同じ駅前なので、映画館まではそう時間もかからない。
だからなのかは分からないが、相変わらず一歩先を往くアルトリウスの足取りはのんびりとしたものだった。とはいえ迷いはなく、座標自体は把握済みらしい。
「意外ですね。施設を個別具体的に認識しているとは」
「あぁ……。確かに、そうですね」
言われてみれば、これもアルクェイドとの違いではある。
アルクェイドも、映画館という施設の用途や利用方法そのものは知識として持っていた。だが、個々の区別──すなわち、今月の上映タイトルとか、シアターの大きさとか、あるいはキャンペーンの内容等といったものは一切把握していなかった。
その発想自体が無かったのだ。知る必要がないから、知ろうとしなかっただけ。合理的に無駄を省いた結果。
たとえ自ら知ろうとする時が来たとしても、それは座席の数や配置、逃走経路の有無といった戦場の下調べでしかない。それは人格を認められない兵器としての機能であり、生き様である。
どうやらアルトリウスはそうではないらしい。興味の有無はさておき、総耶の主な公共施設の場所ぐらいは頭に入っているようだ。別に観光目的でこの街を訪れたわけでもないのだから、そんなものだろう。
どちらかといえば流行りに疎く、娯楽目的での外出もそう気軽にできない俺も似たようなものだ。一年前、色々と教える立場に回ったのは相手がアルクェイドだったからという部分が大きいわけで。
「──っていうか先輩。さっきからスマホ震えっぱなしですけど、大丈夫ですか」
「たぶん大丈夫ですよ。これ、ノエル先生からの救援要請ですし」
「それを緊急事態と言うんじゃ」
「むしろスマホで文字を打てるぐらいの余裕があるということですよ。それも何度も。最悪の場合に備えて、わたしを控えさせておきたいだけです。臆病は相変わらずですが、遭遇戦の技量には向上が見られます」
以前は腕の限界まで斧を振るだけでしたからね、と呟く先輩。
呆れつつも、どこか感心したような口調。いまのは惚けたわけではなく、嘘偽りのない本音のようだ。そしてそのまま、一切の迷いなくバイブレーションを切った。鬼だ、この人。
「今は真祖が優先です。先ほどの件もそうですが、あれの無軌道は見過ごせません」
この場にいないノエル先生に釈明するかのように宣言し、俺から半歩引いた位置を取る。物理的に縄をつけてアルトリウスを制御しようとしていた朝とは打って変わって、俺を前に行かせるつもりのようだ。
むしろアルトリウスより俺の挙動を注視しているように感じられるのは気のせいだろうか。ひょっとしたら、俺まで先輩の警戒対象なのか……いや、これは元からだったな。
休日ではあるものの、総耶は銀座と異なり歩行者天国の実施はない。なので、繁華街の移動だけでも何度か信号に引っかかるわけだが、その度に先頭を歩くアルトリウスは青に変わるまで律儀に待っている。
ただでさえ人口密度が高いうえに、国道から外れ、やや入り組んだ車道は常に渋滞気味だ。見ている方がじれったくなるような進行を前に、赤信号に構わず車間をすり抜けていく歩行者もそれなりにいる。
だいたいその気になれば、たとえ首都高だろうと持ち前の身体能力で強行突破することなど造作もない。人間社会の倫理や道徳に従順ではなく、事実として大小数々の法に触れている場面をいくつも見てきただけに、こいつの線引きはよく分からない。
先輩の言っている意味からは外れるだろうが、これも無軌道な要素の一環な気もする。台風が服を着て歩いているような奴の癖に、行き交う人々を自分から避けているのもどこかおかしい。まぁ、一々何かとぶつかられていては、こちらがたまらないのだけど。
相変わらず、冬の妖精のような金髪の黒い子供は誰の目を引くこともないまま、目的である映画館に到着する。
全国第二位の映画館チェーンが運営するシネマコンプレックス。とはいえ、都心のど真ん中に位置することもあってか、座席数はさほど多くない。郊外にある、ショッピングモールのワンフロアを使った劇場と比べてだが。
こちらのことなど気にも留めず、意気揚々とロビーに踏み込んでいくアルトリウス。そうかと思えば、目についたらしき、通路脇に置かれた円柱形のバルーン広告をしばき倒して遊び出す。慌てて首根っこを掴んで引っぺがした。
「子供じゃあるまいし、なにやってんだお前」
いや、子供だったか。
「まだ生まれたての赤子ですよ」
「なら帰ったら家にある酒を全部捨てろよ。赤子にとって毒なんだから」
「嫌でございます。そもそも前提となる毒物の定義に齟齬がありませんか。アルコール分解能力の種族差も参照すべきでは」
「やかましい。もういい俺が捨てる。全部捨てる。昨日のうちにやっておくべきだった」
ああ言えばこう言う。立場的に対等とは言い難いさつきに破棄を期待するのは酷なので、やはり俺が始末をつけるべきだ。欲を言えばアースにもどうにかして欲しかったが。
先輩にアルトリウスを預け、壁際の券売機に向かう。とりあえずあいつは子供料金でいいとするなら、併せて学生二人分を買えるだけの手持ちはぎりぎり残っている。なんならシエル先輩の年齢設定にも疑義があるにせよ、とりあえずは社会的身分を基準とさせてもおう。
件のタイトルは立て続けに上映している。開場まであと五分に迫ったものを選択し、座席の指定画面に映ったところで、タッチパネルを押す指を止めた。
空きが無いのではない。逆だ。休日の真っ昼間にもかかわらず、先約を示すグレーアウトが一つも見当たらない。皆ランチに行っているって? いや、そんなわけあるか。一つ前の画面に戻るが、どこにも臨時休業の表示はない。システムは問題なく動作している。
このロビーには券売機しかない。ここで手続きを終えてから、エレベーターで目的の階に向かう仕組みだ。各階にホールとシアターがあるので、観客は全員そこで待つことになる。
今この瞬間、ロビーに俺たち以外の誰の姿も見当たらないのは、たまたま人が途切れたタイミングだということで説明がつけられるが、これはどう考えてもおかしい。思案していると、後ろから伸びた指が発券ボタンを押してしまった。
「この頃はなにかと物騒ですから。つい昨晩も、頭の軽い吸血鬼がすぐ近くにあった公園を蒸発させたばかりですし」
「おかげで貸し切りですよ。観賞にあたって邪魔ものがいないに越したことはないでしょう。怪我の功名というものです」
こちらが何か言うより先に並べ立てられる言葉。こういう時だけ妙に息が合っている。シエル先輩に前抱きされたまま、チケットを三枚まとめてアルトリウスがかっさらっていった。
手荒な扱いのせいで伸びた猫のようになっている癖に、妙にご機嫌だ。
とはいえ、この二人がここまで言う以上、気になりこそすれ深入りまではしない。見ての通り異常な状況ではあるが、本当にどうでもいいことか、あるいは意識を向けることそれ自体が危険かのどちらかだろう。
最悪、認知か思考に異常をきたしている可能性もなくはないが。それならそれで、今ここで無い知恵を絞ったところで無駄な足搔きだろう。
地下道で一戦交えた後なだけに不安は残るが、これが攻撃の予兆だというなら必ず新しい動きは生じる筈だ。第三者が不在なのは、むしろ都合がいい。
目当てのシアターは四階だった。
エレベーターでホールに出ると、やはりというか、上映を待つ人間は一人もいない。途中、他のエレベーターが動いているのが見えたので、他のフロアには客がいるようだが。それがかえって異質さを際立たせる。
以前、保健室の雑談で、ノエル先生が先輩の暗示について明かしたことを思い出す。規模の限界についても触れていた。それも、記憶そのものを弄る洗脳ほど大それたものではないと断った上で。
『いくら秘蹟に耐性のない一般人でも、百人二百人に暗示をかけるなんて並大抵の魔力量じゃないもの。──流石は第七位ってとこかしらね』
それは裏を返せば、教会においても、超一流でなければ百人単位を対象とした印象の操作など不可能だということ。
ましてやこの映画館は総耶の中心部。繋がりを持ち得る人間は百人や千人ではきかない。
あるいは、人ではなく場所そのものに細工が施されているのかもしれない。建物まるまる一つ遠ざけるならまだしも、ワンフロアのみというのはあまりに限定された対象だ。アルトリウスが公園で言っていた人除けなるものを彷彿とさせる。
動機と、成し得るだけの能力。どちらも兼ね備える人物は限られてくるが、如何せん俺に与えられた情報は少ない。神の視点を持たない限り、消去法で推理したところで裏目に出る予感しかしない。
「いや、言ったそばから深読みしてどうする」
息を吐き、予告映像を垂れ流すモニターで時刻を確認する。開場までもう間もなくだ。昼食の直後ということもあり、軽食を買う気にはなれない。壁一面のポスタースタンドから一部だけ手に取って開き、ざっと目を滑らせる。
本日鑑賞するのは、フォークホラーに分類される。田舎の閉鎖的な共同体における、奇妙かつ背徳的な因習にまつわる物語だ。海外で製作された映画であり、オカルトな要素もあるため、二人にもそれなりに馴染みやすいのではないかと考えた。
アルクェイドの時だって、ヨーロッパが舞台のものを選んだわけだし。昭和の金字塔のリメイクとか、俺も見たことの無いアニメの劇場版なんかよりは遥かに適切だろう。
事前に調べていたとはいえ、漁ったのは上辺の評価でストーリーの部分には踏み込んでいない。情報化も甚だしいこのご時世、あらすじだけで済ませようと甘い気持ちで覗けば一発でネタバレを喰らってしまう。
なので、俺の事前知識もこのパンフレットに載っている範囲と大差ないのだ。土着神の類を祀る村に、フィールドワークで訪れた学生が遺した映像記録というたてつけの、いわゆるモキュメンタリーと呼ばれる手法で撮られた作品。
正直言うとプロットそのものは使い古されている部類で、専ら演出で好評を博している部分が大きい。様式美という言葉もあることだし、それ自体が悪いというわけではないのだが……。
「……本当にこれでよかったのか?」
土着神でこそないもののアルトリウスは祀られる側の同類だし、先輩はそういった超常的なナニカをとっちめるのが生業である。
すなわち、彼らにとって猟奇などただの日常なのだ。特にアルトリウスの場合、自分の家を地下室から冷蔵庫の中身に至るまでビデオに収めるだけで、どこに出しても恥ずかしくないサイコホラーの完成である。それも疑似ではない、本物のドキュメンタリー映像として。
むしろこうして映画を観に足を運ぶことの方が、あの二人にとっては非日常なのかもしれない。立場も感性も常人とは真逆なのだ。創り物の狂気など子供騙し同然と言われてしまえば、こちらとしては何も言い返せない。さらに言えば、集団の悪意に怯えるようなタマでもなかった。
『一体いつになったら仕掛けるんでしょう、これ』
『狩りの余興なのでは。そろそろ仕留めるところが見とうございます』
なんて反応すら目に浮かぶようだ。マズい。考えれば考える程にチョイスを誤った気がしてならない。
いっそのこと、スマホで教育番組でも見せてやった方がアルトリウスの情操教育上まだマシか。いやしかし、そうやって動画に子守を丸投げするのもまさに社会問題としてバラエティーの飯のタネになっているわけで。
せめて一年前、ラブロマンス以外の何かをやっていれば。何を見ても喜んで、取り繕うことをしないアルクェイドならさぞ有益な感想をくれただろうに。
気を揉みながら用紙を折り畳んでいると、揺れる金髪が目の前まで駆け寄ってくる。その片腕にはLサイズのポップコーン(キャラメル&バターフレーバー)が抱えられ、もう片方の腕にはオレンジジュースを携えている。こちらも言うまでもなくLサイズだった。
エレベーターを降りるや否や、一目散にカウンターへと向かったらしい。暇そうな女性店員が一人、サンバイザーを弄りながら微笑ましそうに目線を送ってきている。
なるほど。何も知らない人からすれば、親子(?)でシェアしている和やかな光景に見えるわけか。残念ながらこいつは全部自分で食べ切るつもりだ。
俺がパンフレットをポケットにしまうのを待って、アルトリウスはジュースの容器を押し付けてくる。
「俺は飲めないぞ、こんなの」
「違います。少しの間だけ預かってください。出来れば私の胸のあたりまで下げる形で」
「こうか?」
要領を得ない要求だが、とりあえず言う通りにしてやる。
こんなやつでも案外子供っぽいものを頼むんだなとほっこりしたのも束の間。黒衣の懐からいそいそと取り出されたスキットルを前にその真意を理解した。
この大馬鹿はバーと映画館の区別もついていないらしい。すかさず没収し、ちょっとしたバケツのようなジュースを返す。恨めしそうに見上げてくるが、取り返しに来る様子はなかった。
「よく分かった。お前、俺のことを舐めてるな」
「とんでもございません。私の中ではお母様と横並びですよ」
すぐに諦めがついたのか、とっとことゲートに進んでいった。そして案の定、両手が塞がっているのでチケットを取り出せず、係員に制止されてしまっている。
その場にしゃがんでやや見上げる形となった係員と、さらにそれに目線の高さを合わせるように上体を横に傾けるアルトリウス。もしかしたら、相手が目線の位置を下げた理由もよく分かっていないのかもしれない。
狙ったようなタイミングで、開場を告げるアナウンスが入る。カウンターから追いついてきたシエル先輩ともども、ネオンに彩られたトンネルに向かう。
無事入場し、待つこと数分。
シアタールームの照明が落とされ、非常口の蛍光灯だけが浮かび上がる。やはり観客は俺たち三人しかいない。
奇怪とはいえ、誰に気遣う必要もないというのは悪くなかった。中央の通路に面した列の真ん中。スクリーンに遠すぎず近すぎず、足を伸ばせる席に並んで座る。アルトリウスを間に、俺とシエル先輩で左右を挟む形だ。
あの巨大な二つの容器はひじ掛けのホルダーに収まる筈もなく、所有者の腕の中で存在感を放っている。当のアルトリウスはというと、寝そべられる特等席がないことに不満を述べていたが、こればっかりは仕方がない。
上映は時間ぴったりに始まった。短い注意喚起の後、単調なモノローグを背景に画面が動いていく。
特に期待もないためか、淡々と情報だけが頭に流れ込んでくる。フェイクドキュメンタリーということもあってか、つけっぱなしのテレビを頬杖でもつきながら眺めるような感覚。
没入感が話題の映像作品だった筈だ。恐らくそれは、監督も意識して追求したのだろう。
しかしどういうわけか、単なるタイトル以上に俺はこれに入り込めないでいる。プロローグから二十分、ようやく動きが見え始めたばかりだというのに。
主人公一行があまりに愚鈍だからか。いや、愚鈍なのは村人達だって変わらない。狩る側の癖して、あれでは狼の皮を被った羊だ。羊が羊を化かしている。
なら、狼とは何か。一年前、ちょうどこの建物から駅を挟んだ向こうで命を削り合っていた、あの──
「…………」
我ながら馬鹿馬鹿しい。我ながら随分とつまらないケチのつけようだ。創作にあんなものを求めてどうする。
悲劇も惨劇も、画面の向こうだから娯楽になるのだ。現実に害を為すと分かれば誰も直視しない。危険を安全に楽しめるのが醍醐味だろうに。
それに無粋な現実にはない良さもある。なにしろプロが手掛けた脚本だ。観客を飽きさせない工夫に満ちている。いや、この作品、シナリオ自体は可もなく不可もなくだったか。
隣の様子を窺う。二人とも、スクリーンから片時も目を離さない。食い入るようにという程ではないにせよ、とりあえず退屈はしていないようだ。
とはいえ、アルトリウスの“バケツ”の減りが遅いのは集中のせいではないだろう。通常であればともかく、今は俺達しかいない。音に気を遣う必要もないことを伝えると、機関車の炉に石炭を放り込むような勢いで消えていく。
そして、どうやら音に気遣っていたのは先輩も同じだったようで。形のいい眉を固く引き絞りつつ、何か言いたげだった口をやおら開く。
「ところで、一体いつになったら仕掛けるんでしょう」
「狩りの余興なのでは。そろそろ仕留めるところが見とうございます」
ああ、そうか。やっぱりそうなるのか。
通りで真剣な顔だったわけだ。あれをシミュレーションの教材とでも捉えているのだろうか。
とりあえず娯楽映像と認識していないことは確かだろう。シエル先輩に至っては、吸血鬼を前にしたように光の消えた目になっている。
「この世話役の女、最初に消えたガイドと同じパンプスなので内通者ですね」
「歳若くして外に出ることを許されているあたり、集落のプロパーではございませんか。これから殺す相手を監視する役割など、狂信者でなくては務まりません」
「常に隣で接することで監視対象の警戒を解き、集落への不信を察した、あるいは明かされたときに発報するのが任務と。流石に女性一人で始末はつけられませんか」
「様々な面で貴方と大違いですね、シエル?」
「そうですね。わたしなら、このようなバレバレの接触なんてしませんから」
「皮肉を解さないのは貴方も同じですね。初手が暗示のシエルよりは、あの下女の方がまだ努力していると申しております。大根役者なのは同意しますが」
初見にもかかわらず、洞察力だけでネタバレをかましていく。そもそもあえて用意された伏線を取り溢す可愛げなんて、この二人にある筈もなかった。
というか初見なのは俺だって同じことだ。逐一繰り出される分析のおかげで、匂わされた悪意への戦慄もへったくれもない。元から曖昧だった没入感が完全に失せた。
下手に親和性があっても駄目だということか。医師に医療ドラマを、弁護士に法廷ドラマを見せるようなもの。カルトや儀式殺人の専門家が身近にいなかったので想像が及ばなかったな。
「なんかもう、やってはいけないことリストを順調に埋めていて溜息しか出ませんが。アルトリウス、仮に貴方だったらどうするのです」
「一人は生かして帰すでしょうね。あの臭そうな女など、脳みその代わりに湯豆腐でも詰まっていそうな土鍋頭で吹聴してくれそうですし。上手く運べば、法執行機関の兵が入れ食いです」
「ああ
「迂闊に目立てば人間に討たれると。だとしたらお手上げですね。かような弱者の思考回路など、私には理解出来かねます」
「怪物は怪物でもエッフェル塔をへし折るタイプの怪物ですもんね、貴方」
なるほど、感情移入する対象が違うと。先輩は犠牲者役の学生たちで、アルトリウスは集落で祀られている怪物。
呆れつつも見守る先輩はともかく、ポップコーンをつまみに怪物へのダメ出しを重ねていくアルトリウスは野球観戦の気分だろうか。そのうち自分にやらせろと言い出しかねない。
「そもそもどうして二組とも恋人なのですか。フィールドワークですよね。ダブルデートではなく。それとも遊びに来たのですか」
「お約束ですよ。金髪で胸の大きい女に誑かされる男は総じて地獄を見るのが世の理なんです」
なんて言いながら、揃ってこちらを見てくる二人。何を言っても碌な結果にならないのは明らかなので、背もたれに深く身を沈めて瞼を閉じる。
俺への怨嗟はさておき、アルクェイドならこういう物騒な案件にも嬉々として足を運びそうな気もする。それも真相を全て見抜いた上で。
無論、生贄なんかにされかけたところで、襲ってくる頭のイカれた連中を軒並み千切っては投げておしまいだ。連れ回される俺の身の安全は知らないが。
だいたいあいつは生贄を捧げられる方ではなかろうか。確かに神様として奉って拝み倒せば、五穀豊穣とか災害除けのご利益に恵まれそうだ。本質的には自然現象と同じようなものらしいし。
とはいえ、人間に飼われているアルクェイドなんてあまりにらしくない。他人に大人しく従うようなヤツじゃないし、もしそうなれば全力で抵抗するだろう。なにより誰かのものにされたアルクェイドなんて、想像するだけで反吐が出る。
そもそも映画は映画だ。人里離れた僻地に隠れ住む一族なんて、どこか遠くの異国ならともかく、現代日本に存在するものだろうか。少なくとも俺に心当たりは無い。
──そんな取り留めもないことを考えていると、だんだんと眠気がこみあげてきた。
これがデートなら言語道断だが、今は三人揃って時間潰しでしかないわけだし……我慢することもないか。何か起きたとしても、アルトリウスとシエル先輩が一緒にいるのだから、そうそう心配はいらないだろう。
そう睡魔に白旗を上げると、底なし沼に沈むように意識が落ちていく。夜更かしはしていないし、とりわけ昨夜は最高のベッドで身を休めた筈だが。
あるいはその前の、公園での殺し合い。アルクェイドの偽物と踊った疲労が、まだ錆のようにこびりついているのだろうか。
◆
上映開始から四十分。
全体の折り返し手前に差し掛かったあたりで、遠野くんは舟を漕ぎ始めた。
色々と気にしていたらしいが、結局のところ、誰よりも退屈していたのは彼なのではないだろうか。
わたしとしては、そこまで悪くない作品だと思う。演出を演出と割り切れば、新しく見えてくるものもある。
なにより、非凡な監督が妥協せず突き詰めた恐怖というのは参考になる。平和惚けした脳みその閂を叩き壊し、感情という名の情報を引き摺り出す試みは、わたしの本業においても大いに参考になるからだ。
翻って彼はどうだろう。銀幕のおめでたい仔羊に感情移入出来ないのは、一年前に常識を破壊されたからか。平和惚けとは真逆の、安全というものを毛ほども信じられない境地に至ってしまったが故だろうか。
それは違う、と今ならはっきり断言出来る。それは言うならば、同僚の女のような在り方だ。遠野志貴という人間には適用されない。最初からそういう風に作られていない。
あの映画のように、純朴で愚かな人間を騙し、巣にいざなって喰い物にする。神秘の世界ではごく当たり前の摂理。先ほど死徒を引き合いに出したのも思いつきではなかった。
そういった裏の世界で、化け物を狩って生きる者なら。ましてや最初からそうあれかしと生み出された者であれば、命の危機に慄くなんて機能は無駄でしかない。
彼が仔羊と相容れないのは、根っからの狼だからではなかろうか。ノエルは勿論、このわたしからも外れた在り方。むしろアルトリウスや、今ここにいない母親の方がより近しい。
「割れ鍋に綴じ蓋ですか」
あんまりな言い草であることを承知の上で、あえて口にする。隣からの反応はない。
通じなかったわけではなかろう。このレベルの吸血鬼であれば、いくら人形を装ったところでこちらの真意など容易く見透してくる。
理解した上で黙殺したのだ。これ以上、言葉を交える必要はないとでもいわんばかりに。そろそろか、と心中で気を引き締める。
見ての通り、この劇場には異変が生じている。
土曜の正午でありながら、わたしたち以外に誰もいないというのはあり得ない。1つのシアターに三桁を収容出来る規模の施設だ。営業していれば、客足が途切れるタイミングなど無いのではないか。
人為的な改変の只中にいることは明らかである。──そして、それは今に始まったことではない。
遠野くんは初来店なので違和感を抱けなくても無理はないが、ランチタイムに差し掛かったメシアンに閑古鳥が鳴いている時点でそもそもおかしい。一瞬、店舗移転を疑ったぐらいだ。
これはなにも、わたしがメシアンフリークを拗らせて認知が歪んでいるわけではない。あの店は「知る人ぞ知る」の範疇にはもはや収まらず、メシアンだけを目当てに上京する者すら珍しくないぐらいだ。異邦人たるわたしが仕事の傍らに発掘出来る程度には宣伝も打っている。
その辺りの事情はさておき、行く先々で人払いが行われているのは事実。どこぞの真祖と違って、それを貸し切りだと喜べるほどわたしはお花畑ではない。
誰が、どうやって、何のために。
二つ目については定かでない。真っ先に思い当たるのは人除けの魔術だが、
仮に見落しがあったとしても、あえて手を出す阿呆がどこにいる。自殺の手段としても下の下だろう。相手の機嫌次第では死ぬことすら叶わない。そして、遊びを邪魔されて気分を害さない者はいない。
そもそもの話、人除けとは土地を対象とした術式だ。メシアンにしても映画館にしても、即興で決めた行先にどうやって細工を施すというのか。わたしにすら気取られないまま後を尾行したというのであれば話も変わってくるが、現実的には不可能だろう。
正体がなんであれ、わたしのオドですら洗い流せない極めて強力な現実干渉である。人間業とは思えない。それこそ、最上位の吸血鬼が行使するような。
では、三つ目。何のために行っているのか。
魔術師であれば、神秘の秘匿という分かりやすい動機があるのだが、これは違う。純粋に、戦いの前準備としての人払いだろう。
そして、いまこの地において対峙している祖の一角──死徒が、そのような気遣いをするわけがない。歌を謡い、花を愛でるように人を殺す連中だ。徒に殺戮の輪を広げこそすれ、その逆は無い。
ここまで来れば、可能性は自ずと一つに絞られる。実現するための手段があり、不要な犠牲を厭う程度には理性を備え、その上で、このわたしに手出しするだけの意思と能力を持った存在。
──貴方にしては、随分と辛抱したものですね。アルトリウス。
吸血衝動から解き放たれた真祖。だからこそ、見初めた相手の血を吸うことに躊躇いがない。存在ごと取り込み、己が子にして支配するという欲求もまた受け継いでいる。
そのためだけに金狼の群れすら滅ぼした。父親の手前、多少は行儀良くしていたようだが、所詮は堪えの利かない幼体。目の前のご馳走を前に、いつまでも大人しくしていられるものか。
わたしへの牽制も兼ねて、仕掛けてくるならメシアンのあたりかと思っていた。それとも、より人口密度の高い駅前であれば、一層こちらの動きが鈍るとでも踏んだのだろうか。
大きな問題はない。王族が相手となると黒鍵だけでは心許ないが、幸い手元にはリストアを終えたばかりの第七聖典がある。
過去には足すら伸ばせない閉所で殺し合ったことだってある。元より吸血鬼狩りにおいて、理想的な戦場など望むべくもない。
ただ、決定的な証拠がない。先手必勝とはいうものの、流石に問答無用でライフルを乱射するわけにもいかないわけで。なにより遠野くんも巻き込んでしまう。
秩序の担い手の宿命として、最低限の道理が必要となる。ここが死都ならどうでもいい話だが、まだ浄化の段階には達していない以上、先手は譲らざるを得ない。もっとも、それで策のつもりなら勘違いも甚だしいが。
映画に割り当てる意識はおおよそ十分の一ほど。残りを全て真祖への警戒に費やす。だからこそ白々しい沈黙は一向に破られなかった。ほんの僅かにでも気を緩めれば、瞬きの間に黒い化身はわたしを捕食するだろう。
遠野くんの意識が落ちた今、誰の目を憚ることもない。もはやスクリーンに目を向ける素振りすら放棄したわたしの前で、アルトリウスは悠然と牙を剥く。そして──
「くぁ」
──誰の目も憚らず、大きな欠伸を一つ。
そしてバケツの残り半分のジュースを一息に呷り、氷を雑に噛み砕く。最後にプラの容器を片手で器用に丸めて、それも吞み込んでしまった。あまりの悪食に唖然とするわたしを見上げて一言。
「うるさい」
「……」
「シエルの思考がやかましゅうございます」
こいつ。この、吸血鬼は。
さっきから、わたしだけが馬鹿みたいに。
「平成の魔女裁判ですか。お父様の問題について、私に当たられても困ります」
「遠野くんの……? それは、どういう」
「どうもこうも、一事が万事あの調子でしょうに。今だってそうです」
まさか気付いていなかったのかと言わんばかりに、アルトリウスは目を細める。
無論、彼のおかしさに気付かなかったわけではない。指摘しなかったのは、それが更なる認知の歪みを惹起しかねないという疑念があったからだ。
だが、これだけの人除け──のような何か──の起点が彼だというなら、悠長に様子を見ている時間は無い。
「魔術が行使された痕跡はありません。貴方のように土地に干渉出来るわけでも、魅了の魔眼を使えるわけでもない彼に、どうしてこのような真似が出来ると。まさか超能力とでも?」
「難しく考えすぎですね。ただの因果律操作ですよ、こんなもの」
「なにがこんなものですか。権能か権能の一歩手前でしょうそれ。だったら遠野くんはなんだというんです」
「例えるなら蛇口ですね。あるいは蛇の胃袋で潰される卵。事象収納が魂という極小の世界で発生している。シエル、魔術世界における生命の質量定義はご存知ですか」
当然知っている。生命そのものが持つエネルギー生産量、もしくは質量を段階として定義したもの。その基準は
下から順番に、大きくて軽いもの、小さくて軽いもの……これが普通の人間。
次に大きくて重いもの、そして最も強いのが──“小さくて重いもの”。
わたしは、何も答えなかった。
アルトリウスは特に聞き直すこともなく、ポップコーンの残りを鷲掴む。
「今夜、シエルの礼装を貸してください。夢の中で、どのような睦言が交わされているか見とうございます」
「いま覗けないのは勿体ないですね」などと囁きながら、茶色の塊を口へと放り込んだ。