一夜明けて
来客といったところで、この城の門扉を叩いたわけでもないだろう。そもそもそんなものが存在するのかさえ定かではない。
このフロアだけでも、誇張ではなく耶高が丸ごと収まりそうだ。おまけに、城を山に例えるならまだ中腹辺りにも関わらず、眺望は都内で最高高度を謳う展望台をも遥かに凌駕する。
言うまでもなく、エレベーターやドアホンなどという気の利いたものはない。例えあったところで、ここから階段を使って降りても余裕で日を跨ぐ。それも決して寄り道せず、一度も迷うことなく最短距離を突き進んだ前提で。ここに見取り図を作ってくれる親切な弓塚はいないので、まず間違いなく遭難するだろう。
「そうではなく、家の方ですよ。この城の中にいようが、敷地内で生じた出来事は余さず把握しております」
「マジか。どれだけ察しがいいんだ」
敷地内がどうこうではなく、俺の思考を完璧なタイミングと精度で読み取ったことについての感想である。真祖ともなれば、頭の中を暴くなど当たり前に備わっている機能なのかもしれない。なにしろ、アルクェイドだって同じような読みをやってのけた。
あれはそう、あいつを路地裏に連れて行き、ドレスに着替えさせて撮影を──駄目だ、思い出すな。あんなものまで息子に見られたら流石に生きていけない。
「こちらです、お父様」
「ああ」
この城から自力で出られない以上、彼についていくしかない。が、歩幅に差がありすぎて少々焦れったい。都古ちゃんと出かけた時はこんな感じではなかったが……恐らく無限に続く廊下の只中にあって、先が見通せないこと自体が精神に負荷となるのだろう。
一歩前を行く、俺の下腹程しかない吸血鬼を見下ろす。
やや小走りなせいか、上下に揺れる帽子はどことなくコミカルだ。肩回りの装飾と、ドレスのような裾がひらひらと踊る。黒で統一された色彩は、白磁の肌や足元まで伸ばした金髪と相乗して幻想的なコントラストを演出している。舞うように戦う様は鳥のようだったが、こうして見ると蝶のようでもある。今は背中を向けているが、端正な目鼻立ちはアルクェイドの血を感じさせる。
うん、やっぱり滅茶苦茶可愛い。街を歩けば誰もが振り返るだろう。これは断じて親馬鹿ではない。そのつもりがなくとも他人の目を惹きつけるという点も母親譲りか。正直なところ、あの戦車も小指で転がすような強さが無ければ街にすら出したくない。
改めて見ると、外套には派手ではないものの随所に意匠が凝らされているようだ。ゴシック調というか、いかに文化の発信地である都内でもまずお目にかかることはない。これもアルクェイドのセンスだろうか。一見しただけで上質と分かる布地も、そもそも人間の手で生み出せる代物ではないのだろう。
真っ白なあいつと並べたら、さぞかし見栄えのいい対比になりそうだ。なんなら最初からそういうコンセプトで誂えたのかもしれない。つらつらと思いを馳せていると、不意打ちじみた出っ張りに足を取られた。
「っぶな……!」
塵一つなく磨き上げられた廊下にそんなものは無かった筈だ。反射的に目を落とす。その正体は、邸宅の玄関の敷居。
伏せた顔を上げてみれば、俺たちはたたきのど真ん中に立っている。一瞬たりとも目を離さなかったというのに、それこそ瞬きの間もなく現実世界へと帰還していた。まさしく狐につつまれたような。
「おお……」
今しがた俺が体験したことをまとめれば、異界へ迷いこむ類の怪談の典型になろう。ウサギの穴に落っこちるでもなく、あちらの気紛れで夢から醒めるように現実へと引き戻されるわけだ。なるほど、真相が精霊の悪戯というのも実感出来る。アルトリウスがその一種であるということも含めて。
「これが神隠しか。確かに神様じみているな。精霊ってやつは」
「怠惰で欲しがりなのですよ。程度の差こそあれ概して己の結界に籠ってばかりの世間知らずだというのに、気に入った相手には構ってもらいたがる。とはいえ軽く見られるのは我慢ならないので、あの手この手でひけらかしたがるのです」
……それは、間接的にアースのことを咎めているのだろうか。彼女の場合は見栄というより、不器用から来る空回りのように思えたが。
他方で卑屈なわけでも、逆に大きく見せようとしているわけでもない。彼女としてはただ純粋に、自分の城を披露したかったのではないか。そう考えると、なんか図体の大きい猫みたいなやつだった。
「とりあえず、家に戻ってきたと。扉を開けばまた城の廊下ってわけじゃないんだろうな。そもそもどうしてここと繋がっている」
「この動線なら、自然に靴の履き替えが為されるでしょう。もっとも私の場合、靴など必要に応じて一から作るだけですが」
「なるほど。ちゃんと考えられているわけか」
「さらに付け加えるならば、正門を破ってここまで押しかける輩へのブービートラップとしての機能もございますね。例えばあの三下のような」
アルトリウスは踵を返す。ここは土間なので、来客とやらは扉を挟んだ向こうにいるわけだ。
耳をそばだてる。外は勿論の事、家の内からも動く気配は感じられない。真っ当な人物ならまず門の通用口にある呼び鈴を鳴らすので、誰にも悟られないままこの本邸まで辿り着いた時点で不法侵入者であることは確定している。
にもかかわらず、アルトリウスはなんら警戒することもなくとことこ扉に向かっていく。
そんなところまであいつに似なくても良いものを。素性の知れぬ来訪者は疑うべきだ。そう悔やんだ時には、既に手遅れかもしれないのに。
「心配なさらずとも」
振り返りもせず、アルトリウスは俺の独白に答える。
チェーンを外し、まるで瓶の蓋を開けるような手際で鍵のつまみを捻った。一切躊躇うことなくドアノブを引く。
「──死を視る眼の持ち主など、お父様ぐらいでしょうに」
僅かに開いた隙間。ぎりぎり腕を差し込められる程度の狭所。
俺は経験として知っている。ここで肘まで捻じ込んで体重を乗せれば、鉄扉はもはや盾の役割を果たせない。すなわち、この時点で押し入りにはほぼ成功している。
「せやっ!」
そんな俺の見立てを証明するように。
まるでいつかの再現の如く、乗り出した影がぬるりと蛇のように滑り込んできて
──翻ったその爪先が虚しく空を切った。
「御機嫌よう。ところで奇襲に掛け声は不要ですよ」
「な──!」
……勢いを殺すこともままならず、あえなく掴みかかる腕を逆に捕らえられた。すかさず軸足を払われ、受け身すら取らせない形で派手に靴箱へ投げ飛ばされる。
無慈悲に頭から突っ込み、尻を掲げる先生。その屈辱に塗れた姿より先に、回転の軸とされた左肩の靭帯を気遣う。正直、見ているだけで痛い。
「大丈夫ですか、ノエル先生」
「 」
返事がない。ただの しかばねのようだ。
それにしても、扉を開けた一瞬の隙を突くならそれこそ黒鍵の出番だろうに。インファイトの間合いではあるが、まさか徒手空拳で真祖に挑むとは。
いくら吸血鬼嫌いだといっても、流石に気持ちが前に出過ぎている。呆気に取られていると、地べたに伏せる先生の無事な方の手中に、なにやら得体の知れぬ物体を見つけた。
中途半端に開いた扉から射し込む朝陽に照らされて、黒光りする輪っか。黒曜石を想起させる材質に、幾何学的な紅い紋様が奔っている。以前、有彦と立ち寄った百貨店で見かけた、超合金で出来た知恵の輪にもどこか似ていた。
女性としては大柄な方とはいえ、ノエル先生が片手で握りしめられる程度の大きさ。それにまるで見合わない、あたかも重機関銃の如き圧を放っている。ある種の畏怖すら抱かせる重厚さを前に、半ば反射的にその用途について思考を巡らせる。
環状であるからには、空洞に何かを通すのだろう。妙齢の女性の手首にしてはやや大きすぎる。かといって、俺が両手で作る輪よりはだいぶ小さい。なにか他に具合よく収まる太さのものがある筈だ。例えば──そう、今も視界の隅で滝のような金髪の隙間から覗く、アルトリウスの白い首筋とか。
「先生、それ──」
「いつまでケツ振ってんだ無能。後がつかえてんだよ間抜け」
追及は間に合わなかった。
ドスを利かせた少年のソプラノが、懐かしい剣幕で俺の声を上書きする。
「おら、どけ雌豚」
「ひぃん!?」
一切手加減無しの前蹴りが飛ぶ。
哀れな代行者が上がり框を超えて奥まで吹き飛ぶ寸前、腕を解放してやったのはアルトリウスによる雀の涙ばかりの情けだろうか。
逆に言えば、真祖よりも身内に容赦がないのがこの少年だった。断片的に拾える情報から推察するに、この街における代行者の元締めである。
「マーリオゥ」
「よお色男。早速だが姫君の味について聞かせてくれよ。あれだけロハで忠告くれてやったってのに、行き着くとこまで行きやがって。おかげで目録の一面に載ったよ。おめでとさん」
「目録……?」
「ああ。ウチが公式に記録している重要広範案件の一覧でね。真祖の姫君を手籠めにした挙句ガキまで産ませたトオノシキの名前は、教会が存続する限り永久に世に残り続けるわけだ。世が世なら聖人の仲間入りだったぞ。ちょうどそこの牝犬みてぇにな」
少年が親指で背後を示す。
彼に続いて敷居を跨いだのはシエル先輩。このご時世では大問題のパワハラ(セクハラか?)もまるで意に介さず澄まし顔だ。
感情の読めない瞳でただ一点、アルトリウスだけを見据えている。蹴り飛ばされた先、玄関奥の廊下にへばりついている弟子は気付かなかったことにしたらしい。
「おはようございます遠野くん。そして真祖の幼体」
「おや、デリバリーなど頼んだ憶えはございませんが」
「おはようございます、シエル先輩。昨晩ぶりですね。お疲れ様です」
「ええ、本当に……」
それにしても、先輩の荷物が凄い。昨晩の厳つい戦闘服はそのままに、背中に大きなバックパックを背負い、片方の手でこれまた大きなキャリーケースを引き、おまけに反対の腕で激しく暴れる縦長の黒い袋を抱えている。
初めて見るはずなのに、何故か心当たりがある。サスペンスな創作でたびたび見かける……そう、いわゆる死体袋とかいう奴ではなかったか。
いや、懸命に藻掻いている時点で今のところ生きてはいるが。中身が人間だとして、優に190cmは超える体格だろうに、微塵も拘束が緩む気配のない先輩の腕力が恐ろしい。
「失礼。ゴリラであらせましたか。遺感ながらシエルと見間違えておりました」
「そうやってすぐ煽らない……。えっと、大丈夫ですか先輩。凄い量ですけど」
「へっちゃらです。それにこれは、今ここでアルトリウスに渡すものですから、ねっ」
ぽいっと、あたかも飲み干したペットボトルをゴミ箱に放るような動作で死体袋(仮)をアルトリウスに投げる先輩。
吸血鬼は難なくそれを受け止めたものの、体格の差は如何ともし難く、頭を式台へ盛大に打ちつける音とくぐもった呻き声が響いた。
「手土産のつもりですか? マリオネッタ」
「そう言うなよ王子様。そんなザマでもれっきとしたサラブレッドだ。そんで血統に胡座かいて小賢しい稼ぎに励んだ挙句、死徒にいいように使い捨てられたマヌケ。オレに泳がされてるとも知らずにな。どんだけ墓の手前で生きてきたんだか」
マーリオゥの舌打ちを受けて、死体袋が慄くように丸くなる。ようは膿を出し切ったというわけだ。シエル先輩すら一瞥もくれないあたり、情状酌量の余地もないのだろう。
黒い袋に顔を近づけ、鼻で嗤うアルトリウス。品評にも値しないと冷ややかな目を落とす。
そのまま手を離し、床に落ちる寸前のそれを軽く靴の側面で叩く。電車に激突したような勢いでノエル先生を飛び越し、何度もバウンドしながら暗い廊下の彼方へ消え去った。
「邪魔するぜ。つっても少し居間を借りるだけだ。アンタの時間は取らねぇよ」
言うだけ言って、家主の承諾を得ないままマーリオゥはさっさと靴を脱いで土間に上がる。そのまま倒れるノエル先生を跨ぎ、迷いのない足取りでリビングへと足を向けた。ここに来るのが初めてというわけでもないらしい。
とはいえ、いかに勝手知ったる家だとしても……そしていくら吸血鬼が相手だとしても、これは流石に無作法だろう。しかし意外にも、アルトリウスからこれといった反応はない。熱心にシエル先輩だけを見つめていて、少年への興味は欠片も存在しないようだ。
そして当の先輩はというと、呆れと諦めの混ざったような表情でさっさと遠ざかる背中を見送るのみ。
なるほど。流石というべきか、どうやらマーリオゥはアルトリウスの扱い方をそれなりに熟知しているらしい。
常に自分のペースを貫き、相手にする素振りを見せないこと。そうすれば、本質において合理的な真祖は対話という選択肢の優先度を下げる──すなわち力尽くで従わせるか、あるいは関心そのものを失う。
もしも前者を踏んでしまえば大事故となるが、それを躱すにあたってのリスク管理と見極めに長けている。これについてはアルクェイドへの説得の折にも感じていたことだ。
そして駄目押しとばかりにシエル先輩を同伴したのがまた巧い。己の欲求に素直な幼子が、お気に入りの玩具に飛びつかないわけがないからだ。
厄介な真祖の相手を全てシエル先輩に押し付け、その隙に自分の用件だけを済ます手筈でいる。実に手慣れた立ち回りだが、撒き餌にされたシエル先輩が些か不憫でもある。
「いいんですよ遠野くん。この真祖は元々わたしの専属案件ですから」
「ならいいんですが。というか、やっぱり思考が読めるんですね」
「違います。遠野くんが分かりやすいんです」
これ見よがしな溜め息を溢しつつ靴を脱ぎ、大荷物を抱えて自身もリビングへと向かう先輩。
のそのそと起き上がったノエル先生とすれ違いがてら、肩越しに指示を飛ばす。
「代行者ノエル、貴方は真祖の見張りをなさい」
「はっ……えぇ! 私が!? ど、どうしてよシエルっ……!」
「貴方しか手が空いていないからに決まってるでしょう。今からわたしと司祭代行、秋葉さんと遠野くんで膝を交えるんですから。これは司祭代行とも合意済みの方針です」
「あ、秋葉って……?」
とんでもない不意打ちに頭が真っ白になっていると、下から袖を引かれる。
アルトリウスに促されるまま玄関に目を向ければ、我らがご当主様が腕を組んで仁王立ちしていた。目が合うと、形の良い切れ長の瞼がすっと細くなる。
「おはようございます、兄さん」
「お、おはよう秋葉。その、昨日帰れなかったのには理由があってな……」
「言わずとも結構。後でじっくりと伺いますので。それともう一つ、兄さんは暫く当家に帰ることを許しません。これは遠野家当主としての決定です」
「なんだって?」
「質問も許可しません。教科書等々は、先日学校からこちらへ直行したのでお持ちですね。なら、あえて届けるものもないでしょう」
本当、最低限しか物を持たないんですから。そう呟きながら、秋葉はいつの間にか奥へと消えていた先輩の後に続いていく。
俺はというと、あまりの衝撃に言葉が出ない。昨日までと言っていることが180度違う。俺を一刻でも早く遠野邸まで直帰させるというのは、秋葉にとって信念にも等しい筈なのに。
まさかこれ、勘当なのだろうか。あろうことか人生二度目の、それも同じ遠野本家から親子二代かけて。
「よかったですね、お父様。これで大手を振ってこの家に留まれますよ」
「本当にいいことなのか、それは」
「当然でございましょう。ここなら20時などという一周回って不健全な門限もなし。深夜であろうと出入り自由。もちろん通信機器の使用禁止などという時代錯誤な家訓もございません。というより家訓自体が存在しません」
「ふむ」
なるほど。拘束時間の解除という一点だけでも、俺にしてみれば大幅に自由度が上がる。
いや、何もこの受験期に夜の街を遊び歩くつもりはないが。ただ再びこの街が吸血鬼事件に見舞われた以上、どうしても行動の軸は夜間になるだろう。
今思えば、秋葉は特に門限を厳しく設けることで、俺をロアから保護しようとしてくれていたのだろうが、一年前にしろ今回にしろ、ただ自分より強い誰かに守られるだけの立場に甘んじるつもりはない。
「それに私ならお小遣いも出し惜しみしませんよ。毎晩お休みの際に私の体にスマホと財布を置いて頂ければ、朝起きた時にはどちらも満充電されております」
「なんかそういう妖怪みたいだな。じゃあ何か、お前と物理的にコネクトすれば財布の中が札束で限界まで一杯になるってわけか」
「加えて五百円玉と各種クーポン、IC乗車カードの残高、それからキャッシュカードに紐付けられた口座の預金残高もですね」
「怖いな!」
どうやら最新の真祖は電子戦にも適応しているらしい。
「クレジットカードも上限額などという無粋なものは取り払いましょう。私が所持している黒いのと同じものを差し上げますよ」
「いらんいらん。なにが悲しくてこの歳で息子のヒモにならなきゃいけないんだ。いやどの歳でも論外だけど」
「私は別に、お父様が私からお金を貰って生きていても嫌いにはなりませんよ? きっとお母様も同じな筈です」
「違う。俺が死にたくなるんだ」
社会的身分を失った弓塚、恐らく正規の入国手続きを踏んでいないシオン、家出暮らし真っ最中のみお、ほとんど口を利かないレン、剣の妖精アースという路地裏同盟の面子を踏まえると、現状アルトリウスしか稼ぎ頭がいない以上こういう発想に至るのも仕方ないのかもしれないが。
とはいえ絵面が酷いなんてもんじゃない。家名の面汚しとして秋葉に首を飛ばされても文句言えない。むしろそうして欲しいまである。
「人間とは、より少ない労力で大きな糧を得ることを是とする生物なのでは?」
「あながち間違いじゃないかもしれないが、もっとミクロな視点が欲しいな」
このままいけば、こいつは人間をどこまでも堕落させる悪魔になりかねない。
そういえば、当時はそれどころじゃなかったので気にも留めなかったが、アルクェイドにしても初対面の俺を高級ホテルに連れ込んだり、薬の買い出しに数万円を渡したりと大盤振る舞いだった。
どちらにしても見栄を張ってるわけではなく、単純に真祖という存在にとって人間の財などその程度の扱いなのだろう。価値を知らないのではなく、最初から全てを持っているので惜しむという感覚を持たないのだ。
規模こそ違えど、同じく資産家の秋葉とはその辺りの感覚が真逆である。それこそ金銭のみならず、時間感覚にしても。
「そういえばアルトリウス。お前、どうして遠野家の門限なんか知ってるんだ」
「お父様の血を辿って記憶そのものを読み解いたからですが。何か問題でも?」
「記憶って、まさか俺の? おい、一体どこまで……」
知っているんだ、とまで言い切れない。あまりに恐ろしかった。なにしろ知られたくないものの心当たりは決して少なくない。
言葉に詰まった俺の姿に何かを察したのか、またもや袖を引くアルトリウス。促されるまま中腰に屈むと、俺の耳へ口元を寄せて、ぽそぽそ声でひとつ呟く。
「”さあ、ここが都会の社交会場だよ”」
「うぉ────ッ!」
「まぁ、やってあげる方もいかがなものかと思いますが」
慌てて立ち上がりアルトリウスを引き離す。自由にしておくことすら怖くて、脇腹を掴んで持ち上げる。
反射的にそうしてしまったが、昨日の帰り道が嘘のように軽い。というか物理的な重さが殆どない。そんなところまで自在に調整出来るらしい。
「──おいトオノ! 日本人の癖に靴を脱ぐのにいつまでかけてんだ。ガキはノエルに面倒見させてさっさと来いよ」
「俺……!?」
「そうです!遠野くんがいないと話が進みませんから」
ちょうどタイミング良く、リビングの方からお呼びの声がかかる。
再三アルトリウスを除外しているあたり、あまり聞かせたくはない話なのだろう。
「どうぞ私のことならお気になさらず。出来ればシエルを酔い潰しておいて頂けると助かります」
「無茶いうな。先輩が仕事中に飲むわけないだろ」
一応は家主なこともあり、ここで粘られると厄介だったが、意外にも吸血鬼は素直に引き下がった。
それよりも玩具と遊ぶつもりか。土間に上がり、シエル先輩からその役割を引き継いだらしきノエル先生に渡す。どうやら先輩とマーリオゥの駆け引きにおいて蚊帳の外だったようで、まだ現状を理解しきれていない顔のまま受け取って貰えた。
「じゃあ、そいつを頼みます先生」
「え……? ちょ、嘘よね志貴クン!? キミまでお姉さんを見捨てるつもり……? 私、幼気な女の子よね……!?」
「アルトリウスも、先生に酷いことしちゃ駄目だぞ」
「相手次第にて。では、早く運んで下さいませ。代行者シエル改め2号様」
「誰があいつの2号よくたばれ! エルしか合ってないじゃない!」
先のダメージを感じさせず、しっかりとした足取りの先生はやはり代行者だ。吸血鬼の根城だからか、警戒を怠らずブーツを脱がないのもらしいといえばらしい。
そうやって拒絶すればするほど思う壺だと知らないあたり、高校生未満を指導した経験はないのだろう。
◆
「──まあ一言でまとめるなら、相関図をシンプルに整理しようってワケだ。昨晩みてぇに各々好き放題やられるとウチが困る」
「特にわたしたち現場担当者がですね。では、もう一度整理しましょうか遠野くん」
「はい、先輩」
対面に陣取り机に足を乗せるマーリオゥの総括を、その横に座るシエル先輩がどこか草臥れた声音で締めた。
俺からは特に何も言うことはない。隣の秋葉も同様らしく、一度も口を開かないまま聞き役に徹している。
朝一番に押しかけたにしては、教会が持ちこんだ話はとりたてて変わり映えのないものだった。
シエル先輩から予め貰っていた情報も加味すれば、殆ど焼き直しといっても差し支えない。こちらもこちらで、新しく報告すべき事柄もなかった。
大筋はマーリオゥがまとめた通り、関係の整理。ようは細々とした勢力をまとめて、協力し合おうというだけのことだ。ただし、それが通用するのはこちらの陣営だけらしい。大まかに以下の四つに区分される。
①教会A(マーリオゥ一行)
②教会B(シエル、ノエル)
③遠野家(秋葉、志貴)
④アルトリウス・ブリュンスタッド及びその一派(含むシオン・エルトナム・アトラシア)
「このうち、最大勢力はアルトリウスの一派という認識でいいんですよね」
路地裏同盟、という弓塚の命名はもちろん伏せておく。
「戦力という意味ではそうなりますね。フルスペックの真祖の力があまりにも大きい。いかに未熟といえども、彼単体で他勢力を凌駕しますから。加えて、僅か一年足らずで死徒として転化を遂げた天才と、アトラス院の元次期院長まで傘下に加えている」
「傘下……あまり上下関係には見えませんけど」
「実態として評価するならそうなるんだよ。事実、ここは立派な吸血鬼の城だろうが。死徒の巣について、姫様から何か聞いちゃいねぇか」
吸血鬼の城。アルクェイド曰く、配下の死徒に棺を守らせて、城主は最奥で眠るのだったか。
その状態の死徒の不意を突くのは困難を極めるとも言っていた。
「弓塚やシオンが、アルトリウスの護衛役だと」
「本当のところはさておき、オレたちは立場上そう解釈するしかない。連中は血統こそ繋がっちゃいないものの、群れてる点では同じだ」
「けど、血を吸って屍者を増やしてるわけじゃないだろ」
「ああ。だがこれは街に与えた被害の話じゃねえ。純粋な戦力換算だ。つまり粒揃いと言えるな」
「シエル先輩から見ても、そうなのか」
「わたしの見立てでは、城主たるアルトリウスの脅威度は並みのⅸ階梯を遥かに凌ぎます。加えて、いま司祭代行が言及された死徒……完全に”成って”しまえば最低限、下級死徒のポテンシャルは担保される。攻略難易度でいえば、上の中といったところでしょうか。手強い部類に入るでしょう」
「あくまで埋葬機関の尺度でだ。コイツの場合、ⅳ階梯以下はいてもいなくても大差ない。おまけにこの家、真祖と半端モンの死徒二体だけってことはないよな? しかもそいつらは死徒でもない。ま、そこんところはこれからコイツに調べさせる」
みおやレン、それにアースのことだろう。シエル先輩がどう調査を進めるつもりなのかは知らないが。
「なるほど。いずれにしても、他の吸血鬼を狩ってる最中にアルトリウスの相手までしていられないと。その……アトラス院、だったか? 例の指名手配はどうなる」
「んなもん無視だ無視。祖を
ここにはいない誰かに向けるように、マーリオゥは顔を顰める。
なにはともあれ、シオンも一旦は窮地を免れたわけだ。もっともそれは決して良いことばかりではない。いま少年が吐き捨てた通り、あまりにも事態に余裕がない故の措置である。
祖が三体。既に対峙したタタリと、先日名乗りを挙げたアルトルージュ。そしてもう一人──この劇の舞台を創り上げた、元凶とも呼べる死徒。
「阿良句博士は行方知らずなんだよな、秋葉」
「……はい。先日、兄さんの採血を行なったのが最新の目撃情報です。それも私に断りなく。それから、アレに二度と博士はつけなくて結構」
「秋葉さん。貴方が最後に彼女と顔を合わせたのは、十カ月も前ということでしたね」
「ええ。しばし海外のプロジェクトに専念するとのことでしたし、その日を境に姿を現さなくなったので、そうなされていたのかと」
「先輩、十カ月前というと」
「はい。観測上、タタリがこの街へ針路を定めた時期と完全に一致します。因果関係は明らかかと」
今日聞いた話の中で、唯一新しく得られた事実がこれだ。先輩曰く、槙久の代……あるいはそれ以前から総耶に巣食っていた可能性が極めて高いという。
総耶高校の地下に築かれたロアの城は、奴の活動期間に明らかに見合わない規模だったという。同様の理由で、ヴローヴが手掛けたものでもない。せいぜい後から占拠したぐらいだろう。
なにしろ都内の地下を掘り抜いた巨大地下祭壇である。そんなものを秘密裏に用立てられる人脈と時間的猶予の持ち主となると、土地の管理者である秋葉であっても思い当たる人物は一人しかなかった。
阿良句寧子──自称、阿良句博士。どこに出しても恥ずかしい怪人物だったが、よりにもよって死徒の頂点たる祖の一角だとは。
一応、今のところは容疑者止まりだが。しかしこれまでの不審な行動に加えて、このタイミングで姿をくらませた時点でほぼクロだと言える。
「後を追ってはいるのか」
「そうしたいのは山々ですが、現状とっかかりすら掴めません。いつでも雲隠れ出来るよう、証拠隠滅の仕込みは入念に済ませていたようで」
「秋葉さん。相手は永きを生き延びた死徒です。逃げ隠れは得意中の得意……先手を打たれた以上、まず見つかりません。そもそも万が一身柄を押さえたところで、どう滅ぼすというのです」
先輩の釘刺しに、秋葉は苦虫を噛み潰したような顔のまま答えない。責任感の強い妹にとって、あろうことかそのような人物を長らく食客として抱えていた事実は認め難いのだろう。
もっとも、阿良句を遠野家に招き入れたのは槙久であり、状況からして二人は共犯とみて間違いないだろうが──遠野家当主として、その責を受け入れこそすれ、言い訳にはしまい。
そしてなにより、この地の管理者として先代の咎を引き継いだ結果、教会相手に政治的に強く出られないという歯痒い現状をも招いている。秋葉としては内心、腸の煮え繰り返る思いだろう。
大いに同情するが、それ以上に俺としては阿良句の繋がりで、ひとつ気になることがあった。
「先輩。そこまで周到な奴の正体が今になって露見したのも、例のアルトルージュがきっかけなんだろ」
「ええ。どうやら直々に手を下したようで、その残滓から特定が叶いました。これもつい昨晩のことです。とはいえ、それ以前から目星はついていましたけどね」
「つまり阿良句とは敵対している。だったら──」
「手を組めるかも、とでも言うつもりですか? 相手は祖ですよ遠野くん。あり得ません」
まるで最初から見透していたかのように切って捨てられる。その隣で、マーリオゥも鼻を鳴らした。
「祖同士が殺し合ったから何だというのです。そもそも彼らは基本的に敵対関係にある。今回にしても、獲物が被ったが故の衝突でしょう」
「獲物……?」
「蜘蛛女の行動の起点を思い出してみろよ。たぶんオマエは、真祖に狙われた奴が生き延びる為にタタリを利用していると無意識に思い込んでるんだろうが、本当にそうか?
「あ……」
阿良句の暗躍の始まり。
さっきの秋葉と先輩の会話に照らすと、奴が着手した案件こそがタタリであると考えるのが自然だ。すなわち、こちらの視点で言うなら、あえて最初からタタリを招き寄せた。
ではタタリそのものが目的なのか。そうではなく、あくまで撒き餌にすぎないとしたら。引き寄せられたタタリを追って、自らもまたこの地にやって来た者がいる。それこそが本命だとするならば。
「阿良句もアルトルージュも、アルトリウスを狙っている、と」
「いいね、話が早い奴は好きだぜトオノ。だが残念、そいつも結果論だ。なんせタタリが動いた段階じゃあ、まだガキはママのお膝元にいたんだからな。果たして総耶までやって来るのかも、そもそも姫様が手放すのかすら定かじゃない。わざわざ派閥も違う祖に手を出すにしちゃあ、少々わりに合わない賭けだった」
皮肉るように唇を歪めるマーリオゥ。
まるで揶揄うように口を閉ざした少年を見かねてか、シエル先輩が続きを引き取る。
「事実、アルトルージュが実力行使に打って出たのも、自身の支配下にある祖に干渉された事への報復も兼ねているのでしょう。パラノダリアとて、そのぐらい百も承知だったはず。それでも決行したのは、例えアルトリウスが釣れなくとも、他の成果が見込めたからです。
「……そうか」
わざと最後の一節を強調して締める先輩。流石にここまでお膳立てされて察しがつかないほど鈍くはない。
横目で秋葉を見る。とっくに全てを理解していたように、妹は固く目も口も閉ざしていた。それで、玄関先での不可解な要求もようやく腑に落ちる。
いくら身を隠したとはいえ、つい先日まで阿良句の巣食っていた屋敷に俺を立ち入らせるわけにいかないのだ。そして他に安全な──祖ですら手出しの利かない場所は、シエル先輩をして手強いと言わしめるこのアルトリウスの城を置いて他にない。
「吸血鬼なんぞに深入りしちまったばかりに目をつけられたな。オレは確かに忠告したろ。人の言うことはちゃんと聞いておくべきだぜトオノ。聞ける耳がついてるうちにな」
「本当。あの泥棒猫、殺しておけばよかった」
「い、いや……」
マーリオゥの小言はまさに耳が痛い。が、あの状況でアルクェイドを見捨てる選択肢など俺には無かったので、この状況も必然的だったろう。故に尚更、返す言葉が無い。
そして何より秋葉の怨嗟が恐ろしい。その恨みの念、阿良句だけに向いているとはどうしても思えない。
息苦しさから逃れるように、唯一の安全牌──シエル先輩を見る。碧色の瞳と目が合った瞬間、先輩は意気揚々と胸を張った。大きな二つの影が修道服に落ちる。
「そう捨てられた仔犬のような顔をなさらず。不安で仕方のない遠野くんの為に、頼れる先輩がひと肌脱いであげますから」
「と、言いますと……?」
「今日から護衛として、わたしもこのお家で遠野くんと一緒に暮らします。つまりは同棲ですね」
「はい……!?」
「遠慮なさらず。迷える子羊を導くのは聖職者の務めですから」
ふんす、と自信満々の笑みでさらに立派な胸を張る先輩。
──ぎりり、と隣の秋葉から怨嗟の歯軋りが凶々しく聞こえた。