互いに生態波長は切っているものの、壁一つ隔てる程度まで接近すれば、存在ぐらいは感知できる。
「──それでは、またいずれ」
剣の妖精は恭しく膝を曲げて会釈すると、霞のように忽然と姿を消した。再会するつもりなのだろうか。
浮き雲のように捉えどころのない存在ではあったが、どうやらそれなりに要領は良い方らしい。
退散した直後、絶妙なタイミングで入れ替わるように、白い化身が宝物庫に踏み込んでくる。
ざっと視線を巡らせるや目を瞑り、天を仰ぐ。
「あなたねぇ……本気でこの城を平らげるつもり?」
城主とはいえ、蔵の貯蔵を全て把握していたわけではあるまい。そもそもお母様が誕生する遥か昔に収集されたものの割合が遥かに大きい。
そのうえで、かつてこの城におわした真祖たちは、お母様に何も与えることを望まなかった。
宝物庫に収められた真祖の秘宝も当然それに含まれる。
もっとも、その真祖たちも潰えて久しい。
いまこの内海に在るものは私とお母様、そしてお母様が預かる夢魔であるレンだけだ。
今後、新しい真祖がこの城に発生する可能性は必ずしも否定しきれないものの、ほぼ見込みはないだろう。肝心の使う者がいなければ、いくら貯めこんだところでそれは死蔵だ。
むしろ、私の糧とする方が遥かに建設的ではないかと考えて、そのままお母様に投げてみれば、頭痛を堪えるような反応を返される。
「ものは言いようね。地上の全てを天秤にかけても到底釣り合わない財を半分も空にして」
「ですがその秤が高く持ち上がったのだとしたら如何でしょう。なにしろ代わりに星を乗せたのですから」
「ならせめて事前に許可ぐらい取りなさいよ」
「そうしたらお母様は許しを下さいましたか?」
結果は火を見るように明らかな以上、あえて勝てない戦いに挑むことはないのだ。
既に腹の中に収まった以上、起きてしまった過去は変えられないのだから。
そんな魂胆を見透かして、お母様は眼尻を吊り上げる。
母親が言うことを聞かない稚児に見せる苛立ち。それでもこれを前にして、並みの吸血鬼では呼吸はおろか瞬きすら許されない。
お母様の足元でこちらとあちらの顔を交互に見上げていたレンが、全身の毛を逆立てながら反射的にこちらへ飛び退いた。
そうして直ぐに、今度は真正面からお母様と相対する羽目になることに気付いて、慌てて残された財宝の山へ飛び込む。
私もお母様も、逃げていく尻尾に一瞥をくれることもなかった。これから始まることを思えば、遠ざかってくれた方が好都合だ。
「……そうねぇ。既に喰われてしまった以上、取り返しはつかないかしらね」
「いくらお母様でも、過去改変は難しいと」
「流石にそれをするだけの価値はないの。えぇ。わたしがそう判断した以上、最早あなたに
じゃり、と乱雑に散らばった宝石やら鉱石やらをなんでもないように踏み躙りながら、真祖の姫は一歩ずつ近づいてくる。
その無関心こそがそのまま、この蔵に収められた財の無用さの証明となる。無くなったならそのぶんだけ出せばいい。
地球がある限り、我々の資産は尽きることはないのだから。
なので、いまお母様を動かしているのは、報復でも懲罰でもなく。
「そう、教育よ」
ゆらりと、これ見よがしに持ち上げられる腕。
既に教わったことだ。目に見える動きだけに囚われてはならない。
爪が振るわれる寸前、こちらの足元を崩しに飛来した真空の刃を蹴り飛ばす。
タイミングは完璧だったが、流石に重い。
思わず踏鞴を踏んだところへ重ねるように放たれた、本命たる星の息吹を同じ空想で迎え撃つ。
一秒間に都合三億回の応酬。
振るう爪。それに呼応かの如く、大気がとぐろを巻き、迫る真空の刃。
同時に射出したこちらの衝撃波があちらのそれに相殺される。
絶叫を奏でる気流の向こう、互いに相手がなお無傷なことを確認する。
乱れ飛ぶ大気の一閃は、私達以外の全てを須らく粉塵へと変えていくのみ。
ああ、どうせこうなると分かっていたから、お母様が折檻に来るまでになるたけ腹に詰め込んでおきたかったのだが。
「余裕ね。
お母様はヒールの先で床を小突く。「授業」中に不出来な解答を提出した際に見せる仕草。
事実、鍔迫り合いは徐々にこちらの劣勢に傾いている。
同性能の真祖。同じバックアップを受ける以上、違いが出るとすれば完成度と経験、それから技の精度となろう。
故に、同じ手で戦う限り、私は絶対にお母様に勝つことはできない。私たちの戦いに「あいこ」は存在しないのだから。
「……ッ」
仕切り直しを図り、斜め後方に飛び退いた瞬間、全身を襲う痛みと倦怠感。くらりと、一瞬視界が揺れる。
それが宇宙空間へ放逐するに匹敵する減圧だと、理解するのに時間はかからなかった。
「アルトリウス、わたしとあなたを分けるものは何かしらね?」
「……真祖としての完成度と経験、それから技の精度でしょう」
「そうだと分かっているなら、最後にもう少し思考を及ばせなさい。相手の土俵で馬鹿正直に戦う奴はそれこそただの馬鹿なのよ」
──もとより真祖の戦いとは元素を生成し、配合し、支配し合うものである。
その点において、純粋な精霊であるお母様の精度は人間の混じりである私を上回る。
お母様は自然への理解度だけでこちらを圧倒し、ただそこにあるだけで、周囲の自然が牙を剥く。
そのように造られた生き物なのだ。
身体の内側からの軋みを骨伝いに聞きながら、改めて敵を見据える。
あくまで「教育」でしかない以上、お母様の攻撃に殺意はない。
だがそれを差し引いても、恐れも興奮もなにも抱かなかった。肉体は悲鳴を上げながらも、頭の中は水を打ったように静まっている。
そうだ。私もまた、このように造られた生き物だった。
七夜の血。本来受け継がれない超能力を遺伝させるにまで至った、何世代にも渡る妄執の産物。その魔を狩る本能は、私の内にも根付いている。
「……そうですね」
お母様の言う通り、空想具現化によるせめぎ合いでは、いまの私に勝ち目はない。
加圧で対抗しても次々に攻め手を打たれればジリ貧だ。釣り上げられた深海魚になる前に、最短距離でお母様の真正面に飛び込み、爪を尖らせる。
空間そのものに作用する気圧操作であれば、密着するまで。思った通り、身体の不調は収まったが──
「遅いわ」
──先手を取られた。
構えすらとらず、直立からの踏み込みだけで目前に迫る白い化身。
音もない。当然だ。私たちの戦いにおいて、音はあまりにも遅すぎる。
咄嗟に繰り出した爪は、金髪を虚しく揺らすのみ。迎撃に失敗したと判断し、即座に横跳びで回避行動に移る。
空振るお母様の爪。
一瞬、お互いが交差する。
宙に浮いたまま、床を掴む右腕を支点に無防備な脇腹へ蹴りを突き入れる。
当たり前のように躱された。これでいい。最初から当たることなど期待していない。
ただ、お母様を一瞬釘付けにできればそれで良かった。
魔術回路を起動。記憶の中の魔術を見様見真似で出力する。
「 」
詠唱。ベケムとかいったか。
由来は知らないが、星の嬰児たるこの身なら、自然現象の猿真似程度の再現など雑作もない。
迸る雷霆。蒼白い閃光が一瞬、宝物庫を明るく照らし出す。少なくとも視界に映る範囲にレンがいないことに安堵する。
「なにを……?」
お母様は、ただ不思議そうに瞳を揺らす。そこに焦燥の色は微塵もない。
当然だ。こんなもので真祖の王族は打倒できない。そもそも殆どの魔術には耐性がついている。
聡明な彼女であれば、こちらの意図すら容易に見抜くだろう。
ただ、私と違って魔術回路を持たず、魔術を扱わないので咄嗟には出てこない。
これこそが私とお母様の差異であり、先ほど彼女が語っていた土俵の違いであった。
自然現象そのものたる空想具現化と異なり、魔術であるこの雷霆には、私の魔力という不純物が混ざっている。
そんなものを、つい先ほど無惨にも切り刻まれた、数千年モノの神秘たちの成れの果てである粉塵立ち込める密室で垂れ流したとしたら。
劈く爆音。熱風が宝物庫を一掃する。
爆発に次ぐ爆発。連鎖しているのか。
思わず嘆息するほど、見た目には華があり、ついでに生き残っていた数少ない霊装まで余さず灼き払う程度には威力もある──が、残念ながら期待外れだ。
爆発の只中にいる私が呑気に見守られる火力。であれば当然、もう一人の真祖の王族に効くはずもなく。
派手な火遊びが終わり、もうもうと立ち込める煙。
そのカーテンの向こうから、吸血姫が拍手と共に姿を現す。
「お見事。発想としては悪くなかったんじゃない? うーん……アル美先生的には59点かな?」
けらけらと可笑しそうに笑うその顔には、先ほどまでにはなかった金色の丸眼鏡。
これはもう、完全にこちらをおちょくるモードに入っている。こちらの万策尽きたと断じて。
「落第ということですか」
「うん。だから、まだ地上には出したげない」
「…………」
その姿がどうしようもなく腹が立つので、どうにかして次の手がないかと視線を巡らせる。
…………と、廃墟同然と化した宝物庫の最奥に、燦然と煌めく長剣の姿を見つけた。
「ほぅ……」
いくら戦闘訓練とはいえ、仮にも真祖の王族同士の戦いの場にありながら、傷一つないとは。
流石、あの剣の妖精が豪語するだけはある。
私と魔剣から隔てるように火焔の壁を具現化し、お母様を牽制する。
完全に油断していたか、それともこちらの出方を窺っているのか、特に反撃や妨害はない。
そのまま壁と壁を跳び移り、最短距離で魔剣の元まで辿り着いた。
振り被るには余りにも長過ぎる柄を握り、教わった真名を謳う。
「来なさい。魔剣『真世界(リアル・オブ・ザ・ワールド)』」
────瞬間、世界が真っ白に弾け飛んだ。
◆
「────」
そうして、どのぐらいが経ったのか。
気付いた時には、私は千年城の庭である、ムーン・マーガレットの花園に佇んでいた。
宝物庫からそのまま弾き飛ばされてきたのだろう。
あの魔剣の一撃に指向性があるのかは知らないが、もし全方位であった場合、宝物庫どころか城そのものに相当なダメージが入ってそうだ。
まぁ、お母様がいる限り勝手に戻るから大丈夫だろう。そのお母様も、私がこうして健在な以上は大事あるまい。
とはいえ、意図せずあれだけの大破壊を為した以上、どうにも速やかに戻る気にもなれず、ぼんやりと天蓋を見上げる。
……と、背後から花園を踏み分ける足音が。
大人の足音。お母様か。
もう迎えに来たのか。きっと説教だろう。
自業自得とはいえ、やや億劫な気持ちで振り向いた。
「……え」
しかし、そこにいたのは、見慣れた白い吸血姫ではなく。
「いつまでもぼさっとしてると危ないわよ?」
朱い長髪を靡かせた、ラフな格好の妙齢の女性。
口振りとは裏腹に、微笑ましげに私を見下ろす。
蒼崎青子。最新の魔法使い。
私が生まれて初めて見る、この城の住人でない誰かだった。