つぷり、と幼い牙がわたしの首筋を貫く。
皮膚を食い破ったそれが、血液を吸い取っていくのを感じながら、しがみつく我が子の背中を撫でる。
一心不乱に喉を鳴らす様は、一人前の吸血鬼と言っていいだろう。
吸血も随分と上手くなった。これなら地上に出ても、十分獲物を狩れるだろう。
この子が生まれ落ちて、はや三か月。
驚異的な成長速度はなおも変わらず、とうに乳離れも終えて、既に個体として自立しつつある。
独り立ちが早いのはいいことだ。わたしの活動もいよいよ限界が迫っている。
地上は言わずもがなこの城においても、星のバックアップを享受してなお、眠りを強いられるまでもう時間がない。
とはいえ、問題もあった。とても早く成長するということは、それだけ消費するエネルギーも膨大になるということでもある。
本来であれば、数世紀かかるはずの肉体の構築と調整をこれだけの短期間でこなしているのだから、星からの供給ではとてもじゃないが立ち行かない。消費に供給が追い付かなければ、行き着く先は破産しかない。
なので、こうして、不足した分はわたしの血液で補填しているのが現状だった。かつてヴローヴ・アルハンゲリが求めた、原理血戒すら抑えつけるほどの、真祖の心臓。この星において、これ以上のリソースはない。
もっとも、新たな真祖を育てるために既存の真祖の血肉を分け与えているのだから、共食い整備となにも変わらないが。資産は絶対的に不足している。
まったくもって訳が分からない。無駄を通り越して非合理だ。いったい何を目的として、星はこのようなデザインを施したのか。
生存戦略だろうか。
限界まで成長スピードを引き上げることで、個体として脆弱な時期を最短でやり過ごす、といった。
そもそも、そこまでするだけの脅威がこの千年城にあるかという話になるが。
「ふ……」
ドレスの間隙を貫いて、首筋にいっそう強く押し付けられる未熟ながらも立派な牙の感触に、反射的に息を漏らす。
あるいは、笑い声だったかもしれない。真祖の姫君ともあろう者が、自ら他者の牙に己の首を差し出すなど、誰が信じるだろうか。
こくりこくりと懸命に喉を鳴らす我が子がどうしようもなく愛おしくて、嚥下とともに規則的に上下するその背中を、ほんのり温かな体温を掌に感じながら、二度三度上下にさする。
死徒は吸血と共に己が血を流し込むことにより子を作り出すが、真祖にその工程は必要ない。ただ血を吸うだけだ。与えるまでもない。
獲物の血を取り込むと同時に己が血を与えるという、いわば代償行為すら必要とせず、ただ血を奪うだけで人類を従える。それは真祖の標準的な機能であり、わたしたちにとっての血という朱の価値そのもの。
故に、真祖の血を一滴でも取り込んでしまえば、その侵食は激烈なものとなる。ましてや最高純度の王族たるこの身に流れるものであるなら猶更。
並みの人間が相手なら、人格の上書きとまではいかないものの、自由意志のほとんどを剥奪し支配下に置けるだろう。
その原初の一の血をほしいままに取り込んでいるのがこの子だ。
成長速度以上に……わたしの、このアルクェイド・ブリュンスタッドの血を主食としている点で、この個体は一線を画している。
そう、この子はわたしの血を糧にしている。
それこそが、ただの真祖と人間のいいとこ取りに留まらない、真に驚嘆すべき、この新しき真祖の特性だった。
前提として、真祖にとって吸血行為は吸血衝動への片道切符だ。そのことは、身をもって痛いほどよく理解している。
しかし、この子に吸血衝動は存在しない。とある偶然を経て、わたしが得た答えだった。
こうなるともはや、真祖の埒外とまで思えてくる。そこに原因があるとするなら、それは──
「間違いなく
そもそも人間の血が混じった真祖など他に例がないのだから、固有の特性が生じたきっかけとして疑いようのない。
異なる品種や系統の組み合わせにより、子の能力が両親のものを上回ることがある。
雑種強勢というそれは、間違いなくこの子の例にも当てはまるだろう。
真祖という生物が抱える宿痾。
いうならば存在そのものに刻まれた頸木を、対極たる人間の血が中和したのか。
無論、ただの人間の血ではない。
平凡な人間のそれでは、最強の生物たる真祖の血の抑制など不可能だ。それどころか、子を成すことすら叶わない。
だがそれが──片割れたる人間の血が、魔を退けるために、何世代も何世代も、時には近親交配すら交えて、極限まで研ぎ澄まされた逸品であったとしたら、どうだろう。
いつか、この子を介して垣間見た■■志貴のはじまり。
やはり、あの丘の上にそびえる屋敷は、志貴の家ではなかったのだ。あの妹も、志貴の本当の妹ではない。
とはいえ、記憶で覗いた彼の本当の家族は、しかしそちらもやはり真っ当とはいえなかった。明らかに、神秘の世界で生きる者たちだ。
だいたいそうでもなければ、いくら死を視る眼があったとして、このわたしを殺せるものか。
あの洗練された殺人技巧と、彼の語っていた衝動。‘‘食堂‘‘にて異形の死徒相手に見せた殺意の原点はあの隠れ里にある。
そうした特別な血を持つ彼だからこそ、このわたしの血にすら抗えたのか。この世にたった一つ、わたしと彼でしか成し得ない奇跡があった。
その果てに愛の結晶があったことに、月の兎のように跳ね回りたくなる歓喜が込み上げる。
「……うん。せっかくだから、人間なところも、活用させてもらうとしましょう」
既存のあらゆる真祖と異なり、人間としての肉体を持ち、故に父親由来の魔術回路も持つ。すなわち、魔術を行使し得る。
志貴は気づいていないだろうし、わたしもあえて指摘することもなかったが、彼にはかなり魔術の素養がある。習熟すれば、わたしが埋め込んだ混沌──魔術師上がりの死徒の置き土産を使役できる程度には。
これも好都合だ。身元預かりのレンのマスターとしてうってつけだろう。
なまじ強力な夢魔であるぶん、相応に魔力消費も激しいため持て余していたが、この子であれば罷り間違ってもレンに食われることはない。
そしてレンを悪用することも、流石にないと思いたい。わたしの教育次第だが。
それにしても、実に不思議な生き物だ。
この個体が生み出された目的を知るためには、生態観察が不可欠だろう。我ながらなんとも酷い言い方だと承知の上で、教会と協会にとっては研究対象として垂涎の的だと断言できる。
例えば排泄や入浴を必ずしも必要としない点では、代謝という面において真祖と変わらない。全くもってちぐはぐだ。
正直、このまま血を与えるのがいいことなのかも分からない。一度、人間らしい食事を与えてみるべきかもしれない。
もっとも、ただの栄養源、そして真祖として完成するためのリソースとして、わたしの血液以上のものなど存在しないのだが。
真祖の姫。
アルクェイド・ブリュンスタッドの血液。
その一滴を、これまでいかほどの死徒や魔術師、教会勢力が喉から手が出る程に追い求めてきたか、想像を巡らせることすら徒労に終わる。扱いようによっては、地球人類そのものを抹殺し得る呪いなのだから。
身の程知らずにも
当然だ、と嗤う。
誰がこの血を啜ることを、ましてや頸を差し出すことを許すものか。例外があるとすれば、この子と──
「駄目。志貴にわたしの血を与えて死徒にするなんて、絶対にイヤだけ、ど──」
一瞬、ぐらりと視界が揺れる。
一度に血を失いすぎたか。この吸血は命そのものを捧げる行為であるため、奪われる側のわたしには相応の負担がかかる。
これは、かなり繊細な作業だ。舵取りを誤れば、わたしが己の吸血衝動を抑えるために必要な、最小限の力すら失いかねない。
あくまでその最小限を確保しつつ、そのうえで限界まで血を与えなければならない。その失敗は、即座に世界の終わりを意味する。
さすっていた我が子の背中を軽く叩き、真祖の様式に則って、我が後継者たる個体として授けた名を口にする。
「こら。……いい加減、満足したでしょう。今日のところはここまでになさい、アルトリウス」
「…………ん……」
アルトリウスと呼ばれたその子は、母の制止をうけて不承不承、首筋から唇を離した。
こちらにもたれたまま、無言で抗議するような目を向けて、それから名残惜し気にわたしの首筋に目を移す。全く満たされていないらしい。
「……お母様」
「飢餓。飢えて餓えて喉を掻きむしる。アルトリウス……吸血衝動の代わりに、あなたに植え付けられた宿痾がそれなのかしらね」
その貪欲さではなく、ただただ余りにも底が見えないその容量に嘆息する。
並みの死徒であれば身も心も灼き尽くされ、人間であれば一欠片でも喰らえば魂そのものが芥も残らず燃え尽きる、我が血潮。星そのものの熱量を既にアルトリウスは貪欲に喰らっていながら、なお満たされない。
わたしに伍する性能を誇り、吸血衝動の代わりに飢餓衝動に飢えて餓える、この星が生み出した最後にして最強の真祖の王族。
この捕食者を地上に解き放てば、地上に残された遍く神秘にとって、総てを喰らい尽くす天敵となるだろう。
あなたにはその資格と、最新のアーキタイプ・アースとして、この惑星を統べる義務がある。
「あぁ……」
血を多量に譲渡した影響か、少し眠くなってきた。頭が重く、目玉が零れ落ちそうだ。
腕の中の温かさに酔いしれながら、わたしは瞼を閉じた。
微睡む意識。
その片隅で、ふと胸が騒ぐ。
とある命題。この子を生み出した星の意思。
その答えが見つかったとき、わたしたちは親子のままでいられるだろうか。