高らかに謳い上げられた罪状に、頭が真っ白になる。
が、それも一瞬のこと。命の危機に晒されている現実に我を取り戻した。
眼前の代行者は本気だ。皮肉なことに、その殺意が俺の気づけとなっていた。
「はっ。思ったより動揺してないわね。やっぱり思い当たる節があるってこと!」
図星を突かれ、なにも言い返せなくなる。しっかり心当たりはあったし、その件についてなにを述べてもただの言い訳にしかならないからだ。
あくまで仮の身分とはいえ、当時の担任がノエル先生だったのも大きい。なにしろ普通の高校の規則に照らしても、悪ければ退学処分すら視野に入るやらかしだ。教え子として申し開きのしようもない。
もっとも、先生の怒りの原点はそういった公序良俗に基づくものではないのだろう。何度も見せた代行者ノエルにとって最大の地雷。吸血鬼に対する敵意に他ならない。
「いけないわぁ志貴クン。赤ちゃんの作り方なんて高校生にもなれば知っていて当然よね。てか、知ってんだからデキたわけだし。もうね、普通にアウト」
「……あいつは、アルクェイドは普通じゃないでしょう」
「まぁ確かにね。私みたいな末端ならともかく、司教クラスですら頭抱えているんだから本当に意味不明も意味不明ってことよ」
真祖という吸血鬼は、同じカタチを取っているだけで人間とは根底から異なる生物らしい。アルクェイドを見る限り納得しかない。
シエル先輩から聞かされた真祖の生態が正しければ、そもそも人間と同じような増え方はしない筈だ。それは先輩も明言していたし、アルクェイドも概ね同意している。
そうなると、教会はおろか真祖自身すら想定していないイレギュラーが生じたのか。
「えぇと、ノエル先生。一応聞きますが、教会以上に吸血鬼に詳しい機関って存在しますか?」
「私が知る限りないわ。当然よね、人類の最前線で吸血鬼をぶち殺してるのが教会だもの。ちょうどこんな風に、ねぇ!」
「ぐっ……!」
ノエル先生の容赦のない蹴りが倒れた俺の腹に突き刺さる。
重たい爪先は、的確に横隔膜を捉えていた。それでも芋虫の様に不格好な動きしか出来ない俺を見て、毒が回ったのを確信した先生はいよいよ粛清を開始する。
「まぁバラしたキミを検体として教皇庁に送れば、インテリ共がなにかしら答えを出してくれるんじゃないかしら。私の仕事はあくまでクソムシの駆除だから関係ないけど……おっと訂正。一応は審問だったか」
「べ、弁護人を」
「あらぁダメじゃない志貴クン。いくら退屈でも授業はちゃんと聞いていないと。シエルのレジュメの中でそんなものが一度でも出てきたかしら?」
「ッ……」
みっともなく命乞いする俺を嘲笑う先生。
その姿に、どうにか油断させることが出来たと確信する。この状態では逃げることも戦うことも不可能だから、どうにかするために隙を作らなければならなかった。
足元で丸まった俺から目線を外さないまま、代行者はすらりと懐から剣を抜く。
太い鉄釘のようにも見えるそれは、確か黒鍵とかいう投擲武器だ。シエル先輩の扱うものとは大きくデザインが違うことに今になって気が付いた。
「でもま、キミのコトはそれなりに気に入っているから特別に審理ぐらいはしてあげてもいいわよ。この師匠直伝の火葬式典でね。単純よ。焼け死んだら無罪。生き残ったら死刑ってだけ」
「それ、両方同じなのでは」
「全然違うわよ。潔くくたばれば現世での名誉は守られるもの。さあ、とっとと愛しの真祖が待つ地獄にいきなさい。そう遠くない内にガキも同じ場所に送ってやるから全然寂しくなんてないわよ」
先生は弄ぶように、かんかんと、黒鍵の剣先で机の端を叩く。目を凝らせばそこだけ黒く焦げ付いていた。
言うことを聞かない身体に鞭打って、どうにか右手でポケットをまさぐる。すっかり指に慣れた柄の感触は、あの遠野邸での戦いの記憶を思い起こさせる。幸い、握力の衰えるような効能の毒ではないらしい。同時にぎこちなく魔眼殺しを外す。
露わになった刃を前にしても、ノエル先生はこちらを侮る姿勢を崩さない。嗜虐に満ちた笑みで見せつけるように黒鍵を回す。
それでも、俺がナイフを逆手に持ち替えて刃先を自分に向けると、流石に怪訝な様子を見せた。
「なぁに、潔く自裁するつもり? ジャパニーズハラキリってやつ? ううん、それはない。キミはそんな諦めのいい子じゃないもの」
「流石、ノエル先生。俺のことをよく見ていますね……先輩と同じで」
「は?」
「さっき、先生も言っていたあの授業ですよ。きっと先輩は俺がここに来て、こういう状況になることまで予見していた。そして、ノエル先生がなにをしでかすのかも」
「……なにそれ、ムカつく。私は自分の仕事をしているだけじゃない」
「そうですか。やっぱり独断専行だったんですね。ノエル先生」
心臓より少し下。微かに視える点を軽く突く。
言った通り自決ではない。俺自身の肉体を無視して、その内側で猛威を振るう『毒を殺した』。
ノエル先生も、この眼のことについては聞いている筈だ。それでもこのような形での解毒は流石に想定していなかったのだろう。
事実、シエル先輩の知っている直死の魔眼ではこんな芸当は不可能である。空間を介してロアを殺して以来、俺の死を視る力は少しずつ、しかし確実に強まっていた。
不可解な行動への疑念から真意を見抜かれる前に、さらに先生を煽る。
「冷静に考えれば当然なんです。シエル先輩なら雑魚を殺すためにつまらない小細工なんて必要ないんですから。先生の動きを全て看破したうえで、先輩は俺を助けてくれた」
「あっそう……呆れた。まさかここまで出来が悪い子だったなんて。弱者らしく強者に媚びを売る能すらないなら命乞いも期待出来ないわよね。ならせめて火達磨になって私を楽しませなさい」
吸血鬼とシエル先輩。無条件でノエル先生の神経を逆撫でするのはこの二つだろう。どれだけ稚拙な挑発だろうと、見え透いた地雷だと分かっていたところで、ノエル先生は衝動を抑えられない。
せっかくの長所であろう周到さや逃げ足の速さを自ら駄目にしてしまう。先ほどまでの臆病の裏返しである慎重さは一瞬で影を潜め、身の程を弁えない異端を誅殺しようと代行者が距離を詰める。
──軽率にも。
「ひゃっ! ……え、え!?」
翻る白衣の裾を掴むと同時に足を払う。
予想もしていなかった抵抗に固まる女はあっさりと床に引き倒された。その勢いに成人女性の重さを掛け合わせれば、容易く組み伏せられる。男女の体重と体格の差ならまず覆せないだろうが油断はしない。
以前、ノエル先生に返り討ちに遭ったのは投げ飛ばされる余地を与えたからだ。故に、今度は寝技で封じる。ヴローヴの掃射に比べれば、ノエル先生の攻撃を凌ぐのは遥かに容易かった。
そういえば、投げられた時にも師匠がどうこう言っていたし、格闘についてもシエル先輩の薫陶を受けてきたのだろうか。それにしては随分と呆気ない。やはり、先生は罠を張っての奇襲や不意打ちこそが本領なのだろう。
「よくアルクェイドと正面から戦えましたね、ノエル先生」
「わ、私だってやりたくてやったんじゃないんだから! あのクソガキに騙されたの!」
俺の口からアルクェイドと刃を交えたことに言及されたことに、なにか危険なものを想像したのだろうか。ノエル先生は必死に自己弁護を展開する。関節を極めたまま刃を首筋に押し当てると、ようやく状況を理解したのか大人しくなった。
攻撃性とは裏腹に妙に物分かりがいい。きっと、シエル先輩と組んでいる間はこういう窮地はなかったのだろう。そこに陥る前に、面倒見のいい先輩が先回りして脅威を潰してくれたから。その上で独断専行に走った結果がこれだ。
間違いなくシエル先輩絡みだろうが、いったい何がノエル先生をここまで突き動かすのか。あの人の隣ほど安全な場所もそうないだろうに。
「いい、志貴クン? 人間には絶対に触れちゃいけない痛みがあるの。そこに触れちゃったら、あとはもう命の取り合いしかないの」
「俺、まだなにも言っていませんけど」
「目をみれば分かるのよ! 私があの子のおまけだって言いたいんでしょ! たまたま不意打ちが上手く決まったからってガキが調子に乗るな!」
どうやら未だに命の取り”合い”だと認識していないことに驚く。あと背中から抱き込む形で抑えているので目は合っていない。やはり師匠共々、相手の気持ちを読むことに長けている。どうせなら国語を担当すればよかったものを。
このまま行けば先程の媚びを売るとか命乞い云々の手本を見せてくれるのだろうか。刃先を押し当てる力を少しだけ強めると、いよいよ借りてきた猫の様に固くなる。
「し、志貴クン……? か、仮に私を殺しちゃったら、後でとても怖いことになるって分かってる?」
「なんですか。シエル先輩の報復ですか」
「あの人でなしにそんな情はないわよ。いい? 私は教会の遣いなの。で、教会は
「──あ」
「あの真祖、志貴クンのお屋敷に突撃かましたって聞いたわよ。それで遠野秋葉に嫌われたって? そんな『素性の知れない外国人の女』を遠野家長男が一か月にも満たないお付き合いで孕ませたって、厳格なご当主様の耳に入ったらどうなるか──それは、志貴クンが誰よりもよく分かっているわよね?」
いいや、その時が来るまで俺には絶対に分からない。
ノエル先生には遠野秋葉という女傑の苛烈さへの理解が足りていないのだ。俺たち弱者が覚悟出来るような仕打ちなど、ご当主様の基準ではジャブにも足りない。
言葉を詰まらせる俺の様子から自分の優位が戻ったと確信したのか、ノエル先生は唇の端を引き上げる。人体の限界ギリギリまで首を捻っての上目遣いは挑発にも懇願にも見えた。
「この際ぶっちゃけるとね、勝手に志貴クン殺そうとしたことがバレたら私がシエルに殺されるのよ。あの子が間抜け面で授業受けてる間に隠蔽出来なきゃ終わりなの」
「いや、ですからその企みはもうとっくに見抜かれているんですってば」
「あくまで憶測でしょう⁉いいえ、このまま終わればただの邪推よ! とにかく、私と志貴クンが余計なコトを漏らさず、再会を祝してお茶したことにすれば皆が平和なの。さっきまでの事は全部水に流してあげるから」
キミは吸血鬼じゃないしね、と先生は呟く。
事ここに至ってなおそのラインを譲らない所は素直に尊敬する。
「ほらっ、考えるまでもないでしょ?」
「選択肢が限られているのは認めます。その上で……取引にならないんです。ノエル先生」
「は……はぁ!?」
「だって、俺は秋葉に隠し立てするつもりはないんだから。俺に子供がいるのは今日初めて知ったけど、知ったからには責任を取らないと。それに俺とアルクェイドの子は、肉親にすら話せないような恥ずかしい存在じゃないんです。秋葉がなんて言うかは分かりませんが、遠野家から絶縁されるなら大人しく出ていきます」
どのみち一度は勘当された身だ。しかもあの時と違って、十分過ぎる非があるのだから。
これはノエル先生にとっては予想だにしない反応だったらしく、直前までの従順さをかなぐり捨てて、釣り上げられた魚の如くびたんびたんと飛び跳ねる。
やはり女性としては大柄なだけあって、全力で暴れられるとかなり手を焼く。
「ひっ!? ちょ、ちょちょちょっと待ってよ! なに殊勝なこと言い出して……お、落ち着いて考えなさい! キミ、今の生活がどれだけ恵まれてるか分かってる!? 東京都心にこの学校の3倍の面積の屋敷って時点でまずおかしいのよ。豪邸とかいうレベルじゃないっての!」
「まあ、はい。去年の夏までは一般家庭で暮らしていたので」
「今日も今日とて上げ膳据え膳。服はピカピカのパリパリで取りに行かずとも風呂場に用意。靴も毎週磨いてもらえる。挙げ句に自分専用のなんでも言うこと聞いてくれる侍女! どうせ就職も腰掛けで遠野グループ大企業の役員ってとこかしら。いい? そんなお坊ちゃまが身ひとつで生きていけるほど社会は甘くないの」
「なるほど実感が籠もってますね」
社会の荒波に揉まれ続けた末の忠告は実に身につまされた。
とはいえノエル先生に指摘されるまでもなく、いまの自分が非常に豊かな境遇にあることは自覚している。だが、そこから放逐されたとしてどうだろう。最低限、生きていくだけの自活力はあると思う。この身体ではそう遠くないうちに限界が来るだろうが、それは遠野家で暮らしていたところで変わらない。
つまりなにが言いたいかというと、先生の説得にはまるで見当はずれなのだ。
「いやね、別に志貴クンが神妙にしたいならそれはそれで別にいいのよ。じゃあもう大人の事情は置いといて、ひとまず私と休戦協定を結びましょう」
「あくまで休戦なんですね……はぁ、分かりました。お互い切った張ったはなしにしましょう」
この約束にどこまでの効果があるかも分からないが、俺だって出来るなら暴力の応酬なんてしたくない。知り合い相手ならなおさらだ。
「さっきも言ったでしょう。俺はノエル先生が死んだら悲しいですから」
「さっすが志貴クン、出来た子だわ! 私だってキミが死んだら悲しいもの」
あまりにも堂々とした手のひら返しに、いっそ感心する。俺も子供も殺すと宣ってなかったか。
ある程度の警戒心を保ったまま解放してみると、ノエル先生は大人しく立ち上がって椅子に座りなおす。降伏に嘘偽りなく、ひとまずは矛を収めたらしい。
あの斧さえ持ち出せば、こんな結果では終わらなかったかもしれないのに。黒鍵は完全に俺の間合いだ。
「キミも座ったら? シエルと仲良ししたいなら別だけど、午前いっぱいはこの現実逃避も有効でしょう」
「……そうか。ノエル先生も知っていたんですねそのルール」
一限目で授業をフケたとして、安穏としていられるのは基本的に午前まで。昼休みが終わっても連れ戻されるわけではないが、監督者に連絡が入ってしまう。
正式に設けられた規則ではないものの、暗黙の了解として共有されている。臨時とはいえ担任を務めていたノエル先生が把握しているのも当然だった。
秋葉との約束通り、曲がりなりにも真面目に学業に励んできたのだ。ここまで来て無駄に怒りを買うような真似はしたくない。最悪、芋づる式に子供の事まで読み取られる恐れがある。
先生に語った通り隠し立てをするつもりはないが、伝えるには順序が大切だ。今日帰っていの一番というわけにはいかない。そもそも俺は肝心のアルクェイドの子と対面したことすらないのだ。
一度明かせば、当然に説明義務が発生する。そのための情報をまずは手に入れなければ。
もうすぐ一限が終わる頃。昼休みにはまだ遠い。この一年間分の代行者ノエルの愚痴に付き合うだけの時間はある。
「ノエル先生が担任だったら、色々と融通が利いたのに」
「教師のブラックさを知らないから気軽に言えるのよ。ホント、代行者との掛け持ちとか間抜けにも程がある。無理してでもシエルの真似すれば良かった」
「先生の母国語って英語ですか? そうじゃないなら、わざわざ英語教師が務まるレベルで英語と日本語の両方を習得したことになりますけど」
「そもそも代行者やるなら日本語はともかく英語ぐらい扱えなくちゃね。あとはイタリア語とラテン語も。先々週だってシエルと──」
水を向ければ、お喋りのノエル先生は色々なことを話してくれる。
長いように思えた数時間は、あっという間に過ぎ去った。
◆
時計の針が頂点に揃う頃。
俺とノエル先生は、肩を並べて食堂に足を踏み入れる。安物の(そして半分は毒入りでもある)カップケーキなんかで日中を凌ぐわけにはいかない。
特に何も考えずに注文したA定食を受け取ってぐるりと食卓を見渡すと、どうしても無視出来ない人物を見つけた。ぽつねんと食事を摂る様は、一年前からは想像もつかない光景。
「あはは。シエルったら誰とも馴染めず一人ぼっち。ざまあないわね」
当然のように俺の後ろをついてきたノエル先生は、その姿にこの上なく満足そう。自分だって赴任初日に職員室で孤立していた事実は都合よく忘れてしまったらしい。
だが、そんな嘲笑もすぐさま鳴りを潜める。黙々とフォークを動かす先輩は、排斥された惨めさからは程遠い。
そもそも今朝の人たらしぶりからして、山ほどお誘いがかかっていることは明白だ。それら全てを断ってまで誰を待ち構えているかなど考えるまでもない。
正面に立つ。かつての朗らかさを完全にかなぐり捨てたかのように、シエル先輩は冷然とした面持ちを崩さない。
「あの、先輩」
「どうぞ」
「え、えっと」
「どうぞ座りなさい。みなまで言わなければ分かりませんか」
数時間前に対峙したばかりの、殺気を纏うノエル先生すら子猫に思えるほどの気迫。
一限目のときは、不条理を武器に──つまり被害者として──自分を守ることが出来た。しかし今の俺は、十三階段を登り終えた死刑囚も同然。そしてシエル先輩は死刑執行人だ。
「……失礼します」
「あ、じゃあ私も……」
「あなたには許しを与えていません。そこに立っていなさい。シスター・ノエル」
一蹴されて、ノエル先生は渋々俺の斜め後ろに立つ。
これもむしろ俺を苛むものだ。先ほど殺し合いをしたばかりの相手とはいえ、この状況で隣にいてくれることがどれだけ励みになったか分からない。そんなささやかな救いさえ先輩に容赦なく砕かれる。
どんな術を使ったのか、混雑のピークにも関わらず俺たちの周りだけ席が空いている。一対一で向かい合って座る構図は、ドラマなんかで見る犯罪者の取り調べそのものだ。
「せ、先輩がカレー以外なんて珍しいですね。スパゲッティも好きなんですか?」
「いえ、大嫌いです。わたしの存在を根底から否定していますから」
辛うじて捻り出したアイスブレイクは、無情にも叩き潰された。
先輩は俺と目も合わさず、淡々と皿の上の麺を巻き取る。
「この世で一番……もとい、ロアの次ぐらいには嫌いです。どうにも昔これを無理やり食べさせられたような気がして」
「そ、そうですか。ならどうしてそんなものを」
この先輩に無理強いが出来る者がいるとは、この世界は俺が思っている以上に広いらしい。
程よくまとまったスパゲッティを口に運び、咀嚼。飲み込む表情は固く、たぶん本当に嫌いなのだと分かる。カレーを頬張っていた時の幸せさが一切ない。威圧の為なら自分すら追い込めるのか。
「わたしが子育てしたら毎食カレーしか作らないなどと、わたしの心のあーぱーから謂れのない謗りを被りまして。しかし考えてみればここでの昼食が毎日カレーなのは事実でしたから、たまには苦手なものにも挑戦してみようかなと」
そういえば、カレーとカレーとカレーうどんを奢ってくれたのだったか。
しかし今の先輩はご馳走してくれるどころか、俺が箸を持つことさえも許さない冷気を放っている。あの日だまりのような優しさの面影はない。
「まさかそんな。遠野くんも冷めないうちにランチをどうぞ。わたしはいつまでも待てますから」
「いえ……遠慮しておきます」
「そうですか。なら遠野くん。告解のお時間です。懺悔の規則に則って、わたしに話すべきことを告白しなさい」
「すみません先輩。恥ずかしながら教会のしきたりをあまり知らないのですが、懺悔の規則とは一体なんでしょう」
「そんなに難しいことじゃないんですよ。断じて嘘をつかず、包み隠さず、知ること全てをありのままに白状するだけです。こんな簡単な約束さえ守れないなら、誠に遺憾ですが主の代行として咎人に然るべき裁きを執行しましょう」
「さ、裁きをですか」
「はい。折角ですから、遠野くんに選ばせてあげましょうか?」
そう語りながら、先輩は皿に残ったスパゲッティを自分の方に寄せて、空いた部分に二本の手つかずのウインナーを並べて置いた。
続いてそれらをフォークの背で両断する。一つは横に、そしてもう一つは鮮やかに縦に真っ二つ。ちょっと意味が分からない。
「失礼、少し分かり辛かったようですね」
そう言って再度先輩はフォークを動かし、ひょいひょいとミートボールを掬う。ウインナーを両側から挟むように、それぞれ二個ずつ端に添えた。
それで理解する。理解してしまう。今時小学生だってやらないようなくだらなさなのに、大切な部分がぶった切られているだけでこうも悍ましくなるなんて。
「わ、笑えない冗談ですね。シエル先輩」
「わたしがいつ冗談を言いました?」
今です、なんて口が裂けても言えるわけがない。
たぶんそれを実行した瞬間、有無を言わさず別の部分が裂かれる。ほら、本気だって分かったでしょうなんて念押しも添えて。
「いくら俺に非があるといっても、これはあまりに酷でしょう」
「本当なら死刑でも文句言えないのに、志貴クンの先に生まれた方の息子の犠牲で赦してやるんだから温情も温情よ。子孫残せたんだからもう用済みでしょうが」
「狂気的を超えて猟奇的な理屈ですね先生」
「世界にはね、本懐を果たすことも叶わないまま徒花と散る同胞が数知れないの。あんまりワガママ言ってると天罰が下るわよ。シエルから」
上から茶々を入れてくるノエル先生は、なにかを期待するように指をわきわきとさせている。
つまり目の前で示唆されている刑の執行人は先生で、シエル先輩から下される罰はもっと苛烈ということなのか。これでも二人はシスターという……シスターってなんだろう。
一年前は過激な部分がありながらも街を守る正義の味方だと思っていた。たぶん正義の味方であること自体は間違っていないが、過激な部分の底が見えなさすぎる。
「罰なのは当然として、これ以上の真祖の発生を防ぐには案外理にかなった処置なのでは。ただでさえ、遠野くんはアルクェイドを諦めていない。欧州に渡ってまでわたしを捕まえようと試みるぐらいですし」
「知っていたんですか」
「星の数ほど恨みを買っている身ですから。追手の気配を嗅ぎ取るのも、撒くのも慣れっこです」
「あー……つまり、たとえ俺が向こうに行けていたとしても、先輩を見つけるのは無理だったと」
「不可能ですね。どれだけ教会の痕跡を追ったところで、わたしの方から姿を見せない限り、遠野くんがわたしに辿り着く日は永遠に来ない」
きっと、この街いる限り常に捕捉されていた。
教会と遠野家の間に繋がりがあることはノエル先生も明らかにしている。秋葉と先輩が裏で手を握っていた可能性だって否めない。
「分かりますか。わたしと同じテーブルについているこの状況は、遠野くんにとって望外の幸運でもあるということです。今を逃せば、そのまま生涯の別れになると予告しておきます」
「……俺が先輩に協力すれば、アルクェイドに会いに行くのを助けてくれると」
「知恵と知識を貸す余地を排除しない、ぐらいに留めておきましょう。その上で可能な限り最大限の協力を要求します。出し惜しみは許しません。そして、最初の要求なら既に済んでいる」
あまりに不平等な取引。いや、ここまでくると飴と鞭か。俺から情報を引き出すために、先輩は自身の暴力と知識と経験──すなわち持てる全ての優位を使っている。
それでもいい。お互いの手札の差からして、交渉の席に着いてくれるだけでもむしろ破格だ。
吸血鬼憎しで最初から俺を殺すつもりだったノエル先生はさておき、シエル先輩は情報が欲しい。その為に取り得る手段の中で取引はとても非効率である。暗示や拷問の方が遥かに手っ取り早いし、何かを差し出すこともない。
そもそも俺からしか得られない情報なんて無いだろう。なんなら情報源ではなく相方の憂さ晴らしに使わせる方が生産性が高いとすら言えるのではないか。
結局のところ、シエル先輩はどこまでいってもお人好しなのだ。自分でそれに気付けないぐらい。
「では、始めてください」
すう、と目を細めるシエル先輩。
俺も聞きたいことが山程あるが、問うてるのは彼女の方だ。先ずはこちらから札を切らなければ。
何を話すか。当然、ただの近況報告ではない。
先輩は自分に価値のある話を求めている。あえて指定せずぼかしたのは、存在すら把握してない情報が出てくることを期待してのものだろう。
一年前の話は、恐らく大して値打ちがない。先輩が本格的に介入したのは吸血鬼事件の終わりの方だが、たぶん俺とアルクェイドの足取りをずっと見ていた。
ノエル先生の黒鍵をはっきり見てようやく気付いたのだ。ヴローヴとの決着間際に俺を氷柱から救ってくれたのはシエル先輩だった。
なのでやはり、俺が語るのはそれ以降の話。
平和を取り戻した街で伝播する新しい都市伝説。多くの人が目撃した、まったく同じ恐れ。
「これは、一年前にいなくなったクラスメイトを捜す中で耳にした総耶にまつわる噂です」
又聞きなのでどうしてもくどくどしい説明になるが、要約するとこんな話だ。
”罪を犯した人間を殺す少女がいる”
ゴシック調の黒い服に、長い金髪と蒼い瞳をした、端麗な容姿の異邦人とも言われる。
どうしてか夜にしか姿を見せない。路地裏でよく出没するらしい。
数ヶ月、複数の人々が同時に語り出した。
首都圏内で奇妙な死体が見つかり出したのも、殆ど同時だった。
奇妙とは、死に至ったきっかけが分からないのではない。死因そのものは医学的に説明出来る。
問題はそれが、到底人間では成し得ないものだったということだ。
始まりは、終戦直後の闇市の時代から共に都心に巣食い、警察すら迂闊に手を出せずにいた暴力団の二大巨頭のうち片方が、一晩にして消滅したこと。
長年縄張りを巡って多くの血を流してきたもう片方の仕業かと思われた。残された頭も斬り落とされたのはその三日後のこと。
これだけの大都市だから他にも同類は大勢いる。ヤクザ者にすらなれない半グレ。海外から参入した犯罪シンジケート。拉致や人身売買の噂も流れる風俗店。殺人すら躊躇しない売人。他人の人生と金を交換するのが生業の詐欺師。ひとり残らず目を覆うような結末を迎えた。
復讐を掲げた残党も、同じように血眼上げて下手人を追っていた同類だったモノが五十体分ほど発見された時点で手を引いている。残された彼らのその後の消息は誰も知らない。
時を同じくして、隣街の高級住宅街に居を構える保険会社の社長の四肢が公衆便所で見つかった。九つの世帯を一家心中に追いやったと噂される人物だった。
時を同じくして、その仕事仲間が廃屋で肝試しの一向により人間と分からない形で見つかった。債権証書と顧客名簿を持ち出せるだけ持ち出した妙齢の女は、天井の腐ったボロ屋の押し入れで隠れていたらしい。
時を同じくして……
時を同じくして…………
時を同じくして……………………
夜を舞台に繰り広げられる惨劇。
正体不明の西洋美少女。
これら二つを繋げて偶像化されるのは必然だった。なにしろ吸血鬼事件が半ば迷宮入りしてから、まだ一年しか経っていない。
報道が妙に穏やかなのも拍車をかける。やれ政府の検閲だ警察の暗躍だと陰謀論を加熱させ、あるいはそれを冷笑するのがオカルト界隈の現在地。
確信犯か、あるいは行き過ぎた復讐か、それともそういう趣向の快楽殺人か。
噂の主体に惹かれた結果、サブカル界隈では既に創作としてジャンルを確立している。不謹慎など作品への味付けでしかない。西洋的な容貌と夜にのみ現れる性質故に、初期から吸血鬼と設定されているらしい。
全体像は
──もっともそれは、善い人間であればの話。
「……なるほど。大いに参考になりました」
語り終えると、先輩はひとつ頷いて。
俺が息を継ぐのを待たずに踏み込んできた。
「さて遠野くん。──早速、わたしに隠し事がありますね?」
嘘は吐いていない。どうしても、先輩達には知って欲しくない情報を省いただけ。矛盾はない。
しかし目を眇めた歴戦の代行者は、俺の取り繕いなどあっさりと看破する。
「噂の吸血鬼は二体いる。違いますか遠野くん」