。

 だから理解させられる。ああ、人類(わたしたち)は古来より、こういったものを奉ってきたのだと。

 長年わたしが捧げてきた信仰の具現は──狂おしいほどに(おそ)ろしい何かだった。

 

【挿絵表示】

 

 エーテルが収束していく。顕現の儀式が終わる。

 漂う力の奔流は、人間にも理解できる躯体へと変わっていく。この星において、ただ一つの輝ける者へと。

 だが、それも完全ではない。霧は未だに森を覆ったままだ。

 肉体として構成したのはその一部のみ。問題は、それが何処に在るのかということ。

 馬鹿正直に目の前に姿を見せるような手合いであれば、わたしの仕事も楽に済んだのだが。

 

 大きく身を屈め、反動で高く跳躍する。地面から50メートル程の場所で、傍らの幹を蹴り抜いた。

 三角跳びの要領で大樹の檻から離脱しつつ、懐から抜いた黒鍵を全方位に投擲する。

 左右併せて八本。その全てに徹甲作用に加えて各種式典を施してある。直撃すれば、いくら真祖といえども無傷では済まない。

 しかし手応えはなかった。再び黒鍵を撒きつつ、三度跳躍。霧をかき分け、高度を倍にまで上げたところで──さらに頭上、ほんの僅かな気配を察知する。

 

「──甘い!」

 

 瞬間、飛来する一撃。足場のない空中といえども、これでむざむざと狩られるようでは埋葬機関は務まらない。

 構えていた黒鍵の火葬式典を起爆。反動を利用して強引に座標をずらす。

 コンマ数秒前までわたしが浮遊していた空間を、放たれたなにかが無音で射貫いた。

 振り向きざま、その正体を知って戦慄する。

 

「血っ……⁉」

 

 凝縮された血液の塊。真祖の体内で圧縮されたそれが、超音速で射出された。

 両掌で作った器に収まる程度の量。それでもただでさえ一滴で人間の思考ぐらい容易く支配する代物だ。

 まともに被弾すれば瞬く間にこの身を侵し、否応なく隷属させられる。掠めただけでも自由意志は保てまい。

 

「初手、搦め手……節操なしにも程がある……!」

 

 殺し合いの場だ。正々堂々などと宣うつもりは毛頭ないが、真祖の王族にあるまじき狡猾さに背筋が冷たくなる。

 思えば最初の時点から既におかしい。攻撃に移行するまでまるで居場所が掴めなかった。

 彼我の距離は、吸血鬼との戦いにおける最低限の間合い……10メートルほどしかないというのに。いつから真祖は気配遮断などという芸を身に着けたのか。

 

 同じ手は通用しないと見抜いたのだろう。二度目の狙撃はない。

 わたしが手頃な枝にとりついたのを見届けて、真祖もまた軽やかに正面へと降り立った。

 

 アルクェイドと同じ金髪。しかし衣装は彼女と対照的に、黒で統一されている。

 コートの長い丈が、着地に併せてふわりとひらめく。アルクェイドと比べて、やや世俗離れしたゴシック調の出で立ち。

 目を引くのは帽子と手袋だろう。ともに衣服の必要最小限には含まれない。そのラインを越えて装いを凝らすだけの、人間的な嗜好があるということ。

 やはり聞いた声の通り若い……を通り越して幼い。人間にして齢九つほどだろうか。

 真祖として幼体であることの意味はない筈だ。この個体、ひょっとして未完成なのではなかろうか。そうだとすれば、これまでの暴食にも動機が見出せる。

 その容貌は、一見すると見目麗しい少女のよう。だが、肩と腰の周りを晒していないのが気になる。どちらも性差が如実に表れる部位だ。たんなる趣向か、それとも何かしらの思惑があるのか。

 真祖をこの目で見るのは、アルクェイドに続いて二人目となる。彼女と同一視するには些かちぐはぐな印象。中でも、とりわけ特徴があるのは。

 

「あなた、珍しい眼を持っていますね」

 

 青い瞳。金髪碧眼は、吸血鬼としてはまず見ない色合い。

 もっとも例外がないわけではない。わたしの職場の先輩にあたる吸血鬼もまた、紅い瞳をしていない。魔眼のような特殊な目を生前から備えていた死徒(・・)の場合、こうした例外が生じることもある。

 ただし、先天的な吸血鬼である真祖の場合、参照すべき生前など存在しない。なら、この個体にとっての由来とは一体何なのか。

 

 異能を宿す青色の眼。

 これと同じ眼を一年前に見た。いや違う。あの規格外の魔眼と同じでたまったものか。似通ってすらいない。

 だというのに、どうしてもあの少年の瞳が想起されてならない。

 駄目だ。この任務に臨んでからというもの、彼のことを思い出すことが露骨に増えた。

 終わった仕事をいつまでも引き摺っていられる余裕など、わたしにはないというのに。

 

「それは恋でございます。泥棒猫がひとり。またの名を代行者シエル」

 

 自分でも理解しがたい感情を抑えつける最中。

 さらに理解しがたい単語が目の前の吸血鬼から飛び出した。

 

「……はい?」

「ですから、その感情は恋でございます。お母様は確かそのように語っておられましたね」

「お母様……ええと、それは、アルクェイド……?」

「はい。学校でのあなたの様子を眺めてそう確信したと。ですからもしあなたが自分達の前に現れていたら、脊髄ごと頭を引き抜いて畑の案山子にするつもりだったと伺っております」

 

 首肯する真祖。たおやかな仕草と相まって、まるで機械仕掛けの西洋人形のよう。

 造り物のような美しさは、やはりアルクェイドを彷彿とさせる。お母様などという呼称は妙だが、王族として薫陶でも受けていたのか。

 それともまさか、何らかの方法でアルクェイド自ら生み出したのか。やることなすこと滅茶苦茶なアルクェイド謹製であれば、これの意味不明さにも大いに納得がいく。

 

「流石、色事に脳の茹った吸血鬼の分析は常に常軌を逸していますね。アルクェイドと遠野くんの惚れた腫れたはわたしの理解の範疇を超えています」

「月下の総耶高校。ロアとの戦いに花を添えたのはあなたでしょうに」

「黙りなさい」

 

 情報は既に集まっている。これ以上この吸血鬼と話すのは無益を通り越して有害だ。

 魅了の魔眼を考慮すると、あまり長々と対峙するのは憚られる。ただでさえ、こちらを支配下に置く野心を隠そうともしていないのだから。

 

 お互い維持してきた10メートルの間合いは崩れていない。

 右手に携えたアサルトライフルの銃口を向ける。焼死(ブレイズ)の有効射程からは逃れられない。躊躇わず引き金を絞る。

 吐き出される7.62mm弾のフルオート。リロードを必要としないそれらは、一発一発が十年モノの死徒を挽肉にするだけの威力がある。

 それを真祖は、無防備に受け止めた。──違う、着弾する寸前に、膜のようななにかに軒並み叩き墜とされている。大気の盾。空想具現化か。

 

「……っ。牽制にすらなりませんか」

 

 取り回しに優れるぶん、火力不足は否めない。それでも、祖ですら無視できない弾幕さえ全く意味をなさないとは。

 飽きたのだろうか。やがて真祖は、ゆらりとその足を踏み出す。

 目を瞠った時には、既に遅かった。

 

 暴風のように突っ込んでくる黒い化身。

 線ではなく点の動き。並みの死徒なら消えたようにしか見えない狂気じみたマニューバ。

 わたしがようやく捉えきれる速度。辛うじて、左手に構える蛇腹剣で受け止める。

 第三死因『出血死(ブレイド)』。吸血鬼相手に特攻を持ち、魂さえ斬り裂く退魔の剣だが、真祖はお構いなしに爪を叩きつける。

 常人であれば持ち上げるのが精一杯の巨大な質量が容易く弾かれる。主力戦車の複合装甲すら両断する鋭利な刃が軋む。どちらもこの吸血鬼には届かない。

 三合、四合、五合。そこまで打ち合って、轟音が耳をつんざいた。真祖の初動に、ここに至ってようやく音が追い付いたということ。

 

「こ、のぉ……!」

 

 容赦なく振るわれる爪。その全てを完璧な角度と体勢で受け流しているにもかかわらず、両腕は既に重たく痺れる。主要な骨格が悲鳴を上げる。

 爪の衝撃は何トンになるだろう。余波で生じた風圧が、古代植物を無常にも粉砕する。この場に他の代行者が控えていたなら既に十回は絶命している。

 これまで積み重ねたもの全て。死んだほうが遥かにマシな血反吐を吐く鍛錬と、二十七祖の討伐に至る過程で培った経験が、辛うじて暴虐の嵐からわたしを生かす。

 黒い暴風が腕を振るう。ただそれだけでこの場は巨大な台風の只中に飲み込まれる。吹きすさぶ大小の木片に晒されながらも瞼を開き続けた。瞬きした瞬間、この紙一重の防戦は崩れてしまう。

 無論、ただの時間稼ぎに徹するわけではない。救援などあり得ない以上、それではただのじり貧で終わる。猛攻を凌ぎながらの、針の穴を通すような賭けの末に、どうにか黒鍵の敷設が完了する。

 

「はぁあああ!」

 

 対吸血鬼用の結界を起動──その寸前、真祖が大振りの蹴りを放つ。

 爪とは比較にならない衝撃。耐えきれず弾き飛ばされた果てに、ようやくわたしは地べたに倒れ伏すことを許された(・・・・)

 追撃はない。結界を警戒してか、あるいは時間をかけてでも確実に仕留めるつもりか。恐らく後者だろう。未だ真祖の身には瑕一つない。

 

「なん、て、デタラメな……」

 

 吸血鬼については知り抜いている。だからこそ、これ(・・)がその定義に含まれるなど信じ難かった。

 真祖の王族について情報が皆無に等しいのも当然だ。交戦して、生き延びた者がいなければ記録にすら残らない。

 せめて、正面からの戦闘を避け、入念な準備と周到な立ち回りを徹底すれば、こうも一方的な死合にはならなかっただろう。

 しかし、渡り鳥の如く各地を飛び回るこの個体相手にはその時間的猶予がない。ひとえにリスクを取ってでも情報を追い求めた故の結果だった。

 

「本当に──割に合わない」

 

 敵を見据えたまま身を起こす。法衣なら傷にまみれていただろうが、拷問死(ペイン)の恩恵で負傷は少ない。

 それよりもむしろ、第七聖典の反動による消耗が大きい。弓のシエルの象徴ともいえる、使い手を消費する最終兵器。薪として焚べられた先から不死で修復し続ける無茶はもう通用しない。

 爪による衝撃とともに、蛇腹剣の質量も重くのしかかる。以前はたちどころに消えた腕の痺れも、今では感覚を失うに至っていた。

 そもそも不死があれば、腕をもがれようが腹を裂かれようが気力さえ続く限り喰らいつけたのだ。生存に気を回さなければならない現実を改めて突き付けられる。

 

「シエル。やはり、あなたは弱くなった」

 

 荒く息継ぎを繰り返すわたしを観察していた真祖が、やおらこちらへ近づいてくる。

 先の砲撃とは打って変わって慎重な足取り。優位にありながら警戒は解けていない。ただしそれは、純粋に代行者シエルの実力だけを踏まえたものではない。

 もっと普遍的な、物事が上手く行き過ぎることに対する不信感。ここであっさりと目的が達せられるのは都合が良過ぎるというような。

 ただ気に入った人間を眷属にするだけにしては、妙な熱の入りよう。それで確信する。

 もはや疑いようもない。この真祖はわたしになにかを見出している。

 だが、それを手札に交渉するのは厳しい。目の前の相手の脅威は並外れている。

 

「……皮肉ですね。あれだけ、忌まわしくて仕方なかった力なのに」

「人は殺せば死んでしまう。そんな当たり前を取り戻せただけ、あなたも救われたのでしょうか」

 

 どうだろうか。心中で首を傾げる。そもそも自分にとっての救いなど考えたこともない。

 もとより答えは期待していなかったのだろう。こちらに構わず、真祖の背後にいくつもの黄金の渦が展開された。

 すかさずこの身体に残されたロアの記憶を探る。検索を要するのは戦闘において不便だが、流石にアルクェイドに最も殺されていただけあって、正体らしきものには瞬時に辿り着いた。

 あれは砲門だ。そう察したと同時に、まだ震えの残る膝に鞭を入れて跳躍する。直後、眼下を埋め尽くしたのは無数の鎖。

 射出されたのは殺すための砲弾ではなく、あくまで拘束を用途としたもの。もっとも、射手の気分次第で人体など容易く細切れにする凶器と化すのだが。

 やはりというべきか、初撃を躱した程度で凌げるものではなく、真上に退避したわたしを正確に追尾してくる。鎖の先端は、銛の様に鋭いかえしのついた構造。

 怖気が走る。いくら殺意がないと言ったところで、獲物への認識がそもそも正しくなければなんの意味もない。悪意もないまま玩具にしていた虫の足を千切る童のように。

 

「冗談じゃない。それで生け捕りのつもりだなんて、人間を何だと思ってるんですかっ……!」

「なにぶん初めてなのでご容赦を。手荒く扱っても壊れない以前のあなたであれば、こうも配慮には困らなかったのでしょうね」

 

 瞼を閉じ、本心から参ったというように首を振る吸血鬼。人智を超えた暴力を振るっておきながら、蠱惑的な儚さを纏うその姿は死地においてなお色褪せない。

 きっと本当に西洋人形であったところで、その凄絶なまでの端麗さで数多の人生を狂わせている。

 美しさの裏には毒があるというが、これはただ存在するだけで周囲を歪ませる猛毒だ。迂闊に近寄れば心身共に殺される妖婦(ヴァンプ)。思えば、あの吸血姫もまさにそのような存在だった。

 

「軽く撫でただけで裂けてしまう。そのような生き物を愛でる苦悩など、あなた達は知りもしないのでしょう」

 

 大樹の幹を駆け上り、枝を飛び移るわたしの足元に鎖が迫る。速力は拮抗しているが、こちらと違って足場を問わず最短距離を飛来出来る優位は大きい。少しずつ、しかし確実にリードが削られていく。

 真祖の空想具現化は脅威ではあるものの、構築されるのはあくまで自然現象の産物に過ぎず、あの鎖にしても何の絡繰りもない純粋な物質だ。理論上、最大の硬さを実現する配合で編まれているだけで。

 故に迎撃する手もあるのだが、問題は天井なしの物量にある。万全ならともかく、先の接近戦で消耗した今では手数で押し切られかねない。

 ただ踏破することすら困難な異界から生還するには、何よりも緻密な体力管理が不可欠となる。

 

 黒鍵を投擲。半分は足場に、もう半分は追手の迎撃に。四つの鎖が失速し、その三倍もの後続に呑まれて消えていく。

 反動の重たい第七聖典は温存する。いざという時に扱えないようでは話にならない。

 

「はぁっ──!」

 

 巨大な古代樹の乱立が途切れる。外縁にあたる神代回帰以前のテクスチャとの境目に到達した。

 ここから先は本来の森だ。移動が格段に楽になると見込んだものの、いざ目の前にした時には既にそこにも真祖の手が回っていた。

 

「水没……なんて大掛かりな……」

 

 巨大樹の天辺から見下ろす森「だった」辺り一面が大海に沈んでいる。見渡す限り、水平線までなにもない。真夜中だからか、やたらと暗く見えた。

 流石に大陸ごと沈めたわけではあるまい。土地がまるごと外界から隔離されているのか。星から産まれた精霊なら造作もない現象。

 水中で追撃を振り切るのは不可能。やむを得ず、最悪の切り札を起動する。

 

「ッ──!!」

 

 かつて三体の祖から奪い取った極小の特異点。星を蝕む呪いは、真祖の空想具現化を侵す作用を持つ。

 言うまでもなく、本来人間の手に負える代物ではない。第七聖典すら生温く思えるリバウンド。魂を灼かれる激痛に漏らしかけた苦悶の声を噛み潰す。

 活性化と制御の両立などという無茶に晒されて、全身に迸る魔力回路は瞬く間に過負荷の一歩手前。禍々しい光に臆したように、わたしを捕えかけた千鎖が勢いを失っていく。

 

原理血戒(イデアブラッド)……」

 

 霧を隔てて聞こえる感嘆の声に唇を噛む。

 反動以上に、こうなることが見え透いていたから使いたくなかった。飢えた真祖にとって、原理血戒の膨大な熱量はこれ以上ない御馳走だろう。あれにとって、わたしを狙う理由がまた一つ増えたということ。

 いや、たんに消費するだけならまだいい。わたしにさせようとしているなにかが、最初から原理血戒絡みだった可能性すらあり得るのだ。どちらにしても受け入れ難いことに変わりはないが。

 教会にすら引き渡せずにいるこの厄災が、あの無軌道で予測不可能な真祖の手に渡る。最悪の掛け合わせ。これ以上なくはっきりとした世界滅亡のシナリオだった。

 

 これ以上盤面を荒らさないためにも、ここぞという瞬間まで伏せておきたかった。それをこのような撤退戦で切らされたのは不本意だが、起死回生の一手であることには違いない。星すら妥当し得るこれは、扱うことさえ出来れば真祖に対する最上の武器となる。

 自壊は躊躇わない。復元呪詛を失った。それでも身体は燃え尽きる痛みと、消し炭からの再生を覚えている。

 その記憶を頼りに、規格外の魔力量で発展させた治癒の秘蹟。かつての再現とまではいかないものの、この身は再生者の極地といえるだろう。肉体に施した加護によって、所有者を壊す朱い月の呪詛に抗う。

 臓腑の焼かれる熱で肌が溶けていく。血液が酸に置き換わったような灼熱と激痛。残酷なことに神経だけは生かされている。精神を殺す呪い。気にしない。この程度の痛みで狂う甘えなどわたしには許されない。

 痛みに耐え抜けば、この夜を越えられる。それは、代行者シエルにとって試練と呼べるものではない。もはや空想具現化は届かない。故に趨勢は決したと、わたしは予想した。

 

 

 それが致命的な誤りであることに気付いたのは、罠に身を躍らせた後だった。

 

 高度からの着水──にも関わらず、全身が沈まない。膝下まで重たく絡みつくのは真っ黒な泥。真冬の海水と間違うほど冷たいそれは、絵の具のチューブの束をまとめて踏み潰してぐちゃぐちゃにしたような混沌。

 真夜中だから暗く見えたのではない。真実を知った時には既に手遅れだった。

 足を引き抜こうとしてもまるで手応えがない。それどころか、獲物の足掻きを嘲笑うかの如く、かえって深く嵌まっていく。

 あまりの冷たさのせいか、次第に感覚すら薄れてきた。ああ、それとも逆か。生命力を奪われているから、こんなにも冷たく感じるのか。

 

「……これ、は……魔術っ……!?」

 

 あり得ない。もう何回目になるかも分からない否定が頭をよぎる。

 真祖は魔術を使えない。精霊種の一つである彼らは魔術回路を持っていない。そもそも仮に使えたところで、あらゆる魔術は真祖の御業の模倣であるから、関心そのものを寄せることがない。その在り方はアルクェイドがこれ以上なく体現していた。

 ただ、そんな彼女も時には魔術師の手を借りる事もあった。ならこれも協力者の術か──それはない。今の真祖の立場を踏まえると、あれに手を貸すなど自殺行為に他ならない。

 なら脅されたか、魅了で無理矢理従わされたか。後で死ぬより惨い社会的制裁の待つ前者はさておき、後者ならまだあり得るだろう。だとしても、わたしを一時的とはいえ無力化出来る魔術師などそういない。

 

 それこそ、二十七祖に伍するぐらいの才覚がなければ。

 再び記憶を漁る。今度もすぐに取り出せた。なにしろロアが直接携わっていた案件である。

 既に滅んだ、そして真祖と決して轡を並べる筈のないある死徒の秘法。原理血戒とはまた異なる形の真祖への切り札。

 

「創世の土……」

「はい。あくまで見様見真似ではございますが」

 

 ぱしゃん。ぱしゃん。

 泥を蹴飛ばしながら、遅れて霧の彼方より舞い降りた黒い化身は言葉を繋ぐ。

 

「……これを開発した二人は、時計塔の冠位に匹敵する魔術師でした。模倣とはいえ、難易度は極めて高い」

「独力では仰る通りでしょうね。ですから、優秀な猫の手を借りたのですよ」

「やはり協力者が……」

「それに、あなたならこれぐらいの芸当は容易く熟せましょう」

 

 逸らそうとした話の矛先を戻される。

 真祖の看破した通り、わたしの知識と実力なら可能だろう。そして構築出来るということは解除出来るということだ。魔術回路さえ、塞がっていなければ。

 この泥に囚われた時点で原理血戒は停止している。それでも、熱暴走しかけた回路でこの規模の術に対処するのは無茶を越えて無謀でしかない。

 膠着は時間によって解決される。だがしかし、目の前の真祖がそんな暇を許す筈もなかった。

 足の感覚はとうに消え、両膝から崩れ落ちる。喉元から込み上げる熱いなにか。

 吐き出されたのは、足元の泥に負けず劣らずにどす黒い血。はしたなく口元を汚した姿は、さぞみっともないことだろう。

 

「人の身でありながら、原理血戒を回してなおその程度。常人なら肉体は消し炭と化し、魂は地獄に堕ちることすら赦されず、未来永劫この世を彷徨う末路でしょうに」

 

 わたしの目の前に来た真祖。脱力した身体は項垂れることしか出来ず、小さな靴先だけが視界に入る。

 直後、頬に手を添えられた。介助されながら仰ぎ見る。そよぐ風に靡く豊かな金髪が、満月に照らされてやけに眩しい。

 

「ロアの秘法だけではない。エレイシアの天才性、天禀の肉体が為せる業。だからこそ、あなたは宿主に選ばれた。正真正銘の規格外として」

 

 吸血鬼の手が頬を滑る。血で汚れた顔を拭うように。淡々とした仕草は仕留めた獲物を品定めする猟師にも似ていた。

 その間も、碧眼は一度としてわたしから外れない。

 

「そも、最初に死から蘇ったのは、あなた自身の奇跡でしたね」

 

 視界の隅に、わたしの血を拭った手袋が映る。

 漆黒だから、染みた血の跡も目立たない。ああ、だから全身黒で揃えているのか。レインコートを羽織った殺人鬼のように、なるたけ返り血が目立たないように。

 

 狩りの成果に満足したのか、ぐるぐると喉を鳴らす黒い化身。

 やがて、見せつけるように顎が開いた。哺乳類にしては不必要に長く鋭い、四本の牙を舌が舐める。

 

「最期に一つだけ。鎧を着込むのなら、頸部全てを守るべきでした」

「なにを偉そうに。もしや勝ったつもりですか」

「服従しろとは言いません。どのみち、すぐになにも選べなくなりましょう」

 

 それは無慈悲な夜の世界の理。

 わたしを抱き寄せた真祖の牙が、ざくり、と頚動脈を喰い破った。

 

「──あ」

 

 これが、吸血鬼に敗れるということ。

 教会の歴史において、数え切れない代行者が辿り着いてしまった最悪の終着点。

 そのさらに先をわたしは知っている。二度と血塗れの地獄に戻らぬ為の備えを、かつてエレイシアと呼ばれた少女は怠らない。

 

 故に──わたしが勝利するのは必然だった。

 

「──っ」

 

 真祖の表情が歪む。

 それを見逃さず、残された力の全てを籠めて出血死(ブレイド)で殴りつける。今までの猛攻が嘘のように、吸血鬼は呆気なく弾き飛ばされた。

 これが、第七聖典の共鳴の真価。自ら取り込んでしまった毒──予め血液に溶かし込んでいた、第二死因『病死(シック)』が幼い真祖に牙を剥く。わたしを死徒に変えるだけの吸血は最早成し得ない。

 

 転がった先で、ゆらりと立ち上がる真祖。その鼻と口からは、ぬらりとした血が滴っている。

 真祖にとっての吸血は、ただの摂食とはわけが違う。存在ごと取り込むものだ。毒杯が人間の消化器を傷つけるように、ただの一滴でも病死(シック)は真祖の魂をその芯から喰い破る。

 外部から損なう他の死因ではこうはならなかった。真祖が知らずと懐に入れてしまったが故の劇烈な効果。このトロイの木馬こそが第二死因の真髄である。

 魂を鋸で引かれるような、想像を絶する苦痛──にも関わらず真祖は名残惜しげに、手袋に付着したわたしの血を舐めて笑う。

 舐めて、吐血。また一口。さらに血を吐いた。

 生きるために食べているのか、食べるために生きているのか。ぞっとする。この真祖は本能から壊れているのではないか。

 

「ああ──やはり、あなたはとても美味しゅうございます。一雫では到底満たされない程に」

「結構。その渇望に焼かれて消えなさい」

「残念です。暁にはまだ遠いのですが」

 

 血に塗れた真祖は、まるで眠るように目を閉じた。塵は塵に。肉体は粒子に霧散して霧へと還る。

 対峙していたのは、あくまで本体を構成するエーテルの一部で捏ねた肉人形に過ぎない。第二死因に抗うよりは、大人しく崩れる方が遥かに合理的だ。

 同時に術者を失った混沌の泥も消えていく。やがて森が元の姿に戻る頃、邂逅した時のように霧から声が届けられた。

 

『あなたの強さに敬意を表して、一つだけ教えて差し上げましょう。私は夜明けと共に欧州を発ちます。やるべき仕事に取り掛かるために』

「続けなさい」

『二体の祖の討伐。戦場は──総耶。これを看過できないのであれば、すぐに動いた方がよろしいかと。なにしろ時間がございませんから』

「それは──」

 

 問い質す間もなく、ざあっと一陣の風が森を抜ける。それに流されて薄くなる霧。

 主導権は相手にある。わたしの心情などいざ知らず、今宵はもうお開きということ。縋るように、どうしても質しておきたい問いを投げる。返答は期待できないとしても、せめてこれだけは。

 

「最後に一つ。あなたの名を教えてください」

 

 そして意外にも、答えは返ってきた。

 くすくすと、初めて顔を合わせた時と同じく愉しげに笑いながら。

 直前まで生命の取り合いをしていながら、この能天気。それがどうしても、あの学校で見捨てたお転婆を彷彿とさせられて。

 

「アルトリウス・ブリュンスタッド。ご機嫌よう。いつかまた、お会いできますことを」

 

 高らかに謳い上げられる王族の称号。

 それを最後に、森を覆う霧は晴れた。

 

 

 ◆

 

 それから、無事とはいえないまでも森から帰還したあと。

 生きて帰るという唯一にして最大の仕事を果たしたノエルと合流し、回収した血を法王庁に送り付け、ノエルに後始末を投げ付け、記憶の新しい内にレポートを仕上げて埋葬機関に放り込んだ。

 流石に教会でも最重要案件なだけあって、クロンの大隊の殉職者を時計塔に送り返した(法政科の学科長からは割れたプライドから流れた血でしたためたらしき礼状が届いた)頃には、早くもわたしとノエルは埋葬機関本部に呼び出されていた。

 

 大きな窓があるのにどうしてか薄暗い、絶妙に陰気な執務室でこれまた胡散臭い女──局長ナルバレックと対面する。

 出来れば話もしたくない……なんなら殺してやりたい上司だが、この半年間は最低週に一度は出頭させられている。

 いつもと違うのは、彼女の傍らに懐かしい顔触れが並んでいることだ。日本における司祭代行『人間遣い』マーリオゥ・ジャッロ・ベスティーノ。そして、その直属のエージェントたる自称刑事の安藤裕吾。

 件の真祖の供述はレポートに載せてある。なので彼等がこの案件に絡むこと自体に不自然はない。

 わたしの肩越しに、轢かれた道端のカエルを眺めるような目で司祭代行を見るノエル。それに排水溝の髪の毛の束を眺めるような目で返す司祭代行。心なしか目の死んでいる安藤。

 にこやかなのはナルバレックだけ。こういうところが嫌われている。

 

「シエル。例の真祖についてだが、極めて興味深い報告が次々に上がっている。その中でも最たるものをまずは共有しよう」

 

 手にした万年筆の背で、卓上の紙束を叩くナルバレック。

 逆さでは読み取り辛いが、波形グラフが参照付きで幾つも提示されている。なるほど。わたしが血液を採取している間、あれの魔力そのもののデータも首尾よく確保していたらしい。

 

「まず前提として、例の真祖はやはり王族だ。生憎と千年城の痕跡は辿れなかったが、そもそも資格のない吸血鬼がブリュンスタッドを詐称すること自体あり得ない」

「いいとこⅲ階梯の非才が祖を騙る。あるいはそこの豚が埋葬機関を名乗るようなもんだ」

「ひどっ!」

 

 埋葬機関局長の弁にすかさず司祭代行の横槍が飛ぶ。やはりこの二人は噛み合わない。

 

「性別だが、アルトリウスとは男性名だ。とりあえずは男性体と仮定しておく」

「あれがアルトリウスでもアルトリアでもアルクェイドでも、被害の実態からして些細なことでしょう。性差を問う前に、そもそも被害の母数が大きすぎる」

「その通り。さて、ここからが本題なのだが」

 

 一拍置いて、ますますナルバレックの笑みが深くなる。もはや聖母と見紛うばかり。

 猛烈にこの部屋から解放されたい。もしくはこの女の頭蓋を叩き割りたい。だって、この女がこういう顔をする時はいつだって──

 

「まずは件の真祖の特異性。吸血衝動がない、人間に融和的、魔術を使う云々。それら全てにある程度は辻褄をつけられる事実に辿り着いた。聞きたいかね」

「それが、知るべきことなら」

「よろしい。君が持ち帰った血液の遺伝子と、観測された魔力の波動を分析したところ、どちらもアルクェイド・ブリュンスタッドのものと99.999%一致していながら──それでも100%には至らない、薄く堅牢な壁があってね。その正体を、そこの安藤君が警視庁のデータバンクから見事に暴いてくれた」

 

 ナルバレックの紹介を受けて、安藤は愛想笑いを深くする。

 自尊心を擽られたからではない。面倒が嫌だからとりあえず合わせておこうという大人の振る舞い。

 嫌な予感。聞きたくないが、聞かないことには仕事にならない。あぁ、何故かどうしようもなく遠野くんが欲しい。あの仮初の青春の日々が恋しい。

 でも駄目だ。わたしは社会人なのだから、不審な点にはきちんと疑問をぶつけなければ。たとえ、相手の思う壺だと分かっていても。

 

警視庁(MPD)とは、日本の首都警察ですよね。アルトリウスは明らかに西洋人ですが、まさか出自が日本だとでも」

「ああ、驚くべきことに。シエル。お前にとってはとても受け入れ難いことだろうが、これも成長の糧となる。まずは結論から伝えよう」

 

 ナルバレックは、今日一番の──否、この半年間で一番の──否否、人生で一番の、それはそれは美しい笑みで宣言した。

 

「アルトリウス・ブリュンスタッドは真祖と人間の間の子。アルクェイド・ブリュンスタッドと遠野志貴の子供であると証明された」

 

 

 

「     」

 

 ──この時のわたしの心情を表現する言葉はこの世に存在しないだろう。

 

 それでもなんとか例えるならば。

 初対面から自分の好みにドンピシャで、心の底では気になって仕方がない、一緒にいるとつい目で追ってしまうような男の子が。

 わたしが鬼畜と化す元凶を生み出した怪物。決して人類とは相容れない破壊兵器。いざ人間の真似事をすればやることなすこと無茶苦茶なあーぱー吸血鬼と。

 わたしの目の届かぬところで致し、これまたとんでもない怪物を誕生させるに至ったと告げられたような。

 

「それは例えになっていないな。シエル」

 

 ナルバレックの指摘を無視する。

 駄目だ。思考が追いつかない。かくなる上は、張本人に証言台に立ってもらう他なかろう。

 わたしの持ちうる限りの記憶と知識を総動員して、アルクェイド・ブリュンスタッドの仮想人格を構築する。執務室の中央。わたしとナルバレックを遮るようにして、白い吸血姫が降臨した。

 

『やーい、ざまーみろシエル。志貴はわたしと幸せになるからねー! あなたは行き遅れがお似合いよ』

 

 うるさい。なにが幸せになるだ。お前は千年城から二度と出てこれないからむしろ未来のない決定的な負けヒロインだ。

 

『だいたい実年齢25歳の癖して男子高校生に懸想するなんて犯罪じゃないの。挙げ句に高校の制服まで着るなんてキツいってもんじゃないわ』

 

 推定800歳のそちらこそ馬鹿みたいに短いスカート履いてる痴女じゃないか。

 男子高校生に手を出して既成事実まで作るのはそれこそ犯罪的だ。遠野くんがお前が初めて観測された年代を知ったらさぞ幻滅することだろう。

 

『そもそも常識的に考えて選ばれる可能性なんてあると思ってるわけ? 志貴好みの金髪でおっぱいが大きくてお金持ちな外国人の女の子とメスゴリラを比べたら100回やり直しても同じ結果に落ち着くのは自明でしょう』

 

 誰がメスゴリラだ。そういうお前はゴジラの近縁種だろうが。遠野くんはお金とか、ましてやカラダ目当てで近付く不純な人じゃない。

 

『ほんと? じゃあ最初に電車で挨拶した時、穴が空くほど太ももに見惚れてたのはなに?』

 

 ………………。

 

『それにシエルは志貴に好かれるようなことなんてしてないわ。ヴローヴとの戦いだって、最後の最後に黒鍵投げただけじゃない。しかも志貴はあれ、弟子の活躍だって勘違いしてるわよ』

 

 別に構わない。彼に良い所を見せようだとかあまつさえ好きになってもらおうだとか、そういう下心で手助けしたわけではない。徹頭徹尾、代行者としての責務によるものだから。

 だいたい遠野くんも遠野くんだ。ノエルと一戦交えたのなら、彼女にあんな黒鍵の投擲なんて出来ないし、そもそも二十七祖との戦いに自ら介入する気概なんてないと分かるだろうに。まだまだ見る目が足りていない。

 

『そういえばシエルって、子供が出来ても毎食カレーしか作らなくて嫌われそうよね。カレーの食べ過ぎでおっぱいもカレーの味しそうだから、そうなると赤ちゃんは産まれてからずっとカレー漬け? 流石に可哀想。あと信仰の強要とかしそう』

 

 いらんお世話だ。これでもどこぞの箱入りと違って、一般家庭育ちだから子育てがどういうものかは理解している。育児放棄した吸血鬼に言われたくない。

 

『別に放棄なんてしてないですけどー。あ、さっきも言ったとおりシエルがショタコン犯罪者予備軍なのは既に確定なんだけど、間違ってもアルトリウスに手は出さないでよね』

 

 自分の所業を都合よく忘れるおつむの残念さはさておくとして、こちらはむしろお前の息子に口説かれている側なのだが。

 

『あらそう。アルトリウスも随分と女の趣味が悪いのね。志貴に手を出すのは許さないとして、あの子相手ならまあ側室としてなら見逃してあげなくもないけど』

 

 なにが側室だ。思い出したように王族面するな。あの傍迷惑な真祖の王族のせいで無休で働き詰めのわたしに母親としてなにか言うことはないのか。

 

『さっさと転職なさい。ん、その前にメレムに念押ししといてくれる? キモいからもう二度と話しかけてこないでって、頼んだわよ。じゃあねー』

 

 じゃあねー……じゃあねー…………とエコーを残してアルクェイドの幻影は勝手に消えていく。

 それでも仮初の対話を経たことで、幸いなことにだいぶ情報を処理出来た。麻痺の解けたわたしの唇が動き、事ここに至ってようやく文章として意味を成す文字の羅列を口走る。

 

 

「えっ遠野くん真祖とセッ●スしたんですか?」

 

 

「「「………………」」」

 

「………………はっ!!」

 

 沈黙する大人三人。

 対照的に、わたしと同じくぶっ飛んでいたらしきノエルが、その一声を皮切りに再起動する。

 

「そ、そんなのあり得ないわ! だって相手は真祖よ!」

「そりゃやることやってりゃデキるに決まってんだろ。なにカマトトぶってんだこのメスブタ」

 

 ラウレンティスの後継者として含蓄のある突っ込み。それでもノエルは止まらない。

 

「だ、だいたいいくら一般人とはいえ、真祖とアレして真祖を増やしてんのよ! 2倍よ2倍! 教会が放っておいていいわけないじゃない!」

「なるほど。確かにサンプルとして回収するだけの価値はある」

「ちん●を!?」

 

 泣く子も黙るナルバレック埋葬機関局長にあのノエルが食って掛かる。世にも奇妙な光景だった。

 ノエルは既に錯乱の極みだ。仮初だとしても師匠としてフォローしなければ。

 

「落ち着きなさいノエル。真祖を孕ませたのであれば、真に見るべきは射出機構ではなく製造元の方でしょう」

「まぁ、やり方はお前に委ねるが」

 

 一任されてしまった。

 見ればマーリオゥ司祭代行も些か不満気な様子。なるほど今回はナルバレックに屈したか。

 一年前は、どう足掻いても独断専行だったので司祭代行の権威には逆らえなかった。今回は違う。埋葬機関として正式に辞令が降りれば、誰にも忖度する必要はない。

 

「……あ、じゃあそこのジャリガキのパワハラもなしってこと」

「そういうのは本人がいない場所でブヒブヒ鳴らすもんだろうが。いつからテメェは俺に正面からデカい口叩けるぐらい偉くなったんだ」

「偉くしてくれないから文句たれてんでしょうが!ちゃんと言われた通りにあのおっかない真祖とサシで戦ったのに、いい暮らしなんて出来ないし、だいたいなんでまた新しい真祖なんかと!……んでシエル。具体的にどうするわけ」

「神を孕ませた逸話は多々あれど、今回は地球そのものを孕ませた逸物です。その希少性はあらゆる神話を超越する。この際三つに分けて、一つは魔術素材としてホルマリン漬けに。一つは第七聖典の新たな素体に。最後の一つは、究極の珍味としてカレーにしましょう」

「えぇと、ちなみにカレーにするのは三つのうちどれ?」

「浪費するのだから、予備がある方に決まっているじゃないですか。ロッキー・マウンテン・オイスターの如く、とろりと仕上がるかも」

「なら、剥ぎ取りは任せてちょうだい。死徒を使っていっぱい練習したから得意も得意なの」

 

にぎにぎと指を動かすノエル。その拷問術とて、遡ればわたしが彼女に伝授したものなのだが。

マーリオゥ司祭代行と安藤は嫌そうに眉を顰め、ナルバレックは我関せずと指を組む。

たおやかな指に顎を乗せながら、埋葬機関局長はようやく指令を口にした。

 

「シエル。埋葬機関局長並びに教皇の全権を委任する。直ちに総耶に向かい、遠野志貴及び遠野秋葉と接触せよ」

 

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