【■■】
近親交配の積み重ねにより、本来一代限りの突然変異である超能力の遺伝/継承を可能とした一族。
自然の歪みである『魔』ならびにその『混血』を修正する歯車。偏執的な配合の末、霊長の退魔意志を具現化した機構と成り果てた。
黒い森には月明りがよく映える。
天井に穿たれた孔は、うららかな陽射しを迎える天窓のよう。時刻こそ真逆でも、目に沁みる光の色彩はよく似ていた。目を閉じても、瞼の裏に焼き付いて離れない。
ここが人里から遠く離れた山奥といえども、見える月のカタチまでは変わらない。
なら、あの実在感の正体はなんだろうと考えて、前に誰かが鮮やかと言い表したのを思い出す。都会よりもずっと、この里の空気が澄んでいるからだと。大気に濁りがないから、その先まで鮮烈に見えるのだ。
でも、それにしたって、夜空に星が見当たらないのは腑に落ちない。
この世界には、
あまり長いこと眺めていると、月に酔ってしまいそうだ。自分はまだ酒を飲めないし、父もその気は無いから、専ら他の呑み助を引き合いに出すしかないけれど。
長い、長い廊下を歩く。障子を一枚挟んだ向こう側から、ちょうど酒精に溺れた訛声が聞こえた。気取られないよう、足音を殺して進む。
あの茹だった脳みそに、これから会う彼女を晒すのは憚られた。もっとも、天地がひっくり返ったところで、彼らに何が出来るわけでもないが。
──ああ、眩暈がする。
自分の足で立っていることすら疑わしくなるほどだ。自分でも気付かぬ間に、あの朱い月を見上げ過ぎたか。
歩度を上げる。幸い、足取りに危ういところはない。停滞してしまう思考とは対照的に、四肢の感覚はしっかりしている。
今はただ、狂おしい程に
奥座敷への境界にあたる敷居を跨ぐ。
ここから先は、当主とその妻子にとっての生活の場だ。このまま突き当りを曲がれば私室だが、目的地はむしろ逆。草履に履き替え、渡り廊下から庭に降り立つ。
「志貴様」
女の声が呼び止めた。女中か、それとも分家の誰かだろうか。特に引き留めたがる様子もないので、振り返らずに片手を上げる。
何処に向かうかなどと、今更問うまでもないだろう。深夜の逢引きを咎められる立場でもない。案の定、顔も名前も思い出せないその女は、それっきり何も言わなかった。
さくりさくりと、秋口の結露に濡れた雑草を踏み折って歩く。肌を撫でる夜風に思わず着流しの前を固く閉じる。もう一度月を跨げば、流石に堪えそうだ。
目当ての離れは、屋敷から五十間ほど離れた裏手にある。この里で最も大きな土地を有しているが、実態としては隔離に他ならない。
まだ庵の影も形も見えないこの地点から、十重二十重の注連縄が張り巡らされている。
吊るされた無数の札には、緻密に書き連ねられた大祓詞。もっとも、見苦しく擦り切れたそれらが何の役に立つとは思えなかった。
最後にいつ貼り直したかも、もう思い出せない。
破綻は誰の目にも明らかだった。彼女を祀り奉る試みは、その発想からして間違えていた。
最早あらゆる頚木は意味を成さず。
彼女はただ一人、この揺りかごの中心で僕を待っている。
吐く息は微かに白い。それでも、肌の上にひんやりとした心地よさすら感じるのを受けて、体が火照っていたことを自覚する。
首の下から炙られて、頭の中身が崩れていくかのようだった。馬鹿みたいに重たくて、気を抜くと目玉と一緒に零れ落ちてしまいそう。
どうしようもなく眠気が酷い。真冬の夜明け前、厠から温かい布団に戻る心地で無心に進む。前へ、前へと。雑念を払ったおかげか、あっという間に庵の垣根が見えてきた。
取っ手を引けば、紐づけられた鈴が騒がしく鳴る。無粋なそれらに顔を顰めつつ、草履を揃えて脱いで、畳敷きの居室へと上がった。
樫を嵌め込んで造られたこの座敷は、外観の印象より遥かに堅い。ただしその堅牢さは、外敵の侵入を阻むことを意図したものはない。むしろその逆であることは、室内の様相を一見しただけでありありと見て取れる。
空間を仕切る格子は、ここが牢であるこれ以上ない証左。厨も厠もない。家主がそれらを必要としないが故だ。灯りについても同様で、嘘みたいに眩い月が無ければ、彼女のあの黒い着物も闇に溶け込んでいたことだろう。
格子の向こう側には少女がいた。
僕と同じぐらいの歳の女の子。月光の下に白磁の肌を晒し、長く艶やかな金髪を梳かしながら、生け花のように佇んでいる。
あれがこの隠れ里の“姫”だった。いずれ当主になることが見込まれる以上、誰を娶るかは家の趨勢に直結する。優れた血を遺すことは、末裔たる者の命題に他ならない。
無論、才を遺すには相手が必要だ。■■の一族が継承してきた
それが、彼女があのように翼を手折られている理由。ただでさえ外界から隔絶された一族だ。海を隔てた異邦人を囲うのも、濃くなりすぎた血を薄める為の手立てとして合理性がある。
その一滴が最上の魔の血となれば、宿痾の発現など容易く克服出来るに違いない。既に直系の殆どが精神に異常を来している。新たな土壌が必要なのだ。
つきり、とこめかみが痛む。
何かが違うような気がしたが、いくら考えても解答には至らない。
──此処の鍵を扱えるのは僕だけだ。いつの間にか、懐に忍ばせていたそれをかじかんだ指先で引っ張り出す。
解錠すれば、まるで待っていたかのように、ひとりでに扉が開く。僕や彼女のような、童子がやっと潜れる隙間。中に収まったその直後、これまた勝手に檻が閉じる。
「もう、逃げられませんね」
座敷牢の真ん中。背中を向けたまま正座した姫は、
まるで他人事みたいな口振りが無性に気に入らなくて、顔を拝んでやろうと回り込む。
その頬に手を添えた。
いつも笑わないアルクェイドの口元が、ほんの少しだけほころぶ。揶揄いとも自嘲ともつかないその微笑みの真意は分からなかった。
「残念ですが、志貴。あなたが自ら鳥籠に収まるというなら、私には止められません」
残念などと微塵も思っていない口調で、少女は一度瞼を閉じる。
ややあって、長い睫毛があおがれた。
剥き出された黄金の瞳孔。極光のような鮮やかさを直視した。脳髄を内側から殴りつけられたような衝撃が神経を麻痺させた。こぉんと、くぐもった反響が頭蓋の中で乱反射する。
跳ね上がる心臓。脈動の間隔も、大きさすら安定しない。
こんなにも手足がかじかんでいるというのに、熱した油を被ったように肌が粟立つ。戦慄に身を震わせた。それが熱を生み出す
絶対的な上位生命体による干渉。人間の規格など
あれと目を合わせるな。いつかの日、誰かがくれた警告も、しかし今となっては手遅れだ。視線どころではない契りはとうの昔に交わされている。
「、ぁ」
咽喉が引き攣り、まともに呼吸できない。手足の感覚が残っていれば、苦しさに首を掻き毟っていただろう。助かったなどと、馬鹿みたいな安堵を馬鹿になった頭で抱いてしまう。
みっともなく喘ぐことすら、自由意志の取り上げられた体では叶わない。それでも金色の輝きは僕に慈悲を与えなかった。舌の上で転がすようなこの時間をいつ止めるのか、決められるのは彼女だけだ。
それでも多少は見かねたのか、アルクェイドは真似るように僕の頬に両手を添えて引き寄せた。睫毛が触れ合う至近距離から毒々しい双眸に晒され、されるがまま無防備な唇を奪われる。
流し込まれた空気で肺が満たされる。無理やり前のめりにされたことで着流しが崩れ、晒された肌。そこに着物がはだけ、露になった彼女の白い肌が重ねられた。
内と外で覚えさせられる少女の温かさ。生命維持に必要不可欠な酸素すら、
頬に添えられていた手が離される。魔眼で縛られた体は人形同然で、アルクェイドを引き剥がすことなど出来ない。そんな発想すら、一秒ももたないで霧散した。
たおやかな細い指は、そのまま僕の首筋から両肩、二の腕、指先へと肌をなぞりながら滑っていく。いつの間にか、二人の上半身は完全に剥き出しになっていて、それを認識する
男と女。とはいえ、お互い体重差など殆どない。馬乗りになられた以上、押しのけるのは不可能に近い。彼女に先手を取られ、姿勢を崩していたのであれば尚更。
再び上体を押し付けられる。今度は床に背中をつけた体勢で。毒で動けなくした獲物を糸で絡め取る女郎蜘蛛の仕草にもどこか似ていた。
覆い被さってきたアルクェイドの長髪が簾となり、月光が視界から追い出される。
代わりに暗闇の中で光を湛えるのは、少女の爛々とした双眸だけ。いや、本物のよりもずっとそれらしい。
金髪で編み上げられた籠の中が、彼女の香りと温かさで満たされる。左右の指をそれぞれ絡めて握り締められ、ようやく
唇が解放されても、声は出せない。
分け与えられた酸素は本当に最低限で、今すぐにでも大きく息を吸い込みたいのに肺が弛緩したように動かない。自分の力で生きることすら放棄してしまったかのように。
頭一つぶん離れた彼女の目の下が濡れている。それで初めて、自分が涙していたことに気が付いた。
僅かに自由を取り戻した目だけを下に向ければ、身包みを剝がされ、弱弱しく上下するだけの胸が見える。腸を引き摺り出された鹿みたいだと、凪いだ心で縁起でもないことを思ってしまう。
視線を前に戻す。アルクェイドは僕を組み伏せたまま。普段と変わらず無感情な面持ちだが、今の所業は明らかに悪戯の域を超えている。そもそも彼女は悪戯に手を染める性格ではない。
人の真意は、言葉ではなく行動に現れる。どうやら僕は、彼女に一線を越えさせるだけのことをしてしまったらしい。
浅い呼吸を続ける。甘い芳香を鼻孔から取り込むたびに、ますます頭の中が霞んでいく。最初に瞳を向けられた時の狂おしい衝動とは正反対。髪の毛一本まで、ぐずぐずと溶かされていくような。
蜘蛛の毒は消化液でもあるという。なら、今の僕は消化されていて、溶けきったら彼女に食われてしまうのだろうか。僕の四肢にくまなく垂れ下がり、畳に散らばった金髪もまるで吐き出された糸のよう。
融け合う、という表現は適切ではない。僕だけが跡形もなく崩れ落ちて、彼女の金色に染め上げられるだけのこと。
ただ、捕食にしては痛みがない。むしろ快楽に溺れるような心地よさまである。身を任せてしまえば、どこか素晴らしい世界に至れるという予感。その時に僕はボクでなくなって、ボクが成れ果てた液体は蛹から羽化するのだろう。
「っ──」
ふるりと、身を震わせた。
寒さからではない。アルクェイドに注がれた熱で、十分すぎるほど暖は取れている。なら、これはなんだ。
軋む体に鞭を打って横になり、胎児のように背中を丸める。
そんな僕を、白い化身は満足気に見守るのみ。密着した柔肌はとろけるようで、絹のような金髪には一点の翳りもない。
優れた狩人は獲物を嬲らない。仕留めた獣から丁寧に皮を剥ぎ、その肉を削ぎ落とすだけ。
金髪の隙間から、牢の外が見えた。
人影一つない。里の外れだからではなく、彼女が許していないから。
■■と
──かくしてこの世界において、残ったのは彼女だった。
「そこには、何もありません。今はもう」
図らずも顔を背けてしまったことが気に入らなかったのか。
少女は様子見を止めて、再び僕に肌を重ねた。のしかかられ、横を向いたままの頭を両腕で抱きすくめられて、本能を昂らせる匂いが一層濃くなる。
五感の総てに刻まれた痕。丹田をとろ火で煮られるような切なさにまた涙が頬を伝う。く、と喘ぎとも悲鳴ともつかない吐息が漏れ出る。
「壊れた器は直らない。壊れた食器は役立たず。見苦しいだけなので、棚の奥に仕舞いましょう」
擦り合わされる鼻先。
そのままアルクェイドの唇が頬を這い、耳梁をなぞる。口づけたまま、ぽそぽそとした声で囁かれた。
とっくに用を為さなくなった互いの着物。直に触れ合う矮躯の軽さと、それに似つかわしくない閨のような艶めかしさの矛盾を前に丹田が熱を帯びていく。
「邪魔なものを全て捨てれば、
視界が滲む。ただでさえ光に乏しい世界で息づくものは、アルクェイドただ一人だけ。今となっては、■■志貴すら、もういない。
視覚を補うように、他の感覚が鋭敏になる。人肌の温かさと柔らかさ。甘い香り。淡々と紡がれる声。鼓膜を震わせ、脳がじんわりと浸されて。断末魔の代わりに喘鳴が喉をか細く震わせた。
もう、我慢ならない。吐き気を催す程の情欲に堪えかねて、許しを請うように目を瞑る。
◇
絹を裂くような悲鳴がつんざいた。
妙齢に差し掛かる手前の、耳障りな甲高さ。それを粘つくような唸りの重奏が塗り潰す。
まるで猿山だ。顔を顰め、瞼を持ち上げる。目の前に広がるスクリーンの中では、今まさに化物共に貪られている最中の女。狂乱に歪む顔。バラバラに引き裂かれる手足。飛び散る血飛沫。引き摺り出される臓腑。
息を吞むほど真に迫った演出だ。これならアルトリウスも、シエル先輩も茶々を入れることはないだろう。
ただ、さっきまで見ていた映画は、こういうものではなかったような。俺にこの手の嗜好はないし、ましてや誰かに紹介するなどあり得ない。それに俺や先輩はともかく、アルトリウスは確実に規約に引っかかるわけで。
俺たちが鑑賞していたのは、もっとやんわりと忍び寄る恐怖だ。それを自覚した時には、既に手遅れといった感じの。
あれでは流石に品が無さすぎる。唯一の共通点は舞台だろうか。もっとも、同じ欧州の片田舎といえども、あのような立派な教会にはやはり見覚えが無い。
左に顔を向ける。確かにそこにいた筈の二人の姿は、影も形もなかった。それで、未だに夢の中に在ることをはっきりと自覚する。
「夢の夢の夢の……ねぇ。胡蝶の夢とか言うんだっけ。こういうの」
右隣から、あどけない声が聞こえた。
反射的に向き直る。目線を少し下げた先には、肘掛けにもたれた少女の姿。
長く艶やかな濡れ羽色の髪。透き通るような白い肌に流れて、煽情的なコントラストを醸し出している。
それらと同じぐらい目を惹くのが、仄暗さを湛えた朱い瞳。心胆寒からしめる酷薄さが透けて見えるが、その危うさを察してなお目を奪われる。反応に満足したように、形のいい目元が涼やかに細められた。
ともすれば、生意気にも受け止められかねないその仕草すら、玉座から國を統べる女王もかくやの威を示す。事実、悠久を生きる中で、彼女が支配した命の全貌を知る者はいない。
アルクェイドとは正反対の、黒。
アルトリウスと同じだが、無秩序と得体の知れなさ──混沌が色を成したようなあいつと違って、この少女にはただひたすらに退廃の翳がつきまとう。
アルトリウスが街灯の直下に広がる暗闇だとするなら、少女は毒を獲得した薔薇……あるいは肉食の蝶のような。
なにより肘と肘が触れ合うこの距離では、その身に秘める暴力的な生命力の
これの引き合いに出せるのは、それこそ同類たるアルクェイドとアルトリウスぐらいだろうか。流石、死徒の王というだけある。
「はぁ……よっこらせ」
少女──アルトルージュ・ブリュンスタッドは大儀そうに立ち上がると俺の正面に移動し、仁王立ちで後ろ手を組んだ。
煌々としたスクリーンを背負い影となった姿には、童女といえどもやはり威厳がある。
⋯⋯たとえそれが、一糸まとわぬ、全裸のままだとしても。
「生憎、俺には夢と現実の区別がついてる。いいから服を着ろ。死徒ってやつは、揃いも揃ってまともな格好をしていない」
「失礼ね。アッフェンバウムの狗はそれなりの見てくれだったでしょうが」
アッフェンバウム──全く聞き取れなかったアルクェイドとヴローヴの会話の中で、そんな単語が出てきたような気がする。となると、犬とはヴローヴのことだろう。
確かに、ロアと違って奴の服装は洒落ていた。認めるのは癪だが、あれを着こなせるだけの素材はそうそういない。あまりに時代錯誤な点についても、長きを生きる吸血鬼に突っ込む方が野暮というもの。その意味で、アルトルージュの言にも一定の道理はある。
もっとも、目の前の少女の場合、何も身に着けていない時点で議論の前提にすら立っていない。
「自分の変態性を暗に認めてないか、それ」
「若人らしい視野の狭い見解ね。もう少し周りに目を向けてみなさいよ。下手に着飾るとかえって馬鹿そのものに見える例だってあるじゃない。あいつよあいつ」
「阿良句博士のことですか」
「記憶にない名前だけど、自分から博士なんて呼ばせてる恥知らずだとしたらそれで合ってるわ。なんたって恥を恥と認識してないわけだし」
「結局、あんた自身の言い訳にはなってないじゃないか」
「私はいいのよ。恥じるような体じゃないんだから」
宣言通りなんの恥じらいもなく、アルトルージュは全裸のまま俺の膝に跨る。そのまま反応も出来ない速さで俺の眼鏡を取り上げた。
思わず息を呑む。不意打ちで見せつけられた世界からは、あの忌まわしい死の具現が殆ど消えていた。
ここが夢の中だから、ではない。端に映る映画館の構造物は、相変わらずラクガキに塗れたままだ。そうではなく、視界の大部分を占める玉体には、極限まで集中してようやく輪郭が浮かぶ程度の、本当に微かな線しか走っていない。
細い肩、年相応のなだらかな膨らみ、筋肉の流れが浮いた腹。死を経験して以来、構造の上では人間のそれと変わらないそれを、裸眼で目にしたのはこれで三人目となる。
さらに視線を上に移せば、淫蕩な笑みがあった。
艷やかな唇の隙間から牙が覗く。同じ牙を持つ連中は、揃ってこの目を忌避したものだが。
不躾に揶揄してのける軽薄さこそが、この少女の怪物性を端的に表している。
「三者三様だな。あんたは特に危機感がない」
「へぇ。じゃあちびはどうだったの」
「風呂場で俺に洗わせて自分は舟を漕いでたな。気にしてすらいなかった」
「危機感が足りていないのはどっちだか」
呆れたように目を伏せる。それでも挑発は功を奏した。彼女が俺の手を取り、自分の胸へと導いていく。
中央。ちょうど心臓の真上のあたり。比較的、死期が集まる部位。
末端とは比にならない急所。殺してみろと促されるままに指を這わせて理解する。
直死の魔眼は、当てられなければ意味がない。圧倒的な実力差を前にして、その制約は重くのしかかる。
それは転じて、当てることを正着とするたてつけに繋がるわけだが、そんな論理さえこの怪物には通用しないらしい。
──視えない。本当に微かとはいえ、ついさっきまで確かにそこにあった筈の死期が”消えていた”。
モノの終わりは万物に存在する。アルクェイドすら例外ではなかった。
アルトルージュといえども、それを超越したわけではないだろう。もっと単純に、俺の脳みそでは受け止めきれない領域まで自己を引き上げてみせただけのこと。
揶揄う程度の気安さで、自在に規格を操れる域にまで達している。
分かってはいたが、戦いが成立する相手ではない。
魔眼が通用しない以上、俺に万に一つの勝ち目もないことは自明。そして、その脅威はなにも不死性に留まらない。
シエル先輩が提示した、アルクェイドとアルトリウスに連なる三人目の
アルクェイドの姉。だから、発生順序ではむしろ一番目ということになる。戦歴は最も長い。
三人の性能には差があるというが、人間の物差しでは測れない。巨大台風でも大地震でも、等しく街が壊れるのと同じように。
最強の吸血鬼が味方にいること。今こうして同格の敵を目の前にしたことで、その事実にどれだけ甘えていたかを実感させられる。
どんな敵であれ、アルトリウスをぶつけさえすれば必ず勝てるという、戦力面での決定的な優位は失われたと見るべきだろう。
「思考が物騒ね。あいつに夢でモノにされてる間に摘んでやろうと思ったのに。女を裸に剥いてやることが解体とかまるで殺人鬼。いや、実際その通りだったか」
「これも夢の中で、お前は自分で脱いだんだ」
「言葉の綾ってやつよ。あーあ、流石に女として傷つくわ。ひょっとして金髪が性癖? それともこんな貧相な乳じゃそそられない? 将来性ならほぼあいつと変わらないんだけど」
将来性。前回、公園で邂逅した際にはゆったりとしたカソックを身に着けていたが、それでも輪郭ははっきりしていた。少なくともシエル先輩と同じぐらいには。
それをアルクェイドに当てはめるとなると──いや、なんの話だ。
「そもそも敵同士だろ。俺を何だと思ってる」
「え、星を孕ませた雄だけど。時代が時代なら星座で晒されていたわよ貴方の逸物」
「夜空を穢すな」
「まあ二十七祖にはとっくに知れ渡ってるわけで、つまり死徒が残る限り未来永劫語り継がれるわけだから物語性では大差ないんだけどさ」
そうか。俺にとって吸血鬼を殺す理由がまた一つ増えたな。そういえば、教会からも似たようなことを言われたんだったか。
「役得ってやつが欲しいわー」などと溜息をつきながら、しなだれかかってくるアルトルージュ。誘惑のつもりなのかもしれないが、生憎と限界OLのダル絡みにしか見えない。
ノエル先生という身近な典型例に引っ張られている気がしなくもないが。ただなんというか、常に活動限界までミリ残しなあの人と違って、この少女は如何にも仕事が出来そうなぶんより切迫感が強いのだ。
ノエル先生が引っ叩けば直るブラウン管テレビなら、少女は替えの利かない精密機器だ。迂闊に触り難い。もっと言えば、それが酷使される状況そのものが穏やかではない。
まあ端的に言うと鬱陶しいので、顔面を引っ掴んで押し返す。指の間から、深紅のジト目が抗議するようにこちらを睨んだ。
「誠意ってやつが足りてないわね。私が睨みを利かせてなきゃ、貴方は泊をつけたい魔術師と三流死徒にバラバラにされてとっくにゴキブリの餌よ」
「どの口で。さっきも妙な犬に襲われたぞ。あれもあんたの手下だろうが」
「やだ、バレてた?」
びっくり、とわざとらしく口元を隠すアルトルージュ。
例の地下空間は、既に一度制圧された後だった。
シエル先輩やアルトリウスに先んじてあの巣を突き止め、阿良句の配下と思しき蜘蛛の化物を傀儡とし、何よりあのアルトリウスから片腕を奪うだけの強者を従える何者か。
それらを成す動機と、成し得るだけの能力を兼ね備えた人物。同じく祖の一角たるタタリが未だ実体をとらない以上、消去法で彼女しか考えられない。
無論、これは鎌かけの域を出ない。彼女とてそんなことは重々承知の筈だ。にもかかわらず、はぐらかそうという素振りすら見せずにいる。
それが何よりも雄弁に彼女のスタンスを語っていた。自身の優位を当然のこととして、俺にひけらかしたいのだ。
これから踏み潰すだけの虫に力を誇示する者はいない。そして、これはあくまで俺の見立てだが、アルトルージュは弱者を嬲る機会を有難がるような小物ではない。
根っからの合理主義者だろう。稚拙な色仕掛けの最中でも、こちらを見据える瞳の無機質さは微塵も移ろうところがない。
死徒を討つにあたってのアルクェイドと同じだ。そしてあいつと同じように、彼女もまた俺に何かをさせようとしている。
「俺に、どうしろと?」
「いいわね、察しの良い子は大好きよ。安心して。別になにか大それたことをしろってわけじゃない。新しい星を見つけろだとか、生命の起源を解き明かせなんて言うつもりはないわ」
随分と勿体ぶった言い回し。
ここで焦れたら相手の思う壺だ。鼻と鼻の触れ合う距離で見つめ合いつつ、その先を待つ。
「簡単よ。アルトリウス共々、私と一緒に来てくれればいいだけのこと。もちろんタダでとは言わないわ」
膝に向かい合わせで跨った姿勢から、さらに前のめり。伸ばされた両手が俺の首の後ろで組み合わされる。
「──貴方の人生に、アルクェイドを取り戻す手伝いをしてあげる。どうせ今のままじゃ遠からず何処ぞの死徒か魔術師、あるいは代行者の手にかかるだけだし、考えるまでもないと思うけど」
寄せられる小さな身体。
鼻をくすぐる甘い香りには、何故か憶えがあった。