夜明けにはまだ遠い。
右手に握ったナイフに目を落とす。月光を反射して蒼白く光る刃に、血の赤色はない。仮初のアルクェイドは、まるで泡沫の夢のように痕跡の欠片も残さず消えてしまった。
殺したのは俺だ。さっきまでのあいつが偽物で、死徒が装った虚構の姿に過ぎないとしても、その息の根をアルトリウスが止めることだけは認められない。
どこまで行っても、人でなしでしかない俺こそが果たすべき役目だった。なにしろ既に一度は犯した罪である。
「ふぅ──」
一息吐いて、緊張の糸を解す。先程までは周囲を気にしている余裕などなかったが、いざ落ち着いて見渡してみれば、噴水広場は無残に変わり果てている。
アルトリウスの初撃によるクレーターだけでも目も当てられないが、続く不可視の攻撃の応酬で僅かに残った舗装すら木っ端微塵に粉砕され、止めに夜空へ放ったエネルギー砲(そうとしか表現出来ない)の余波で敷地の大半が放射線状に炭と化した。よくよく目を凝らせば、高温のあまりか結晶化している箇所もちらほら見つかる。
アルクェイドの肌すら焦がすヴローヴの炎でもこんな現象は生じなかった。仮に先の戦いが、あの時と同じく総耶の繁華街で行われていたらと考えるだけでもゾッとする。流石にその条件なら、アルトリウスはまた違う戦法を選んだだろうが。
夜の待ち合わせをしたり、遊んだりとここもアルクェイドとの思い出が詰まった場所ではあったものの、こうも見る影なく更地にされると喪失感すら湧かない。
当のアルトリウスはというと、先程から無表情でこちらを見上げている。小首を傾げる様は愛らしいが、肝心の中身が読み取れない。
何も考えていないわけではないだろうから、どうも思考が表情に出にくい性質らしい。総じて無機質というか、人間らしく振舞う精巧な人形といった印象を受ける。一切の感情を明け透けにしていたアルクェイドとは真逆だ。
本心を隠しているのかとすら思ったものの、そもそも絶対的な強者には嘘も隠し立ても必要ないというのがアルクェイドの言だった。彼女に並ぶ程の吸血鬼だというなら、それはそのままアルトリウスにも当てはまるだろう。
大人しい子だな。そう考えて、そのような結論に至ってしまうことが不気味なのだと直後に悟る。言葉や見た目ではなく、行動こそがその人間の人となりを表す。いくら人間社会を意識しているとはいえども、来歴といま目の当たりにした戦いぶりに照らせば、彼が好戦的で、尚且つ死地を楽しめる気質の持ち主であることは誰の目にも明らかだった。
底が知れない。目に見えた矛盾こそないが、明確な人物像が掴めない。人間なんて大なり小なりそんなものだと言ってしまえばそれまでだが、その中でも間違いなく複雑な部類に入る。
なるほどあの少女の噂が流行るわけだ。アルトリウスを見た者、もしかしたら実際に言葉を交えた者もいるかもしれないが、魅せられる気持ちは理解出来る。ただしそれは危険な魅力であり、この子は出会ってはいけない存在だ。その華やかさは、有毒生物の派手な色合いを連想させる。
「いいえ。警告色とは捕食者に危険を伝える為のもの。私にはまるで必要ございません」
声に出してもないのになぜ分かる。問おうとして、その蒼い瞳を前に思わず口を噤む。
澄んでいながら、昏すぎて底が見えない。すぐに、それが深海と同種であることに気付いた。さながらブルーホールのようなもので、光の当たらない深度はこちらから観測出来ない。分かるのは、強烈な好奇を湛えていることだけ。
深淵を覗くとき、こちらも深淵から覗かれているというが。間違いなく、俺が読み取れる以上の奥深くまで観察されている。それがどのような理解と行動に繋がるのか予測がつかないから怖いのだ。
凪いだ視線から逃げるように、恐らく見た目からは想像もつかない速度で遠ざかりつつある月を見上げる。少しして、駆け寄ってくる固い編み上げブーツの靴音が耳に届いた。
サイレンはまだ鳴り止んでいない。誰もここには辿り着けないという仕掛けは健在だろうから、これはひとえに彼女が規格外ということだろう。
「遠野くん! なんなんですかさっきの魔力反応! ……って、噴水無くなってるじゃないですか!」
懐かしい、カソック姿のシエル先輩。総耶高校からこちらに直行しただろうから、元々制服の下に着ていたのだろう。どういうわけか、全身至る所に蔦が絡みついている。
先程アルクェイドが顕現させた植物に近い。もしや先輩の下にも、と冷たいものが背筋を伝う。
「どうしたんですか先輩、それ。まさか先輩のところにもアルクェイドが」
「違います! こちらに急行している最中に邪魔が入ったんです。まず間違いなく、そこの真祖から!」
「あぁ……」
そうだ。そうだった。その後の死闘で頭から抜けていたが、参戦直後、確かにアルトリウス自身がそのようなことを自供していた。
ぶちぶちと、俺が親指と中指で作った輪にぎりぎりで通りそうな──到底、人間の膂力では太刀打ち出来そうにない蔦を雑草か何かのように引き千切るシエル先輩。しかし千切れた断面から見る間に再生を開始し、むしろ元より一層複雑に絡め捕りにかかる。埒が明かず、魔術で先輩が焼き払えば不死鳥の如く灰から新たな芽が顔を覗かせた。
なるほど、見ているだけでも本当に鬱陶しい。当事者ともなれば尚のことで、先輩の怒気を孕んだ瞳が下手人を射抜く。肝の小さい者ならそれだけで人事不省を免れない殺気を前に、アルトリウスは白々しく肩を竦めた。
「では、物証はあるのですか? 代行者シエル。念の為に申し上げますが、被疑者の自白だけでは不十分でございますよ。疑わしきは罰せずという言葉はご存知ですか?」
「吸血鬼相手に疑義もへったくれもないでしょう。だいたい、貴方以外に誰が空想具現化を使えますか!」
「お見事、既にご自身で真相に辿り着かれておられるとは。ご明察の通り、犯人はアルトルージュ・ブリュンスタッドでございますね。ご愁傷様です」
「貴方、さては敬語さえ使えば全てが許されると勘違いしてますね……!? だいたいなんですかさっきのアレ! どう見ても惑星級の出力でしたよね! 権限濫用では!?」
「真祖の王族に伝わる由緒正しき奥義。
「絶対今考えたでしょう!」
どうにか全ての拘束を灰に帰して、ようやく自由の身になったシエル先輩が眉間を抑えながら重たい溜息を溢す。
「ベンチ一つ壊れたぐらいならともかく、これは流石に顛末書ですね。不完全とはいえ二十七祖を相手にしながら、死者が出ずに済んだだけ御の字とは言えますが」
「仰る通りです。街一つ素知らぬ顔で焼き払う埋葬機関には、これを機に素行を省みて頂きたいものですね」
「口を慎みなさい真祖。はぁ……遠野くん、詳しい経過は後日改めて聴取しますから、ひとまず端的に答えてください。一体誰が何をしたからこうなったんです」
「ええっと、アルトリウスが空から着弾したり、タタリを大気の爪で切り裂いたり、月を狙撃したりしたら、その余波でこうなっていました」
「全て味方による被害じゃないですか! 現場の責任を取らされるのはわたしなんですよ、まったくもう……」
「おや。代行者などとうに堕ちるところまで堕ちた人種と認識しておりましたが、違うのですね」
減らず口を咎める気力すら尽きたのか、再度重々しく嘆息するシエル先輩。ノエル先生に負けず劣らず、社会人の気苦労がありありと見える。確かにこれと比べれば、大学受験など可愛いものだろう。
とはいえ語気こそ荒いものの、今ここでアルトリウスと事を構えるつもりはないと言外に示す。今夜は事態の収束を優先するようだ。現場指揮官らしい、冷静且つ合理的な思考だった。
「容易に気を荒立てるあたり、どうやらカルシウムが足りておられないご様子。ちなみにその疲労感はヘモグロビン不足が原因でございますよ。3食×365日、カレーばかり召し上がられているからかくも栄養が偏るのです。『人はガラムマサラのみにて生くるにあらず』畢竟これぞまさしく食育の反面教師──もごっ」
「ああもう! 放っておけば際限なく煽るんだなお前は!」
「────!」
ここぞとばかりに先輩に喧嘩を売る口を無理やり掌で塞ぎ、空いた方の腕を腋の下から胴に回して持ち上げる。どうせ言っても聞かないので、無理やり引き剥がすしかない。
人間でいえば幼子だが、幼児というほど小さくはない絶妙に厄介な体格。そうでなくとも吸血鬼の力で抵抗されたら打つ手無しだが、幸い妙な対抗心を刺激されたらしく、口でのやり取りに拘って暴れるつもりは無いようだった。
小生意気な吸血鬼が、抱きかかえられた猫のように吊るされている様に多少は溜飲が下がったのか、シエル先輩は追い払うように手を振る。
「警察その他の対応はこちらで行いますから、遠野くんは早くそれを巣に戻してきてください。こうなったら隠蔽よりも、冬木市の前例を踏襲した方がかえって後腐れなく処理出来ますかね」
「……あの、先輩。多分なんですけど、月も結構とんでもないことになっていたと思います。一応、アルトリウスがどうにかしてくれたらしいですが」
「知っています。ええ、知っていますとも。今宵の異常は“誰の目にも”明らかでしたから。ところで、わたしが責任を負うべき「現場」の定義に衛星は当てはまると思いますか?」
「なるほど、哲学ですね」
「ええ、哲学です」
まあ、今後について一介の学生の身が出来ることなど何もない。最悪の場合、俺に管理監督責任が負わせられる可能性もあるが、そうなったら全身全霊で詫びを入れるしかないだろう。謝って済む次元など軽く超えている気もするが。
腰に手を当て、どこからともなく取り出した端末に取り掛かり始めたシエル先輩に別れを告げる。
「今日は──いえ、今日もありがとうございました先輩。ああやって助けられたのは、これで二度目ですね」
「はい、どういたしまして。とはいえ、次は期待しないように。いくら悪運の強い遠野くんといえども、頼れる先輩の助けがいつも間に合うとは限らないんですから。今回だって、そのおちびに不覚を取ったわたしの落ち度もありますからね。三度目の正直という言葉もあることですし」
……その使い方は、若干間違っている気がしないでもないが。
とはいえ、助けに来てくれること自体を否定しないシエル先輩はこれ以上なく頼もしい。一年前も、なんだかんだ最後まで付き合ってくれたのが先輩だった。
──と、そこで言いたかったことをもう一つ思い出す。
「それと、最後に一つだけ」
「なんでしょうか」
「ロアとの決着、シエル先輩が最後に持っていきましたけど──あの時、先輩がそうした意味を、さっき本当の意味で理解出来たような気がします」
一方的とも言える俺の言葉に、先輩は二度三度と目を瞬かせたあと、「はあ」と気の抜けたような返事をした。きっと彼女も俺と同じで、その時に自分の納得がいくかが全てだったから、改めて言及されてもそれはそれで腑に落ちないのだろう。
さて、これ以上多忙な先輩の時間を頂戴しては不味い。いい加減観念したのか大人しくなったアルトリウスを抱え直す。口を押さえていた腕を宙ぶらりんな膝裏にくぐらせて、横抱き。俗に言うお姫様抱っこだ。
「インモラルですね。そんなもの、ファイヤーマンズキャリーで十分ですよ遠野くん」
「このサイズだとこれが一番やりやすいんですよ。アルクェイドよりはずっと軽いですから、平気です」
「……そうですか。貴方がそれで良いなら任せますが。あ、でも持ち運びはくれぐれも厳重注意でお願いしますよ。それはもう、デーモン・コアを扱うつもりで」
「失敗したら俺、死ぬんですか」
「大丈夫。そうなったらわたしが遠野くんのお葬式を執り行ってあげますから」
何をもって大丈夫なのかさっぱり理解出来ない。仮にその通りになっても、たぶん秋葉が許さないだろうが。
……いくら不出来な兄とはいえ、葬儀すら挙げてもらえない程に愛想を尽かされているとは思いたくない。
そそくさと焦土化した公園を後にする。
このまま遠野邸に帰るわけにもいかないため、必然的に目的地はアルトリウスの家となるわけだが、結論から言ってしまえばこの道程は意外と穏便に終わった。
お姫様抱っこという状況それ自体が新鮮なのか、アルトリウスは暫く黙って俺の顔を眺めていたが、やがて飽きたのかコンビニに差し掛かったところで夜食を強請ってきた。
いくら都民の味方な二十四時間営業とはいえ、深夜に差し掛かった時間帯ではホットスナックの入荷など期待出来ない。幸運なことに唯一売れ残っていた半額のからあげを与えると、一口で不味いと言い出し(そりゃそうだろう)残りを次々に俺の口に放り込む。機関車の火室に石炭を焚べる気分だったのかもしれない。
そんなこんなで、腕中のカーナビに従いながら折り返し地点まで辿り着いた頃、そこまでお姫様抱っこで来た俺にひとしきり謎の感心を示してから今度はおんぶの御達し。
正直そっちの方が楽ではあるため、言われるがまま背負い直すと、呑気に静かな寝息を立て始める。
無警戒な寝顔を晒すのはアルクェイドも同じだったが、彼女の場合は活動すら覚束ないほど衰弱していたというのっぴきならない事情があった。
アルトリウスは違う。恐らく緊張感がないだけだ。寝込みを襲われた程度で誰にも遅れは取るまいという、絶対的な実力に裏付けられた自信があるのだろう。
寝落ちする直前に伝えられた住所と、スマホの地図アプリを頼りに残った距離を踏破する。公共交通機関はおろか、コンビニの一軒も見当たらない高級住宅街。その中でも一際大きな邸宅だったから、表札が無くとも見つけること自体は容易かった。
「ただ、鍵がないんだよな」
背中の家主を叩き起こせば済む話だが、寝た子を起こすのはなんとなく気が引ける。かといって、いくらなんでも魔眼で押し通るわけにもいかず。
一見した限りでは、門扉に鍵穴の類は見当たらない。恐らくカードキーか、タッチパネルの暗証番号入力で解錠するタイプ。
どことなく、遠野邸の正門を彷彿とさせる。一年前にあの屋敷へ戻った初日を思い出して、なんとはなしに呼び鈴を鳴らしてみる。カメラ上の赤いランプが数秒だけ点灯し、直後にピ、と短い電子音が響いた。
試しに通用門のノブを捻る。いとも呆気なく、扉は俺たちを迎え入れてくれた。
「まさか……同居人がいるのか?」
先輩の話では、アルトリウスは殆ど国際指名手配犯同然の扱いだった筈だ。遠野家当主たる秋葉からも強い警戒を向けられている。
こんな状況で、誰と一つ屋根の下で住むというのだろうか。てっきりアルクェイドのように、単身で渡ってきたものとばかり思っていた。
可能性があるとすれば、秋葉が一度だけ言っていた「メッセンジャー」の少女。だとしても、いくら家主を伴っているとはいえ、見ず知らずの俺を誰何もなしに招き入れるものだろうか。別に、城攻めに来たわけではないにせよ。
──城攻め。
その単語を皮切りに、嫌な連想が続く。死徒は城主が眠っている最中、眷属を護衛として配置しているという。
アルトリウスは真祖だ。死徒と同じく、血を吸った人間を下僕にする事が出来る。そして先輩曰く、真祖アルトリウスには吸血衝動がない。
思い出す。ホテルの惨劇から逃げ延びた後、アルクェイドの自宅で告げられた言葉。
(ええ。言ったでしょう。人間が何人ヴローヴの餌食になろうと、わたしには関係のない話だって)
あれが、あいつにとって絶対的な価値観だったわけではない。事実、あの後のヴローヴとの戦いでは身を挺してでも総耶を護ってくれたし、それからも俺との交わりを通じて、あいつの中で何かが変わっていったのは間違いない。
だがしかし、それはあくまでアルクェイドの話。たとえ息子で、人間の血を引いているとはいえども、アルトリウスが独自の価値観で世界と向き合っていても不思議ではない。
むしろ、出会ったばかりのアルクェイドが人命に対して無関心であったからには、それが真祖という生物において普遍的な認識と捉えるのがよほど論理的ではないか。
もしもの話。
アルトリウスが街の人間を手当たり次第に死者に変えて、下僕として使役しているのだとすれば、シエル先輩やノエル先生の苛烈なまでの警戒心も腑に落ちるが──
「もし、それが事実だとして」
ふわりと、耳元から鈴を鳴らすような声。
肩越しに俺の胸へと垂れ下がった両腕へと、俄に力が籠められる。痛みもなく、背負う重みに変化はないというのに、知らずと取り返しのつかない水際まで踏み込んでしまったかのような胸騒ぎ。
背中に密着するのは高めの体温。きっと普通の人間の幼子と同じである筈なのに、得体の知れない肌の粟立ちが拭えない。
これは、俺という人間が背負っていていい生命なのか。いや違う。これはそもそも、人間が背負えるような存在なのか?
根本的な疑問が生じる──何故、俺はこの重みに、未だ潰されていない……?
「お父様は、私と同じ世界を歩いてくださいますか?」
「──ああ。もう一度、お前に一発入れてからな」
「冗談でございます。流石にお母様に殺されてしまいますから」
ふ、と吸血鬼は笑う。どうやら満足のいく答えだったらしい。
最初こそ孤高の印象だったが、意外とこいつは他人の反応を気にするタイプのようだ。とはいえ、誰からでもお構いなしにというわけでもないのだろうが。
「他者の血を吸い、眷属と成す。それはつまるところ、種としての繁栄でもあります」
「アルクェイドも近い事を言ってたな。じゃあ何か。抑えきれない本能ってやつか」
「むしろその逆ですね。見境なく手当たり次第に、というのは三流の仕草。人間とて、節操なしは軽蔑の対象でございましょう」
潔白を主張しているようだが……それはすなわち、見初めた相手であればその限りではない、とも捉えられないか。
相槌を打つ気にはなれず、代わりに背中の子を背負い直して、本邸らしき建物の玄関に向かう。遊歩道まで侵食している見たこともない白い花に、うっかり躓かないよう気をつけながら。
青白い月光に照らされて咲き乱れる様は、古今東西で語られる理想郷のように華やかだ。確かに何時ぞや見た、死徒の悍ましい「食堂」とは似ても似つかない絶景。
無論、死者の姿など庭園の何処にも見当たらない。となると、同居人はあくまで協力者だろうか。ちょうど、アルクェイドにとっての俺みたいな。
遠野の屋敷と比べれば、流石に正門から玄関までは遠くない。すっかり感覚も麻痺したものだなと、苦笑しながら取っ手に指を滑らした瞬間、内側から盛大に扉が開かれた。
「あ──」
半ば飛びつかんばかりの勢いで、上体を乗り出す少女。
茶髪のツインテールに、総耶高校の制服。赤いリボンは二年生のものだが──目を丸くした顔は、一年前までクラスメイト
一年間、探し続けた姿ほぼそのまま。唯一記憶と違うのが、朱い、吸血鬼の色に染まった双眸だった。
「そっか。だからずっと見つからなかったんだ。弓塚さん」
「……うん。えっと、久し振り。遠野くん」
それは後ろめたさか。弓塚は両手を胸の前で組み、目を落として黙ってしまった。
気まずく視線を彷徨わせる。そこで初めて、出迎えてくれた住人が彼女一人でないことに気が付いた。
弓塚の肩越しに、紫の髪を流した外国人の少女──錬金術師シオンが所在無さげにこちらへ目を向けている。所々に負傷の跡が見えるものの、大事には至らなかったらしい。
そして、さらに斜め後ろには、どこか冷めた雰囲気の少女がポケットに両腕を入れて立っていた。知り合いと呼べる程の関係性ではないが、名前は聞いている。斎木みおといったか。
「君たちは……どうしてここに」
「あ……」
「さつきがうっかりその人を殺しかけていたので、まとめて殴ってここに連れて来ました。負かした女の子を子飼いにするなんて、父親譲りの軽薄さですね」
さっきまで殺し合っていた事もあり、戸惑うようなシオンを遮る形でみおが答える。相変わらず、言葉選びに容赦がない。
「喧嘩慣れしていないと加減が分からないのでしょう。生け捕りにする相手に止めを刺してどうするのです、さつき」
「うぅ……」
冷ややかな視線は俺のみならず、アルトリウスにも向いている筈だが。半ば寝惚けたアルトリウスは我関せずといった具合に、俺の腕を揺すって急かす。
「居間に連れて行って下さいませ。お父様の背も悪くありませんが、もっと上質な枕がございますから」
◆
それから十五分ほど経った頃。リビングには、この邸宅の全ての住人が集まっていた。
驚いた事に、この瞬間までアルトリウスを除く全員が全員の素性を、正確には把握していなかったらしい。
──もっとも、この顔合わせを経てもそれが変わらないであろう事は、ものの数分足らずで明らかだったが。
ローテーブルを挟んで据えられた革張りのソファに、向かい合わせで腰掛けた。まず誰がどの位置を選んだか、という時点でそれぞれの間柄が垣間見える。
俺が片方のソファの端に座る。その反対には、弓塚とみおが肩を並べていた。一番遠い端がみおだ。この二人はそれなりに付き合いがあるらしい。
彼女達の真正面。すなわち俺から見て対角線を選んだのがシオン。やはりというか生真面目な性分らしく、開口一番、己の出自や目的を改めて丁寧に説明した。
そんな彼女の誠実さの賜物か、一騒動あったらしき弓塚も順調に言葉を重ねていく。合間に、みおが口を挟むといったところか。
そう、概ねこの三人と俺で話が進んでいく。そして、彼女達から物理的な距離が開けられているのは、俺自身というより、俺の近くにいる人物への警戒だろう。
「…………」
まず、俺の隣に寄り添うように座る幼女。
背丈はアルトリウスと殆ど変わらない。アルクェイドを彷彿とさせる赤い瞳に、この国ではまずあり得ない青い髪。尖った耳は、ただの人間ではないことを示している。秋葉から聞いたメッセンジャーの特徴と完全に一致していた。
レン、とひと言だけ名乗ったその少女は、何が楽しいのか、ひたすら無言で俺を見上げ続けている。本当に、まるで一切言葉を発しない。
アルトリウスの使い魔で、人の夢を操る能力を持つ夢魔である……というのは、弓塚から聞いた話である。レンはそれに、こくんと一つ頷いたのみだった。
一応、俺や弓塚達の話にも反応自体は返すのだが、如何せん喋らない以上は文字通り会話にならない。
──そして困った事に、会話に交ざらず、俺の顔をひたすら眺めているのはレンだけではなかった。
「…………」
俺の向かい。テーブルを挟んで正面に腰掛けるのは、華やかなドレスに身を包み、長く艷やかな金髪を靡かせた美女。アルクェイドと瓜二つな、アーキタイプ:アースと名乗る女性。
彼女も彼女で、名乗りだけ済ますと無言で俺を観察している。正直、こちらとしては聞きたいことがあるのだが、アースの傍らに立て掛けられた、この世のものとは思えない程に豪奢な長剣がそれを躊躇わせる。
俺が水を向けようとするたび、アースの瞳が鋭くなり、そのたおやかな指が剣へと伸びかける。アルクェイドは吸血鬼の処刑人だと聞いていたが。まさかあの剣で、いざとなれば俺の頸を刎ねる魂胆だろうか。
アースとアルクェイドの関係については何も知らない。ただ、吸血鬼の世界に明るいであろうシオンとみおが、揃っていの一番に彼女から最大限の距離を取ったあたり、間違いなく恐るべき存在なのだろう。
よく気にしてみると、意外にも彼女の関心がシオンに向かう瞬間が度々あったが、シオンの側に向き合う気が起こらないらしい。少なくとも、現時点では。
そして、そんなアースに対抗し得る、恐らくこの場で唯一の存在であるアルトリウスはというと──彼女の膝を枕にのんびりと夢の中だった。
家主の特権と言わんばかりに、ソファに両足を投げ出して、金髪をアースに梳かれながら心地良く眠りこけている。ホストとして顔合わせを主導する気は一切無いらしい。
なんならそんな家主の眠りを妨げないよう配慮する体で、シオンが限界までソファの端に寄ってしまったので、殆どあちらとこちらで分断されてしまっている。ああ、シオンが警戒を向けるのはアースのみならず、アルトリウスについても同じか。
つまるところ、レンとアースの無言の視線に晒されながら、どうにかこうにか弓塚とシオン、そしてみおの会話に食らいついているのが俺の現状となる。
話はシオンの自己紹介に始まり、さつきの苦労話に続いて今後の方針へと。みおは自分について一切話すことなく、俺は俺でシエル先輩から貰った情報を流すだけだが、少なくともそれぞれの置かれた状況は理解出来た。
──唯一、アルトルージュについては伏せておく。シエル先輩から聞いた通り、彼女が二十七祖で、アルクェイドやアルトリウスと同格たる真祖の王族だとするならば……あまりに材料が足りていない。
幸い、最大の目標であるタタリの討伐については、全員が前提となる情報を持っていた。もっとも主力となるのはアルトリウスやシエル先輩であるから、今宵の主題はあくまで各々の身の振り方となる。
「蟻は蟻同士、せいぜい象に踏まれないよう気をつけることですね」
「それを言ったら、路上暮らしのみおちゃんが一番危なそうだけど……あれ、ひょっとして、あなたもこのお家に住むの?」
「そのつもりですが、何か。二人も運ばせておきながら、用が済んだら追い出すとか鬼畜ですよね。それとも、あたしは趣味に合いませんか」
「いいえ、好きに使って頂いて構いません。部屋なら二階に用意があります。貧弱なお父様は一階にいたしましょう」
「俺もか。いや、屋敷だと自室は二階なんだが」
いつの間にか目を覚ましていたアルトリウスが、あっさりとみおの居留を承諾する。ついでに俺まで住人として決定されてしまった。
「では、階段から落ちかけた事がこれまでにもあったのでは」
「いや……そんなこと、は……」
ない、と言い切れないのが不甲斐ない。
アルトリウスは満足そうに頷き、そのまま寝酒でも決め込むのか卓上の洋酒のボトルに指を伸ばして……すかさずアースに手を叩き落とされた。
諦めたのか、寝返りを打ってこちらに背を向ける。膝枕でその向きは少々不味いような気もするがいいのだろうか。
「あたし、疲れたので寝ます」
ひょいと、ソファから立ち上がるみお。あたかもネコ科の動物の如き、軽快な身のこなしだった。
それがお開きの合図。さっさと廊下に消えていく少々の後に続いて、弓塚とシオンも腰を上げ……ふと、思い出したように弓塚がこちらに向き直る。
「そうだ。この家に泊まるなら、遠野くんにはこれを渡さないと。わたしが作った、つまらない見取り図だけど」
「ああ、ありがとう。でも、地図が必要なのかこの家は? 一応、屋敷はもっと広いんだけど」
「えーと……遠野のお屋敷がどうかは知らないけど、ここって色々危険なものがあるから。あと、見つけちゃったら良くないものも」
「……それは、その。罠とか?」
「うん。あと私設刑務所とか」
「なんだそれ!?」
「し、知らないよぉ! わたしが作ったんじゃないもん!」
確かにアルトリウス本人に聞かなければ仕方ない。しかし、これまで生きてきて初めて聞いたぞ、そんなワード。俺の常識が正しければ、日本は法治国家の筈だが。
慌ただしく遠ざかる足音を見送りながら、弓塚から受け取った四つ折りを広げる。保管所、作業場、廃棄孔──色々と不穏なものを想起させる単語をなるべく避けていると、ふとあることに気付いた。
「アルトリウスの部屋が、ない……?」
見取り図には、肝心の家主の私室が見当たらない。弓塚にはちゃんと一部屋与えられている上に、まだまだ空きが幾つも残っているにも関わらず、である。
リビングを使っている可能性も無くはないが、俺の感覚では合点がいかない。少し考えていると、不意に後ろから袖を引っ張られた。
振り返る。アルトリウスを片腕に抱いた美女──アーキタイプ:アースが目の前に立っている。見た目の細腕からは想像もつかない力。
「えっと……」
「気になりますか? 此処は仮にも吸血鬼の城。であれば、城主は最奥の玉座に在るものでしょう」
ひらり、とアースは金の長髪を翻し、弓塚達が消えた方とは別の扉に向かって歩き始める。
「知りたいのならついてきなさい。貴方には、特別に入城を許しましょう。……なにやら嫌な者の匂いがしますが、彼女に免じて目を瞑りましょう」
「あ、ああ」
立ち振舞いこそお淑やかだが、こちらを振り回す事に躊躇いがない様にあいつの面影を感じる。
ドレスから垂れる長く青いリボンを踏まないよう、細心の注意を払いつつ、見覚えのあるようなそうでないような背中の後に続いた。