範馬刃牙VS陸奥九十九〜修羅の門と刃牙道と〜   作:中村鹿男

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第五話 鬼門

 漆黒の空間。少しの光もない。完全な黒。

 その中で男が座っている。

 ピンと神経が張り詰め、彼は肉体という檻から解放されていく。感覚が研ぎ澄まされ、この空間の中で起こることが全て分かる。そこは道場だった。外では微風が吹いているのか窓ガラスがほんの微かに揺れる。床の軋みが坐禅を組む足に伝わる…もっと…もっと…研ぎ澄ませていく。己を拡張していく。

 誰かが近づいてくる。遥か遠くから足音が聞こえてくる。彼が知覚して1分後、コンコンと扉を叩く音。

 そして男が扉を開いて入ってきた。

 光がすー…と暗黒の部屋を照らしていく。

 部屋の中で座禅を組んでいたのは、片山右京だった。開けて入ってきたのは鬼頭達馬だった。ここは鬼道館の道場である。時刻は夜の9時を少し過ぎたところ。片山右京は遮光カーテンを全て締め切り、坐禅を組んで精神統一をしていたのだった。

 

 「次の…陸奥九十九の試合が決まったそうだ。」

 

 片山右京はゆっくりと目を開ける。

 

 「誰ですか…」

 

 「範馬刃牙…」

 

 「範馬…」

 

 片山右京は噛み締めるようにそう呟いた。

 神を超えた天才、氷の貴公子の心に火が灯ったようだった。

 

 

 土曜の夜、神武館。

 談話室で舞子、凛子、陣雷、マッイイツォの4人は食い入るようにテレビを見ていた。

 動画サイトに公開されていた刃牙と勇次郎の親子喧嘩を見ていたのだ。生中継の時とは違い、動画を止めたり、コマ送りにしたりしてじっくりと見る。

 

 「人間じゃないわ」

 

 凛子がこともなげに言う。

 

 「特にお父さんの方。達人の域を超えた達人。力も早さも技術も一流なんて言葉じゃ足りないくらい」

 

 そう言って手を上げる姿はまるでお手上げと言いたげだった。

 

 「それでも…」

 

 と舞子はつぶやく。

 

 「それでもムツは戦いたがるだろうな」

 

 マッイイツォは腕組みして言う。

 

「英語だから何を言っているのかわからないが…わかるぜ…陸奥九十九は絶対にこの男の前に立つ」

 

 陣雷はせんべいをバリバリと食べながらうんうんと頷く。そう、それが陸奥九十九という男なのだ。陸奥圓明流の不敗を証明するため、常に強い相手を求め続ける。

 

 「あら、男ってどっちの男?」

 

 凛子は微笑みながら陣雷に尋ねる。

 

 「そりゃデカいほうっす」

 

 「なんで?」

 

 「そりゃ、デカい方が強いから…」

 

 「あら…実はね、私、1年前の神心会のオープントーナメントで戦っている刃牙くんのことを見たことあるの」

 

 え!?と皆凛子を見る。

 

 「神心会の愚地さんがコッソリ招待してくれてね。その時もこの刃牙くんは強かったけど…この動画の彼は…その時と比べものにならないぐらい強い…それだけ成長速度が早ければ、この数ヶ月で更に強くなっているかも知れないわ…どちらにしろ…一筋縄ではいかない相手よ」

 

 「九十九は負けない」

 

 舞子はそう言い切る。

 

 「あらなぜ?」

 

 凛子は悪戯っぽく尋ねる。

 

 「あいつが「俺が陸奥九十九だから」」

 

 陸奥九十九はいつのまにか談話室の入り口に立っていた。

 

 

 「マッイイツォが怒ってたよ。ブラザーだろって」

 

 真夜中に近い時間。神武館の屋上で風に当たっていた陸奥九十九の後ろ姿に舞子は話しかけた。

 

 陸奥九十九が範馬刃牙と戦うことが決まったと告げた時、その場にいた者たちは何か宿命めいたものを感じずにはいられなかった。

 1000年不敗の陸奥圓明流の宿命。強敵と戦い続けることを陸奥九十九は運命づけられている。故に彼の伝説は終わらないのだ。マッイイツォはなぜ1人で徳川邸に行った!!!と憤慨して九十九に詰め寄っていた。

 

 「マッイイツォを信頼していないわけじゃない」

 

 「知ってる」

 

 舞子はそう言って陸奥九十九の隣に立った。

 彼女は幾度彼の横にこうして立っただろうと思い返す。そして何度その背中を追ったのか…もう二度と追わない。そう…今度は…一緒に…

 

 「どう?範馬さんは強そうだった?」

 

 「ああ、とびきりな」

 

 軽やかに、どこか嬉しそうに話す九十九。

 少し前の舞子ならば「範馬刃牙は陸奥九十九よりも強いの…強かったら…負けるの?」と尋ねているところだろう。しかし、彼女は落ち着いていた。

 

 「でも、陸奥九十九よりは弱い…」

 

 舞子はそう言い切った。

 

 「…そういうことなら…勝つな」

 

 陸奥九十九は笑い、舞子も笑った。

 舞子は笑いながら思う、陸奥九十九は新しい門を開いたのだ。それは鬼へと続く鬼門…

 ふと、舞子の頭に疑問符が降ってわく。陸奥九十九の伝説は終わらない。でも、いつか終わる日が来る。それはいつだろう。陸奥九十九が負けた時?おじいちゃんになって戦えなくなった時?それとも世界最強の生物を倒した時?そもそも最強の証明って…

 かぶりを振って不安を振り払う。

 彼は修羅。そして…私は…ついていく

 

 

 透き通った赤、脂がキラキラと輝く。それをもんずと箸で取ると醤油に少し浸し、ふむ、と頷いた後、渋川剛気はパクりとマグロを食べた。

 高級、と言うほど値段は高くないが安くもない。そんな和食屋の個室。テーブルを挟んで刃牙と渋川は刺身をつついていた。

 

 「美味いな。マグロの身がよくしまってる♡」

 

 渋川は歌うようにウキウキと笑う。

 

 「刃牙ちゃんや、久しぶりじゃねえか」

 

 「久しぶりですね」

 

 「見たぜ、勇次郎との親子喧嘩。大したもんだった」

 

 渋川はうっとりとした表情を見せる。あの日の2人の対決を脳裏に思い起こしている様子だった。

 

 「正直、ちょっと妬けたぜ…お前にも、勇次郎にもな」

 

 刃牙は薄く微笑んだだけで何も言わなかった。すっと箸を動かして今度は白いコハダをつまんで口に運ぶ。

 

 「今度、陸奥九十九と戦うことになりました」

 

 静かに刃牙がそう言うと、渋川の目がはっと見開いた。

 

 「それはまた…お前…大変な奴と戦うな」

 

 「知ってますか、陸奥圓明流」

 

 「ああ…時代の影に生きてきた殺人拳の使い手だ。陸奥九十九…ありゃ…強えぞぉお」

 

 「でも、なんでそこまで強い人が、地下格闘技場に現れなかったんですかね」

 

 「龍造寺鉄心だよ」

 

 「あの神武館の…?」

 

 「そう、あのジジイが御老公に言って出場させないようにしていたんだとよ…」

 

 「なんで…?」

 

 「わからん…分からんが…御老公は、龍造寺鉄心が陸奥九十九を慮って出場させなかったと思ってるらしいが、馬鹿言っちゃいけねえ、龍造寺鉄心はそんな甘い男じゃねえやな…そりゃそうと…どうだ?陸奥九十九とヤリあえるなんて…楽しみだろ♡刃牙♡」

 

 ニヤリと笑う渋川とは対照的に刃牙は静かだった。

 

 「ええ、強いらしいですね」

 

 「どうしたよ、刃牙?」

 

 陸奥九十九ほどのビッグネームと戦うと言うのに、刃牙には試合を前にした者の滾りが全く見えなかったのだ。心が揺れていない…どこか…萎えているようにも見えた。

 

 刃牙は思い切った様子で話し出した。

 

 「渋川剛気…合気道を極めた男。もはや、合気道イコール渋川剛気。もはや人間国宝の域だ」

 

 「やめろや、恥ずかしい」

 

 「…頂点を極めた渋川剛気はどこに向かっているんですか?渋川剛気が思う、合気道…その道を教えていただきたい。なぜ戦うんですか?」

 

 渋川はふっと鼻から息を吐いたのち、今度は優しく刃牙に微笑みかけた。

 刃牙ぃ…珍しく悩んでやがる…親父との対決が終わっちまって、燃え尽き症候群ってところか…ッッッ!?

 

 ククク…と心のなかで笑う渋川。思えばこの少年が年相応の迷いを見せたのは初めてのことではないだろうか。

 

「刃牙ちゃん…教えてあーげない♡」

 

にははは!!!と笑う渋川とポカンとする刃牙。

渋川は茶を啜ったあと、つぶやいた。

 

 「刃牙や、お前は強い。でも、まだまだだな」

 

 

 道がどーだこーだって…刃牙よ…

 そりゃ、お前、愚問だぜ…

 

 渋川剛気は早朝の公園を散歩していた。

 大きな公園だった。周りを樹木に囲まれ、細い小道がいくつも交差する公園だ。まだ日は上り切っておらず、あたりには冷たい澄んだ空気が漂っていた。

 前から来るであろう男を想像しながら、一定のリズムで歩き続ける。

 

 結局よぉ…何歳になっても好きなんだよ。

 先生だ伝説だっておだてられても、

 根っこの部分はず〜っとおんなじ。

 

 「結局、ワシはずーっと比べ合いっこが好きなだけの大馬鹿よ」

 

 陸奥圓明流なんてよ…めったにお目にかかれねえ…上モノじゃねえかよ。千年不敗を誇るたぁ…理解し難え…大馬鹿達の中の大馬鹿じゃねえか。見て見てえ、なんならやり合ってみてえ…

 渋川剛気。誰がなんと言っても、合気道の達人中の達人。偉人である。しかし、彼はその長い格闘技人生で幾度も敗北を味わっている。負けることは死ぬほど悔しい。悔しいが悪いものでもない。負けることによって得るものもある。負けを知って強くなれる。

 しかし、陸奥圓明流は千年間負けがない。

 どんな生き物だ。どんな力でどんな精神でどんな形をしていやがる。

 そして…どこに行こうとしている…

 そもそも最強の証明とは…最強と言う言葉を聞けば真っ先に思い出されるのが範馬勇次郎である。では、範馬勇次郎を倒したら陸奥九十九の、陸奥圓明流の旅は終わるのか…いや、多分終わらない…故に修羅…戦い続けることを運命づけられた修羅王…

 陸奥九十九はどこに行こうとしている?

 

 はん…けったいな奴だぜ…

 

 渋川剛気はけっ!!!と吐き捨てるように言った。

 

 

 陸奥九十九は毎朝この公園を決まった時間ランニングしているらしい。そこを狙う。闇討ち?朝討ち?どっちゃでもいい。千年不敗を味わえたらそらでいい。

 刃牙にゃ悪いが、先にやらせてもらうぜ…ッッッ

 

 来た!!!陸奥九十九はさっさっさっと軽やかな足取りで渋川に向かって走ってくる。

 

 目の前…意外と若い…意外と小せえな。

 

 おや…???

 

 渋川剛気。護身術の達人。真の護身を完成させた男。真の護身はもはや戦う必要すらない。なぜならば危険には辿り着けないからであるッッッ!!!!

 

 渋川の眼前に突然門が現れた。空は真っ赤に燃えていた。

 身の丈を遥かに超える巨大な門。燃えるような真っ赤な支柱。その門の上には巨体が鎮座していた。

 三面六臂の神、阿修羅である。阿修羅が胡座をかいて門の上に座っていた。その顔は怒りで捩れて狂っていた。

 怒り狂う巨大な阿修羅が門の上から渋川を見下ろし、6本の巨大な手が伸び、渋川を捕まえ引き裂こうとした。魔門。禍々しい炎に燃えたそれは地獄の門。

 

 阿修羅王…門…修羅の門…?

 

 これ以上は…近づけねえッッッ!!!!

 

 渋川剛気、思わずその場でコロンと転んでしまった。

 

 すれ違った青年は「大丈夫かい?」と渋川に声をかける。お…おう…と渋川はなんとか声を絞り出した。

 青年は一瞥するとまた走り出していった。

 

 渋川はその後ろ姿を追おうと立ち上がったが、その時にはもう彼は走り去ってしまっていた。

 

 「は!!!陸奥九十九か!!!」

 

 渋川剛気は青年が走り去った方角を見ながら

 

 舐めんじゃねえよ。馬鹿野郎。

 

 とつぶやいた。その声は虚しく宙に消えていった。

 

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