鬼の貌を発現した刃牙。
四門を開けた九十九。
全身の筋繊維は傷つき、骨は折れて、肉は裂け、体力は底をついていた。
それでも2人は尚も笑った。
そして次の瞬間、2人が動いた。
闘技場の中央で2人は全力で殴り合いを始めていた。
序盤に見せた流麗な技の攻防ではない。
もっと泥臭くて、もっと痛い殴り合いだった。
刃牙の拳が陸奥九十九の顔面を捉えたと同時に、九十九の蹴りが刃牙の腹を抉る。刃牙はお構いなしに飛び膝蹴りを陸奥九十九に喰らわせるが、陸奥九十九は顔面で受け止めてオーバーハンド気味に刃牙に一撃をお見舞いする。
陣雷が、マッイイツォが、凛子が、羽生が、そして舞子が呆気に取られていた。
思えば長い間、陸奥九十九の試合を見てきた。
いつもいつもボロボロで、全力で、絶対に勝つ陸奥九十九が…
こんなにも楽しそうに戦うところを始めて見た。
戦って!!!九十九!!!
舞子は叫ぶ。
・
刃牙は楽しくて仕方なかった。
こんなに楽しい。楽しくて楽しくて楽しくて仕方ない。
戦う理由、新しい道…んなのどうだっていい。
楽しい。殴り合っていると、相手の気持ちも伝わってくる。九十九さんは、楽しいってより…『面白がってる』な。
アー…馬鹿なことで悩んでたな…
親父と戦って目標達成…!?
馬鹿…馬鹿言っちゃいけない…
戦うのが好きだ。
力比べが好きだ。
どっちが強いか比べるのが好きだ。
それで、生まれる絆?もちろん大好きだ。
それでいいじゃねえかッッッ!!!!
最愛に理由がいらないように、道を歩くことにも理由が必要なのか!?
いや、もっと言うと、俺が道を選ぶのではなく、道が俺の前に立っている。
それが俺の武道…道自身が俺?刃牙道???なんでもいいや。
九十九さん、アンタもそうなんだな。
不敗の証明…そんなのは不可能だ。
証明しようとすれば、死ぬまで戦う修羅の門。
アンタが門を潜るのではなく、門があなたの前にあるんだ。立って戦い続ける。それが陸奥九十九なんだな。
拳で殴るたび、殴られるたび、陸奥九十九が伝わってくる。修羅のように怒りと悲しみと強い意志を持った男。彼はどこに向かうのか?いや、向かうと言う行為自体が既に目的なのだ。戦うことが目的なのだ。勝ちたい…勝ちたいがなぜ勝ちたいのか…それは、納得したいからだ。死ぬまで納得したいのだ。不敗を証明するのが目的ではなく、証明し続けることが目的。九十九が門を潜るのではない、陸奥九十九が修羅の門。だから修羅の門は終わらない。
今、俺の道とアンタの門が交差して、殴り合っている。こんなに嬉しいことはない
刃牙は笑った。
九十九も笑った。
まるで遊んでいるみたいだ。
「…礼を言う。不破現」
範馬勇次郎は現を見ずに言った。
「こちらこそ」
不破現の目に少しだけ涙が見えた。
・
陣雷は思う。
嫌だったんだよな。子供の頃夕方の5時が。
大体、その時間になったら、日が暮れてきて、遊んでいても帰らなきゃいけなくなってさ。もう終わり?って毎日思うんだ。遊び仲間達の背中を見ながらさ。
あれ?なんで俺、こんなこと考えたんだろう?
あ、そっか、もうそろそろ終わりだからか。
・
花山はつぶやいた。
「もはや試合じゃねえ、喧嘩ですらねえ」
梢は笑った。
「そうですね、言うならば…」
言うならば、戯れ…
・
徳川光成は泣き笑いの表情を浮かべていた。
最高じゃった…ッッッ!!!
間違いなく、人生の5指に入る至福の時間ッッッ!!!!
夢が叶った。刃牙と九十九が戦っておるッッッ!!!なんて良い試合…なんて良い男達じゃ!!!
しかし、それが終わるぅうう…いやじゃいやじゃ!!!!
・
決着は呆気なかった
それは…本当に自然な…成り行きだった。
陸奥九十九が腰に縛っておいた小刀。その縛り紐が緩んで小刀が落ちた。全くそれは自然な、頭で考えた動作ではなかった。
陸奥九十九は落ちそうになった小刀を反射的に左手で掴んでとった。
その隙を刃牙が見逃すはずもなく、鋭い右ハイキックを九十九の顔面に打ち込んだ。
そして、これも偶然の成り行きだった。九十九は左手でブロックしようと腕を上げる。
すると、自然と刀の鞘でハイキックを受け止める形になった。生の腕ではなく、固い鞘でしっかりと確実に刃牙のハイキックを受け止める九十九。突然の違和感、刀を思いっきり蹴り上げた痛みに少しだけ、ほーんの少しだけ動きが鈍った刃牙と、想定よりもしっかりと蹴りを受け止められた九十九。
九十九に与えられた数瞬の猶予。
突如降って湧いた、神が与えた時間。
陸奥九十九は折れて粉々になって使い物にならない、右拳で刃牙の顔面を殴った。
刃牙は思う。
右ッッッ…使えるんだ…ッッッ!!!いや、絶対…そんな訳ないッッッ!!!だって…俺の右手ッッッ…死ぬほど痛いもんッッッ!!!じゃあ、痩せ我慢して殴ってきたんだッッッ!!!
あんた…ほんっっっとに負けず嫌いだなッッッ!!!!
躱せる?無理、少しだけ顎を上げて…受け止める。
不意の一撃、しかし、刃牙は的確に対処しようとした。刃牙の誤算がもう一つあった。
九十九の折れてあらぬ方向に曲がっていた指。それが勢いで解け、わずかに角度が変わった。
チッ…と言う微かな音がした。
刃牙の顎先に九十九の指が微かに擦ったのだ。
それで充分過ぎるほどだった。
刃牙の脳は揺れ、頭蓋骨に柔らかな脳みそは叩きつけられ、刃牙の意識は途絶えていった。
意識が薄れていく中、最後に見たのは九十九の顔だった。
彼は、驚いていた。あっ!!!と今にも叫びそうな…そんな表情だった。
やめろよ、九十九さん…そんな…顔…すんなよ…
刃牙が倒れた後、九十九は目線を逸らさず刃牙を見ていた。
「刃牙ッッッ!!!!」
「九十九ッッッ!!!」
舞子と梢は男の名を叫んで、駆け寄った。
そして、2人は男を抱きしめると、
「本当に馬鹿なんだからッッッ!!!」
と叫んだ。
「範馬刃牙に…あんな決着は…」
苦虫を噛み潰すような表情の陸奥九十九。
全身がガタガタで舞子が肩をかしてなんとか立って歩く。
「九十九さん…すまないッッッ…」
倒れる刃牙は梢の肩を借りてなんとか立ち上がった。
「九十九さん、すまない…ッッッ!!倒れてしまった!!!」
刃牙は九十九を慮っていた。確実にあの一撃は九十九の実力によるもの。しかし、そう九十九は思わないだろう。偶然、しかも道具によっての決着。それを彼が良しと思わないことを、拳を交わした刃牙は痛いほど理解していた。
「刃牙…」
刃牙は梢からゆっくりと離れると、震える拳でファイティングポーズを取った。
「仕切り直そう」
九十九も舞子から離れて拳をなんとか握った。
「恩に着る…」
2人が再び立ち会った瞬間、舞子は陸奥九十九の梢、は刃牙の頭をスパーンッッッと叩いた。試合ならば死合ならば決闘ならば、男の戦いは止めない。しかし、もはや戯れとなれば話は別である。
「こんの馬鹿ッッッ!!!」
と2人の一撃で九十九も刃牙も砂の上にドターンとぶっ倒れた。女の一撃で微かに残っていた体力が遂に底を尽きたのだった。
梢は舞子を見て笑った。
「お互い、苦労しますね」
梢が笑うと、舞子も笑った。
「本当にその通り」